第41話 獲物

 一臣は一気に屋上の出入口まで到達した。

流衣はほぼ抱えられている状態で、辿り着いたその場でするりと降ろされた。

 一臣は携帯を取り出し、その明かりで屋上に通じる扉につけられた南京錠を照らし、その南京錠をいとも簡単に外した。


——ん? 臣くん……今、鍵の番号合わせないで外したような……気のせいかな。


 流衣は、鍵を普通に外した一臣を不思議に思ったが、声を掛ける前に一臣は扉を開けて、流衣に出るように促した。

 外に出ると、星が出ているのと幅広い方の道路の街灯の灯りで、人の顔が判別出来るくらいの明るさの中、今までの一連の出来事が全て押し流されるような、星空の下の澄んだ冷たい空気を吸い込み、心が落ち着いた流衣は、横に立つ一臣の顔を見た瞬間に安心して泣きそうになった。

「向こうまで一気に行くから」

そこで一臣が現実に引き戻した。

一段落はしたが、まだ解決してない事に気がついて、安心してる場合じゃ無いと気を引き締めた。

「向こう?」

一臣が向いた方向を流衣も見た。

それは数十メートル先の、完全にフェンスで分断された東校舎だった。

「えっと、どうやって?」

恐らく自分の胸元まであるフェンスの高さを見て、流衣は疑問を投げかけた。

「飛ぶ」

一臣はあっさりといった。

「無理だよ」

流衣はそんな馬鹿なと、すうっと血の気が引いた。

 学校の屋上は実質5階の高さがある、西校舎側のフェンスと東校舎側のフェンスの間は1メートル、繋がっているのは廊下の部分のみで、そこを外せば、落ちたら真っ逆さまである。

「大丈夫、実際には向こうまで、1メートルは無いから」

「いや、そういう事じゃなくて」

 流衣が思ったのは、幅ではなく高さである。それも建物の高さもさることながら、フェンスの高さ、“飛ぶ” よりも先にで “乗り越える” 必要がある。

「おとといの舞台で、流衣もっと跳んでたけど?」

流衣が焦ってるのが何故かわからない一臣は、真剣な顔で進言する。

「それいま真顔で言う? 舞台は床あるし、フェンス無いし、臣くんなら脚の長さで跨ぐ程度かも知んないけど、あたしの足では足りないし、高く跳んて前にも移動するなんて “凡用ヒト型兵器人造人間” じゃないので無理です」

何故かエヴァンゲリオンで返す流衣。

「分かった」

流衣の長い否定に一臣は一言で返すと、流衣を脇に抱えた。

「へ?」

〈散歩中に側溝が渡れなくて尻込みしている犬が、飼い主に抱えられる〉状態、の流衣はカッコ悪いと思う間もなく一臣は走りだした。

「飛ぶから捕まってて」

「え? え⁈ うそっ!」

フェンス目掛けて、あっという間にトップスピードになる一臣に抗う余地はなく、流衣は一臣の左肩に腕を巻きつけてしがみつき、自分の脚を縮めて、一臣の背中のにピッタリと押し付けて目を閉じた。

 一臣はフェンスの土台のコンクリートに足を踏み出し、次にフェンスの笠木を踏み台にして飛ぶと、東校舎のフェンスを越えて着地した。一臣は着地の反動で一歩踏み出しそこで踏みとどまった。そして流衣を降ろす為に立ち膝の体制になり、肩にしがみついて離れない流衣の背中を、もう大丈夫とポンポンと叩いて合図した。目を開けて流衣はゆっくりと周り確認して、脚を地に下ろしてから、肩に巻きつけた腕をそっと解いた。

 改めて一臣が飛んだフェンスを振り返り、東校舎側から見ると、かなりの段差があることが分かって、流衣は驚いた、地盤沈下でこちら側が30センチは低いとはいえ、幅は1メートルより広く感じる、ここを自分を抱えて飛び越えたのかと思うと驚愕する。

「そこから中に入ったら、すぐ足元に南京錠があるからそれで鍵を掛けて。内側から扉に鍵を掛けてしまえば、東校舎は外から入れないから心配しなくて良い。一階まで降りたら窓から逃げて」

