第34話 ポリバレント

 薬師堂通りから一本入った裏通りの住宅地は、日曜の夜とあって大概の家に家族団欒の暖かみのある明るい光が灯っている。日野アカデミーバレエ教室前の駐車場まで来て真っ暗になってる教室を見た。

「あり?」

ハクは道路に停車した車の中から教室の建物を隅々まで見て予想と違うと拍子抜けした声を出した。

「誰も居ねえんじゃねーか」

「みたいだな」

セキの感想にハクも同意した。

 今日の朝、流衣が入っていった建物は真っ暗で人の気配は無い。

「もう帰ったんかな」

それならそれで気にしないで済むとハクは思った。

「こっちも帰んぞ」

 そう云いながらセキは煙草を口に咥え、駐車場を使い車を方向転換させる為にバックし始めた。

 そのセキの一連の動作を眺めたハクは窓の外の暗い道を眺めた。

「……帰る前に、ドラッグストアに寄ってくん

 ねえ? さっき通った大通りの」

 ハクはさっき垣間見た駐車場に落ちていたカバンが、残像となって頭から離れず確かめたくなった。

「ドラッグストア? 煙草買うならコンビニのがいいんじゃねえのか?」

 この時間だと学生のバイトが多く、年齢などあまり詳しく言われる事はない。

「オレは今、ドラスト気分」

「……どういう気分だよ」

 ハクのいつもの気まぐれ発言に呆れたセキは、車の時計が7時過ぎてるのを見た後、ハクの言ったドラッグストアに向かう為にゆっくりとハンドルを回した。


 一臣は走りながら梶達の行こうとしている場所を考えた。


——泉ヶ岳は無い。あの走り屋の達のナワバリは山の方かも知れない、でも夜の冬山に行くのはあり得ない。スキー場でもある泉ヶ岳はナイトスキーヤーがいて混雑している。ましてや放置してあった車ならタイヤもノーマル、四駆でも無い車はかなり目立つ。そんな証拠を残しながら奴が動く筈はない。

無計画すぎる……それに……。


 自転車を止めると、通い慣れた場所まで無意識に着ていた事に気がついた。ドラッグストアより手前にあるバレエ教室は、周りの建物から漏れた灯りにボンヤリと浮かびあがり、人の気配のない寂しげな空間となっていた。

一臣は携帯を取り出し流衣の番号にかけた。

……しかし出ない。 

 出てくれと願うように聞く呼び掛けのコール音は、カウントダウンの様に一臣の心に鳴り響いた。

10回で留守番に切り替わるコールは、またそこで切り替わり、一臣は電話を切ろうとしたが、音声が流れてこないことで、切り替わったのではなく相手が電話に出た事に気がついた。

「流衣!」

一臣が呼び掛けると、携帯から聞いたことのある不気味な笑い声が聞こえてきた。

『けけけっ、よー “泣き黒子” ひっさしぶり

 じゃ〜ん?』

ハイテンションの声が感に触るツマグロヒョウモンの声だった。

「流衣は何処だ?」

間髪を入れず一臣が問いただした。

『……おまえオレが誰か聞かねえのかよ?』

「梶竜二……10月7日産まれ。県立第二工業の機械科、3学年在籍中……」

『くくくっ。調べ上げてんな藤本、いや、ポリバレント、カミーニョさんよ』

 一臣は衝撃を受けた。

 梶が口にしたカミーニョと言う呼び名は、スペインでの一臣のあだ名。日本では知られてないが隠してるわけではない、しかし深く探らないと出て来ないものに加えて、どのポジションでも器用にこなす一臣の称号でもあった、ユーティリティと同意語のポリバレントを付け加えたことで、より一層強い執念が耳から伝わった。


——こいつ……。

〈カミーニョ〉はバルサのカンテラ(下部組織)のプレバンハミン(最年少クラス)にいた時に、コーチの〈マヌエル〉が日本人を指す〈カミカゼ〉と、スペイン語の〈子供ニーニョ〉を合わせた造語で俺につけたあだ名だ。

現地むこうではそう呼ばれてたけど……なぜそれを知ってる? 

