第57話 見守るスナイパー

流衣は家に入ると、両親はもう寝ていた。


——お父さんのイビキが聞こえる。


11時21分


 玄関を入って、水廻り、トイレ、お風呂、通り過ぎると台所。その奥に六畳間がふたつ。台所が広めなのでダイニングテーブルが置けた為、部屋のひとつを流衣が使うことが出来た。仮設住宅に入るのに時間が掛かるため、アパートを借りて入った。家賃は市が払ってる。しかしその支援がいつまで続くがわからない不安があってか、両親は住まいが落ち着くとすぐに仕事を再開した。台所の一角を見ると、炊飯器のタイマーのスイッチが入っていた。


——やっぱり。

……私、もう信用されてないんだ。


流衣はうつむいてうな垂れる。

小さい頃から家の手伝いはやってる方だった流衣は、中学生になってからというもの、部活必修でその後にバレエのレッスンで夜遅くなる為、唯一出来るのが明日の分のお米を研いでおく事だった。

しかし、タイマーのスイッチを入れ忘れて

『こんな事も出来ないの? 本当に役立たずね!』と母親に叱られてから流衣の出番は無くなった。


——あの日、制服のスカートが破れてて、びっくりして。

どこかに引っ掛けた覚えも全く無くて、よくみたら刃物ですっぱり切られてて……。

気味が悪くなった。

誰が?

いつ?

そう考えた時、薄っすらと……セキ?

と思ったけど、理由が見当たらなくて打ち消した……。

 その後、臣くんの家に行って、同じ高校だったお姉さんの制服貰って、臣くんのお母さんからお姉さんの話しとか聞いて、やたら興奮してテンション上がってスイッチ忘れちゃった……。

 タイマー忘れるの初めてだったけど、許して貰えない。私、どうしてお母さんの癇に触ることしちゃうんだろう……。


 流衣は家に居ると疎外感を感じていた、どんどん自分の居場所が無くなる気がして、何気に父親に聞いた事があった。


「あたし、お母さんに嫌われてるみたい……」

それに対して父親は

「母さんな、いろいろあってイライラしてるだけだから気にすんな」

そう返事を返した。


そんな事ない…… と言って欲しかった。


否定も肯定もされず。


宙ぶらりん。


 流衣は父親が怒ってるのを見た事が無い。母親に何か言われても、いつも小さいからだを小さくして笑ってる。

『流衣はめんこいなぁ』

優柔不断で頼りない父親だが、心優しく不器用なその一言が、小さい頃から流衣の心の救い。

 薄い壁を通して両親の寝息が聞こえる。流衣は部屋着に着替えると、小さくうずくまった。数個の段ボールと布団が引いてあるだけの、何も無い部屋。家が津波で流された為、洋服も家具も無い。震災の後買ったのは数枚の下着と、部屋着を2セット、それだけ。

 流衣は家の2階の自分の部屋に居た。地震でグチャグチャになった部屋を片付け始めた時、窓の外を見たら、黒い壁が迫って来た。それが津波だと分かるまで少し時間がかかった。気が付いた時は、2階に居る自分の足まで水に浸かっていた。なすすべも無く、必死で押入れの柱にすがっていると、表現しようがない木の軋む音が聞こえて来て、衝撃と共にぐっと水嵩が減って来た。家が土台から剥がされて流され出したのだ。それが幸いした。胸元迄来ていた水が足元まで下がった為、動ける様になったのだ。流衣は本能的にベランダ伝いに屋根の上によじ登り、雪止めに捕まって座り込んだ。

すると

「助けてー!」

悲鳴が聞こえて来て、流衣はギョッとして周りを見た。車で流されてる人が中から叫んでる声だと分かると、心臓の鼓動が早くなった。しかもそれは、一台や二台ではない事に気がついた、でも助けを求められても自分ではどうする事も出来ない。

