第54話 BMIとDTI
「ストップ」
「えっ?」
ランチタイム終了後の『時玄』
ストレッチを始めた途端、一臣のダメ出しがでた。
年末にコンテのレッスン、正月返上で日野とレッスン、それから成人の日の月曜日の祝日までクラシックのレッスンを受けた流衣。と充実した年末年始を過ごし、息つく間もなく学校の始業と共に一臣のトレーニングが始まった。
「もっと深く入る」
前屈姿勢の流衣に、一臣が例の如く淡々と言い放った。
「どこに?」
厨房で仕込みをしながら見てたハクが疑問を投げかける。流衣の前屈は顔が完全に膝についてる。
「どこにそれ以上入る隙間あんの?」
体の硬いハクは、信じられない、とゆう顔で聞いた。
「座って」
一臣に促されて、流衣は一旦体を起こして脚を伸ばして座り直した。
「股関節から曲げて」
一臣は流衣の真横についてゼスチャーを交えて指示した。
「股関節……こう?」
今まで、何も考えずに曲げてたのを、脚の付け根を意識することによって。
「あ」
思わず声が出た。
「何か違う……」
側から見れば違いはわからない、けど本人は、手がかなり前に行ってる感覚。
「押していい?」
「え、はい」
——この姿勢でどこ押すの??
流衣は思った。一臣は手のひらの親指の付け根、母指球と呼ばれる所で、流衣の尾てい骨、仙骨、ようは骨盤の真ん中を押しながら触る程度の力でぐっと上げた、すると。
「あれ、すごい、さっきより上がってる、どうなってるの、魔術?」
「魔術って何よ、マリック的な?」
ハクがカウンターごしに口を挟む。
「素直に魔法みたいって言った方が良かった?
さすがにメルヘン過ぎるかなと思って」
「一臣のことだから、呪いかもしんねぇぞ」
「怖っ」
「魔術でも、魔法でも、呪いでも無くて、ただのスポーツ医学」
二人の掛け合いを黙って聞いてた一臣は、真顔で訂正した。
「医学?」
不思議そうに聞く流衣。
「今のは、後ろから腹直筋を刺激しただけ」
「腹直筋?」
俗に言う腹筋のことだが、流衣は筋肉の事はよくわかっていなかった。バレエでは全身の筋肉を使って踊るのだが。それゆえにインナーマッスルを意識して動かすほうが絶対に有利な事なのだか、流衣が通う教室は小さく教師も二人と、とてもそこまで手が回らない、バレエの基本の動きを忠実に守ってここまできた流衣だった。
「もう一つ気になる場所がある」
一臣の目線はその気になる所で止まると、流衣はギクリとした。
「脚⁈ うそっ、何がダメなの?」
「ちょっといい?」
「……うん」
一臣は流衣の対面に座り直して脚を掴む。
「きゃー!」
悲鳴が店中に響いた。
「なんだよ?」
鶏肉に下味を付けてたハクが、驚いて覗きこんで見たら、流衣は一臣にふくらはぎを掴まれて悶絶していた。
「何やってんの」
怪訝そうにハクが聞くと
「腓腹筋、掴んでるだけだけど」
振り向きもせず一臣は答えた、掴んでるだけで手に力は入れてない。
「ひふくきん? ヒラメ筋じゃなくて?」
——掴まれてるだけでこの激痛⁈
「ヒラメ筋はこっち」
と言って掴んでた手を下に移動する。すると。
「いたいっ、ヒラメ、痛い! 何これ何? ヒラメのバカー!」
身を捩らせたら激烈に痛かったので毒付いた。
「メンテナンスが全然足りない」
一臣は手を離して言った。
「メンテナンス? レッスンの終わりにストレッチはやってるけど……」
以前からやっていた物を、一臣言われてからは得に念入りにやっていたつもりだったので、寝耳に水の流衣。
「マッサージは?」
「それはやってない」
お風呂に入ればだいぶ違うのだろうけど、流衣が家に帰る時間には水になってる。沸かし直すにも一時間近くかかる。それに以前お風呂の沸かし過ぎで空焚き火事未遂を起こした流衣は、レッスンが終わった後、教室でシャワー浴びてから帰ることにしていた。
「寝る時間5時間切ってる?」
「えっと、12時過ぎに寝て、5時に起きてる。でも学校で寝てるから10時間くらい寝てると思うけど……」
寝過ぎでは無いかと流衣は自分で思っていた。
「いや、横になってる時間、教室で机で寝てるのでは、脚は休めてるうちに入らない」
脚を曲げたままだから。
「レッスンの終わりにバレエ団の人達と同じメニューのストレッチしてるけど、それでもダメ?」
日野の紹介で受けたプロのダンサーのレッスンの時に、ストレッチの方法も聞いて来て実践していた。
「プロのダンサーよりおまえ方が動いてる、しかも休みなく」
「えっ? そんなはずは……」
流衣が納得出来ないって顔をしてる。
「今までずっと、朝5時に起きてバイト、学校、バイト、レッスン、バイト、夜12時に寝るまで19時間一度も横になって無い」
「えっ」
——動いてるってそういう事?