それより流衣は何処だ。


 流衣の携帯で喋ってるという事は、流衣は梶の手の内に居る。だがその場にいるのか他の場所に確保されているのか分からない。明らかに部が悪いと感じる一臣は迂闊に次が出せない、相手の思惑にハマったら負ける……。

 走行中の車から時折聞こえるウインカーの音が焦ったく聞こえる。


『へっ。黙り込んだとこみっと、オレの方がリードしてるっぽいじゃん。凹んでるオメーの顔

見て〜! イケメンもかたなしだな、おいそう思わねえ?』

 誰かに話しかけているような口調、だが返事は無い、流衣の声もしない。代わりに数人の男の含み笑いの声がする。


——隣にいる……? 


『ふん。こうやって電話してるって事は、陽動作戦は失敗したんだな。最初から期待はしてねーからいいけどな、あの走り屋はどうした?』

「……寝てる」

一呼吸おいてから一臣が喋った。

『ふほほ、あの騒がしいガキがねんねしたか、大人しく寝たか?』

〈走り屋〉〈ガキ〉と称して名前で呼ばない、やはり梶にとって走り屋達は〈駒〉に過ぎないのだと一臣は確信した。

「利口で寝付きは良かった」

『ブハハハハッ。すっげ〜っ! 面白れぇな事言うじゃんよ、んじゃ寝かし付けたお前にいい事教えてやるよ』

馬鹿にし切った言い草を続ける梶。

「いい事?」

『お前の女には未だ手を出してねえ、……どうだ安心したか?』

「……」

 梶の発言に真実が感じられないのは、コイツのおちゃらけた言い方のせいだ、でもここで嘘をつくほど梶は馬鹿でもないと一臣は思った。

 梶の挑発に乗らないように、一臣は声のトーンを落とし静かに話しかけた。

「……流衣を攫った理由を教えて貰える?」

『んなの保険に決まってんだろ。お前を潰すためのよ』

「それなら、傷を付けたらその保険が効かなくなるのは分かってるよね?」

『……屁理屈こいてんじゃねぇ』

梶がイラっとしたのが電話越し伝わった。

『おい、梶』

その時、電話から梶を呼ぶ別の男の声が聞こえた。


——この声、グレイのパーカーの〈安原〉と呼ばれてた男の声だ。


 携帯の向こうで何か話してる、一臣は聞き耳を立てたが聞き取れない、やがて梶が電話口に戻ってきた。

『へっ! 優等生くんに、ポポポポーンッ、ビーンゴ・ターイムッ!』

梶が元のふざけた口調で喋った。

『オレらがどこに向かってるか、当てたら教えてやるよ。けけけっ、ほらよっ』 

くだらない質問答の後、携帯を誰かに向けて空間をよぎる音して、咄嗟に一臣はそれは流衣に向けられたものだと判断し声を出した。

「流衣⁈ 」

『女ならオレの真横にいるぜ』

しかし一臣の問いかけに返ってきたのは、またしても男の声だった。

『おい彼氏に “助けて〜!” っていえよ? あ〜彼氏じゃねーのか、お前らまだやってねーんだもんなぁ、へへへッ』

それはマサの声だった。携帯から少し離れた位置で話してる空気の抵抗感を感じる。携帯を流衣に向けているのか、緊張から来る不規則な呼吸が聞こえる。流衣に話しかけてるその話しの内容に憤りを覚えるが、それよりも流衣の存在を確認したかった。

