第53話 ハクのラブレター

「良かった〜!」

『時玄』で一日ぶりにカバンに再会した流衣は、喜びの抱擁を交わした。

「ハク、ありがとう!」

「お〜」

カウンター越しに洗い物してるハクは、顔を上げずに返事した。1時過ぎでまだランチタイム中だが、もう客は居ない。マスターも、いつものようにもう居ない。

「……」

なにかハクが苦虫を噛み潰したような顔をして、カウンター奥の定位置に座ってる一臣を見返した。

「ハク?」

一臣は促す様にハクを見た。

「ちょっと待て」

ハクは洗い物を済ませて、手を拭きながらカウンターから出て来た。

「どうしたの?」

ふたりが示し合わせてる空気感に流衣は気がつき、抱きしめていたカバンをソファ席に置いて、なにがどうしたのか聞いてみた。

「勝負!」

そんな不思議顔の流衣に、ハクは拳を摩り勝負を挑んだ。

「最初はグー」

「へ? え⁈」

流衣は咄嗟にグーを出した。

「じゃんけんぽん!」

ハクのかけ声に二人ともグーを出した。

「アイコでショ!」

やはりお互いグーを出す。

「ショ! ショ! ショ! ショ! ショ!」

何故かグーを出し続けるハクと他の手を出し損なって勝負し続ける流衣。

「……空気読め!」

痺れを切らしたハクが大きな声を出した。

「はい⁈ え?」

返事はしたものの、唐突ジャンケンからのハクの怒りに、意味が分からない流衣は、助けを求める様に一臣を見た。

「勝てば良いんじゃ無いかな」

「勝つ?」

仕切り直し。

「最初はグー!」

ハクがやたらにグーに力を入れかけ声を出す。

「ジャンケンッ」

ハクは一拍置いて、流衣に『分かってんだろうな』と目力を駆使して続きを譲った。

「ぽんっ」

流衣は声と同時にパーを出した。

ハクがグーのままだったので流衣が勝った。

「勝っちゃった……」

頷く一臣を見ても、この茶番劇の意味が分からず、勝利を掴んだ手を流衣は呆然と見る。


——……勝ったけど……これはなに?

 これで正解なの? 

  なんで??


「あーあ、しゃーねーな……ほらよ」

ハクは仕方なさそうに、ズボンのポケットから茶封筒を取り出し、流衣の前のテーブルにベシッと音を立てて置いた。

「あたしに?」

「まーな」

流衣は驚きつつ、長時間ズボンの中にいた、温かくてシワが寄った茶封筒を手に取った。

「……なに?」

手に厚みを感じた流衣はハクを見た。

「あ、もしかして、年末だから請求書⁈」

なんだかんだで一度も払ったことのない、昼に食べた賄いの料金の請求だと思う流衣。

「ラブレター」

ハクが身体を斜めにしてカウンター席に浅く腰掛け、派手に足を放り投げて言った。

「ええ〜? 何で茶封筒⁈ 業務連絡みたいだしっ、これで貰うの給料明細か学校からの親展だしっ! もーっ、絶対に請求……」

ソッポを向いてるハクは、流衣の小理屈をダラけた姿勢で聞き流す。ブツクサと文句を言いながら、封筒をのぞいた流衣から笑顔が消えた。そこにあったのは大量の一万円札。

流衣の顔から血の気が引いていった。

「35あるけど、足んねぇ?」

ハクが『お待たせしました』と同じ口調で言う。

「……こんな大金、何で?」

衝撃が大きすぎて、返す言葉に冗談は出ない。

「お前が勝ったから」

「何言ってんの? ジャンケンだよ⁈」

流衣はうろたえた。

 あのジャンケンは、これを渡す為の口実だったのだと分かっても、流衣が納得するには金額が大き過ぎた。

「ギャンブルなんてそんなもんだ」

「ハク!」

その冗談が理解出来ない流衣は、ハクに向かって諌めるように怒鳴った。

 ハクはズボンのもう片方のポケットから、タバコを取り出そうとしたが、店の時計を見てまだ営業中だと思いエプロンのポケットに戻した。

「うちのアパートのお陰で入って来た見舞金でさ。まー、壊れた家電とか色々買って、余ったからやるわ」

震災では、家が半壊認定されると、戸建も集合住宅も一律に見舞金が支払われた。そしてその中から、自分で使った分の、差し引きした金額の残りを、ハクは全部流衣に渡したのだ。