踊ってるんじゃなくて、そうゆう意味なら休んでない。
あれ……?
もしかして。
「だからバイトやめた方がいいって言ったの?」
「それもある」
「それもって?」
——他にもまだ何かあるの!?
「……」
一臣はなんだか凄く言いにくそうにして黙り込む。
「?」
——この沈黙なんだろう……やめて怖い。
「なんだよ、言えよ」
側から見ていたハクが痺れを切らして促した。
「痩せたよね?」
その一言に流衣はサッと顔色が変った。
師走から忙しさに拍車がかかっていたのは確かだった。コンクールの為の準備の他に、発表会とその練習、バイトも臨時が入ったり、制服が刃物で切られてたり、拉致されたり……。
矢継ぎ早に色々なことが起こっただけでは無く、トドメのように遠征レッスン。仙台から出た事ない流衣にとって、都会でのレッスンは駅から教室までの往復だけで、人の多さにストレスと疲れを発症した。レッスンでは今までにない充実感が満たされたが、脳内モルヒネが分泌され多幸感にあふれたせいで、食事をするのも忘れてしまっていた。
最近たまにフラつく時があって自分でも、まずい、と思ってたのがまさか、一臣に気づかれたなんて……。
「そーいや、さらに薄くなったな、胸なんか特に」ハクの余計な一言に流衣は軽プチッ。
「どーせ私の胸は絶賛反抗期中ですっ」
ほっといて。
「食事の時間をとった方がいい、後1キロでも落ちたら、BMI・16切るよね? 出場制限に引っかかる」
「なんで、出場制限の事知ってるの⁈」
体重もさる事ながら、出場制限まで知ってる一臣に驚きの声を上げる流衣。
「概要に書いてあった」
「あ、そうか」
——ん?
……臣くんサラッと言ったけど、あの時あの英文全部読んだって事?
あの短時間で⁈
しかも内容も覚えてる、んだよね?