——ごめんなさい、何も出来ません——

その罪悪感から耳を塞いだ。


 どのくらい時間が過ぎたのか、辺り一面真っ暗で、いつのまにか声も聞こえなくなっていた。


その時、足元に凄い衝撃が来た。

頻繁に地震が来て、揺れているのは分かってた、それとは明らかに違う。

津波の何度目かの余波。

それも大きい。

家が大きく持ち上がり、流衣は振り落とされそうになるがなんとか耐えた。屋根の上に上がったのが正解だった。いまの衝撃で一階の部分がつぶれ、浮いてるのは屋根部分だけになった。揺れが収まり落ち着いたので、流衣は座り直した。その時、初めてカバンを抱えていたことに気がついた。バレエ用品が詰まったレッスンバック。無我夢中だったので自分でも気付かなかった。バックを抱き枕の様に抱えてまるくなり、前を見ると、人工の灯りが消え、満点の星空が広がっていた。

雪ちらつき始め、幻想的な景色を映し出していた。


——なんて綺麗……。


寒さにふるえながら、星降る夜の美しさに見とれていた。


これからどうなるんだろうと、見当がつかない思いの中で……。


流衣は完全に目が覚めた。


——どうしよう……眠らないと身体の疲れが取れないのに。


そう思うと益々眠れない。


——メールしてみようかな……?

臣くん、まだ起きてるかな。


枕元の携帯を見た。

12時35分。


——寝てるかどうか確認してみるだけ……。


〈起きてる?〉

と打って送信した。


——寝てたら返信来ないだけだよね。って、あれ?

ひょっとして音消ししてんの私だけ?

もしかして、メール音で起きちゃうかも……。

やだ、どうしよう⁈


 送信してから悩み出す流衣。送迎連絡でメールのやり取りは慣れてるものの、こんな遅くは初めて。

だいたい一臣のメール返信は至ってシンプル。

『了解』『いいけど』がメイン、あとは面倒くさいのか電話をかけてくる。


——電話、来ないよね? 

したいけど、じゃなくて、ここで喋ったらお母さん絶対起きちゃう! 

無理。やだっ、私なんでメールしちゃったんだろ〜! 


流衣がパニックを起こしていると、ブルッと携帯が震えた。

《どしたの》

一臣から返信。


——臣くん……。

そうだ、臣くんって私より常識あるんだった。


余計な心配した自分に真っ赤になる流衣。

気を取り直して。


〈目が冴えちゃったの、眠れるストレッチ教えて下さい。コーチ〉


——今、携帯持って返事を考えてくれてると想像するだけで嬉しい、ってあたし変態みたい……。


膝に抱えた枕に顔を押し付けて笑いをこらえる。


《ご褒美ストレッチと腹式呼吸。ドローイングしないように気を付けて》


——……さすがコーチ。なるほど。


明確な答えに真面目に感心する。

〈ご褒美ストレッチ〉思い出してくすっと笑った。


〈それでも眠れなかったらどうすればいい?〉 


——どんな返事くるんだろ、100から7ずつ引いて行く、とか羊数えるとか……あと眠れる呪文、何あるっけ?


それしか思いつかない、自分の想像力不足と認識不足に驚く流衣。


《電話してくれば?》


——え? 


意外な返事に流衣はドキドキして固まった。


《DITと筋トレの関係性についての話の続きするけど》


流衣は吹き出しそうになるのを枕で防いだ。


〈それなら絶対寝る自信ある(笑)〉


〈ストレッチと腹式呼吸で眠れるよう頑張ります〉と続いて送信。


《了解》


流衣はコーチの言う通り、一臣がカウントを取ってる声を思い出しながら、ストレッチと腹式呼吸を繰り返す。そのうち自然に眠りについた。



 次の朝、教室に入って行くと一臣が先に来ていた。

「おはよう」

流衣は駆け寄って挨拶するも返事無し。


——あれ? 臣くん、寝てる⁈


座って腕組んだまま動かない。


——珍しい、臣くんが学校で寝てるなんて。


朝のHRでも微動だにしないが、担任の二次元オタクの様な26歳女子は一臣が怖いのか何も言わない。出席してるからまあいいか、な体だった。

一時限目が始まってもそのまま。いつも寝てる流衣が逆に目が冴えて起きていた。

 

