第52話 地味地元応援団
「ねえねぇ、狩野さーん」
流衣は同級生の女子に起こされた。
「ぐっすりだね、もう昼休みだよ」
——え? 昼休み?
……何?
流衣は寝ぼけて、自分を起こした女子の顔をぼんやりと眺めた。
「藤本が筆入れ落として、皆んなあんなにビックリしたのに起きなかったもんね」
その一言で流衣は目が冴えた。
「おみ……藤本くん来たの?」
「四時間目の前に来たけど、帰ったんじゃない? ねぇ、机貸してくんない?」
同級生の話が終わる前に、教室から出ようと流衣は立ち上がって歩き出していた。
「あ、机好きに使って〜」
一歩戻って答え、すぐに早足で出て行った。
「ねえねぇ、あの2人最近おかしくねぇ?」
流衣の机を動かしながら、みかりんが疑惑の目付きで話題を持ち上げた。
「付き合ってるのかな?」
6人の女子が机合わせて弁当箱をだしなから、JK大好物の話題突入。
「藤本とー⁉︎ あいつ怖くない? 目つきヤバい
よね」
クラスメイトの一臣への評価は、目つきが悪い、愛想が無い、態度が悪い、出席はするが最後までは居ない、不良っぽい、なのに反抗しない、性格が不明の為、触らぬ神に祟りなし。
「でもイケメンじゃん? 狩野さんもちょいカワだし」
イケメンゆえに興味はあるが、怖くて近寄れないクラス女子。
「え〜? あれ可愛い? 並々じゃん。中の中の下くらい?」
女子判断の〈中の下〉は一般的には一軍女子レベル。
「……やってんのかな、あの2人」
「付き合ってんなら、やってんじゃない?」
「なんか藤本ヤバそう、グイグイいきそう」
経験が無いので、おかしな妄想が出始める。
「やだー、みかりんのすけべー」
「狩野さん、あのタイプ実はけっこうエロいんじゃない?」
「その内学校やめたりなんかしたら……だよね?」
「え〜、出来ちゃった、って事⁉︎」
「やばい〜」
「あーや、声デカすぎっ」
「きゃ〜!」」
「こっわ〜」
6人中2人が足をばたつかせて、喜んでる。
「もうっ、皆んな妄想えっぐっ」
「ギャハハハッ」
全員が、楽しそうに笑いながら、交友関係のない女子相手には、情け容赦の無い噂話を爆裂に放射する。
クラス委員の松本が、御手洗いから帰って来て教室に入ろうとすると、3人の男子が教室の
「ねぇ、山田君達、この寒いのになんでそこでご飯食べてるの? 中で食べれば?」
公立東高校は、普通科と英語科に分かれていて、一臣がいる英語科のクラスは全部で40名、内男子4名で一臣以外の3名の男子が固まっている。
「僕達ここでいいです」
声をかけられても中に入ろうとしない。
12月の仙台、本日の昼間の気温は5度。
「風邪引いても知らないよー」
松本がダメ押しで声をかける。
「大丈夫」
頑なに拒否する男子に、松本もそれ以上は触れないで、お弁当を食べる為に教室内の自分の席に戻った。
「女子怖い……」
「よくあそこまで好き勝手言えるよな」
「しかも外まで聞こえるし」
寒さで氷のようなご飯を食べながら、ボソボソと話す、山田、辺見、万城目の男子三名。
——グイグイって知ったかモロバレだろ。
——藤本ってバルサユースの藤本だし。
——みんなとレベル違うし。
地元男子の間では『藤本一臣』は中々の有名人。
なんせ〈バルセロナFC〉(スペインのバルセロナとは無関係)はプレミアリーグの香川の居たユースチームで、それだけでも名前が上がるのに、一臣は香川より有望だと下馬評が高かった。
その地元の隠れた有名人の同級生の評価は、サッカーが上手くて成績も良い、それなのに俺様でもチャラ男でもなく、どちらかと言えば硬派なイメージがある一臣は、クラスの女子達の評判とは真逆に、男子達には好感度が高かった。
「だいたい狩野さん可愛いし」
——なんだよ『ちょいカワ』とか『中の中の下』って、お前ら何様だ!
