第36話 潮の香り

「ここだ。その店の駐車場に止めてくれ」

ハクはセキに向かって言った。

 言われた通りセキは空いてる駐車場に停めた。

7時はとうに過ぎているのに、クリスマスのせいなのか、年末のせいなのか、ドラッグストアの駐車場は半分以上埋まり意外に混んでいた。

 車が止まるとハクはすぐさま降りて、奥の駐車場スペースに駆けて行った。

 店の横に位置する奥の駐車スペースはブロック塀でどん詰まり状態、店側は納品車用スペースだが、その場所は台車や使用済みオリコンが山積みで、車の方向転換がしにくい為、敬遠されてその場所は2台分空いていた。

その一番奥にそれはあった。

「……流衣のだよな?」

スクールカバンより一回り大きい、見覚えのあるバックに近づいてしゃがんで見つめ、ゆっくりと持ち上げた。

「なんだ、これが気にしてたヤツか? 良く見えたなこんなの」

ハクの後ろから続いて来たセキは、走ってる車から店の奥まった駐車場のハジにあるカバンが見えた事に感心すると、顔色を変えて無言でいるハクに、また声をかけた。

「にしても本当にあいつのか?」

セキに言われて、ハクは中を確認するとトウシューズが出て来て改めて確信した。

「バイトしてるのがここだって聞いてねえけど、このアイアンマン・シューズが入ってんなら流衣のに間違いねえ!」

ハクはトウシューズの名称を忘れて叫んだ。

同時に血の気が引いていった。


——日曜日はバイトしねえって思ってたから

油断した! やべぇ……あいつのカバンがここに落ちてるってことは……。


「やられた……奴だ」

「ん? やられたって何だよ」

「流衣が拉致られた、ツマグロに……」

ハクは髪の毛を掻きむしるように頭に手をやった。

「ツマグロ……梶にか? 何で拉致なんだよ、それにバス停は表通りだろうが、何でこんなとこ通るんだ?」

セキは、流衣がその場所を通る道理がないと、疑り深くいった。

「いや違う。流衣のこった、裏からショートカットして、バス停を稼ごうとしたにちげえねえわ、他の物ならもともかく、これをあいつが落とすわけねえ」

 ハクはブロック塀が途中で終わり、人は通れるが車は抜けられない駐車場の形態を周りを見渡し確認し、流衣がいつも大事に抱えてるレッスンバックを持ち上げて力説した。


——まずい……いつだ? どんくらい時間が経ってる……?


「セキ、おまえまだ付き合えっか?」

焦燥感を漂わせ、ハクは真顔で聞いた。

「ああ、……なんかやばそうだな」

「頼む」

ハクはレッスンバックを抱えてセキの車に向かうすがら、ポケットから携帯を取り出し一臣にかけた。

しかし通話中で繋がらない。


——一臣もかけてるのかよ。


「ちょっと待っててくれ」

ハクはそう言ってから車にバックを入れると、店の方に走って行った。


「ウッソそれマジ〜?」

ミルクティのペットボトルを握り、イズミはあゆみに言った。

「どこ行っても狩られるらしいから、道走って無いってよ、マサら」

 横に座っている久美子が応えた。

「だから街中出没すんのか、マジ迷惑」

 あゆみはウンザリ顔でCCレモンをグイッと飲んだ。

「新港はいくの? そこ走り屋のメッカじゃん?」

「違うよ、あいつら行ってたの蒲生がもうだし、津波のせいで今入れない、つーかないしさ」

「そこナンパ場じゃん? しかも四輪の。アイツら原チャしかないんじゃね?」

「四輪の中に二輪で行く俺ら目立つぜ的な?」

「それで度胸見せた的な!」

「ゲーッ、ダサっ、ショボ、キモっ!」

「でもさー、その海らへん〈出る〉って、ウワサだよね〜」

「あーそれ! 聞いて聞いて! うちのおかんのバイト先の人の話。夜に閖上橋のたもとで人跳ねて、降りて見たけど、跳ねた人見当たんなくて、警察呼んでお巡りさんと皆んなで探したけど見当たんなくて、もうオッケー的になってお巡りさん帰りそうになったから、運転手さんが気にして「絶対に人跳ねました」って言ったらお巡りさんが「大丈夫です。今月あなたで5人目なんで」って言ったんだって!」

