第29話 沈黙の裏側
素行の悪さで有名な梶のことを、渋谷もよく知っていた。一方的に痛めつけられてる走り屋達を遠目で眺め、触らぬ神に祟りなしとばかりにほっといたが、先日に警察からの電話の内容に思う見方が一変し、以前聞いてた梶との確執が気になりハクに電話をかけて来たのだ。
「渋ちゃんとこにな、警察から盗難車両の事で問い合わせがあって色々聞かれたってんだ、あのツマグロが養護施設の車乗り回してたらしくてな。あいつ……噂以上にヤバいぞ。ネカフェで揉め事起こしたり、カラオケに女連れ込んでヤったりな。しかも悪知恵が働くらしくてまだ警察の世話になってねぇ」
「……悪知恵」
以前に〈梶〉が外車にタバコの焼け跡をつけて笑っていた時、防犯カメラの位置を分かってて、仲間を盾にしてたことを思い出した。
「そう考えるとさ、あれから何もしてこねぇのおかしくねぇ?」
「確かに」
半年の不気味な沈黙が急にのしかかってきた。
——気味が悪りぃったらありゃしねえ。
梶という男を実際に見たハクは、蛭のような目つきを想像してダイレクトにそう思った。
——元々この辺に気合の入ったヤンキーなんか居ない。暴走族だって、せいぜい夏に爆音鳴らして走ってパトカーに追い掛けられるくらいだし、喧嘩上等の抗争なんか見た事ねーもんな、と言ってもオレが見てきたこの数年の話だけど、特に震災後は夏の族さえ出なかったしな。
ぶっちゃけこの辺りのヤンキーはただのファッションだもんな。
族とは毛色の違う走り屋は居る。ただひたすらスピードを求める奴らは、腐るほどある峠の取り合いに興味がないのは頷ける。ただ、どんな集まりの中にもはみ出す奴がいて、集団の大きさを強さと勘違いして虚勢を張る者と、行動理念が相容れなくて出る者。一番タチが悪いのは、梶のように人としての感覚が欠落して他人と組めない奴だ。
「中学の教頭を半殺しにしてもお咎めなしのやつが、おまえにしてやられたわけだろ? 恨んでねえわけがねえよな」
タバコの煙を大きく吸い込むと、なくなったタバコの葉の代わりにフィルターが焼け、煙の代わりに表現し難い気持ちの悪い味がして、咄嗟に唾と一緒に側溝に吐き出した。
——もし流衣と一緒の所を見られていたら、流衣の制服で俺の素性もバレてる……。だとしたら、学校に襲撃されてもおかしくないのにそうしない。
一臣はハクと同様に気味の悪さを覚えた。
——道理の通じる奴じゃない……ケリをつけるのに、アイツはきっと一番卑怯な手を使う。
だとしたら……
「危ねぇの、流衣じゃねえ?」
流衣の名前がハクの口から出た瞬間、知りたくなかった現実が落ちてきた気がした。
「オレやセキは気にすんな。……お前はあいつから目え離すなよ」
伏せ目がちにジッとしてる一臣に、ハクが注意するよう促した。
「……」
一臣が答えずに考え込んでいる。
「どした?」
唾を吐き出すために、何度も頭を振ったせいで髪が緩んだのか、ハクは髪の毛のゴムを外すと、黒いアフガンハウンド犬のように見えた。
「ハクにひとつ頼んでいい?」
髪の毛を手櫛でかきあげ結わえて整え、涼しさが引き立ったその顔を引き攣らせて、ハクは不安気に聞き返した。
「なにをよ?」
学校の渡り廊下を歩いて行く菊池は、補習授業のため実習室に向かっていた。
「おー、菊池」
廊下を曲がった瞬間、学年主任の佐市に呼び止められた。
「佐市先生。まさか先生が担当っすか?」
「おう、工藤先生が急用でな、オレでいいべ?」
ずうずう弁丸出しの佐市に、先生というより近所のおじちゃん感が出ている。
「すみません、面倒かけちゃって」
菊池は照れ臭そうにひょこっと頭を下げた。
「しゃーないしゃーない、折角就職決まったのに、出席の単位たんねえのダメだべ。それより目の方どうだ?」
「あ、なんとか0.1まで回復しました」
視力を合わせるためにかけてる眼鏡が、真面目な印象を与える菊池。
「おお、良かったな。やっぱし目医者の点滴効くもんだな」
「それ、点眼じゃないっすか」
親父ギャグなのか、ガチの間違いなのかわからず、苦笑いすること菊池。
「んだからそれな」
「ガチすか」
「なんだ馬鹿にすんのか」
「してないっすよ」
「お前らに気ぃ使われるようになったら、おしまいだなオレも……んで、視力は元に戻んのか?」
佐市は本題に戻った。
「オレ視力1.2だったんすけど、あと一ミリでもズレてたら失明してたらしいんで、0.1まで回復したのが奇跡っぽいです」
半年かけて0.01から0.1まで回復したのだが、これから先どこまで戻るかは分からないと医者に言われている。
「ああ、まずまず。眼鏡で対応できるのはいがったな」
「ブハハッ」
少しほっとしたようなセリフだが、佐市の田舎者イントネーションに菊池は笑ってしまい、佐市に睨まれる。
「あ、さーせん」
「就職先の社長も気にしねえみてえだしな……。暫くはバッティングセンターで遊ぶんじゃねえぞ」
「……気を付けます」
