第55話 伸びしろ

「んで、どうよ。これに筋肉つけれんの?」

流衣を親指で示して、スポーツをそれなりに経験して、体力をつける為の基本的ノウハウは有るハクは〈無理じゃね?〉って顔で一臣を見る。

「だいたい、筋肉アップするなら、先に脂肪つけて絞り込むもんだろ? こいつ脂肪のカケラもない鶏ガラじゃん」

ハクの視点、流衣=『鶏ガラ』

「体幹を鍛えるだけなら、脂肪つけてまでしなくてもいい。タンパク質を増やせばいいだけなんだけど、それだけ摂取できるかが問題」

「ああ、量の話ね」

そういや最近、こいつメシ食うとこ見てねえな、今日なんか、具を多めにした握り飯作ったけど、ひとつしか食わなかったし、それも一生懸命、水で流し込んでたもんな。


〈補足〉

ハクの握り飯=シャケの切身が一切れ分入ったコンビニおにぎりの二・五倍のデカ握り。


「んならプロテイン飲ますか」

とハクが言い出す。

「あるの? ……でもそれ捕食だし」

「いっぱい飲ませてみればいいんじゃね? なんせいっぱいあるし。マスターが検診で引っ掛かって……以下略。で、3日坊主だから、余ってる」

「なるほど、取り敢えず」

流衣に向き直り

「起きて」

問いかけてみるが反応なし。

「起きろ」

一臣は流衣の鼻を摘んで、先程より強めに言い放った一言で、流衣驚いて飛び起きる。

「あっ、はい、ごめんなさい!」

謝りながら頭を下げた先に、邪魔なので脇に除けて立て掛けてあるテーブルの足に、額がガツンとぶつかった。

「イッターい!」

一臣とハクは唖然。

「何? 今野先生! 教室、じゃない? 現実? どこ??」

学校の夢を見てたらしく、軽くパニックになってる流衣。

「こっちが現実『時玄』」

「おまえ夢の中でも方向音痴なん?」

除けてあるテーブルに、何故わざわざぶつかるのか分からない、呆れるハク。

「夢? え、夢……授業中……。あ、痛い」

痛みの発生源のおでこを押さえて、今までの出来事を整理した。

「……理科の先生に『三大栄養素は何だ?』って聞かれて『お米とバナナと魚肉ソーセージです』って答えたら怒られちゃった」

「夢の中で破天荒かよ。それおまえの主食だろ」

流衣はハクの言葉を聞きながら夢うつつから覚めていった。


——……あ、そーか、ストレッチしてたんだ、んで臣くんが話してるの聞いてたら、気持ち良くなって来て、声が遠くなって……寝ちゃったのか。


 一臣が手を伸ばしてきて、おでこを抑えてた流衣の手をよけ、ぶつけた額をマジマジと見つめた。顔が近付いて来たので流衣の息が止まる。

「赤くなってるけど、腫れてない」

痣にはならない、といいたいらしい一臣に

「あ……ごめん、大丈夫」

目線を外しながら、自分に言い聞かせるように呟く。その流衣に向かって。

「三大栄養素の答えは?」

唐突に問題を出す一臣。

「……さんだい、ビ、ビタミン? カルシウム、マグネシウム?」

流衣は必死で答えた。

「はずれ、タンパク質、炭水化物、脂質。プランク3分追加」

「ええっ、何その罰? なんで3分⁉︎」

理不尽な追加に怯える流衣。

「3分キツい?」

「すみません、コーチの論点ズレてると思うんですけど」

「じゃあ、1分×3セットで」

「あ、それなら出来そうっ……って、違うでしょう⁈」

理不尽さに納得出来ない流衣、阻止しようとがんばって、不毛な言い争いが続く。


2人の掛け合いをみながらハクが感心してる。


——一臣の奴、ああやって流衣の反応見て楽しんでるんだろうけど、あそこまでポーカーフェイスを保つのって凄い自制心だなぁ、素直になれば楽なのに……バカな奴。『先が無い』って言ってたけど、コンクールの結果が良くて流衣が留学するとして、2・3年だろ、帰ってくるの待ってりゃいいだけだと思うけど……我慢出来ねーのかよ。


