第39話 賢い男
樺小こと樺町小学校は、震災で東校舎と西校舎の間に亀裂が入り、立ち入り禁止となっている。校庭の一角にはプレハブの仮校舎が出来ており、必要な物は全て仮設校舎に移され、本校舎は解体を待つのみなのだが、解体工事の需要の多さから、本校解体のメドは立って無い、しかし倒壊の恐れは無いと見られ、校舎内に立ち入りできない様に、施錠と簡易なロープが貼られているのみである。
校内の出入口は東門と南門の二箇所。駐車スペースへの車の出入口はプールがある南門のみである。校舎西側の横に大きい幼稚園が隣接し、その奥には住宅地がある。校舎の東、南、北側には田園風景が広がり、その先には住宅街があるが、小学校から花火でも打ち上げない限り、騒音は聞こえない。
西校舎の中には今田、菊池、後藤の三人が、昇降口の鍵を壊して中に侵入していた。真っ暗な校舎の中で、懐中電灯をそれぞれ手に持って廊下を歩く。
「いま何時だ?」
ダークグレーのフーデイズを着た今田が話しかけた。
「なんだよ今田、携帯も時計もねーの?」
後藤は携帯を出し、8:07と写し出された画面を今田に見せながら言う。
「充電切れ」
今田は答えながら、東校舎と西校舎の間にある重い防火扉を後藤と一緒に閉めた。
「賢いじゃん。てかおまえ、ノースフェイス好きな」
後藤と今田は前を行く菊池の後を追い階段を登る。今田が連絡つかない様に、わざと充電切れにした事を後藤は褒めた。
「コレは兄貴が置いてったやつ、おまえはいつも黒のジャージじゃね?」
今田は、兄弟で色違いの服を持ってて、進学で家を出た兄の服を着てると暗に説明した。
「かーちゃんが〈しまむら〉から値引きのやつ買ってくんだよ」
後藤は迷惑だと言わんばかりの顔をした。
「良いじゃんナイキの黒なら」
「黒しか着ねえって言ってあっからな」
「ああ、……何で親って赤とか黄とかの服買ってくるんだろうな」
「知らねー。『似合う』って言えば許されっと思ってんだよな、マジでうぜえわ」
「そろそろ来るんじゃねーか?」
四つめの防火扉に手をかけて押すが、動かない扉に眉間に皺を寄せて、菊池がふたりの他愛も無い会話に割り込んだ。
「うわっ、この扉マジでキツいっ」
菊池が重そうにした扉に、後藤が無造作に手伝い、その重さに悲鳴をあげた。
「建物が歪んでっかんな、いくぞ、いっせぇのっ!」
悪戦苦闘してるふたりに今田も手伝い、掛け声を掛けて一斉に押すと、扉はギシギシと音を立て、なんとか動いて廊下を遮断した。
「この扉もう開かないんじゃね?」
「どうせ解体するんだからいんじゃねーの」
「それもそうだな」
「閉めるよう言われた防火扉は全部閉めたよな」
今田が返事をした。
「コレで東と西には行き来出来ないよな」
「けどさ、防火扉閉めなくても、真っ暗で行く気なくなるくね? 教室に挟まれた廊下って、非常灯も何も無いと本当に真っ暗でおっかねえよ」
冷たいコンクリートの建物は、人気の無さと暗さが恐怖を呼ぶ。他愛の無い会話はその恐怖を誤魔化す為のものだった。
「学校なんてみんな似たようなもんだと思ったけど、知らない学校って歩けないもんだな」
「懐中電灯ないとヤバイよな」
街灯がほぼ届かず、月も出てない夜の学校は、外に面してる教室の窓ガラスでさえぼんやりしか見えず、教室の扉が閉まっていると、扉に付いている小さな窓は、スイッチのON・OFFを示すパイロットランプの役割にしかならず、廊下は深淵に近いものだった。扉についてる小さな窓から、外に面した窓が見えて、後藤は明るさが欲しくて、目の前の教室に入り外を見て。頼りない遠くの街灯と控えめな星の明るさに、ホッとするのだった。
「取り敢えず、この辺の廊下に懐中電灯をいっこ置いとくか」
菊池が階段の踊り場に程近い廊下に、自分が持っていた電灯を置こうと屈んだとき、外を見ていた後藤が叫んだ。
「来た!」
「まさかだろ、もう?」
後藤の声に、今田と菊池が反応して駆け寄り、3人は窓から覗いた。
南門に通じる道に、すごい勢いで角をドリフトして曲がる車が見えた。その車は南門まで来るとスピードを落として学校の敷地内に滑る様に入って来た。
「マジかよ、こっから10キロ以上あるのに……」
携帯を開き時間を見て唖然とする後藤。
「安原の奴、ノリノリだな」
「梶の圧で、ギリギリなんじゃねーの」
「……オレらは予定通り定位置に着こう」
「おう」
南門の前まで来ると、安原はスピードを落とした。そうしないと狭い入り口から入れない。
「スッゲェ、ここまで12分で来た」
「信じらんねえ」
圭太が助手席から、運転している安原をチラ見しながら感心して言うと、マサも追随した。
「ヘヘヘッ “秒” じゃねえけど、勘弁してやらぁ」
梶は体をゆすって笑った。
「お楽しみタイムの始まりじゃん?」
マサは横にいる流衣を見ながら言うと、男達の視線が流衣に向いた。流衣は視線を感じても、見るのを拒絶して前だけを向いていた。すると暗闇の中、ヘッドライトに照らされて人のシルエットが浮かび上がった。
「……あ⁈」
同じく前を見ていた安原が声に出した。
——……臣くん……!