——臣くんの寝顔、こんなにじっくりとみるの初めてだけど、凄く新鮮で……やだ、なんかドキドキしちゃう。

綺麗な鼻筋してるなぁ……。

この鼻筋なら舞台メイクもアイラインくらいですみそう、羨ましい。

私がどんだけ描き込んでるか知らないだろうなぁ。(そりゃそうだ)描いてみたい……この顔にお化粧したい! 

いやん、絶対、綺麗!


 なんて流衣が野望を抱き、妄想を膨らませている内に授業が終わってしまった。


——あれ、臣くんみてたら現国の授業、何一つ覚えて無い。

大丈夫かなあたし。

次は数学だから少しは集中しないと、ただでさえ苦手なのに……。


教科書とノートを出して準備をし始める。すると、

ガタン、と立ち上がり、一臣はカバンを持って教室から出て行ってしまった。

「えっ」

思わず声が出るほど驚いたのは流衣。


——臣くん起きてたの?

横から見てたの気づいてたのかな……。

あれ?

ちょっと待って、なんでスルー?

あたし無視された?

カバン持って行ったってことは、帰ったんだよね。いつもだったら何か言って行くのに『お先』とか 『じゃ』とか……。

どうしたんだろ……もしかして、あたし? 

あたしなんかした⁈


昨夜のメールに反転するかの様な、今日の一臣の塩対応に、かなりのダメージを受ける流衣。そして予定通り4時間目まで授業を受けて早退するが、受けたダメージ分のHP回復は中々叶わなかった。


 店の裏口から入って行くと、まだ常連さんが二人いた。既に2時過ぎている、いつもより一時間余計にかかって着いた。マスターは先に休憩に入ったようで居ない。ハクが流衣に気が付いた。流衣はカウンターの所に居るハクに、後ろで着替えるね。と、目線と指で合図を送り、ハクが “了解“ と親指で返す。

バックヤードで着替えていると、お客さんとの会話が聞こえる。

「ハク、明日の日替わり何?」

「マスターの気まぐれ」

「イタリアンの店だっけ?」

近所の不動産屋に勤めている、40代の常連さんは笑い出す。

「マジっすよ。あの人毎日市場に行って、たまにとんでもないもの買ってくるんで」

オマール海老買ってきて、怒ってしまった記憶がまだ新しいというのに、初競りで1キロ15000円の〈大間の本マグロ〉を買ってくる暴挙に出て、正月早々ハクに説教を喰らった、五十二歳の男寡。

「ははっ、まあマスター結構天然だからね。ごっつぉさん、また明日な」

常連さんは笑いながら帰って行った。

「あざーす」

会話が途切れて、人の気配が変わった。流衣は着替え終わると、テーブルの後片付けを手伝った。

「お、サンキュ、それ流しに突っ込んだら飯食えよ用意してあるから」

「もう?」

カウンターに丼が置いてある。

「凄い、早い。さすがハク」

ランチタイムのフードは2分以内の鉄則。流衣、昨日のおにぎりとは違う食べ物に。


——何だろう、お粥とかかな。


ワクワクしながら蓋をとる。

親子丼。

「えっ? これ食べていいの?」

流衣は意外な食べ物に、瞳がきらりと輝いた。

一臣の必要栄養素の話をちゃんと聞いてないので、全く理解してなかった。

「なんか完璧食らしいぜ? 一臣に言わせると、鶏胸肉と卵でタンパク質取れて、油(脂)抜き、炭水化物は白飯で取れる、つって」

ハクのその話っぷりに、流衣は一臣がさっきまでここにいた事を感じた。

「臣くん、来てたの?」

「来てたも何も、あの野郎、ひとを叩き起しやがって、10時前に店あけさせて鶏肉は胸肉だの、皮を取れだの、砂糖は使うなとか面倒な事言っといて、自分はさっさと寝るわ、客が来たら消えちまうわで、ひとをこき使いやがって〜」

