第50話 ろくでなし

 小学校の家庭科室の戸棚は、流し台が低く作られている為にかなり狭く、水廻りは金属で作られているので冷たい。ここに隠れてから、かれこれ三十分程経っただろうか、153センチで小学生でも通じる大きさの流衣だが、どんなに身体が柔らかくとも、ギュウギュウで押し込められてる上に、ステンレスで囲まれた体は冷やされ、痺れて手足の感覚がなくなり麻痺し始めた。

流衣には三十分が数時間にも感じられて、流石に意識が朦朧として来た。

 ザッ、ザッ。

するとそこへ、何かの音が聞こえて来て流衣は

ハッとした。

ザッ、ズッ、ズッ、ズズッ。

スニーカーを引きずって歩いてる音。

それも二人分。


——違う、臣くんじゃない。


 一臣はブーツを履いていた、それに足を引きずって歩いたりもしない。流衣は身体を縮め息を殺した。

 流衣を探しに来た後藤と今田は、調理室の通路を満遍なく灯りで照らし、やはり居ないと分かると部屋から出ようとした、その時、ブルルルっと流衣のポケットからバイブレーションの振動がし始めた。

 マナーモードにしてあって音はならない、けどバイブレーションの振動は、携帯の入ったポケットがステンレスの扉に当たって流し台を伝って響き、それは部屋中に広がってから止まった。

携帯の充電がなくなったからなのか、着信が切れたからなのかは確かめようが無い。

しかしもうすでに後藤達はそれに気が付き、流衣の位置を把握した。

「ここか?」

「マジかよ? っで、んなとこ入れんだよ」

バイブが響く震源場所に、喋りながら近づく2人。


——ええっ、やだやだっ、どうしよう!


 焦れば焦るほど、自由に動かない体がもどかしい、例え動けて出たとしても見つかるだけ。ただ身体を固くして成り行きに身を任せるしかない。

扉がガタガタと震えだし、こじ開けようとしてるのが分かった。


——どうしよう、神様、神様!


ふたりが、流衣を助け出そうと動いてる事を知らない流衣は、捕まってまたあの梶の所に連れ戻されると思い、ただでさえ寒くて凍える体が恐怖で震え、流衣は目を瞑って必死で祈った。

一旦、扉が静かになった、が、何か強い力が加わった。


バンッ!


——もうだめっ!


戸が外され、引きずり出される! 

と思った瞬間。

「流衣?」

流衣の耳に飛び込んできたのは、いつもの優しい声だった。

「臣くん……」

流衣が目を開けると、そこには一臣が居た。

流衣は戸棚から出ようと体を拗らせた、扉は外されてるものの、体が痺れて思う様に動かない、ゆっくり探りながら棚から出てくる様子は、さながら壺の中で蠢くタコのよう。

「……歩ける?」

 何とかはい出てきたが、流し台に捕まり、動けないでいる流衣を見て、一臣は声をかけた。

 立とうとしたら産まれたての子鹿の様に脚が全くゆう事を聞かない。よく見ると一臣の背中越しに、二人の男が倒れてるのが見えた。

「……掴まってもいい?」

 遠慮がちに聞く流衣を無言で支える一臣。右手で流衣の背中の上着を握り、左手で流衣の左腕を掴むと抱えるように自分に寄せ、二人は並んで歩いた。


——あれ……?


 流衣は自分を掴んでる一臣の左右の手に、力の差がある事に気がついた。


——右手に力が入ってない、……これって、もしかしたら……。


流衣は歩きながら確信する。

一臣の右腕が骨折してることに……。

 一臣は何も言わない、それが余計に痛みを

 連想させる。


——痛いよね?


 痛いはずなのに、黙って自分を支えてる一臣が、流衣は愛しくてたまらなくなった。校舎からでて、校門の方角に歩いて行くと、ハクとセキが駆け寄って来るのが見えて流衣の顔色が変わった。

