第59話 夜明けの街灯
「タイム!」
流衣が一臣に待ったをかけた。あれから1週間、毎日食事を取り、少しずつだか体力が回復して来た。ストレッチ&筋トレルーティンが2巡して、“タイム” をかけると日本語OKになるルール(一日2回)まで出て来た。
「臣くん、それ12カウントじゃない?」
流衣が一臣に物言いを付けた。
「そうだけど」
それが何か? くらいの一臣。
筋トレは3巡目に入ったので更にレベルアップしていた。今までは、50秒×セット数。だったのが20回×2セットに。一見優しくなったように見えるが、一臣ががそんな生優しいトレーニングをやるわけがない、スローカウントの鬼トレてある。スローカウントとは、文字通り、ゆっくりとカウントを取りながら行うもので自分の体重で負荷をかけ、通常は4カウントで折り返して、8カウント程で行うが、一臣はそれを12カウントでやっていたこだ。
「スペイン語だよね?」
英語よりスペイン語の方が堪能な一臣は、スペイン語→英語。の順で変換して喋っていたが、そこは流石に2、3日で慣れて、英語だけになったのだが、どうしてもリズムカウントがスペインで覚えた独特のリズムになってしまっていた。
「12カウントなのに、どうして『7』で折り返しなの?」
流衣の疑問点はそこだった。
「ウン、ド、トレ、クワトロ、シンコ、セッ、シエテ、オウチョ、ヌエべ、ディ、ウン、ド。と12数えて、シエテ、で折り返してる。なんで、セッじゃないの?」
流衣は耳で聞こえた一臣の発音を繰り返し、指折り数えて、セッが6、シエテが7だと理解してから、一臣に説明を求めた。
「スペインの七不思議」
それに対して一臣は、一見してふざけて聞こえる答えを出した。
「臣くんそれ冗談?」
流衣が一臣に突っ込みを入れた。踊りに関しては、たとえ一臣でも一歩も引かない。
「いや……」
ちょっと困って一臣は考え込んだ。
「流衣、それそんなに問題なのか?」
横で聞いてたハクが口を挟んだ。
「だって、シエテで折り返すならいいんだけど、シエテとオウチョの間にアクセントがあって、そこで返してるから、なんか身体がムズムズするの」
リズムに関しては流衣はとても敏感で、7の後、
7.5ともいえる位置に体がストライキを起こした。流衣の指摘から、その独特のリズムに『そういえばそうだな』と今更ながら一臣も気付いた。
「そーなん??」
ハクは6だろうが、7だろうが、12カウントだろうが全てが理解不可能だった。
流衣は、次の指示を待つ犬の状態で答えを待ち、一臣を見るが、一臣は答えが出ない。
「分からない」
自分では答えが出ない事に困り果てて、正直に言った。
「マヌエルがいつもこれで数えて間を取っていたから、他のやり方が分からない」
「マヌエル? スペイン人っぽい名前だな、師匠か」
ハクはステレオタイプで考え、正解を導き出した。
「そうなの?」
流衣は『マヌエル』の発言は器用にスルー。
「やりずらかったら自分で数えた方がいい、8カウントで」
——臣くんが説明出来ないのか……。
それならそれで……!