「余ったって……」

余ったからと言ってポンと人にあげる金額ではない。

「そんくらい有れば、何回か東京との往復できんだろ」


 流衣は耳を疑った。


——東京との往復……って、まさかコンテのレッスンの事⁈

確か前にそんな話したけど、そんなつもりじゃ……嘘でしょう⁈


「でも、だってこれ、ハクが貰ったお金でしょ? 自分に使った方が良いよ」

自分が余計な事を言ったせいだと流衣は思い、封筒をハクに返す為に差し出した。

 ハクはタバコを取り出し、先程と同じく、咥えかけて戻す作業を繰り返した。

「それ、もうお前にやったもんだから、要らねえなら、捨てちまいな」

素直じゃない流衣にイラつき、キツイ言い方をするハク。

「そんな……」

捨てろと言われて、捨てる訳にいかない流衣は、狼狽えて、ずっと黙ったままの一臣をつい見てしまう。

「受け取ったら」

一臣は貰うように流衣に促した。

「……ハク、ほんとに良いの?」

「おー」

素っ気ない返事のハク。

「ありがとう……あたし……」

流衣が言葉に詰まって泣きそうになると

「選手交代」

「うん」

ハクが手を出し、一臣がスレ違い様にタッチして、流衣に近づいて来た。

「ん?」

流衣は何やら不穏な空気を感じて、スーと涙が引いていった。



「じゃあ、今日でバイト辞めちゃうのか」

「ごめんなさいマスター」

『時玄』のマスターは寂しげに俯いた。

「暫くの間、流衣ちゃんに会えないのか……」

「あの……マスター、お願いが……」

流衣は恐る恐る話しかけた。

「少しの間、クローズの待時間(2時から5時迄)お店のこの場所貸して欲しいな……って思って」

「うん? クローズの時間?」

「レッスンに行くまでの間にストレッチとかしたくて、場所を貸して欲しいです。……迷惑かな」

しょんぼりしてたマスターは、暗闇に見える一筋の光を見たかのような反応する。

「迷惑なんてとんでもない! ここは自分の家だと思って好きなだけ使っていいから!」

マスター二つ返事でオッケーした。

「本当? マスター、ありがとう!」

流衣マスターに飛び付いて喜んだ。

そしてマスターの後ろにいるハクを見ると、ニヤニヤして、してやったりの顔をしてる。 


ここに至る事の発端は、先週の体育の時間だった。

 女子は体育館でバスケ、男子は外でサッカー、体育は普通科のクラスとの合同で行われる。当たり前のようにサボる一臣は帰る道すがら、体育館の小窓から流衣の準備運動を目撃してしまった。その時の違和感の指摘を言おうにも、バレエの発表会が近くて言い出すことが出来ずに、この時まで伸びたのだ。