 残念な事に、ハクはバレエ事情を良く知らなかった。


 バレエでプロになろうとしたら、日本より海外にいた方が正解なのだ。日本のバレエ団に入団した場合、海外ヨーロッパで最低ソリストとしてキャリアを積まないと、それで独り立ちするのは難しい。例え雇用されたとしても、講師として兼業しないとやっていけないだろう。だとしたらヨーロッパ、欧米の方が、バレエで食べていける可能性はある。日本でバレエの教師になろうとすると、これからの時代はバレエを踊っていただけでは出来ない世界。体幹を鍛える事もしかり、メンタル部分も勉強しなければいけない、いわゆるバレエメソッド。これは大学に行って勉強する必要があり、大学に行く費用が無い流衣には無理。つまり奨学金を貰って留学出来なければ、趣味でやっていくか、バレエをやめるしか選択肢は残されていない。

 バレエの事は良く知らなくても、海外留学経験のある一臣には、付加価値の必要性というのは肌で感じ取っている。

そして留学資格を取ったら流衣とは会えなくなるという、漠然とした寂しさ抱えていたのだ。


「これを飲めばいいの?」

マスターの三日坊主の賜物が流衣の前に置かれていた。

「これを筋トレ前後と夜レッスンの後に取って」

結局、理不尽な闘いに負けてプランク追加する事になった流衣はちょっとムッとして、返事もせずに飲み始める。

「あ、美味しい……」

もっとコナっぽいのかと思ってたので、意外に美味しくて嬉しくなる流衣。

「美味しい? プロテインが⁉︎」

そんな馬鹿なっ、て顔のハク。

「普通に美味しいよ? 甘くて」

「甘い?」

一臣が反応する。

「うん、甘いよ?」

ほらっと言わんばかりにシェイカーを差し出す。ムッとしてたはずなのに、甘いもので機嫌が治ったらしい。

一臣は受け取ってひと口飲んでみる。

「……」

一瞬、眉間に縦皺が寄って『なんだこれ?』って顔して成分表示を見比べる。ハクも一緒に覗き込んだ。

「そりゃ甘いわ、バニラ味って書いてある。メタボ対策じゃねーのかよ」

マスターやる気ねーなと思ってしまったハク。

「減量目的じゃないからいい、飲んで」

そう言って一臣はプロテインを流衣に戻した。

「いいの?」

えへへっと流衣は笑った。


——良かった、最近食べてないから、固形物は辛いけど、これなら飲める……ん? 

今、おもむろに臣くんに渡したし、臣くん普通に飲んだし、あたりまえのように戻ってきたけど、これって間接キスでは……!

気付くの遅い、あたしなんて鈍いの……。


プロテインを見つめながら、考え込んでいると

「流衣、これ家で飲める?」

一臣の問いかけに、ハッとする。

「えっ……と」


——家でプロテインとか飲んでるの、お母さんに見つかったら何か言われそう……。


母親の性格から考えると、間違いなく嫌味の一つも言われるのが分かってる流衣は、はっきり返事が出せないでいた。

「じゃあ此処で飲んで、筋トレ前後と家に帰る前」

「わざわざプロテイン飲む為にここに寄んの? 面倒くさくねぇ?」 

ハクがすかさず反応する。

「こいつに持たせるとどっかに置き忘れるから、そのほうが面倒くさい」

わざとらしくけなす一臣に、流衣は何か感じ取る。

「違う?」

真っ直ぐ流衣見て話しかける。

 

——臣くん……ひょっとして、お母さんの事気が付いてる?