流衣が感嘆の念を覚えていると、一臣はすぐ目の前に東校舎の屋上の出入り口を指して、そこから一人で逃げろと言う。

「え? 臣くんは?」

「俺はあいつらを食い止める」

一臣はもう向こうの西校舎に戻ろうとしている、その意味が流衣には分からない。

「なんで? 臣くんも一緒に行こうよ」

「俺は残る」

「ダメだよ、あの人達は臣くんの事を殺そうとしてるよ、そんなのやだ! 一緒に逃げよう!」

一臣が自分の意思を曲げないのは良く分かっているが、流衣も譲れない。

「大丈夫。でも流衣は逃げて」

「臣くん……」

一臣は譲らない。

そして理由も語らない。

流衣は、それ以上説得する術がない事を承知した上で、自分が一緒にいたら足手纏いなのだと、理解してひとりで行くしかなかった。

「鍵は音がするまで最後まで押し込んで」

「……うん」

流衣は出入口の扉に手を掛けた。

「臣くん、あの人、大きいナイフ持ってる、サバイバルナイフみたいな……だから……」

振り向いて話したが、それ以上言っていいか分からなくて、流衣は一臣の顔を見た。

「気をつけるよ」

一臣は流衣に頷いて見せた。

 後ろ髪を引かれながら、流衣は中に入って扉を閉めた。流衣が鍵をかけた音を聞くと一臣は西校舎に視線を向けた、扉から人が出てくるのにを見て、今飛んで来た道を再び跳んだ。


近付いて来た二人は梶と安原だった。

「女を逃したな」

安原は一臣しか居ないのを見て言った。

「やってくれたな、クソガキ」

梶は首を曲げたまま、片方の口角を上げて嬉しそうに口を開いた。

「ケリを付けようか、おっさん」

一臣は自分より歳上の二人を、見下ろしながら挑発を返した。


 一方でハクとセキは車で、県道から国道を彷徨い続けていた。

「ひとつ〜積んでは父のため〜、ふたつ〜積んでは母のため〜」

窓を開けてタバコの煙を吐き出しながら、セキは眉間に深い皺を寄せ、訝しげに歌っているハクを見た。

「なんだその呪いの歌みてーな、お経みてーなの」

「あーこれか……うちのおふくろが、落ち込んでっときに口ずさんでたやつだ、ジュリーが蘇るとか

なんとか言ってな」

うろ覚えで答えるハク。

「ジュリーって誰だ? アイドルか?」

「それジャニーズじゃね? おふくろ世代だとひろみかヒデキかな」

昭和のアイドルとGS(グループサウンズ)とジャニーズがチャンポンで、寧ろどうでもいい〈ゆとり〉世代。

「んで? なに落ち込んでんだ?」

なんかもう面倒くさくて、確信に触れるセキ。

「……わかんねーし、レッスン言うけど教室はやっぱり誰もいねーし、隠語なんか暗号なんか見当つかねーし、つーか、流衣がそんなん使えんのかも疑問で、けど一臣はわかってるってのに言わねーし、あいつより暗号解けない自分が腹立だしいわ」

流衣のレッスンと言うセリフで、念の為バレエ教室まで行って確認したが、やっぱり真っ暗で何も得られなかったハクに虚無感が漂っていた。

「お前一体どこに向かって、腹立ててんだ?」

一周回って自分に怒ってるハクに呆れるセキである。

「もういっそ全てをあいつに任せて『時玄』でいっぱいやっちまうか」

流衣達の居場所が分からず、諦めて一臣に丸投げしようとする。

「休みなのに入れんのか?」

「鍵持ってんかんな、常連ボトルから一杯ずつ拝借しても分りゃしねーよ」

「ひでぇ店員だな」

「その分いつもサービスしてるから……、って、時玄……? 店で……」

『店』と『時玄』というキーワードが引き金となって、ハクはある会話を思い出した。


『練習出来るとこねーの?』

 

『あるよ』


『どこよ?』


『樺町小学校の体育館』

 

