第43話 道化師
今田と後藤、マサの3人は、後藤の照らす灯りを頼りに2階の階段まで進むと、踊り場に転がった机を照らし出した。今田と後藤は先程の出来事を思い起こし、理由がわからないマサだけは邪魔くさそうに、その机を眺めた。
すると、上から懐中電灯の灯りが階段を照らし、後藤の持つ灯りと、上からの灯りが重なりサーチライトの様に交錯した。
「安原か?」
後藤が懐中電灯の灯りに問いかけた、しかし返事はなく灯りも消えた。
「おい安原! だろ?」
灯りを消した事で不審に思って今田も声を出し、灯りが消えた方向に懐中電灯を向けた後藤と、一気に3階まで昇って、廊下を左右にわたって確認するが、誰の姿も確認できない。
「何だ今の?」
後ろからついて来ていたマサも反応したので、今田と後藤は見間違いでは無かったと確信する。すると再び明かりが上から差すのが見えた。
「なんだよ!」
「やっぱり安原だろ⁈ 冗談はやめろよ!」
今田と後藤が同時に叫んだ。
「……なにビビってやがる」
梶の声が聞こえて来て全員ドキリとした。
独特の足音が響き、懐中電灯を片手にもう片方はポケットに突っ込んで、目の座った表情を曇らせながら、ゆっくりと階段を降りて来た梶に、今田が口を開いた。
「あいつは……泣き黒子と女はどうした?」
「お前らこそ藤本に会わなかったか」
梶の方が聞き返して来た。
「いや、会って無い……」
今田はさっきの灯りの出来事が既視感のように重なり、一臣の仕業では無いかと思ったが余計なことは言えないと言葉を飲み込んだ。
「何だ? 歯切れが悪りぃな、ハッキリ言え」
「マジで奴には会ってねえよ、ただお前が来る前に、懐中電灯の灯り見えた気がしたんだよ、それが近くに見えただけだと思う」
梶に勘づかれた今田は、梶の懐中電灯を指してそれを見間違えた事にした。
「チッ、あの野郎、どこ行きやがった」
梶は悪態をつき同時に唾を吐き捨てた。
「安原は?」
梶が一人でいる事を不思議に思った後藤が聞いた。
「あいつは、上で藤本を探してる。奴は女を東校舎に逃して戻って来やがった」
「東校舎に逃した⁈ それってどういうことだ?」
マサが怒りと驚きが入り混じった声を出した。
「奴は、東校舎の屋上の扉を開けてやがった。防火扉を閉めて、
鬼の様な形相の梶が一気に喋り、今田と後藤はギョッとして顔を見合わせた。
「逃げる場所減らす為に、防火扉閉めたのが仇になったのか……」
今田が躊躇いがちに声を出した。
「何でそんなバカな事やってんだ⁈ それに、ここの場所だってバレたんだよ⁈」
マサが根本的な問題を口にする。
「ここは奴の母校だ、気付くのは時間の問題だと思ってたが、ちぃと早かったな。……あの女の入れ知恵だろうがな」
それしか無いと梶が舌打ちした。
「女の入れ知恵だ?」
マサが意味がわからないといった顔をする。
「電話で話した時に、奴らだけが分かる言葉で言ったに違いねえ、あの女意外と切れるじゃねーか」
梶はフンッと感嘆した。
流衣が隠語を混ぜて話したのはハクにだけ、ハクが一臣にそれを言った時には、一臣は既に場所を特定していたのだが、その事は梶が知る由もなかった。
「あの女バカなフリしてふざけてやがる」
マサが梶に同調する様に発言した。
「それじゃあ、あの女は東校舎に閉じ込められたってことか」
後藤が言った。
「閉じ込められたって、何でだ?」
マサが怪訝な顔をして後藤を見た。
「東校舎の出入口の扉は鍵が無いと開かないタイプで、中から出るとしたら教室側の窓しか無い、でも外で菊池が見張ってっから出れねえよ」
「マジか?」
疑り深いマサが再度確かめた。
「一階は南側しか窓ねぇから、窓から出たら丸見えじゃん? 出たらすぐ捕まるし、多分あの女は今頃隠れるとこも無くてうろからしてんぜ?」
後藤が強調して言った。
「早いとこ藤本をぶっ潰して、
梶の薄気味悪い笑い声が西校舎に響いた。