「どうした?」

セキが二人を様子を見て言った。

「怪我したのか⁉」

支えられてる流衣を見てハクが言う。それを聞いて流衣はハッとして、手を解いて一臣にむきなおる。

「私じゃなくて、臣くんが……」

さっき暗くてよく分からなかったが、外灯に照らされてる一臣を見て、あちこちに痣と出血してるの見て息を飲んだ。

「そういや、あの車どうしたん?」 

裏門の奥に、フレームがぶっ壊れたセダンが乗り捨ててあるのを来る時見たハクは、あれは誰がやったのか聞いた。

「ああ……あれやったの俺」

それに対して一臣は、まるで空き缶を潰したかのごとくあっさり言う。

「ひでぇツラだな、車で来てるからそこまで行くか、ティッシュしかねーけどな」

 流衣は3人の会話を凝視しながら聞いていた。

セキが一臣を車まで引率しようとしてるので、慌てて携帯の着信を確認した。

 携帯を開いた瞬間に一瞬だけ、画面が明るくなって、すぐに真っ暗になった。

履歴に画面に浮き上がっていた名前は——ハク。

 顔を上げると、一臣がセキと共に車の方に歩いて行こうとしていた。流衣は急いで2人の間に割って入って引き離した。

「一緒に行っちゃダメ‼」

「……どうしたんだよ流衣?」

 声を荒げた事のない流衣に、驚いたハクが言った。

「ハク……さっきの電話なに?」

「電話? ああ、あれはおまえを探すんなら、携帯で居場所を確認した方が早ええって、こいつが言うからさ」

とセキを見ながらハクが言った。

「セキが言ったの?」

「まぁ……」

 流衣の様子があきらかにおかしいので、ハクは生返事になった。

「セキ、どうして? 臣くんに恨みでもあるの⁈」

 流衣はセキを睨みつけ、詰め寄った。

「流衣?」

「なに、おまえマジどうしたんだよ?」

流衣の言動が不可解に感じる一臣とハク。

「だって今日、バイト入ったの知ってるのセキだけだもの」

流衣はハクを遮って、一気に捲し立てる。

「今日バイトに行って、帰ろうと思ったら、あの人達に待ち伏せされて、車に乗せられて……おかしいでしょ? 昨日、『時玄』で店長から電話がきたとき店にいたのセキだけ……」

 言い終わらないうちに、流衣はセキの平手打ちをくらった。大の男に叩かれた流衣は容赦なく地面に叩きつけられた。

 驚いたのはハクと一臣。

「おい! なにやってんだよ!」

ハクが怒り、一臣は流衣に駆け寄り助け起こす。

「うっせえんだよ、だから捕まえたらすぐに輪姦せっつったのに、いざとなったら怖気づきやがって、使えねー奴等だな」

 そのセキの吐いたセリフに全員が耳を疑った。

「セキ⁈」

一臣が睨みつけるが、それより早くハクが胸ぐらを掴んだ。

「てめぇ、今自分が何言ったかわかってんのかよ、気でも違ったのか、ああ!」

「離せよ、おめぇに恨みはねぇよ」

セキがハクの手を振りほどきながら言う。

「ざっけんじゃねえ! 流衣がテメェに何かする

はずねぇだろうがっ、何の恨みなんだか言えよ

オラァ!」

セキに振り払われた手を、ハクは襟元を掴み直して凄んだ。セキは襟元を掴まれたまま、ゆっくり視線を一臣に向けて言う。

「俺が恨んでんのは女じゃねぇ、そいつだよ

なあ藤本?」 

「藤本……?」

ハクは訳が分からず聞き直した。

いつも一臣と呼んでたのに、セキは声色も顔色も、今までとはガラリと変わり、その豹変ぶりにハクと一臣は息をのんだ。

そして一臣はセキを見つめ直した。

「おまえ……南中の赤嶺……」 

『藤本』 サッカーのときは、皆にそう呼ばれていた事がフラッシュバックし、PCの画面をのぞいた時の違和感がなくなるのを感じた、もつれた糸が解けるように、一臣の中で繋がった。

「憶えてんじゃねぇか、じゃあ自分が何をしたのかも覚えてんだろう?」 

セキはハクはの手を振りほどき、一臣に近づく。

「恨まれる覚えは無い」 

一臣ははっきり言い切った。

「ヘっ、ははっ」 

セキは笑い出した。

「そういうと思ったぜ、藤本、お前ならな」

「何が言いたい?」

一臣が問いかけると、笑ってた顔が一転して増悪が剥き出しになり、こめかみに青筋が立つ。

「ムカつくんだよ、お前のその優等生面がよっ」

「おまえの怪我は俺のせいじゃない」

赤嶺と呼ばれていた、南中の〈十番〉が突然仕掛けてきた、その時の試合の様子が次々と脳裏に甦る。

「ケガかそれもあるな」

「恨むなら俺を痛めつければいいものを……、

何故、どうして流衣を巻き込んだ⁈」

一臣が言うと、セキは「ケッ」と吐き捨てた。

「痛めつけたって、てめえ何も感じねえじゃねーか それより、てめぇの大事にしてる女ヤったらどんな顔するか見たかったのによ」

その顔は図らずも梶と同じ表情だった。

「セキ…、おまえの方が壊れてるぜ」

ハクがたまりかねて口を挟んだ。

「私をやりたいならやればいいじゃない! 