「腹筋してみて」

流衣には、『論より証拠』が最短距離だと思ってる一臣は、ダイレクトに腹筋をするように言った。

「腹筋? ここで?」

「そうここ」

一臣はソファを指さした。

「出来なくはないけど……」

流衣は靴を脱いで上がり、柔らかいソファの上で膝を軽く曲げて、やりにくそうに腹筋運動を試みる。

「あ〜」

ハクがそれ見て声を上げる。

「分かった?」

「うん、なるほどな」

一臣が問いかけると、うんうんとハクは頷いた。

「なに? なんで2人だけで納得してるの⁈ 

教えて!」

ふたりの会話で不安になる流衣は、早く説明して欲しくて急かした。

「背筋で起きてる」

一臣が答える。

「えっ、あたし腹筋した……よ?」

流衣には間違いがわからない。

「今みたいに起き上がる腹筋運動だと、皆んな腰と太腿の筋肉使うもんだけど、おまえキレーに背筋だけで起きてたわ〜」

さすがの俺でも分かった、と、したり顔のハクを見て、流衣はなんだか悔しくなった。

「いいのっ、背筋が強くて悪いわけじゃないからっ!」

それを聞いた一臣、流衣の頭にポンと手を置いて、ビンの蓋を開けるようにくるっと顔を向けさせる。

「今、自分が何を言ったか分かってる?」

一臣が凄くマジな顔をしてるので、的外れな感覚で物を言ったのだと、流衣は少し焦った。

「……ごめんなさい、分かりません」

「今まで、腹筋100回、背筋100回づつやってたとすると、背筋だけ200回やってた計算になるって事だけど」

流衣は頭の中で薄っすらと思い描いた。

「重量上げの選手だったらそれだけ背筋鍛えるのありだけど、バレエって全ての筋肉のバランスが大事だと思うけど違う?」

「じゃああたしの今までの背筋運動は、重量上げ選手のルーティンやってたって事? でも、踊ってて違和感なかったかも……」

違和感無いと言いながら、普段の踊りがイメージトレーニングのように頭に浮かび、フェッテターンやパの繋ぎ目に、思った所で止まれないのはそのせいなのかと思った。

「今の所はね。それだけ偏ってるといずれズレが出てくるし、代替えが効かなくて、背筋を痛めると動けなくなるよ」

「代替え……でも、腹筋を付けるのって、今から間に合うかな」

コンクールまで残り一ヶ月。

それまでに数年分のビハインドを均等にしようなんてのは、虫の良い話である。

「それはやる気次第」

「本当に⁈ 出来るなら何でもやる!」

「本気?」

「はい」

「じゃあ、バイト全部やめてその空いた時間で体幹トレーニングを開始する。間を挟んでストレッチ、最低三時間、ストレッチはレッスン前後も一時間増やして、合間に必ず五分休憩する事」

一臣が当然至極な様子で言い切った。

「えっ⁈」

流衣は驚いて思わず声を出してしまった。


——臣くん、今バイト全部やめてって言った。

じゃあ、あのハクのお金はその為だったの?

……それならそれで、言ってくれれば良いのに、

ハクとは裏で話す癖に、何で隠すの?

そんなにあたしって頼りないのかな、分かってるけど、やっぱりショック……。

っていうか、臣くんから見てそんなにダメだったのか、あたしの腹筋……。

あ〜、も〜っ!


 流衣は一臣のトレーニング開始宣言より、ハクと一臣のふたりのから、蚊帳の外に置かれた疎外感を感じてモヤモヤしているが、一臣もハクもまるで気付いてない。


「……おまえ何のスイッチ入ったん?」

ハクは、一臣のトレーナーモードに呆れた声を

出した。

「鬼コーチ……」

流衣のモヤモヤはストレートにイヤミになった。

「何か言った?」

 振り向く一臣。

「何でもないでーす」

ヤケクソな返事をする流衣。

「昨日痛めた右足もケアした方がいい」

昨日セキに叩かれて、転んだ際に捻った足のことを一臣は鮮明に覚えていた。

「右足? でももう何ともないよ」

流衣は今まで忘れていた右足を見ながら答えた。

「軽い捻りでも甘くみないほうがいい、普段も運動後はちゃんとアイシングして、もしかして昨日、何もしてない?」

 流衣はドキッとした。

「え、うん。痛くなかったから……」


——そうだ昨夜……。

お母さん達の部屋のタンスの上に有る救急箱、あんな言い合いしなければ、部屋に湿布取りに行けたのに……。

無理、あの後顔を合わせたら、益々お母さんの機嫌が悪くなっちゃうし……。

「痛く無いのはその周りの筋肉が強く鍛えられてるからで、捻ったのなら靭帯に影響があるはず、一日遅れはマズイかも知れない」

「今日からちゃんと冷やします、コーチ」

ピシッと敬礼しながら答える流衣。

「……その『約束』破ったらどうなるか分かってるよね?」

一臣は、おちゃらけて返答する流衣に、事の重要性を分かってなさそうなので、仕返し兼ねて戒めた。

「もちろんであります。……え⁉︎」

返事をしてから、一臣の意図に気が付いた流衣は、スーッと青ざめてしまった。


——嘘でしょう⁈

それ昨日の『約束』の『仕返し』なの?

じゃあ冗談?

や……でも臣くんがそんな冗談言うわけないし。

まさか本気なの⁈

なんか人前とかでも、平気でキスしそうな怖さがあるんですけど!


「大丈夫、絶対守るから!」

流衣は冷や汗たらたらで、半ば手で顔を隠しながら返事をした。

「あとは場所か……」

一臣が天井を仰ぎながら言った。

「……ここは?」

ハクが提案する。

「踊んのは無理だろーけど、卓と椅子寄せれば、ストレッチくらい出来んじゃね?」

店内は、カウンター席5 テーブル席4(4×2 2×2) と確かに、卓と椅子を寄せれば2畳程のスペースが取れる。

「俺もそう思うけど、マスターは?」

「あ〜」

ハクがマスターが渋い顔する想像して、考え込んだ。

当たり前だか、飲食店なので埃が立つのを嫌がる。でも、場所的にここがベスト。

「良い顔はしないよね?」

一臣はハクと目線を合わせる。

「俺らが頼めばな」

二人同時に流衣を見る。

「え?」

「おまえが直々に頼み込めばいける」

「俺もそう思う」

二人ともマスターが流衣に弱いの良く分かっている。

「ハクや臣くんが頼んでもダメなの、私で大丈夫かな?」

流衣は不安気に首を捻る。

「思いっきり媚びてねだれっ、いけるから」

ハクが少し面白がってるようにみえる。


——そう言われても……。

媚びるってどうするんだろ?