「悪趣味だね」
暗い廊下から “ 泣き黒子” の声が聞こえた。
後藤と梶が懐中電灯で声のした方向を照らしたが、声の主を見つけるよりも早く、洋モクの香りが漂い始めた。
それは二日前、ラストウルトラマンの後に、ハクの懐から出て来た、真新しいマルボロを拝借したものだった。
「どこだ!」
一臣の声のする方向と、マルボロの香りが来る方向が違って位置が掴めず、懐中電灯を向けた廊下にただ灯かりが彷徨っただけだった。
「出て来やがれ!!」
マサが、怒りに任せて声を振るわせて怒鳴った。
「別に隠れてないけど」
二度目の声は真横で聞こえ、後藤と梶が同時に灯りを向けた。
一臣は〈4の1〉と書かれた後藤達がいる位置の、すぐ側の教室の入口に無造作に立ち、ダラリと下げられた左手に火のついたタバコを持ち、右手はポケットに突っ込んだ体勢で、マルボロの煙を吐いた。
「てめえ!」
一臣の力の抜けた姿を見たマサは、条件反射の様に殴りかかった。一臣はふらりと半身を動かしマサの拳を避けると、その拳は教室の後ろの小さな掲示板に当たった。
「グアッ!」
マサは痛さで大声を出し、腕を掴んで動かなくなった。
「なに一人で遊んでやがる、
狂言回しの様なマサに、梶が間抜けな奴を見る目で、懐中電灯の灯りをくるくる回した。
「……モブじゃん」
後藤も同じような視線を向け、ボソリと言い、
少し憐れんで懐中電灯の向きをそっと変えた。
「んだよ、つまんねえな。仕掛けてこねえのかよ」
梶が懐中電灯を一臣に向けながらそう言った。顔に向けられた灯りに一瞬だけ目を細めると、火のついたタバコを持つ手をスッと口元に移動した。
その動作が意味ありげで、何かあるのかと全員が緊張して身構えた。
一臣はタバコを咥えると4人の位置を目で捉え、間合いを取りながら歩いた。
一臣の一挙手一投足を、全員が目で追っていた。
——こいつ……ただ歩いてるだけなのに……
何だこの張り詰めた空気……。
後藤は初めて味わう緊迫する場の雰囲気に、生唾を飲み込んだ。
——動けない……
隙がないってこういう事なのか……。
今田もまた、感じたことのない緊張感に驚きを隠せない。
この時後藤と今田は、一臣のその存在感に暫し圧倒された。
動けないでいた今田が、横にいる梶の様子が気になり横目で見ると、顔はニヤついているが、灯りを一臣の姿を追う事に集中させ、やはり緊張して手を出せずに二の足を踏んでいる様に見えた。
マサは拳を押さえて歯ぎしりをして、一臣を見ている。
4人をその場に釘付けにした一臣は、階段の手摺りの部分に寄りかかり、長い長い “間” を終わらせ口を開いた。
「サプライズしろと?」
一臣は喋る為に煙草を指で口から離した。
「分かってんじゃねーか」
梶はニヤリと笑い肯定した。
「何のために?」
「オレを楽しませるために決まってんじゃねぇかよ」
「お断りだね」
「ああ?」
キッパリと断りを入れる一臣に、梶は首を捻り
ギロリと睨んだ。
「あんたの承認欲求に応える気はない」
「承認欲求?」
後藤が知らない単語に反応して、うっかり声を出してしまう。
「アメリカの心理学者〈マズローの欲求5段階説〉の4段階目の心理で、他人から自分は優秀だと認められて、有名になりたいと思ってる人間の欲求の事、幼少期の愛情不足から来てる、人間の内面欲求の感情の事だよ」
空気が読めない程の後藤の疑問に丁寧に答えた
一臣、しかし梶は〈幼少期の愛情不足〉の文言を入れた一臣の意図に怒りが湧いた。
「……てめえ、オレを馬鹿にしてるな」
「馬鹿にしてない」
梶が睨みつけるのを一臣は
「軽蔑はしてるけど」
「んだと⁈」
「自分より弱い人間を盾にして、相手を誘き寄せる卑劣な手段を選ぶ、ろくでなしのゲス野郎じゃないか」
「きさま……」
一臣のセリフに、怒りでワナワナと震え出し、梶は拳を振り上げ殴りかかった。
ガッ!
