第44話 記憶のアクセス
——なんか今ロケット花火の音が聞こえたけど、気のせいじゃ無いよね?
爆竹みたいな音も聞こえたけど、隣で何が起きてるの⁈
……ん?
階段の手摺りに捕まり、足を能師の〈運ビ〉の様にそろりそろりと下ろして進んでいたが、いま下ろされた足は下に着く感覚ではなく、身体は平行のままだった。
——着いた? 一階に着いた?
下に行く階段が無いことから、一階に着いたと感じた流衣は、手摺りを掴んだまま、念の為に右足を遠くまで伸ばして、コンパスみたいにぐるっと回して床を探った。
——うん、平だ、階段ない、やっと着いた〜っ!
長かった……もう永遠に階段ぐるぐるするのかと思った。ん、で、この手摺りを背中にして真っ直ぐに歩けば教室……のはず。
ようやく一息ついた流衣は、すぐさま教室の方向に向かって歩き出した。
——両手を突き出して摺り足で歩いてる……
絶対に変。
この姿を誰かが見たらどう思うだろう……。
見えない物を押してる……なんか、中学の体育の創作ダンス思い出しちゃった。
呪術師が結界張ってるとかの方が浪漫的でいいな
ATフィールド全開!
なんちゃって。
……あたしの妄想癖やばくないかな。
それより緊張感無くて、臣くん呆れるかも……
臣くんが……気になる。
臣くんに……何かあったとしても、気になるし、凄く気になるけど、悔しいけど、あたしは足手纏いなんだから、逃げる事だけ考えなくちゃ……。
床に物があって、ぶつかって転ぶのを回避する為に、摺り足で歩いてる姿が滑稽で、つい色んなことを考えているうちに、指先が壁に当たった。
——壁だ。
ここを伝って行けば教室に入れるよね。
流衣は壁に両手を付いて左右を見渡した。
すると左右ほぼ同じ位置に、ぼんやりと白っぽくなっている場所を見つけた。そこは出入口扉の明かり取りの窓だった。
——あれは、教室の扉の窓だ。
喜んだ流衣は、やや近いほうの扉に向かって、壁を伝って一目散に進み、扉の感触を確かめて、取っ手を探りそれを横に引くと、それはガラッと音を立てて開いた。
ゆっくり開いたつもりだが音を立てた扉に、思わず “しーっ” と指で合図した。
扉の先に進むと、何も無いガランとした空間
だった。
なんとも頼りない薄明かりだったが、外に面したガラス窓から入り込んだその明るさは、深淵から来た流衣には太陽ほどにも感じた。
——見える〜っ。何にも無いけど見える〜。
神様ありがとう!
とと、早く外に出ないと。
神様に感謝しながら我に帰って、ガラス窓に近寄った。よく見ると端っこのガラスが窓では無い事に気がついた。
——あれ? ここ窓じゃ無くてドアだ!
一階だからかな?
あり?
鍵も空いてるよ何で?
やーん、不用心〜、でもお陰様で脱出成功……!
流衣がドアを開けながら、出ようと顔を出したその視線に人間の姿が飛び込んで来た。
流衣は咄嗟に引っ込んで、驚きのあまりしゃがみ込んだ。
——人が居る!
何で?
見られた?
でも後ろ向いてた……よね?
一瞬の出来事を回想してみた流衣だが、直ぐに確かめないと手遅れになると思い、しゃがんだ位置からそっと外を覗いた。
黒いダウンジャケットを着た菊池は、寒そうに身体を小刻みに揺すり、東側の道路を見ていた。その様子から何事もなさそうに見えた。
流衣は気付かれてない事が分かりホッとすると、自分からみてほぼ背中を向けている菊池を振り向かせない様に目の錯覚に思える速度でドアを閉めて、しゃがんだまま窓に平行に移動した。そして教室の一番遠いところまで来てそっと立ち上がり、窓から外の人物を見た。
——初めて見る人だ、でも見張ってるみたいだから、あの人達の仲間だよね?
どうしよう……そこに居たら出られないよ。
こんな時ドラマやマンガだと、小石を投げて気を逸らした隙に逃げるけど……無理だ、身を隠す所が遠い……。
こっち側の校舎沿い、駐車場なんですけど……駐車場挟んだ向こうに桜の木があるけど、めっちゃ遠い……そこまで小石の仕事で走り抜けるの、ウサイン・ボルトでも無理だし。
……いたとしても、あたしが走らないと意味ないし、それ以前に小石も無いし……どうしよう。
……ん? ん⁈
流衣は外を見て驚き、思わず二度見した。
校舎の南側は職員用の駐車場、その場所に沿って桜の木が植えられている。流衣は外を見て桜の木の向こうに田畑が広がり、その先に見える1キロ先の住宅地が無気力に見えた。そしてさっき見た人の場所を見て驚いた。逃げ場所を失って右往左往してる間に、外にいる人間が三人になっていたのだ。
——ええ? なんで増えてる⁈
ビスケットなの!?