「普通に頼めばいい」

考え込んで悩んでる流衣を見て一臣が言った。

「うん。そうする」

それで良いのかと流衣はホッとした。



「なんか……ちくちくする……」

騙したようで良心が痛む流衣。

話が決まった後、マスターはコーヒーの出前に行った。お店はマンションの一階にありこのマンションの管理人さんによく頼まれる。おそらく、開店ギリギリまで帰って来ない。

「んでだよ、言ったろ? 一発オッケーじゃん」

ハクはしてやったり、な顔をする。

「流衣、レッスンの日程決まったら教えて」

一臣はスケジュールを組むため予定を知りたい。

「うん。でも多分ね、年末年始に集中すると思う、前に金田先生に言われたの、コンテの先生は年明けにヨーロッパに帰っちゃうから、レッスン受けるなら年内だよって」

「そのひと外人さんなん?」

ヨーロッパに帰ると聞いたら外国人だと思うハク。

「オーストリアと日本のハーフの先生でね、向こうと日本の実家を、行ったり来たりしてるんだって」

金田からハーフの若くて明るい先生だと、情報だけは仕入れてるが会った事はない。

「年末年始か……」

一臣は壁に貼られたカレンダーを見ながら、腕組みをして呟いた。

「詳しくは火野先生に相談しないと分からないけど、コンテにしてもクラシックにしても、冬休み中しか行けないかも」

 火野曰く、コンテだけではなく、クラシックも現役の先生に指導を受けた方が良いらしい。当たり前だが、現役で舞台に出ているならば、予約しないといけないので、一月の土日は既に微妙であるらしい。

「よー分からんけど、なんか敷居高いそうだよな」

発表会を見て、普段の流衣を見て、だいぶ身近になったとはいえ、ハクの中ではバレエはお上品で別世界なので有る。

「なるほど。じゃあ、学校始まったら早退してここで飯食べて」

一臣は頭の中は既に次の段階に移っていた、それを聞いて二人は。

「早退?」

「飯?」

流衣とハクは、目を見合わせて別の部分に反応する。


——そうか、その時間にトレーニングするってこ

とは、学校始まったら早退しないと間に合わない

よね、でもそれ、親の承諾書いるよね。


——飯って、サラッと言ったけど、ここのランチメニュー食べんのか? 

いやいや、トレーニングするってことは脂とか糖質とか抜くよな普通、つーか、作んのオレだよな?

しか居ねーよな?

んなの、めんどくせぇつーの!


「学校に出す早退届ならなんとかなる、流衣、判子ハンコ持ってるよね?」

「認めなら……」

バイトでたまに使うので、三文判を持ち歩く女子高生。

「え、お前が書くの? それ文書偽造じゃね⁉︎」

「犯罪の危険度は人を傷つける度合いだから、早退届でその確率はゼロに等しい」

誰かに迷惑かかるわけじゃないと割り切る一臣。そして流衣に向かう。

「トレーニング中はハクの作った昼飯たべて」

「俺? 俺が作んの⁉︎」

 やっぱりとは思ったけど敢えて『聞いてね〜!』と怒って見せたハクだったが。

「え、ハクがご飯作ってくれるの?」

「え……、あ〜」

流衣が嬉しそうにするので、怒り切れない、歯切れも悪い。

「やった! や〜ん、嬉しいっ!」

「しょーがねーな」

そこまで喜ばれると、もう諦めるしか無いとハクはトホホとぼやく。


——これじゃマスターのこと笑えねぇじゃん。

マジだせえ……。

おれ料理人だけど、調理師免許持ってるわけじゃねーし、栄養学とか知らねーのに!

ああもう、チッキショー!


「で? お前は? どーすんのよ一臣先生?」

カッコつけても五秒も持たず、二枚目になり切れない自分のお粗末さを、全て一臣にぶつけジト目で睨み出す。

「俺の出番は年明けだね」

腕を組んだままの姿勢で、一臣はいろんな思いを含めた視線を流衣に向けた。

「……え?」

流衣は、職人気質スイッチが入った今までに無い一臣に、猫が逆毛を立てる様にゾワッと寒気が走った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る