なんだろう、この出来の違い……。
不公平感ハンパない、神様のバカ。
「大体おまえ何キロなん?」
話聞いててハクも気になり出した。
ここで、ようやく一臣が飯作れと言った重要性が分かったからである。
「女子に体重聞くのはセクハラでは?」
「……女子の体重なんかクソほども興味ねぇけどな、ことおまえに関しては、俺の
ハクの一言で完全論破される。
「だって分からないんだもん、体重計ないから測ってないし」
「測ってみるか?」
ハクがサラッと言った事に、流衣はデッドボールを受けた気分になった。
「だって体重計なんて……無いでしょ?」
「あるよ」
ハクの爆弾発言。
「なんで⁈」
流衣あせる。
「マスターが特定健診のメタボで引っかかってから、毎晩こっそりと測ってんの知ってんだよね」
ハクがニヘヘッと笑いながら、バックヤードから体重計を持ってくる。それを見て、流衣は咄嗟に一臣の後ろに隠れた。
「うそっ」
——なんでー⁈
「乗ってみ?」
「本当に乗るの? マジで?」
「マジで」
ハクは笑ってるが、バレてまずい体重では無くとも男子の前ではさすがに恥ずかしくて、躊躇する流衣。
——なんでここで公開処刑……。
半べそ状態でそーっと乗ってみる。
43・2。
「ええっ肥ってる! なんで⁈」
出た数字に驚愕する流衣。
「……流衣、いい加減に一臣の腕を離せ」
ハクの冷静な一言で、一臣の腕にすがってたことに気付いた。
「あ、ごめんなさい」
ぱっと離すと数字が変わった。
38・4。
「やっぱり……」
ポツリと一臣が口にした。
〈38〉切ってなかった、とホッとしてる流衣の表情を読みとった一臣が一言。
「ジャージ分、忘れてない?」
流衣はギョッとした。
「そのジャージ結構もっさりしてね?」
ハクの指摘通り、流衣が着ている学校のジャージは分厚い冬仕様。上下で500gはありそうだった。
「合格ラインは?」
「38……。でも体重測ったりはしないと思うの、あくまで自己管理能力が問われるものだから……」
「つまり明らかに不健康だとチェックされる?」
「うん、だと思う」
曖昧な返事だか、周りに経験者が居ないのと、先生からも失格者の話しは聞いてないから実際に現地でどうなるのかわからない。
「体重より体脂肪のほうがまずい」
「体脂肪?」
この体重計、体重と体脂肪、交互に出る仕組み。
「9パーやばくね? 女子って10%切ったら危険なんじゃねーの」
それは、新体操のオリンピック選手クラスの体脂肪。生理が止まり、鬱状態になってもおかしくないレベル。
「この前まで、12%あったのに」
流衣の言うこの前とは、健康診断を受けた夏前の頃のことであった。
「体重は何キロ落ちた?」
「2キロくらい……」
「2キロで3%……ほぼ落ちた体重分か」
一臣は頭の中でルーティンを組み立て直し始めた。
「そうなの? 食事の量が減って、落ちるの筋肉だと思ってた」
とても大雑把な考えの流衣。
「それは仕組みを理解してないだけ、もちろん筋肉も落ちてる。体重2キロ減って体脂肪3%落ちたなら、体脂肪1・2キロ、筋肉800g落ちてる」
一臣があっさり言ったので、流衣は唖然とする。
「仕組みって、痩せる仕組みの事?」
解らないながらも、何とか理解しようと聞いてみる。
「食事の食べ物が消化されて、ブドウ糖、つまりエネルギーに変わったあと、どこに振り分けられて行くのかの仕組みの事」
「ブドウ糖……。中学の時、何かの授業で習った気がする」
「理科でね。食べた物が消化されてブドウ糖に変わって、まず基礎代謝に使われる。その残りがグリコーゲンに変わって筋肉の肝臓に使われて、余った分が中性脂肪になる」
「余ったのが、脂肪になるのは何となくわかるけど、肝臓に行くのは知らなかった」
流衣は分からないながらも理解しようと頑張っている。
「その肝臓がポイントゲッターだからそこでグリコーゲンを使い切れば脂肪は付かない。痩せたいならそこから運動すれば良いから簡単だけど。逆に体重を増やしたいならDITをコントロールしないといけない」
「DIT……どこかで聞いた事あるなぁ、ATMとは違うよね」
「Tしか合ってねーだろ」
そんな流衣に突っ込み入れるハクのふたりを尻目に、一臣は脇によけたテーブルの上の紙ナプキンを取り、分かりやすいように図解を始めた。