ポケット叩いてないのにー!
あの人達、さっきあの怖いひとと喋ってた人達だ、まさか……あたしを捕まえに来たの?
やだ、どうしよ逃げなくちゃ……でもあの背の高い方の人、懐中電灯持ってた。それに廊下は暗いけど、教室だと見つかっちゃう!
……どうしよう、隠れた方がいい?
でもどこに⁈
校内の物は殆ど風邪仮設のプレハブに移されてる。カーテンすらなく隠れる場所は無い。この場所は危険だと思った流衣は、そっと教室を出た。
「どしたんだよお前ら」
菊池が苦虫を噛み潰した顔をして現れた、今田と後藤に話しかけた。
「どうもこうも……梶様のご命令だよ」
今田が答えた。
「女連れて来いってさ……あいつ、メチャクチャな事やりやがる」
後藤は疲れ切った顔で言った。
「メチャクチャって、もしかしたら梶の事じゃ無くて藤本の事か? なんかさっきすごい音聞こえてたけど、あれ爆竹だろ? なにがどうなったんだよ」
菊池は爆竹の音で、思わず振り返って近寄ってみたが、外からは何も分からず、中に入るわけにいかず徒労した。
「そんなに響いたか?」
今田が聞いた。
「ここであの程度なら、向こうまでは聞こえねえよ」
菊池は一番近い住宅地に親指を向けた。
「なんだ、誰か通報してくれっかと思ったのに」
「それはそれでマズイだろ」
「まーな」
「しっかしヤバイな、菊池のダウン正解」
分厚いダークグレーのパーカーを着た今田が、寒さで足踏みしながら、菊池のダウンジャケットを見て言った。
「外の見張りなら当然だろ、これでもじっとしてるとキツイわ」
そう言って小刻みに動く菊池。
「だよなー、一月だったらベンチコートねーと激ヤバレベルだよな」
「今年の一月な。うちの近所で酔っ払ったおっさんが、道路で眠りこけて凍死してた」
菊池が震災前に家の周りを騒がせた話題を語った。
「ガチ?」
「ガチ」
「寒ぃ……」
後藤は半泣きな顔でボソッと言った。
「……東校舎内は、この裏っ側のドアからじゃなきゃ入れねぇよな」
現実の寒さに各々震える三人だか、その中で今田が口を開き本題に戻った。
「鍵無いしな、チョロい昇降口のドアと違って鍵じゃなくてドアごといかないとダメだよな、いっその事コッチの窓割った方が早くねえか」
後藤は寒さに負けて全てが面倒くさくなった。窓ガラスが割れていたら、間違いなく通報されるから、それが明日にでも起こると、“時間が稼げなくなる” と梶に言われてる。
「んな事しなくても、そこの掃き出し窓が開いてるからそこから入れよ」
菊池がサラッと言った事に驚きの視線を向ける今田と後藤。
「へ? そこ開いてたの?」
「クレセント錠が中途半端な閉め方してあったから開けといた」
一般家庭と同じ掃き出し窓の鍵のであるクレセント錠は、キッチリと締まって無いと、ドアを揺すれば開く仕組みで、最後までシッカリ押し込めば出来ない物である。
「すげえな菊池。電気技師だけじゃ無くて、泥棒の才能もあんのかよ」
後藤が嫌味ではなく、ただ感心して言った。
「後藤だってアルミの薄い板で鍵開けたろ、古いから壊れたけど」
菊池も負けじと応戦した。
「まあ〈工業〉行ってたら不法侵入くらい出来るよな」
今田は現実的に答えた。
「普通やんねえけどな」
菊池は“脅されてなきゃやらない” というのを
抑えた。
「オレら、とりま〈女〉を抑えとく」
「おれはきっちり見張っとく」
「だな。……なんか予定通りで怖くね」
「笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑」
「怖さ通り越して笑えるってのいいたいのか?」
「それやめれ」
菊池と今田に同時に突っ込まれて、所在なくなる後藤であった。
暗闇に戻った流衣は、壁を伝いほどなくして扉にたどり着き、隣の教室のとびらをソロソロと開けて中に入った。入った瞬間は目がまだ慣れず、窓からの明かりも道路から遠のく事で隣より暗く、ハッキリしなかった。体を部屋の中に入れ後ろ手に扉を閉めると、カビ臭い匂いが鼻に付き流衣は不思議な感覚になった。そして壁伝いに歩き出すと、何かにぶつかって転びそうになった。
「……!」
——やーんびっくりした! 思わず声出すとこだった、てっきり何も無いと思って、早く歩いたから……これ何?
流衣は手を伸ばして、自分がぶつかった物を確かめた。
——わっ、冷たい、ツルツルしてる……。
丸くカーブしてて……この感触、流し台⁈
ここ調理室だ!
流し台にそれに繋がって蛇口に触った。ぼんやりしていた目も慣れ始め、小学生サイズの流し台が見え始めた。
——わー、あたしから見ても小ちゃいよ〜!
こんなんだったっけ?