「12カウントがいい」
未知との遭遇のリズムに流衣はときめいてしまった。
「これでやるの?」
一臣は流衣に確かめた。
「うん。それがいい、知らない事覚えるの楽しい」
眼を輝かせて詰め寄る流衣。だが、それを聞いていたハクの方が驚きを隠せない。
「おいそれさ、今はあと二週間って、瀬戸際のときだぞ? 今までと違うリズム覚えるってマジで言ってんの? 大丈夫なのかそれ!」
「それは大丈夫。新しいことを覚えると前のことがしっくり来るから」
ハクは当たり前に現実的な事をいったのだけど、そんな心配を他所に流衣は平然と言い切った。
「は?」
しかしハクは当然のように鬼瓦のような顔になった。
「うーんとね。スランプになっちゃったりしたら困るから、やり過ぎないように色々試したり、すると出来なかったことが上手くなったりして……えっと……」
ハクが納得出来ないって顔して引きながら見てるので、流衣は説明しようと試みた。
「……練習も、し過ぎると逆に調子が狂って、一時的に不調になる時がある」
簡潔に言うとオーバーワークは、スランプの元という意味である。と一臣が補足した。
「うん、それっ」
流衣は元気にうなづいた。
「目線を変えて違う角度から見るのも手段のひとつで、それによって能力が上がって自己成長する事が出来る」
「そう、それ!」
——さすが臣くん。理解早いなぁ。
流衣は思わず拍手した。
「いや、なんなのお前ら、その黄金のバッテリーコンビっぷり。あんでオマエが説明すんだよ?」
一臣を見ながら、感心通り越してハクは呆れた。
「めんどくさい……」
流衣の説明待ってるのが焦れったいらしい。
「ピッチャーはキャッチャーのサイン通り投げればいいんだよね?」
「何で、バッテリーに神反応すんだよ、いつものトンチンカンはどうした?」
早く新しい事やりたくてパタパタしてる流衣。
「もう筋トレに戻っていい?」
待ちきれなくて催促してしまった。早く早くと言わんばかり落ち着かない流衣を見て、男子ふたり顔を見合わせて、やれやれ と思う。
「サイドプランクから」
一臣、足で拍子を取りながら数え始めます。
——うわ、サイドプランクのスローきっつ〜いっ!
筋トレに気を取られながら、
徐々に一臣の声に耳を傾けてカウントを確かめる。
——不思議、これ三拍子だ、12で一回り、前半と後半で拍子が変わる。前半は3×2 後半は2×3。しかも拍子の間にも拍子があるから全部で24で取ってる。それにアクセントは7の後ろって、凄い! どんだけ変拍子なの、こんな取り方があるなんて。
訳わかんなくて、難しくって、楽しい〜!
なんて、変態的でマニアックな快感に浸っていた。それと同時に。一臣に感心していた。
——こんな変拍子なのに、臣くん全くブレない。
アクセントの意味分からないと言っていたけど、意味がわからないのに、耳で聞いただけで再現してるって事だよね。それって驚異的な事なんだけど……。
「カンビオ」
一臣の合図で、
——あ、逆ね。
流衣は反対側に向きを変える。スペイン語なのだが、流衣はニュアンスで理解してしまう。
「ん?」
思わず声が出て、止まってしまった流衣。
——あれ? 今なんか気になった……。
流衣が止まったので、一臣も止まる。
「あ、ごめん。もう一度最初からいい?」
一臣は頷いて繰り返し始める
「・ウン、ド……」
「ん?」
また流衣の動きが止まった。
さっきは何となく止まった、が、今度は明らかに止めた。
「臣くん、今、1から入った?」
流衣の質問に答えるべく、一臣は声に出さずにカウントしながら考えた。
「……1の前、12の後ろ」
出た結論を話すと、流衣は何かに憑かれたように大きく目を見開いた。
——1の前、12のうしろ。
12のうしろ、1のまえ。
4拍子なら……
「4の後ろ!」
流衣はガバッと起き上がると、ウロウロしながら身振り手振りで何かを確認し始めた。
一臣とハクは唖然として流衣を行動を見た。
「あ……えっと、映るの、鏡が……」
今度はキョロキョロし始め、窓の近くに寄って行った。
「……違う。あ、外か!」