「DITは食べ物の消化吸収の過程で消費されるエネルギーの事で、基礎代謝に使われた後に残った分からまずは脳に70%、さらに残った分から肝臓21%、心臓9%、肺8%、その他の臓器に20% 筋肉20%、体重から計算すると、体脂肪9%分と内臓と骨の重量の20キロを引くと、おおよその筋肉量は15kg。筋肉に一日に必要なカロリーは280カロリー。基礎代謝に1300、生活活動代謝500、運動代謝200、つまり体重維持に必要なのは2000Kカロリーだから、更に200多く取らないと体重と筋肉は増えない……」
「プッ」
突然、ハクが吹き出して笑い出した。
一臣がハクが笑いを向けた先を見ると、流衣が熟睡してる。
「おまえの講義は退屈らしいわ」
肩で笑いながら、さも面白そうに言うハク。
「……」
床に座ってソファに寄りかかるようにして、電池が切れたように爆睡中の流衣を一臣は黙って見ている。
「おまえなんでムキになってんの?」
流衣のチャレンジに応援する気持ちはハクにも分かるが、こんなギリギリで筋肉鍛えようとしてる一臣の必死さが読めなかった。
「……俺のせいだから」
「何その罪悪感」
ハクはちょっと驚いて笑いが収まった。
「あの時、流衣のスカートを切ったのはセキしかいない、今更だけど」
「ああ、そんなこともあったな。忘れてた」
その事は忘却していたハクだが、セキの事を加味しても、一臣の態度はまだ解せない。
「俺やハクにしてみたらその程度の出来事だけど、流衣は違う」
突然制服のスカートが刃物でざっくりと切られて、しかも誰がやったかも解らない、自分でどこかで引っ掛けで破いたと思い込もうとした、けど無理でやり切れなく思ってた流衣を、一臣は気が付いていた。
「薄気味悪くて、怖いはず」
「かもな」
「一言も言わないけど」
一臣は、自分の腕の中で震えてる流衣を思い出していた。
「あまりにも自然に傍に居るから気付くのが遅れた」
「何を気付くって?」
「自分のやってきた事のツケ」
「は? おまえそんな事考えてんの」
意外だとハクは思った。
「まさか自分以外の所に行くと思ってなかった」
梶らの事は、流衣と行動を共にする前の事とはいえ、被害が飛び火するなんて考えなかった。
「まあ……」
ハクは言葉を濁した。流衣に目を付けられたのは、確かに一臣のせいだ。
「なんで責めないんだろう」
「惚れた弱みじゃね?」
冷やかしてみるハク。
「……それは違う気がする」
顔色変えずに否定する。
「こいつが前しか見てねーからかな」
ハクは大人っぽい苦笑いを浮かべ流衣を見る。
——前しか見てない……。
それは一臣の心に突き刺さった。
「責めるって、欠点とか探すだろ、まー、あら探しってやつな、けど探す時間ないじゃんこいつ、怒るのもエネルギー要るしな。そこに使うなら体力に回す、それを本能的にやってんだわ」
「……うん」
本能的に、とゆう所に思わず頷く。
ハクは意外にも一臣より流衣を理解していた。
「それでおまえどうすんの?」
「何?」
急に声のトーンを変えたハクに、何事かと一臣は聞き返した。
「こいついいやつじゃん?」
「知ってる」
「可愛いいし」
「何がいいたいの?」
「こいつの気持ちに、応えてやんねぇのか聞い
てんの」
流衣を顎でしゃくって示す。
ハクは一臣の本音を聞き出したかった。
「応えてどうすんの?」
「どうするって何だよ」
「先が見えないのに応えるの、残酷じゃないの?」
どっちがどっちに?
「……おまえ、自分が何言ってるかわかってんの?」
ハクは一旦言葉を飲み込んで、一臣に問いただした。
「分かってる」
はっきりと言い切った。そのくせ、逃げるかのように視線を外す一臣を見て、ハクは全てを悟ってしまった。
一臣の感情が戻ってる事を。
流衣に惚れている事も
それを出さないように必死になってる事も
そして、……自分には何も出来ない事も
なんてもどかしい。
「もぞっこい、んだわおまえら」
「え?」
「……しゃーないな」
父親が関西人なので、たまに聞く仙台弁に首を傾げる一臣がちょっと可哀想に見えたハクは、言いたい言葉を全て飲み込む事にした。
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