それにこの水回りの独特の匂い、カビ臭いっていうか……って懐かしんでる場合じゃなかった。
隠れる所あるかな……。
流衣が辺りを見渡し、隠れる場所を探し始めると、廊下を隔てている扉の小窓に灯りがよぎった。
それを見た流衣は慌てて身をかがめた。
——ウソでしょ!
ヤダヤダこっち来ないで!
流衣は心で繰り返し思いながら、四つん這いで必死になって移動した。
しかし流衣の願いも虚しく。
ガラッ。
扉を開ける音が聞こえた。
——ハキャー‼︎
少し広い真ん中の通路に居た流衣は慌てまくって、更に奥へと移動した。するとタッチの差で、流衣がいた場所に懐中電灯の灯りが通った。
「調理室か……流し台は移動しなかったんだな」
今田が歩きながら、調理台の間の通路に懐中電灯を向ける。
「昔のだから固定式じゃね? 外すのに工事必要なら、建物ごと解体した方がコスパいいよな」
後藤が調理台と流し台を見ながら言った。
——こっち来る!
流衣は今田たちと違うルートで、回り込もうと動き始め進めた手が、流し台の下の扉に触り、軽く開いたのを感じた。それはボウルなどを入れる、小さな収納空間。流衣は咄嗟にその中に手を入れ広さを確かめた。
——入れる……!
入れると判断すると、その空間に足をバックで入れ、スカートを抑えながらお尻を押し込めて、徐々に収納内部に合わせて身体を小さく丸めて収めていき、最後に扉を閉めようとしたが、腕を伸ばし切れず数センチ締まり切らなかった。しかし小学校の調理室の流し台の下、収納は間口が30センチしか無い、体が柔らかくて小さい、流衣にしか出来ない芸当は、数センチの隙間は見て気がつく程ではなかった。
流衣が扉を閉めるのを諦めた瞬間に、懐中電灯の灯りが横切っていった。
「……居ねえな」
「だな、じゃあおれは右回って前の扉から出るから、後藤は左回って後ろから出てくれよ」
「はいよ」
今田と後藤からすると、流衣が入った所は人が入れると認知出来る場所ではなく完全にスルー。二手に分かれて確認しながらふたりは出て行った。
扉が2つ閉まる音を聞いて、一息ついた流衣だったが、一難去ってまた一難。
——入ったはいいけど、扉に指が届かない……どうやって出よう……。
扉に触れるけど手前に引けない。しかし例えここから出たとしても、外には逃げられない、それにあのふたりが自分を探しているなら、必ずまたここに来るはず……その事を考えると、この場所に居た方が無難な気がした。
——この中に居たら見つからない気はする。
流しの下の収納って普通の家でも狭いのに、小学生用の流しだよ?
我ながら良く入ったなって思うけど、ジャストフィットし過ぎて、身動き取れない、どうしたものか……。
罠にハマったダンゴムシになった気分だけど……
まあいいか。
いや良くない、少し考えよう……。
流衣は動けない今、考える事しか出来ない時間に、一連の出来事を振り返る事にした。
——臣くん、大丈夫だって言ってたけど、本当に大丈夫かな……。
あの人達何なんだろう?
臣くんとの共通点が感じられない……。
友達でも、昔の仲間とかでも無さそうだし……でも男の子の友達感覚ってあたしには分からない。あんなに仲良しな、いち兄となっちゃんでさえ、突然喧嘩するし、絶交するし、なのに次の日何事もなかったようにじゃれてるし。じゃれる……いまのダンゴムシには無縁かも、あたしここから解放される時が来るんだろうか?
また臣くんに迷惑かけそう……。
……なんでこうなったんだろう?
も〜、こんなことならあの時、近くのバス停からバスに乗れば良かった、そうすればあの人に声をかけられることも、車に押し込まれる事も無く済んだのにっー!
バス停2つカットして節約した所で30円なのにっ、そこでケチったりするからだよ、もうっ!
……10円安い歯ブラシを買うために、バスに乗って隣町まで行くおばあちゃんの漫画、見たことあるな、何て漫画だっけ4コマ漫画みたいな……あれ?
今……何かひっかかった……。
歯ブラシ?
隣町?
漫画……違うな、もっと前。
バス……?
近くのバス停……⁈
そうだ、あたしなんであの場所で捕まったの?
ドラッグストアの駐車場のあの位置、止めにくい場所だってパートさん達言ってて、お客さんもほとんど停めないのに。
あの場所に車で居たの……変だ。
あたしがそこを通るの、知ってたとしか思えない
……どうして知ってたんだろう……?
今日バイトする事だって、誰にも言ってないのに……バイトしてるの知られたけど、それ、臣くんのお母さんだけだし、関係あるわけないし……。
やっぱり気のせいかな。
それより逃げる方法考えなくちゃ、でもなんでだろ……凄くモヤモヤする……。
冷たいステンレスで出来た、流し台の下の収納にすっぽりと収まって、流衣は思考を巡らせ、何か忘れ物をしてきたような感覚になった。
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