「うっわあー寒いっ、って出来すぎじゃね?」

「それマジだよ。うちの叔父さんもその5人のうちのひとりなんだ」

「ひえ、マジ? マジでマジなの⁈ 怖すぎ」

「だから走り屋行かないし」

「なるほどな〜震災の後だから、海の周り行かないんだ〜、やばっ」


一臣は、マサ達が自主性が無い事がハッキリと分かった、あのギャル達のたくましい会話を思い出した。一方で深い自責の念に駆られていた。


——不覚。……頭に血が登りすぎた。


 日本一大きく車線の多い箱堤交差点を渡りながら、一臣は流衣の声を聞いた瞬間の安心感と同時に、湧き上がった怒りで冷静さを欠いてしまい、肝心の赤嶺の事を探り損ね、収穫が無かった事を悔やんでいた。

 記憶の中の赤嶺は、ドイツ人並みのゴツくてデカい男で、攻撃力の高い男。


——あの仕掛けてきた時、けどそいつが狙ってるのがボールじゃなくて脚だと気付いて、頭にきて……避けずに身体を反転させて正面でガードしてやった、そしたら倒れて……タンカで運ばれていった。

それから……?

何か引っ掛かる……けど出て来ない。


 三年前の90分の内の数秒の出来事は、考えても同じ場面が繰り返されるばかりで、それ以上記憶から出てこない。

流衣の事が気になって、それ以上の事を思い出す余力が無いのは一臣本人が一番よくわかっていた。

 気持ちを切り替え、前を向いた一臣の懐から携帯の着信音が聞こえて来た。


 元々海は明かりがない。

頼りは月の明かりだけ、月のない夜は波の音が延々と鳴り響く海岸、距離があるはずなのにすぐにでも波に攫われそうな感覚になり恐怖しかなく、泥棒さえ寄りつかないと地元では言われている、流衣の育った所はそんな場所だった。

震災の後は少数の街灯も全て流され、深闇と化した場所に怖くて誰も近寄れない。

 吸い終わった煙草を投げ捨てる為に梶が窓を開けると、そこから懐かしい潮の香りがしてきて、流衣は軽い目眩を覚えた。

 開いた窓ガラスの向こうにフェリーが見えたが、それはすぐに閉じられた。


——逃げなくちゃ、自分で何とかしないと……。


自分が足手纏いで一臣のお荷物になるのを何とか回避しようと、流衣は必死に考えていた。

 一行を乗せた車は、フェリーターミナルの駐車場の一画に静かに停まった。

「窓開けろよ、走ってねえから煙抜けねえ」

 梶がタバコを吸う度に運転席の窓を少し開けてた安原は、流石に息苦しいとまた煙草吸おうとした梶に注意を促した。梶はそれに応じ窓を開ける、すると大きく開けられた窓から空気が入り込み、人息で曇りきっていた全てのガラス窓が透明に変わり視界が広け、流衣はフロントガラス越しに初めてみる大形客船に、こんな時でなければいたく感動したに違いないフェリーの大きさに、巨大な壁のような圧迫感を感じて萎縮し、小さい身体を縮め両脚を引き寄せた。目の前のフェリーに数十人が乗り込むために列をなしているのを見て、何とも言えないもどかしさを感じた。