その人物が一臣だと分かった瞬間、鈍い音がしてフロントガラスが真っ白く濁った。
「うわっ⁈」
圭太が言葉を発するよりも早く、安原はブレーキを踏んだ、同時に防御本能が働き手で頭を屈み込んだ。
「なんだ!? どうした」
何が起こったか分からないマサが言った。
一臣は持っていたゴルフクラブでフロントガラスを一閃すると、ガラス全体にヒビが入り真っ白になった。車が止まったと見るや、一臣はボンネットに足を掛け屋根まで飛び乗ると、全ての窓を叩きヒビを入れ、次にドアの干渉部分を叩き出した。
「なんだよ! コレなんだよ!!」
「ヤバイ!」
圭太とマサは一臣の姿を見ておらず、車のガラスが次々にヒビ割れて視界を奪われ、屋根の上で移動する足音が、未知なる巨大な生物に覆われて、噛まれて飲み込まれる錯覚を起こし恐怖に駆られた。周りがパニックになっている中、梶は屋根の音のする方向を睨みながら目で追って行く。
怯える慌ただしい車内の中でただ一人、流衣だけは微動だにせず、白くなったフロントガラスを見つめていた。
——本当に来てくれた。
来ちゃダメって言ったのに……臣くんのバカ。
自分の事考えなきゃ駄目なのに……
あたしなんかの為に……ごめんなさい。
でも……どうしよう、すごく嬉しい……。
流衣は申し訳ないという心苦しさと、一臣の姿を見た嬉しさが同時に胸に溢れだした。
「開かねえ!」
マサは外に出ようとガチャガチャと取っ手を引き、ドアを開けようとするが、ひしゃげたドアは開かない。
一臣は上から車を一周して叩き終わると、ボンネットに降り立ち、フロントガラスに踵で何度も蹴り入れた。降り注ぐガラスの破片に前席の安原と圭太は頭を抱えて潜るしか無かった。一臣は安原がブレーキを踏んだままなのを横目で確認し、フロントからガラスが無くなったのを見計らい、体を屈め手を入れてシフトをパーキングに入れ、エンジンを切りキーを引き抜いた。
「泣き黒子!」
「なに⁈」
フロントガラスがなくなり、一臣が屈んだ事で顔が見えた圭太は叫んだ。マサも梶も同時に一臣の顔を見た。
一臣は顔を上げて叫んだ圭太の胸ぐらを掴んで、そのまま車から引き上げ出した。
「うわ!」
圭太は驚きの声を上げた。
「チキショウ! ドア開かねえ!」
「こっちもだ」
運転席のドアも後部席のドアも開かない。マサが何度もゆすったドアは少し隙間が出来ていたが、どんなに押してもそれ以上開かなかった。
「どけ」
唯一動いたマサの横のドアを見た梶は、ドスの効いた声を出した。
梶は流衣とマサの上跨いで、ドアを思い切り蹴飛ばした。
バキィッ!
という音と共にドアが半分開いた。
「開いた!」
半開きになったドアから、マサが転がるように飛びでると、梶が後に続いて外に出て、座席に居座る流衣の腕を掴み引き摺り出した。
「嫌っ!」
流衣は抵抗した。
梶の暴力の恐怖から従順にしていた流衣は、一臣を見た瞬間から感覚が戻り勇気が湧き、嫌悪に駆られる男に触られるのが我慢できなくなった。しかしそんな流衣の動きを蹴散らすように、安原がネズミのように素早く後ろに移動し、流衣を押し出して、自分も開いたドアからすり抜けた。
「やだ離して!」
足で踏ん張って抵抗する流衣だが、後ろから来た安原に反対の腕を掴まれて、両腕を拘束された状態で校内に強制連行された。
「はな……せ」
圭太が苦しい息の下で声を出した。流衣が連れ去られる姿を見て、一臣は圭太を持ち上げている腕に力が入る。胸元の服を掴み持ち上げ、拳を首の根元に押し当てている為に圭太は呼吸がままならない、フロントから引き出された体は上体は屋根のヘリに、座席に踵を、ダッシュボートに膝を取られた態勢で、圭太は体を動かせずにいた。
「全部あんた達のせいされるぞ、梶はそういう
男だ」
そういうと一臣は手を離し、圭太を自由にした。圭太は体がズリ落ちそうになるのを、屋根に腕をかけて支えて堪えた。
「なん……⁈」
さっき車でマサと話していた内容と同じ事を言う一臣を奇異の目で見た圭太は、一臣の冷静な声と薄暗い中でも分かる真っ直ぐな瞳が、自分に対して敵対心がない事を発してる。圭太は車の中から片方ずつ足を抜いてボンネットの上に置いた。
「犯罪の片棒を担ぐと一生を棒に振ることになる。降りるなら今だ、大樹は賢かったぞ」
それだけ言うと、一臣は車からするりと降りて
梶たちの後を追った。
「大樹が……⁈」
一臣の後ろ姿を見ながら大樹が既に逃げた事を初めて知った圭太は、一臣が言った言葉で梶とつるむリスクをダイレクトに感じて急に怖くなった、確かに今なら逃げれると算段し、辺りを見渡し誰も見てないのを確認すると、ボンネットの上から滑り降りてそのまま走り去った。
一臣は校舎に入る前に振り返り、圭太の走り去る姿をみた。
——これで6対1。
声に出さず心の中で呟くと、一臣は勝手知ったる母校に迷わずに入っていった。
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