第46話 権利のカケラ

「おいあんた……さっきの本気か?」

マサは梶と2人きりになるなり聞いた。

「ああ? 何がだよ」

梶は頭に残った粉塵を、めんどくさそうに振い落としていた。

「女を犯しながらめった打ちにすって、やったことあんのかよ」

「んだよ、ビビってんのかよ」

マサの声が微妙に緊張しているのを、梶は聞き逃さなかった。

「そんなんじゃねえ」

 違うというが、やはり声は震えて聞こえる。そんなマサの小心者ぶりをみて、梶はいつものイかれた本性を取り戻し、本来の敵である一臣に向かって、話しかけた。

「おい藤本よー。聞こえてんだろうが?」

「奴が近くにいんのかよ?」

「お前の事だから近くに居んだろ? 出てこいよ、カタ《・・》をつけようぜ」

マサの事は無視し、梶は一臣に出てくる様に促す。


ジャリッ……。


右奥の廊下側から、粉砕した天井ボードのカケラを踏んだ音がした。梶が懐中電灯の灯りを向けると、一臣が姿を現わした。

「へっ、素直じゃねーか、くそガキが、まだ遊びたりねぇか?」

 梶は灯りを一臣の全身に当て、なにも持ってない事を確認した。

「別に」

流衣に危険が及ばないと分かってる一臣は、梶の挑発には乗らなかった。

「ふん? なに落ち着き払ってやがる、まあ良い、来な」

梶は階段から程近い部屋に入った。その場所は最初の監禁目的の『校長室』だった。

「……」

 一臣は部屋の内部に注意を向けながら、梶の後に続き入口を潜った瞬間に脚に衝撃が走った。

「!」

背の高い一臣が入り口を潜るため屈むと、その瞬間を見逃さずに、マサが走り込んで足を掛け、一臣を転ばせた。

転んだ瞬間、梶の蹴りが一臣の腹部に入り、勢いで部屋の壁まで飛ばされた。

「グッ!」

久しぶりに梶の蹴りを喰らった一臣だが、例の足の怪我のせいか、履いているスニーカーのせいなのか、梶の蹴りは以前ほどの威力は無く、衝撃で身体を折り曲げた一臣は、すぐに回復した。

「へっ、やるじゃねーかピエロ」

「ふんっ、ざまあっ」

効いているフリをして体を折り曲げたまま、いきがる二人を見ながら、密かに部屋の構造を見渡した。

一般教室の半分程の校長室は、左側に作り付けの飾り棚があり、出入口がひとつしか無い、そしてドアノブの鍵が外も中もキーが必要な形態で、忘れたのかもう必要が無いからなのか、キーが挿しっぱなしになっていた。梶は飾り棚の中段に懐中電灯を置くと、部屋の灯り取りに十分な明るさになった。

「あいつらが女を連れて来るまで、遊ぼうじゃねーかよ?」

梶の影のお陰で、気が大きくなったマサが、調子付いてほざいた。

「へへへっ、てめえを潰して動けなくしたら、あのバカ女が泣き喚いてるの見せてやるよ。ヨガってヒイヒイ言ってっかも知んねえけどな、ギャハハッ」

「そりゃいいや、あの女、殴られたから少しは賢くなって喜ぶかもな」

梶が元のイかれた笑いをすると、隣でマサも続いて笑い出した。


——殴った?


熱いものを飲み込んで胃の中に落ちる様に、身体の芯が熱く蠢いた。


——流衣を殴った……!

 