「流衣……そこに居る?」

一臣は話しかけたが携帯からは何も聞こえない。でも流衣の存在を感じた一臣は続けて話しかけた。

「必ず行くから、もう少しだけ我慢して」

流衣に渾身の思いで問いかけた。

『……来ちゃダメ』

か細い流衣の声が聞こえ一臣は咄嗟に叫んだ。

「流衣⁈」

声から伝わる緊張と恐怖を押し除けて、来るなという流衣の真意を一臣は推し量れなかった。

『あたしひとりで大丈夫だから、だから、だから、来ないで! この人達の言う事聞いちゃダメ!』

『このアマ!』

『……ッ!』

 一臣が問いかける前に、梶の怒鳴り声と痛そうな呻き声が聞こえて、一臣は血の気が引いた。

「乱暴するな! 流衣は関係ない、放せ!」

『調子に乗んなよ藤本。おめえに決定権ねーだろが』

マサが高圧的に携帯から答えた。

「おまえじゃない。梶に代われ」

一臣は交渉できる相手を選んだ。

『んだと!? オレをおちょくる気か!』

役不足と判断された事を直感で分かったマサは、声を荒げた。

「代われ」

捨て駒と話す暇はないと一臣は声に力を込めた。

『……てめえ』

相手にされないてないと感じたマサは、怒りで携帯を持つ手がワナワナと震え、それを横で見て全てを感じ取った梶が、ニヤニヤとしながらマサから携帯を奪った。

『オレに会いたいだろう、カミーニョ』

「交換条件はなんだ?」

毒の含んだ弾んだ声の梶に一臣は交渉を始めた。

『おめえの泣きっ面に決まってんだろ』

梶は笑いながら、かつての無表情だった一臣を思い浮かべて、一番出来ないと思う事を要求した。

「お安い御用だ」

『……なんだって?』

一臣の返事は梶の予想を裏切った。

「泣きっ面でも土下座でもなんでもしてやる、だから流衣を無傷で返せ」

『へっ、おまえプライドねえのかよ』

「そんなもの……ひとの人生と引き換えにする物じゃない」


——流衣が無事に戻るのなら自尊心は要らない。

 コンクールまであとひと月という今、怪我は命取りになる、たとえ一筋でも傷が付くのは許されない、身体だけではなく心も……。

自分のこれまでの行為が、こんな形で帰ってくるとは思わなかった、でも今は後悔してる暇はない。


『……へぇ〜ん、悲っそっうか〜んっ、全開! 

今の必死こいてドヨってるお前の顔が見たかったぜ、んなにこの女大事なのかよ? 拉致って大正解、さすがオレ! 全くよ〜、今まで遊んだ奴の中でお前がいっちゃんおもしれーわ、へへっ』

梶は新しい遊びを思いついた悪魔のように笑った。

「……今どこにいる?」

一臣は梶の出方を探る為に端的に聞いた。

『ばっかじゃねーの教えるわけねーぁだろうがっ、オレらの行く場所を必死こいて探せや〜! 

 へへっ、カミーニョさんよ。おまえがアホ面でチャリ漕いでる間に、オレ様がこの女に穴開けといてやるからよ』

「!」

『いっちばん乗り〜。ヒャッホウ』

梶の笑い声と共に携帯は切れた。

 梶の汚い意味の言葉に、眠っていた何かを揺さぶり起こされた。

 流衣に好意を感じた事で一臣の壊れた感情の弁が動き、梶の言動で更に開いた。

一臣は溢れる怒りで身体が焦げそうなほど熱くなった。そして直ぐにスゥッと周りの景色が見え出した。


——そうだ落ち着け。

冷静に考えろ。

やつは言った。

『俺らの行く場所探せや』

奴らもまだ目的地に着いてない……。

……何処だ?

10人前後の人間が出入りしても目立たない場所。


あのゲーセンで話した女の子達のはなしだと、マサ達は走り屋達に馬鹿にされて、公道をまともに走れなくなってるらしい。そして梶の方は、警察からマークされてる……。

目立ったことが出来ない奴らが行く場所……。

内陸の公道は誰かしらの目がある、街中は論外。

被災地なら……誰の目も届かない。

梶なら選ぶかもしれない、けど、他の奴らにその場所に足を踏み入れる度胸があるか……。

被災しても被害者が少ない、もしくは居ない場所なら……。


 一臣はアタリを付けると向きを変え、東に向かって走り出した。


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