一臣はそれをそのまま左の頬に食らったが、背後の手摺りに寄りかかったまま倒れなかった。
「へッ! 手摺り様々だ、なっ!」
梶はニヤけると、懐中電灯を持ち替えて二発目を
くり出した。
一臣は手に持っていたタバコを口に咥えると、左手で梶の拳を受け、その手を梶の動作線上に受け流した。梶は勢いづいて数歩バタついたが、転ぶのは堪えた。
「2度も殴られるほどお人好しじゃないよ」
「こっ……のぉ!」
怒りを全面に出した梶が、殴りかかろうとしたが寸前で止まった。。
「!」
今まで自分の腕を掴んでうずくまっていたマサが、突如として一臣の体に目掛けてタックルをかけた。しかし、かわされて、代わりに手すりを捕まえた。
「何でだ!」
2度の空振りで、マサがカッとなって叫んだ。
後藤が懐中電灯を当ててるせいで、一臣は丸見えで他は暗闇の中、灯りを持ってないマサは自分の位置は分からないのに、なぜ動きがバレたのかとマサは思った発言だったが、それに対して一臣が答えた。
「歯軋りの癖直したら」
“無くて七癖” 緊張するとマサは奥歯噛む癖があり、その場に居る者達に分かるほどであった。
「なんだと⁈」
行動を交わされ、言葉も読まれ、癖を指摘されて、単細胞のマサはカッとなった。
「どけ、ピエロ」
マサを声で退かして、またしても梶が一臣に殴りかかった。しかし右、左、とフックを出すも寸前でかわされて当たらない。
その姿を後藤は懐中電灯の灯りを当ててじっくりと見ていた。
——凄え、全盛期のウェラポンみてえな綺麗なウェービングだなぁ。
ボクシング好きな後藤は、一周回ってファンになった、元ムエタイ3階級制覇で、ボクシングに転向したウェラポンを彷彿とさせる一臣の体幹に感心していた。
「足で来たら良いのに、得意でしょ?」
一臣は自身の肋を折った梶のキックでこいと、
あからさまに挑発した。
「オレに指図すんじゃねえ!」
梶は叫び、次々と拳で一臣に殴りかかったが、一発目とは違い、かすりもしなかった。
——泣き黒子のやつ、わざと梶を怒らせてる……。
にしても、こんなに激昂した梶は初めて見た。
いままでの “のらりくらり” とかわしていた、曖昧な態度とは違う、一臣の挑戦的な態度に乗せられている梶の方に今田は驚いた。
梶の執拗なパンチをかわし一臣はドンドン後退
していく、いつの間にか元いた場所の〈4の1〉
の教室の壁にまで追い詰められた。
「へへっ、もう逃げらんねえぜ」
梶は間合いを取りながら、空振りで荒れた呼吸を整える。
「そろそろ遊ぼうか」
普段運動などしない梶とは違い、一臣にはウォームアップにもならない運動量だった。
「減らず口叩くんじゃねえ」
この状況で、未だ自分が優勢だと思える梶の感覚に違和感を覚えるも、当初の予定通り事を進めるため、梶の歪んだ顔を見ながら、一臣は事前にその場に垂らしておいた白い紐を口に近づけた。
「Venga《ベンガ》」
一臣はスペイン語で『さあ行こう』と言い放ち、咥えタバコの火で紐を炙った。
「なに⁈」
一臣が何を言ったか分からず、梶が一瞬怯んだ隙に、火が付いた導火線はスルスルと上に登って行った。
後藤が慌てて火の行方に灯りを向けて、その先を探り照らし出すと、天井に無数に取り付いた赤いブツブツした物が見えた。
それらの物体は生き物の卵に見え、爬虫類の卵にしては大きく、後藤は気持ち悪さからヤバイヤバイと心で繰り返した。
「爆竹だ!」
今田が叫んだ瞬間、先頭の爆竹に火が付いた。
バッ! バババババツ!