時玄での一臣との会話。

 そして……


『あたしこれからレッスンに行く……の』


流衣が言っていた意味が、ここでしっくりと判明した。


「……レッスン……樺小じゃねーか」

ハクは、映画館のスクリーンを見ながら、想いを巡らす様に言うと急に現実に戻った。

「樺小に行け、大バカやろー! 何やってんだうすらバカ!!」

突然の暴言を叫ぶハクに、セキは自分に向けられたのだと思い、怒りを露わにした。

「ああ⁈ てめえ、誰にバカ馬鹿、言ってやがる!」

「オレだよ! 自分! 気付か無かった自分が馬鹿で鈍でマヌケすぎるわ!」

「……あ?」

ハクの自分バッシングに驚く、そしてついていけないとセキは呆れて、煙草を一本出して口に咥えた。


——チッキしょー! 何やってんだオレ、あれから何分経ってんだよ? 

今何時だ!?

8時半⁈

遅い遅い遅い遅い 遅いわーっ! 

……遅いけど、行かねーと!


「樺小に行ってくれ、急いでな」

「……良いけどな、遅いんじゃねーか」

「かもな、けど一臣はもう行ってる筈だ、いくらあいつだって、多勢に無勢の上に流衣が人質で立てられたら、どんな目に遭うかわかんねえ」

「急ぐぞ」

「頼むわ」

失意と後悔の念に押されたハクと、樺町小学校の方向が逆だと分かると、セキは信号が赤に変わる直前に国道をUターンすると、急いで一臣達のいる場所に向かった。


 暗い小学校の階段を、懐中電灯を照らしながら降りて行く後藤と今田は、2つあった懐中電灯を1つ安原に貸して、もう一つの懐中電灯を後藤が照らしながら階段をゆっくり降りていく。