ひとしきり文句を言ってると

「ごめんなさい」

流衣が反省してしまう。

「なんでお前があやまんだよ」

「だって、私のせいだから……」

「何言ってんの? 俺が怒ってんのは、こっぱやく起こされたからであって、飯作んの嫌なわけじゃねーって……」

ここで、ハクは流衣の様子がいつもと違う事に気が付いた。

「そういやあいつどうした? 一緒に来たんだろ?」

一臣が居ないのも、来る時間が遅かった事も今更ながらおかしい。

「ううん……。いつもの待ち合わせ場所に来なかったから、ひとりで来たの」

しょんぼりと話す流衣。

「……お前ら、昨日ケンカした?」

ハクは一臣がいつもより淡々としていた気がした。

「ううん、何も。いつも通り送って貰って、『また明日ね』 って」

「……んじゃ、あいつなんで機嫌悪かったんだ⁈」


——やっぱり機嫌悪かったんだ。

 ……昨夜、いつもと違うといえば……。


「夜中に、メールしたけど……」

「メール? なんて?」

流衣はメールのやり取りを掻い摘んで説明した。


「……んで。おまえ電話したの?」

「ううん。寝落ちしたの」

ハクは腕を組んで、上を向いた姿勢で声を出さない発声練習の様に息を吐いた。

「有罪確定」

「ええっ? やっぱり 私なの? でも何で⁈」


——私、何しちゃったのー⁈ 


ハクの有罪宣言に、訳が分からず流衣は焦った。

「いや、推定無罪。気にすんな、いつもの冬眠だろ」

「冬眠……」


——確かに臣くん、たまに寝だめするけど。


「これ作ってて寝てねーんじゃね?」

ハクはA4のコピー紙を流衣に差し出し、遠回しに寝不足なだけだと言い、それを裏付けるように証拠を出した。


——寝れねーから作ったって方が正しいけどな(笑)

流衣から電話くっかもって、思ったら寝らんなかったんだろうな。

しかも顔合わせらんくて逃げたな。

バッカでやんの!


ハクは一臣が何故これを置いて行ったのか考えたら、腹の底から愉快さが湧き上がって来て、堪え切れずにニヤついた。

「わ、スゴイ」

図解付き筋トレメニュー。部位別、完全版。ストレッチ解説付き。

表紙が付いてたら売れるんじゃ無いかと思えるクオリティ。


——確かにスゴイけど、臣くんならこれ30分位で作れそう……。

これで寝不足、なるかなぁ……。


流衣のモヤっと感拭いきれず。

「まあいいから、食えよ、冷めちまうだろ」

ハクは流衣の気を丼に向かわせた。

「そうだった、親子丼! ありがとう、いただきます」

 手を合わせて、ちょこんと頭を下げる。ゆっくり一口目を入れて噛み出す。


——美味しい〜!

こんなちゃんとしたご飯何週間ぶりだろう。しかも、親子丼、前に食べたのいつだっけ、1年以上前かなぁ、どうしても食べたくて、自分で作ったんだけど、なんか微妙な味だった……。親子丼ってこれこれ、この味。嬉しい、すっごい贅沢してる気がする、美味しい物食べれるのって幸せなんだなぁ。勿体ないからゆっくり食べよっと。


一口づつ味わって食べる流衣。


——正直かよ……。

 ここまで美味そうに、嬉しそうに食われると、冥利に尽きるな。何より、わざとらしく声に出して言わないとこが良いよな。

……やっぱ、めんこいなこいつ。俺、兄弟いないけど、妹ってこんな感じなんかな。


と、感慨深くなるハクだった。

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