菊池はバッティングセンターで怪我をしたことにしていた。
バツ悪そうに身を屈めた菊池に、佐市は肩に手を回してグッと力を込めた。
「……もう梶には関わんなよ」
小声で言われた事に菊池はギョッとした。
「……」
「あいつとおまえはゴールが違うんだ。今のうちに手ェ切っとけな。オレが言うことわかるべ?」
梶が運ばれ、緊急手術したのと同じタイミングでの菊池の怪我は、教員達の間ではケンカの為だと予測出来ていた。警察沙汰にならなかったからそれ以上問いたださなかったが、それは梶以外の生徒を守る為でもあった。
「……はい」
共学の公立の工業高校だが全日制と二部生併せて九割が男子生徒な為、たまに殴り合いのケンカが起こる。が、それらは個人の範囲内なら教師の注意か説教で終わる。
「あ〜しまった。作業服ねえな」
佐市が足を止めハッとして顔を上げた。
「ロッカーじゃないんすか?」
「冬休みだから洗濯に持って帰ったの忘れった」
「マジすか」
教師は出勤だが学校は長期休みに入っている。
「持ってる先生いるか聞いてくっから、お前先に行っててくれ」
「あ、はい」
菊池は素直に返事した。
「あー、予備あったかな……」
佐市はブツブツと言いながら職員室に戻って行った。菊池は作業室に向かって歩き出だし、角を曲がるとそこに安原の姿を見た。
「よお、久しぶりじゃね?」
壁に寄りかかったまま話す安原に、厄介な奴に見つかったと思った菊池は、何も言わずに通り過ぎようとした。
すかさず安原は菊池の前に立ち塞がった。
「シカトかよ」
「なんのようだよ」
「梶がお前に用があるってよ」
「オレはないけど」
「ああ? ふざけんな」
安原は菊池の口ぶりにキレた。
「ふざけてねえよ。今田だって言ってたろ、オレらあいつの舎弟じゃねーかんな」
菊池も安原にキレそうになるが校内ということもあり抑えた。安原も同様に思ったのか、仕切り直すように呼吸を整えた。
「あの〈泣き黒子〉覚えてるか」
「ああ、それがどうした?」
菊池は話を切り上げるタイミングを探りながら話す。
「あいつとのケリをつけるために手を貸せよ」
「ケリ……俺はもう別に……」
就職が決まり卒業を控えた今、他校生との確執などどうでも良かった。やられたのが余程気に食わなかったらしく、泣き黒子に拘ってるのは梶達だけだ。
「なんだよ、やられて悔しくねえのかよ? お前の目がそうなったのだってあの野郎のせいだろ?」
説得してるような安原の態度。
「そりゃそうだけど、その前に俺らの方が無抵抗のあいつを何回かボコってんだから、それ考えたらおあいこじゃね?」
「……んだよそりゃ。怖気付いたのかよ」
「だからそんなんじゃ無くてさ、今田と後藤とも話したけど、バット持ってたの梶だろ? しかも5対1なんだからこっちの方が部が悪いじゃねーか」
「向こうだってあのデカい奴加勢に来たじゃねーかよ」
「にしたって5対2でやって負けてんのに、リベンジって、ガチでダッセーじゃねーか!」
「……それ梶に言えよ」
ドキッとして、菊池は黙り込んだ。
「あの〈泣き黒子〉野郎の女を拉致んのに人手がいるんだ、手伝えよ」
「は?」
菊池は耳を疑ったが確かに拉致と聞こえた。
「女ってなんだよ、拉致ってどうすんだよ」
「野郎に痛い目見せんのに最適だろ。あいつ殴られてもこたえねーし、赤嶺がそのぐらいしねーと、ダメだって言ってるしな」
「赤嶺? 誰だそれ」
「うちのクラスの奴。泣き黒子を恨んでんの梶だけじゃねーんだよ。奴を徹底的に懲らしめねーと気が済まねえ奴な。自分の女が目の前で
安原は別に面白くも無さそうに喋った。
「ふざけんな。それ聞いて手伝うわけないだろ」
気持ちが悪くなり話を切り上げ、行こうとする菊池の後ろから安原は話しかけた。
「……菊池さ、確か妹いたよな? 高一の」
ギョとして足を止めた。
「んだよそれ」
「どうもこうも、梶が本気で怒ってっから、しょうがないんだよな」
「梶とうちのブスになんの関係あるんだよ」
「拉致んの手伝わねーなら、お前の妹が代わりになるかも知んねーって話だよ」
「ふざけんなって!」
全く筋の通ってない話の上に犯罪に手を貸せと脅迫されて、菊池は吐き気が出そうなほど胸糞悪くなった。
「それは梶に聞けって言ってんだろ」
自分はどっちでもいいと態度に出る安原。
「……うぜえブサイクがどうなろうと、知ったこっちゃねーよ」
話を打ち切ってそのまま足を進めた菊池だが、梶の顔を思い浮かべたら数歩歩くと足が止まった。
「……手伝うって……なにすんだよ」
ブスで生意気な妹が可愛いと思ったことはなかった菊池だが、見捨ててしまえるほど家族の情がないわけではなかった。
「先ずは奴に邪魔されないように誘い出して……」
予想通りの展開に安原は乾いた笑いで菊池に向け少しずつ語り出した。
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