「そう……かも」

 暫定的に答える流衣に、一臣はまばたきをしてほんの少し目線をずらした。

「なんだよ、いい返せよ」

ハクは流衣の味方になる。

「言い返せる自信ない。この前学校にカバン忘れるし、上靴のまま帰ってきちゃったり、お米研いだのにタイマー入れ忘れたり、毎日通る道間違えたり……」

自分で言っててシュンとなってしまった。

「確かにその方向音痴でよく無事に生きてきたな、おまえ」

味方になったり、デスったり忙しいハク。

「もっとしっかりしなきゃと思うんだけど、なんかダメなの……」


——『ダメな子ね!』


その母のことばがオーバーラップする。

「せっかくみんなが応援してくれてるのに、無駄になるかもしれない」

流衣はポツリと寂しそうに言った。

「私、身長低いからプロのバレリーナには、ちょっと……厳しいかも」


 流衣に元々ある身長にコンプレックス。両親が小さいので、自分の身長もおそらくこれが限界。自分の身長の低さでは、コールド(群舞)でさえ日本のバレエ団でも引き合いは無い。となると、最低でもソリストにならなければバレエでやっていくのは不可能である事。最初はコンクールに出場出来ると大喜びした流衣だが、時間が経つにつれ不安と恐怖でいっぱいになった。流衣に必要なのは留学資格よりも奨学金、それにはより高い将来性が求められ、そこに応えるべく、プレッシャーに打ち勝つ強い心を持つことが基本。

ローザンヌ国際バレエコンクールはそんな人達の集まり。


——ただでさえ容姿が違うのに、実力の違いを見せつけられたら……踊り続けるのと辞める、ふたつの選択が迫ってきたら私どっちを取るんだろう。「女は結婚して子供産んで、歳をとった親の面倒を見るのが務めなんだから、バレエなんか続けても無意味でしょう。早く辞めてしまいなさい」ってお母さんが言ってたけど、私がバレエをやめたらお母さんは喜ぶのかな?

優しくしてくれるかな……?


いろんな悩みで胸が潰れそうな流衣。


「その答えを出すのは5年早くない?」

一臣が口を開いた。

「5年?」 


——何で5年?


流衣が顔を上げて一臣を見た。

「身長は二十歳までは伸び代がある筈だからそれはその後でいい。今は体幹を鍛えるほうが先じゃないの?」

一臣の辛辣とも言える正論。

流衣はドキッとする。

ハクはギョっとする、

「それとも、努力ではどうしようもない身長の事で悩むほど、他は完璧なわけ?」


カッチーンン……!


「そんなわけ無いじゃない……」


——だって、完璧じゃないから習いに……、留学したいんだし、だからコンクール出るんだし、ちょっと悩んでたことがポロッと出ちゃっただけだし……だから、だから、も——っっ。


「何よっ、もう! 臣くんのバカっ、腹筋完璧にするからっ、プランク3分すればいいんでしょう!」

「1分×3セット、50秒の後10秒のインターバルとって」

淡々と説明する一臣に更にカチンとくる。

「それだけ⁈」

「もちろん違う。サイドプランクアップ、左右×2セット、サイドレイズ左右、レッグリフト、片足レッグリフト左右×2セット、ツイストクランチ、プランク捻り、ヒールクランチ、ニートゥーチェルト、全て30秒2セットづつ、最後にデットバグ10回」

鬼コーチは完全に指導者の口調になり、最後のデットバグ10回が妙に恐怖を感じさせた。

「えっ、そんなに?」

流衣は聞いたこと無い横文字にちょっと慌てる。

「完璧にするんじゃなかった?」

「出来るってば! 聞いた事ないから想像出来なかっただけなの!」

鬼コーチの挑発にムキになって言い放つ流衣。


——一臣の奴、あんだけ流衣が弱音吐いてんだから優しくしてやりゃいいものを、惚れてるって感じたの俺の思い過ごしか……⁈


完膚なきまでに厳しいコーチっぷりを発揮する一臣に、つい心配してヤキモキしまうハク兄貴なのである。 


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