けど、そんな事したって気なんか晴れないから!」

ハクと一臣より早く赤嶺セキの正体に気が付いてた流衣は、沸々と湧きあがる怒りに、我慢できずに叫んだ。

「恨みを募らせて、それを理由にして八つ当たりしてるだけじゃない、それを人のせいにしてぶつけたって、自分の傷が広がるだけなのに、何でそんな虚しいことするの⁈」

流衣の核心を突く言葉に皆驚いた。

「流衣、おまえ……」

 ハクは普段の天然ゆるキャラの流衣が、ここまで怒りをあらわにするのは、一臣を庇ってるせいだと気が付き、その愛情の深さに何も言えなくなった。

 一臣は、さっき梶と対戦で学んだ事が、流衣の口からあっさりと出た事に、今までの笑顔の下にどれ程の苦労を隠して来たかを思い知った。

「……くだらねーな、白けるぜ……」

意外な事にそれに反応したのはセキだった。

それ以上何も言わず、顔を隠す様に振り向くと、背中を向けたまま静かに去って行く。ハクは引き留めようとするが、一臣がそれを制止するように首を横に振る。

「何があったんだよ?」

「一年生で出た時の中総体、地区の決勝戦で後半三十五分辺りでトップ下の十番が無茶なスライディングかけて来て……」

一臣は脳裏に浮かんでくる光景に少し躊躇した。

「トップ下がスライディング……? 

 おまえフォワード?」

 サッカーのルールから考えると、なんか違和感を感じるとハクが聞いた。

「右のサイドバック」

「何でディフェンスがスライディングされんの?

 おまえ何した?」

ハクの頭に大きな “?” が飛ぶ。

ハクの疑問も無理はない、右サイドバックとはゴールの右の側を守るもの、左のサイドバックと中央のセンターバック2人、計4名でゴールを守るのが4ー3ー3などと表される通常の守備体制。

 相手フォワードがボールを止めるのが仕事で本来ならスライディングする方である。点を取る人ではないので、華やかでは無いがとても重要で、ディフェンスとして『長友』が有名である。

「ガラ空きだったから、ゴール前まで持って上がった」

「あ〜あ……」


——なんかみえて来た気がすんな……。

ガラ空きって、そんな訳ねぇし、こいつにはそう見えたって事だもんな……。

実力が違い過ぎて、弄ばれてる感ハンパねー、しかもひとりの一年生に……そりゃあムカついてしょうがねぇよな。


「ファール狙いで、仕掛けてきたのかと思って、避けないで堪えたら相手が転倒して……、倒れて動けなくなった10番に『赤嶺!』って叫びながらチームの奴らが駆け寄ってきて、タンカで運ばれて行った、その後の事はわからない」

「じゃあ、靭帯やっちまったかな、まぁ、自業自得だな。……ちなみに、何点差でおまえ点入れた?」

「8対0。3点」

「ハットトリック……しかも、DFに……」

地区とはいえ、決勝でそれキツいわ、とハクは同情を禁じ得ない。

「ハットトリック……」

『聞いた事あるけど、それなんだろ』とひとり疑問の流衣。けれど、意味の分からない2人の会話を聞きながら少し冷静になれた。

「宇宙人の会話だったか? 悪りぃな」

ハクが流衣の独り言のような疑問符に反応して

少しバツ悪そうにした。

「ううん」

平気、と言わんばかりに首を振る。

「臣くん、セキが『赤嶺』って人だって気付かなかったの?」

記憶力の良い一臣が分からなかったのが、不思議でしょうがない流衣。

「あまりに容貌が違いすぎて気付かなかった、今のセキは痩せこけてて運動選手の名残もないけど、その時はがっしりしてて、ドイツ人選手みたいな体格してた」

だから色付きのメガネを外さなかったのかと、今

思う所は多々あったが、今更言っても後の祭りだ。

「それ、容貌が変わるほど悩んだって事? 

 ……私ひどい事言っちゃった……」

申し訳なさそうにうつむく流衣に、ハクと一臣が

顔を見合わせた。

「それはちげぇわ」

ハクは腕を組み、乱暴な言葉で遮った。

「どんなに悩んだにしたって、恨みを募らせて俺に計画的に近づいてきて関係ないおまえを巻き添えにしたのは、自分勝手な行動で、ただのエゴに過ぎない、同情する価値は無い」

一臣が補足する。

「んな事考えんな、時間の無駄だから」

ハクなりに流衣を宥め、取り成していた。

「うん……」

二人が慰めてくれてるのは十分に分かっているが、やはり流衣は気が滅入った。

「さて、一臣、おまえ流衣を送りながら帰れ。俺はあの壊れた車を捨ててくっから、さすがにここに置いといたらマズイしな、車のカギ持ってっか?」

流衣を拉致するのに使った物はない方が良いと

ハクは咄嗟に考えた。

「エンジンは壊れてないはずだけど、任せていい?」

「おーよ」

一臣はポケットからカギを出して、ハクに向かって投げ、ハクはそれを軽くキャッチして、車に向かって小走りして行き、一臣は流衣を誘導して反対側の東門に向かった。

 ハクは入ってきた南門の奥を見ると、セキが車を止めてた位置に既にセキの車はなかった。当たり前かと思い、一臣にボコボコにされた車に近付き、手にした鍵を握り直した。

 そこへ、目の端にボンヤリと映り込んだ白い物がクローズアップされた、流衣のレッスンバックが放ってあったのだ。

ハクはそれをゆっくりと拾い上げた。

「……バカヤロウが」

真っ暗な空間に想いを馳せるように呟いた。

 

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