一臣は怒りで体が熱くなった。


「……誰が殴った?」

「あ?」

下を向いたまま一臣が言うと、聞き取れなかったのか梶が声を出した。

「誰だ?」

一臣は感情を抑えた低い声で繰り返した。

「バカ女が、言う事聞かずに逃げ出そうとしたからだ! 車のシートに倒れ込んで、暫く呻いてたぜ。へへ、いいきみだ」

マサが笑いながら言うと、一臣はマサの胸ぐらを掴んで壁に強く押し付けた。

「お前か?」

マサを睨らんで一臣は問いただした。

「え、あ、いや……」

マサは一臣の迫力に押されて口篭った。

「オレだよ」

ニヤけた表情で横から梶が答えた。一臣はマサから手を離し梶を睨んだ。

「思いっきり、こう、頭に肘入れたんだけどよ、あの女が軽すぎてすっ飛んじまって、手応えもねーし、ありゃあ多分効いてねえ」

面白おかしく身振り手振り付きで解説する、梶の手に嵌められた手袋がチラつき、一臣の癇に障った。


 殴られて答えを見つけようとした春先から、季節を跨いだ初秋までの間、結局分かったのは暴力では何も解決しないという事だった。凍り付いた一臣の心の琴線に触れたのは、流衣の明るさとバレエへの一途な思い……自分には無いその必死さ、決して恵まれたとは言えない環境の中で、懸命に全力で生きてる流衣が、羨ましくて、もどかしくて、切なくて、いつの間にかいとしい存在になっていた、その存在に暴力を振るった人間に、激しい怒りが湧いた。

「流衣はお前の玩具オモチャじゃない」

一臣は梶に向かってゆっくりと姿勢を直した。

「ああ? じゃあお前のオモチャかよ?」

マサのうつけ発言に 一臣は一睨みで返した。梶の威を借りていても、一臣と視線が合うとマサは動けなくなる。その苛立ちがマグマのように、マサの中で沸々とたぎり続けていた。

「お前が好きにして良い人間なんかひとりも居ない」

一臣は湧き上がる怒りを言葉にして梶に投げた。

「偉そうだな、お前なら良いのかよ」

「良いわけがない、尊厳が無い対人関係に、正しい人間関係が築けるわけがない」

一臣の言葉に梶はニヤリと口元を歪めた。

「へへっ。人としてのまっとうな権利ってやつかよ、良い事言うじゃねーか、尊厳かなんか知らねーが、んな看板背負ってどこに行くんだよ、天国か? 死んだ後に神様に褒められて、何が嬉しいんだよしゃらくせえ。けどな、だとしたら、だ、オレにも権利ってのが適用されるよな? カケラでもな」

 一臣は梶の発言に、知性と深い狂気を感じると共に、そこはかとない哀愁の様なものを感じたが、同情する程の余地は無く、一旦火がついた導火線が止まることもない。

 体を小刻みに揺すりながら、伸ばし切れない右膝を庇う様に、左足を前に出してヒョコッと歩く梶の姿を目で追って行くと、梶はスルッと扉に近づきカチリと鍵をかけた。そして梶はその鍵を窓の外に投げ、夏休み前の子供の様に笑い出した。

「チョ、チョット待てよ、何してんだよ!」

自分達を閉じ込めた梶の不可解な行動に、マサは狼狽した。

「これで邪魔は入らねえ」

「カギ捨てるなんて何考えてんだ、ここからどうやって出るんだよ!」

マサが吠えた。

「うっせえな。出たきゃ窓から出ろ」

「2階だし、足から降りれば骨折くらいで済むよ」

「なっ……」

梶と一臣の非現実的な提案に、マサは言葉が出なかった。

「ショータイムだ」

梶は言うが早いか、一臣の顔面を狙って右の拳をだした。一臣がそれを避けると、避けた下から右脚が来る。一臣は身体を折り曲げた体勢で、梶の脚を抱え込みそのまま上に持ち上げた。

背中から床に叩き付けられた梶は、上半身を捻り、一臣から脚を引き戻し、四つん這いの姿勢になり床を蹴って、一臣の両脚にタックルした。脚を掬われた一臣は倒れそうになるが、梶が掴んだ位置と壁のお陰でその場で踏ん張り、両手を組んで上から梶の背中を叩き付けた。

「ぐっ!」

背中を打たれた梶は呼吸困難になり、そのまま床に伏せ息を吸う事に専念してる間に、一臣は梶を跨ぎマサに近付いた。

「っんだ、こらぁ!」

近付いて来た一臣にマサは威嚇し身構えた。

「了解」

マサの態度に『かかって来い』だと一臣は判断して、一歩踏み込んで右の拳で上から顔面を殴りつけた。

「ブフッ!」

 構えた体勢の意味を為さぬまま床に倒れ、マサは初めて一臣に本気で殴られて意識が飛んだ。マサは思い出した、団地の片隅に追いやられて、壁に顔を押し付けられて、暫く顔にザギザキの跡が出来た時のことを……。あの時の恐怖心から脱却し、プライドを保つ為に一臣を恨んだ。