 流衣は並んでいる人達のその中に向かって助けを呼びたいと切に思うが、車の中で男達に囲まれてる状態では到底無理だった。

外に出なければチャンスはない。

流衣は背筋を伸ばした。

「あ、あの……」

誰かを特定する事なく流衣は話しかけた。

「あ?」

横にいるマサが車から落とされて以来、初めて口を開いた。

「お手洗いに……トイレに行きたい……です」

目の前にあるフェリーターミナルの建物に、トイレのマークが有るのを見て流衣は言った。

「バカじゃねえの、我慢しろよそんなもん。おまえ自分の立場分かってんのかよ?」

マサが吐き捨てる様に流衣をドヤ顔で怒鳴る。

「トイレとか言うから便所に行きたくなったじゃねーか、しょんべんしてーからオレ行くわ」

梶がそう言うとドアを開けてその身をモッサリと外に出した。流衣は梶の行動を怪訝な目で見つめた。

「便所に行きてーなら来な、後で潮噴かれちゃたまんねぇかんな。へへっ」

「そりゃやべぇ」

「ギャハハッ」

梶か言った事に笑いが起こった。言った意味はわからないが男達が笑ってるのはいやらしい意味だと理解した。それよりも外に出られる事の方が大きいと思った流衣は、無言ですぐさま梶の後に続いて車から出た。

「おい、携帯は車に置いとけ」

流衣は言われた通りに、携帯を自分の座ってた場所に置いた。

「おう、安原。おまえもこいや、見張りにな」

声をかけられた安原は、車のキーを抜き取り車から降りると、それをポケットに仕舞いながら梶に追いつくように歩いた。前後に男に挟まれる形で歩く流衣は、ターミナルの中に助けを呼べる人達がいる事を願いながら歩いた。


「……チッ」

マサは小さく舌打ちをしたのだが、それは圭太にハッキリと聞こえた。

「なあ、マサ。あいつら奴を殺すってのマジかな?」

「んだよビビってんのかよ」

マサがぶっきらぼうに答えた。

「そんなんじゃねーよ。ただ、なんかおかしくねえか?」

圭太はマサに向かって真面目に聞いた。

「何がおかしいんだよ?」

「あいつらだよ。もしかしてさ、女まわして奴を殺して、それを全部オレ達になすりつけようとしてねえ?」

マサは十分あり得るとギクリとした。

「……んでそう思うんだよ?」

「大樹の奴、さっきから電話してっけど繋がらねーんだ。さっき「寝た」って梶が言ってたの冗談だと思ってたけど、まさか泣き黒子に殺られたんじゃねーよな?」

「優等生面の泣き黒子がそこまでするわけねえ、連絡取れねえのは、大樹の携帯を壊されたのかも知んねえだろ」

不安そうな顔をマサに向ける圭太にマサが言った。

「携帯はそうかも知れねえけどさ、あん時、あれだけの人数に囲まれても、泣き黒子はビビリもしねぇ上に、テラさんと勝負に持ち込んだ、後から引き分けたって聞いてびっくりしたじゃんか」

 数カ月前に今この場所の目と鼻の先で、50台以上のバイクに囲まれても、顔色ひとつ変えず渡り合い、ボスとも云える小野寺とサシで勝負した一臣を、日下に殴られた記憶と共にマサは苦々しく思い出した。

 引き分け《ドロー》に持ち込んだ事を聞かされた事も忌々しい。

「だからなんだよ?」

「この場所で奴と因縁が有るのオレ達じゃん! 梶達じゃなくてさ、ここでなんかあったらオレらのせいになるんじゃね?」

「ここでなにかって、まさか、いや待てよ、じゃあここであの女を……」


ヴー、ヴー、ヴー、ヴー……


 携帯のバイブレーションが会話を止めた。

圭太に言われてハッとしたと同時に、座席に置いて行った流衣の携帯がなって、圭太とマサは一瞬ドキッとした。そして携帯を手に取るでもなく、着信の赤いランプの点滅をじっと見つめた。


「……んにしても今更戻れねぇ」

「そうだけどさ」

 