怖くて心の声は出せない山田。
「あんなに可愛い子とリア充なら藤本うらやましい」
「イケメンだもんなぁ」
本音を声に出す辺見と、一臣に羨望の眼差しを
向ける万城目。
そんな3人は、心の声が一致する。
——頑張れ藤本。
地元地味応援団結成。
「あれ?」
流衣は昇降口の下駄箱の所で立ち止まった。
一臣の靴がまだあるのだ。
——てっきり『時玄』に行ったと思ったのに。
「学校の中だと……臣くん何処だろ?」
ボソッと呟く。
「ここ」
後ろから一臣の声がした。
「臣くん」
振り向いた流衣は、一臣が普通に制服を着て立っている事に意表をつかれた。
——あれ? 何も変わって無い……。
「探しに来ると思って待ってた」
『待ってた』 その一言が甘く感じて照れ臭くなり、見なくてもいい下駄箱に視線を向けた。
「腕は? 固定しなくていいの?」
「ヒビ入ってた」
「……ヒビだって、骨折でしょ?」
「位置が悪いらしい。尺骨の一番先で、固定するなら肩から全部だけど、ヒビだからテーピングでいいって」
医者に言われた通りの説明をしながら、ワイシャツの袖をめくって見せた。一臣の素肌を見ると、完全に腕を伸ばし切らないように、くの字型にテーピングされてる。ヒビが入ってる尺骨の先は黒っぽく変色している。
「痛そうだけど……」
流衣はマジマジと一臣の腫れている素肌を見つめた。
「納得した?」
「臣くんなんだか他人事みたいだけど……?」
一臣の問いかけに疑問を投げる。
「だから病院行くほどじゃないって言ったし」
一臣が淡々と言うので、流衣はまるで自分が余計なことを言ったと言われた気がした。
「なんだか私、すごくお節介みたいなんだけど……」
「違うの?」
お節介と言われてさすがに流衣はムッとした。
——なにそれ、心配したのに……!
「分かった。じゃあもう何も言わないから、臣くんはケガでもなんでも勝手にやっちゃって下さい」
くるりと振り返り教室に帰ろうとすると。
「それより教えて」
一臣が流衣に問いかけて来たのでその足を止めた。
「何を? 私の知識なんか、臣くんの足元にも及ばないと思うんですけどっ」
流衣は本気で拗ねた。
「俺が約束破ったらどうやって返せばよかった?」
「え?」
流衣は一臣の反論の意味が分からず、思考が
止まった。
「考えても分からなかったから病院行ったけど、破った場合どうすればよかったか教えてくれる?」
一臣は大真面目に聞く。
「臣くん……って、意地悪なの? 鈍感なの?」
そんな質問されるなんて思いもしなかった流衣は、今更ながら、昨日の自分の大胆さに驚き、そんな自分を亡き者にしようと、一臣に理不尽な質問返しをした。
「……意地悪……」
もちろんそんなつもりは毛頭無い、今度は一臣の方が戸惑った。
「〈右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ〉って教訓知ってる?」
口篭った一臣にヤバいと思った流衣は、知っている教訓めいた事を、ギリギリで投げてみた。
「新約聖書のキリストの説教?」
当たり前のように
——……キリストの説教?
教訓じゃないんだ……。
「そう、立川に居るイエス様の……」
それは「イエスとブッダが煩悩を謳歌させるカオス世界」な漫画の話。
もうボロが出まくりで後がなくなる流衣。
「……ああ」
一臣がようやく気がついた。
「俺が流衣の頰にキスすればよかったのか」
なあんだ、くらいの勢いで言う一臣に、流衣の方が面食らって、返す言葉が無くなってしまった。
「……そーゆーの、はっきり言っちゃいます?」
「だったら、病院行かなくてもよかった」
恥ずかしいとうろたえ、声が上ずる流衣を尻目に、一臣がトドメを刺した。
予想外の事をド真面目に言う一臣に、流衣はもう顔を上げられない。
昨夜、一臣が自分の言う事を聞いてくれたことが嬉しくて、勢いでキスしたけど、ノリで返してなんて言ったけど、いつものごとくスルーされると思ったのだ。
けれど実際には、小さいころから何度もスペインに留学をしていた一臣は、頰のキスは挨拶にしか思ってない、元々繕わない性格で昔から率直、郷に入っては郷に従え方針で、現地では挨拶的な行為を普通に受け入れていた。
「どうしたの?」
顔を伏せてうずくまってる流衣に一臣は話しかけた。
「……誰か助けて……」
病院行かなくてよかった=《イコール》キスすればよかった。の二段論法が頭を駆け巡って、恥ずかしく顔上げられない。
そんな流衣に、一臣は近付いてしゃがみ込んだ。
「おまえ走り過ぎ」
一臣は静かに話しかけた。
「人間の全力疾走の限界400m」
「400m?」
——何の話だろう……陸上部?
急に話題が変わったので、頭の温度が下がり、そっと顔を上げる。
「今の流衣はマラソンを全力疾走してるように見える、ちゃんとインターバルおかないとこのままだと息がもたない、コンクールの前に倒れてもいいの?」
一臣は噛み砕いて説明した。
「でも、今休むなんて……」
「休むでも、”break” と “rest” では意味が違う」
「"rest" って休みだっけ?」
「流衣、
「ごめんなさい、睡眠学習の効果はないって証明するために登校してるので……」
十二月の中間考査で、英語が48点だったのを思い出して、全力で肩を落とす。
一臣はちょっと考え込むと、腹をくくったような顔で立ち上がって靴を履き替えた。
「一緒に来て」
「え、どこに?」
流衣が靴を履き替えるのを待って手を引き、一臣は外に出て駐輪場に向かった。そしてそのまま2人で授業をふけてしまったので、もちろん。
「……やっぱりね」
「2人で抜けるって、もう間違いないよね」
「今頃ホテルに行ってんじゃない?」
「もー、みかりんたらエッチ〜」
妄想女子軍団の餌食になるのであった。
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