そして今、たった一撃で戦意を喪失させる〈格〉が違うと相手だと分かったマサは、悔しさを表に出せる術がなく、動けなくなった。



『瓶はやめとけ』


そうハクに言われてからのち、一臣は本気で殴るのは控えていた。


「これならいい?」

ペットボトルのコーラを見せた一臣に、ハクは怪訝な顔を見せた。

「……それ聞くか?」

ランチタイムの店内の厨房で、ハクはナポリタンを調理中だった。

「カウンターにひと居ないけど」

一臣は厨房の入り口で店内を見渡し、カウンターにお客が居ない事を確認した上でハクに話しかけた。一臣なりに気を使っていたのだ。時間は一時半、ランチタイムのラストオーダー後、3つのソファ席は満席だがカウンターには客はおらず、マスターはカウンターの小さい流し台で、コップを洗いながら常連客と談笑してる。

「そっちじゃねーわ! オレが! 今! 目も手も離せねーの!」

〈俺様の邪魔をするな〉の仕事中の職人のハク。

「ハク〜、それ終わったら休憩入っていいよ〜」

会話を聞いたマスターが、見かねて昼休憩に入る様に促した。


——チッ、甘やかしやがる……。


 一臣を初めて見て以来、時々ふらっと立ち寄る

元サッカー男子に、なぜか優しいマスターについ

ムッとする従業員。

「おらよ。3番テーブル」

ランチのサラダ付きナポリタン、それを2つのトレーに乗せて、それらを運べと一臣の前に置いた。

「3番?」

 テーブルに番号が付いてる事など知らなかった

一臣が聞き返した。

「窓際が一番、あとはこう」

ハクはお客さんから見えない様に、指で横に線を引く様に動かした。

一臣はハクの指示通り、ふたつのトレーをテーブルまで運んだ姿を見たハクは、エプロンを外して裏口に足を向けた。

「おお? マスター、バイト増やしたの?」

「カッコいいねぇ、女性客狙いっすか?」

 常連の冷やかしが響く中、ハクはタバコを取り出して、口に咥えると裏口のドアを開け火をつけた。

ハクは煙を深く吸い込んで肺に留め、遠くを眺めながらため息と共に吐き出した。

「美味しそうだね」

一臣はフードを客に出した後、ハクの後を追いかける様に外に出て、煙を吐いてるハクを眺め、見たままを口にした。

「悪の笑いがこだまする、客から漂う煙草の煙が、ヤニを喰らえとオレを呼ぶ」

「……」

ハクはマニアな客が歌うアニソンを、替え歌で語ってみるが、相手は分かったとしても乗ってくる男でもなく、自称ノリで生きてる男は寂しく煙草を咥え、髪の毛を束ねていたゴムを取ると、髪を両手で雑に解いた。