「……おれ、学校の階段が、こんなに怖いと思わなかった」

暗い中の懐中電灯だと、段差の感覚が鈍くなり、踏み外しそうになる。

「おまえ笑わせに来てる?」

「笑わせ? どこが?」

足元が不安だと言ってるつもりの後藤が、笑い事ではないと聞き返した。

「〈学校の怪談〉」

「笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑」

「地味にこわいから、やめれ」

「〈天誅セブン〉?」

「自分の怖さを紛らわすために、地元の人間でも意味わからん、張り紙に包まれたコンビニの話もやめれ」

〈天誅〉と書かれた紙を、店の外壁に何十枚も貼られた、実在したコンビニは震災で無くなった。

「ん?」

ふたりの地元の話しが解決を見ないまま、今田が懐中電灯の明かりを向けた先に、安原が言っていたロッカーで入口を塞いだバリケードがあった。

「ちょっと待てよ、何でこっちにバリケードあるんだ?」

自分達が鍵を壊して入った右側の入り口とは違う左側の入り口に、バリケードがある事を今田は疑問に思った。

「オレ達が開けたのこっちだよな?」

後藤が右側の扉に行って開けてみると、簡単に開いた。後藤は続けて真ん中の扉を開けてみるが、しっかり鍵が掛かっていて開かない。

学校の昇降口の扉は3箇所、その左の扉と右の扉が開く。

「もしかしてこの左の扉、開いてたのかな?」

「分かんねえな、東校舎の出入口の鍵は確認したけど、ここの3箇所の入口は、確認した覚えないぞ」

3人で入れ替わり立ち替わりに作業すると、誰かがやった筈、となるのは有りがちな事である。

「まあいいや、それよりこのロッカーあったかな?」

今田は、バリケードとして使われている、スチール製のロッカーの方が気になった。

「これ……見た記憶は無いけど」

後藤がここにあったかどうかは考えた。ロッカーが置かれていたであろう辺りを、明かりを当てて探って見たが、がらんとした空間があるだけだった。

「昇降口って、下駄箱無いと、結構広いな」

「ひょっとしたらこのロッカー、左の壁にあったのかも知んねえよな」

「オレら、右側から入ってそこしか見てなかったかもな、しっかり確認したわけじゃないし……」

ふたりは梶に嘘を吹いたかもしれないと、かなりヤバイと冷や汗をかいた。

「ひょっとしたら、安原がこの下駄箱の事を、

ロッカーって言ったのかと思ったけど違ったな」

木製の下駄箱はそのままそこにあった。下駄箱とロッカーでは、質感が違い過ぎて間違うはずは無いと思いつつも、そうだったら辻褄が合うと思ってたものが外れた。

 今田も後藤も〈狐につままれた〉状態で不可解で答えが出ないまま、割り切るしか無かった。

ビッ、ビリッ。

その時、今田の耳に微かに物音が聞こえた。

「……なんか今、聞こえなかったか?」

「え? オレは何も聞こえなかったけど」

後藤は何も聞こえ無かった。

「そこの奥から聞こえたぞ」

今田が聞こえた方角に、後藤は懐中電灯を向けると、例の下駄箱が居座っていた。仮設校舎に入りきらなかった、といわんばかりに残された異物の様な下駄箱。

「んー、んーっ……」

今度は後藤の耳にも聞こえた、それはその残された下駄箱の裏側から聴こえた。ふたりは直感的にマサだと思い、声のする方に駆け寄った。



 屋上では仕掛けるタイミングを窺い、探り合いが始まっていた。

「テメェ何やらかした?」

梶は一臣に質問した。

「別に」

一臣が答えた。

「ざけんな、んなわけないだろうが⁈」

すっとぼけた態度に安原が声を張った。 

「俺は扉を開けただけだけど」

一臣は素直に答えたのだが、安原は一臣を睨んだ。事と次第はスルーされ、事実はどうでもいいのだと、ふたりの態度は示した。

「お前が現れてから、圭太が消え、マサが消え……とと、その前に大樹も消えてやがんな。次は誰をサプラ〜イズする気だ?」

安原とは対照的に梶は愉快そうに、少し前に流行ったマジシャンの真似をした。

「誰がいい?」

「ああ? おまえ、人をバカにすんのも程があるぞ⁈」

またしても安原は怒った、人をおちょくった一臣の態度に、我慢ならなかった。

「ブッ! プハーッハハハハハ!」

しかし梶は大爆笑した。

梶が笑うほど面白く無い安原は、横でむっつりしたが、そんな二人を一臣は黙って観察していた。

「へっ、へっ、おっもしれー奴!!  ひっさしぶりだわ、んなに笑ったの、やっぱサイコーだぜ藤本さんよ?」 

梶は目つきが豹変した。

まるで猫がネズミを見る目つきに。

「じゃあ手始めに、後ろの奴から消そうか?」

その梶の豹変ぶりを受け、一臣はふたりの間を射抜くように見据え、指先を向けた。

「なに⁈」

一臣の素振りで、誰が来たのかと梶と安原は振り返った。そのふたりの間を、一臣は脱兎の如く走ってすり抜けた。

「な⁈」

あまりの速さに、驚いた安原が声を出した。

「誰も居ねえ、へっ、やるじゃねーか」

後ろからは誰も来ていない、そして一臣は出入口の扉を閉める前に、梶と安原を見て消えて行った。

「チッ! 野郎、待ちやがれ!」

「待て、安原」

追いかけようとした安原を梶が止めた。

「なんで止めんだよ!」

煽られた挙句に走って逃げた相手に、安原はカッとなり、止めた梶に怒りをぶつけた。

「奴は逃げねぇよ、時間稼ぎの挑発に乗るんじゃねえ、どうせならゆっくり行こうぜ」

「時間稼ぎ?」

安原はそれなら尚の事早く追いかけた方が良いと思ったが、梶は「ゆっくり」と言う。

「藤本は女が逃げる為の時間稼ぎしてやがんだよ。ここで追いかけたら、付かず離れずの距離を取って引っ張り回されるのがオチだ。それよりも向こうの出方を待てってもんだ、へへへ」

梶はポケットから皮の手袋を取り出し、しっかりと両手にはめ、後ろに手を回し、ベルトに差していたサバイバルナイフを取り出した。

「出番だぜ?」

ニヤリと笑いながらナイフに話しかける様は、梶の異様な行動を、見慣れてるはずの安原ですらゾッとするものだった。


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