ターミナル前の駐車場で梶達と距離を取った事で、インターバルを取る形で冷静になったマサと圭太は、梶達の理不尽な行動に疑問を感じたが、もう引くに引けない状態だとお互いに頷いた。


「なら、奴らに責任とってもらおうぜ」

マサがほくそ笑んで言った。

「どうやって?」

圭太はマサに聞き返した。

「奴らの言うこと聞くふりしてりゃいい、女を殺そうが犯そうが見てりゃいい、オレは泣き黒子を殴れればいいんだ。あとは奴らになすりつけてやる」

「そうだよな、奴らが手を下しそうになったら逃げりゃいいんだよな」

「バカ、逃げんじゃねーよ! それを証拠にして脅すんだよ! やったのはお前らだって、しっかり見たぞってな」

「そっか、高みの見物すりゃいいんだ、へへっ、いいじゃんそれ!」

ふたりはいい案を見つけたと高々に笑った。


 流衣は目の前を歩く梶がスマホに耳を澄ませて歩いてるのを訝しげに見ながら歩く。二、三十メートルほど歩いてついたターミナルの入口は三方向のガラス張りで開放的な作りだった、正面の入り口はバスの停留所になっており、右の入口は駐車場の出入り口、左はフェリーのチケット売り場に通じている。建物内に入って中を見渡した流衣はひどい絶望感に陥った。


——誰も居ない。


 チケット売り場はシャッターが閉められ、バスは最終が出たあとで明かりが消えていた。

 タクシーの乗務員らしき人物が、入口の外に置いてある灰皿の前でタバコを吸っているのが一番近い、ガラス張りの出入扉から、フェリーに乗船した人達を見送る何人かの人達が見えたが、どれも声を上げて助けを呼ぶには程遠い。

 前を歩く梶の足が、隣接している男女トイレの前で止まり、スマホを通話を切る動作をすると、突如笑い出した。

「くくくっ。パシリにも使えねー奴らだな」

 梶の言葉は耳に入らず、お見送りに来ている人達が中に入って来るかも知れない……と、ほのかな希望を抱いていた流衣に、後ろから声が掛けられた。

「行けよ。ここに居るからな、変な気起こすなよ」

安原が女子トイレを示した。

「はい」

従順な振りをして返事をして中に入ると、個室が二つ並んだタイル張りの昔ながらのトイレだった。周りを見渡したが窓がなく、ここからは逃げる術はないと流衣は落胆した。


「車から蹴落とすから、勘付かれたんじゃねえの」

安原は〈禁煙〉の注意書きが貼られた紙の前でお構いなしで煙草に火をつけた。

「オレはバカが嫌いだが、うすら馬鹿はもっと嫌いなんだよ」

安原の黒いスマホをダッシュボードに置き、通話のままにして車内の会話を聞いていた梶は、呆れた口調で言った。

「〈ひとりここで減らす〉予定狂い、奴らあの調子じゃ車から降りねーよな」

安原は口惜しそうに言った。

「チェチェチェッ。つっまらねーの。ここで女やって奴らボコってひとり置いてくつもりだったのによ。連れてくしかねーじゃねーか」

不貞腐れた言い回しだが口元は笑っていた。

「アレがついてるのも予定外だしな」

安原は入口の梁に取り付けられた監視カメラを顎でしゃくった。以前来た時はなかったものだ。

「まとめて捨てるか、どうせ拾ったもんだしな」

「ひっでーな、兵隊として拾ったんじゃねーの

かよ」

安原は笑い、タバコの煙で咽せかけながら喋った。

「兵隊? あの、アンポンタンタントリオか? ありゃあ、百均の鉛筆だ、思ったより使えねー。なら捨てねーとな、けけけっ」

「ま、使えなくて放り出された奴らだもんな」

自分も底辺のバカだが、下には下がいると、安原は鼻で笑った。

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