店の窓は中からは外が見えて外からは見えない仕様、いわゆるマジックミラータイプのガラス窓だった。流衣は流れに乗るように外に出ると、窓ガラスを鏡に見立てて躊躇なく踊り出す。昼間の人通りはあまりなく奇異の目で見る人など居ないが、『時玄』の入ってるのはマンションの一階。そのマンションの管理人と掃除のおじさんが一服の為外に出ていた。突然に踊り出す女の子を目前にして、持っていた煙草をおとさずにはいられなかった。開いた口も塞がらない。
「あいつ……営業妨害じゃね?」
営業時間外ではあるが、止めるための口実にしようと
「ちょっとそこのねーさん。外だぜ外!」
声を掛けると、流衣はようやく我に返った。
「!」
外は分かっていた、けど人がいた事に改めて気がついて、驚いて仰け反る流衣。ハクの後に続く様に一臣も出て来た、手に流衣の上着とレッスンバックを持って。
流衣の目の輝きで、何か閃いたのが分かった一臣は、流衣が閃きを実践する事が浮かんで周りが見えなくなってる事を踏まえ、筋トレどころでは無いと察して一言。
「行く?」
「お願い!」
流衣は即答した。
一臣は店の横に置いてある自転車を持ち出し乗り込み、上着を羽織った流衣も続く。
「え? おいっ」
筋トレ途中でいいんけ? と思うハク。すると後ろから。
「いや〜、嬢ちゃんうめぇ事踊るなや」
と管理人さんが感心した声を出した。自転車が走り出したと同時に、声援を贈られるように褒められたのが聞こえ、嬉しくて思わず振り向いて小さく手を振った。
「ありゃまず、めんこいない、なあ、あれハクの彼女かや?」
店の常連の掃除のおんちゃんの言った事に、管理人さんガハハッと笑って
「あんなめんこいのが “夜明けの街頭” みてぇの相手にするわけねぇべ。どう考えてもさっきのチャリのあんちゃんだべ?」
——夜明けの街頭——
シレッと言う管理人さんに、聞いた事ない形容詞が頭の中に滞在してしまったハク。
「やっさん。“夜明けの街頭” って何よ?」
どうにも気になって聞いてしまう。
「あ? ハッキリしねえべ?」
「は?」
ガツンと最終兵器で殴られた衝撃を受けた。
「でっけぇのに、うつらうつら、ってよ」
ロンギヌスの槍がグサグサッとWで刺さる気分。
「しかしよ、おれ目の前で女の子が踊ってんの見んの〈DX〉以来だな。さゆりちゃん元気かな」
「なんだおめえもさゆりちゃんファンか、オレもだ、いや、懐かしいっちゃな〜」
——……ストリッパーと一緒にしてんじゃねぇよ
おっちゃんら自由過ぎじゃね?
〈DX〉とは、少し前まであった、知る人ぞ知るストリップ小屋の事である。
昔話に火をつけて勢いよく話し始めるおっちゃん二人を横目で睨みながら、文句や一つも言おうと思ったが〈夜明けの街頭〉ダメージがなかなかに大きく口に出せなかった。
教室に到着した流衣は、気持ちが逸り過ぎて自転車から危なく飛び降りそうになって、一臣に止められる。そして気を鎮めるために一言。
「深呼吸、腹式で」
流衣は言われた通り、鼻からゆっくり息を吸ってお腹に空気を入れていく、そして、口からゆっくり吐き切る。
「……少し落ち着いた。ありがとう。行ってくるね」
言って、駆け出して行った。
一連の動作を終え、パタパタと慌てて走って行った流衣を見た一臣は
——どこが落ち着いたんだろう。
と思う反面、このぐらい元気なほうがらしくていいと、安堵して自転車の向きを変えた。
「臣く〜ん!」
消えたはずの流衣が、入口からひょこっと顔を出した。帰ろうとした一臣の動きが止まる。
「あたしがメールするの忘れたら、臣くんからして貰ってもいい?」
何故かことのほか嬉しそうに聞いてきた。
この前、2時間待った経緯からずっとそうして来た一臣はキョトンとした。
「わざわざ戻って来て言う事じゃないと思うけど」一臣が応えると、流衣は物凄く複雑な顔をした。
「だって……」
寂しそうに目線を落とす流衣を見て、一臣は何か間違った事を言ったかとドキりとした。
「……臣くんの顔をみながら、聞いてみたかっただけなの……」
相手にされなかった仔犬のような後ろ姿を残して、中に入って行った。
それに呼応するように一臣の良心が疼く。
——勘弁して欲しい。
先程の安堵は何処かへ飛んでいき、代わりに騒つく心が一臣を支配するのである。
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