一臣の真上で導火線から引導され、二手に分かれて火花を散らし、鳴物入りで天井を這って遠くに行ったと思ったら、瞬く間に三手にも四手にも分かれて戻ってきた。
更に風を切る音が聞こえてきた。
ヒュー
ヒュー
ヒュ、ヒュー
ヒュー……
パン!
パンッ!
パンッ、パンッ!
パンッ!!
ババババババババッ!
上から四方八方にロケット花火が飛び始めた。
爆竹の音と煙、ロケット花火の音と火花が相まって、全員が混乱し始めた。
「んだこりゃあ!」
梶の怒鳴り声に続き、皆が次々と声を上げ始めた。
「わわわっ!」
「どこだ? 見えねぇぞ!」
後藤は声を上げ今田は後退りしたが、爆竹から出る煙が煙幕になり、逃げる方向が分からない。これだけ煙があると懐中電灯は役にたたず、後藤はスイッチを切った。
「ゲホッゲホッ!」
煙を吸い込んだマサが咳をしながらしゃがみ込むと、煙が階段の方向に向かって流れて行くのが見えた。開いたままの昇降口の扉から、風が上へと流れていき、階段下には煙がなかったのだ。
それと同時に、一臣が階段の手摺りを滑るように越えて、下に降りていくのが見えた。
「下だ!」
マサが叫んだ。
するとその時。
ビシッ!
亀裂が入る音がすると、天井のボードが剥がれ落ちてきた。地震で亀裂が入っていた天井ボードが、爆竹の火薬の勢いに負けて、次々と剥がれ落ちてきたのだ。
「うわっ!」
直撃を受けた後藤が声を出した。
「後藤? 大丈夫か⁈」
今田が声をかけた。
「痛ってえな、けど、タンコブ出来るほどでもねえ……ウップ」
頭に落ちてきた天井のカケラに毒付くと、今度はケムリに咽せた。
「ウッ、ゲホッ、ゲホッ、ケムっ!」
声を出した二人が、粉煙をも吸い込み同時に咳き込み出した。
築30年の一平米の天井ボードは、地震で既にボロボロだったうえに、火薬で受けた衝撃で10枚以上が粉々になって剥がれて落ち、降り注いだのだから堪らない。
4人は袖で口を覆い、咳き込みながら這う様にして下に降りた。
2階まで降りるとようやく呼吸が出来、落ち着いて何度も息を吸った。
「有り得ねえ……」
マサは粉だらけになった予想外の出来事に、イラつく気分を露わにした。
「後藤、今田、お前ら隣からあの女連れて来い」
最後の一段を降りた梶が、2人に命令した。
「女を?」
ようやく懐中電灯を付けて梶の顔を見ると
後藤はギョッとした。
「何でだよ、どうせ逃げらんないんだから、奴を潰してからでもいいんじゃね?」
今田は念のため提案した。
「あの野郎……オレをゲス呼ばわりしやがって
……ゲスにはゲスのやり方があるってのを見せてやるからな……」
後藤の声も今田の言葉も届か無いほど怒りに震え
梶の顔からはいつものニヤつきは無くなっていた。
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