「ゲホッ、……いや、だから、瓶でもペットボトルでも、その身長から打ち下ろしたら、鉄の塊と一緒だって分かってんだろ?」

ちょっと気まずそうに咳払いして話し出す。

「そうだね」

「まさか、ツマグロがもう退院したんか?」

アレから2週間、足の複雑骨折なら一ヶ月は入院だろうと思いながらも、イカレた奴ならひょっとして退院してるのではと、疑心暗鬼になった。

「それとは違う奴らに話しかけられる」

「キャッチじゃあるまいし、おまえさ……」

メンチ切られる、の間違いだろ、と言おうとしたハクは “話しかけられる” というのが一臣の感覚なのだと呆れた。

「てか、なんで武器いるん? 売られた喧嘩ならいっそ殴っちまえ」

喧嘩両成敗だと思って発言するハク。

「つい癖で脚が出そうで、それは不味いと思って」

「あし? そっかサッカー選手だったな、……んなに脚力あんのか?」

テレビのスポーツバラエティで観た、サッカー選手達のキック力を測っていたコーナーで、275キロを出してた場面が頭に浮かんだ。

「400キロ」

一臣は、中一の時の練習試合の帰り道、なぜかゲーセンで遊び出した先輩達を、沈黙させた事を思い出した。

「よっ……」

予想を上回り、軽く現実離れしたハクは、口をアングリと開けたビッグバードの様になってしまう。

「……それ死ぬわ」


——こいつ……そんだけの攻撃力あって、あのツマグロに肋を折られた時よく我慢したな。

普通ならつい手が出るよな、自制心の塊かよ。

……でもまあ、一撃で殺人犯になるかも知んねえって分かってたら、出せねえか。


「で、ペットボトルかよ?」

「脅しに使える」

「フリスク入れて振ったら逆噴射すんぞ」

「……化学反応で容量増やして相手にかけたら逆に怒りを買わないかな」

「そしたら流れで殴れ」

「原点に戻ったけど」

「おまえが手加減覚えりゃ良いだけだろ、脚を出さねぇようにさ」

「手加減……」

一臣が瞬間的に考えたのを見て、ハクはギョッとして聞いた。

「まさか、分かってねーんじゃねえだろうな?」

「今、覚えた」

「……天然過ぎねぇ?」

「馬鹿正直なだけ」

「変な奴……」

真顔で答えた一臣に、ハクは気が抜けて思わず笑ってしまった。


——チキショー!


 たった一撃で戦意を喪失させる〈格〉が違うと相手だと分かったマサは、このまま動かずに場を過ごしたかった。でもできない、梶に着いた今はもう後戻りは出来ないと、自分を奮い立たせた。


 梶が立ち上がり、首を回しながら一臣を舐める様に眺めた。骨太でガッチリとした体格の中肉中背の梶は、マサとは違いダメージが少ない様だった。

「んな近くで床見たの初めてだ、へっ、やっぱ、おもしれーわ」

それは負け惜しみというセリフではなく、初めて床に沈んだにもかかわらず、その顔は嬉々としていた。

「へへへっ、おい道化師野郎。さっさと起きな」

そう言うと、梶は腰からサバイバルナイフを取り出し、マサの前に投げた。

「!」

「それでケリ付けろや」

マサの執念を見抜いた梶が、ナイフを使って恨みを晴らせとけしかけた。

マサがナイフに手を伸ばし、一臣はそれを阻止しようと動いたが、梶が一臣に殴りかかり、それを避けて体勢が崩れた一臣はナイフの柄を蹴って、マサが掴むのをギリで阻止した。よたった一臣を梶が掴み引き寄せ、左手で顔面を殴り、一臣は素直に殴られナイフの近くに倒れてナイフを取ろうとしたが、その瞬間にマサがナイフを奪う様に掴み、カバーを外して柄を握りしめた。

「殺れ‼︎」

しまった、と一臣が思うより早く梶が声を出し、マサが一臣に向き直った。

「? なんだ……?」

しかし何故かマサの動きが止まり、ナイフを掴んだはずの手を不快そうにし動かした。

手にしたナイフはヌルヌルした黒いものが付着して、気持ちが悪い、油かと思い手に着いたそれを、間近に近づけて見ると、それは空気にさらされ変色しかかった血だった。

「ひっ!」

マサが驚いて弾く様に両手でナイフを離した。

床に落ちるナイフの金属音と、梶の笑い混じりの吐息が交差した。

一臣は理解した。

梶が手袋を嵌めてるわけを。

「安原はどこだ⁈」

一臣の問いかけに

「分かってんだろ?」

梶が答えた。


——こいつ……!


「え? 安原? え?」

手に着いた血を服で擦りながら、マサが上の空で聞き返した。


 一臣はそのマサを横切り、鍵のかかった扉の

ど真ん中を肘で一閃した。


ガッ!


 音が響き扉の真ん中に亀裂が入った。

一臣は亀裂目掛けて、踵で渾身の蹴りを入れた。


バキッ!


扉は大きな音と共に真っ二つに割れて廊下に崩れた。


「へへっ、生きてっと良いな?」


「それなんだよ、何なんだよ!」

マサは何が起こっているのか分からず、ただ恐怖心だけが心を支配して叫んだ。


一臣は壊した扉を飛び越え、ふたりの声を背中でききながら屋上へと走った。



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