第28話 聖夜の足音

「おう、来たなアイアンマン」

ハクは流衣を見た瞬間に軽口をたたいた。

「アイアンマン?」

なにそれ? と流衣が聞き返す。

自転車を降りて、裏口から入って来た一臣と流衣は、ハクに続きカウンターでコーヒーを飲んでるセキも視界に入った。マスターの姿はない。

「セキ。今日はお仕事お休み? 珍しいね」

バイトが休みの時は『時玄』でダラダラコーヒーを飲んでるセキ。しかし建築業でのバイトで土曜日に休みなのは珍しく流衣が話しかけた。

「あー、世間的には三連休だからな」

12月23、24、25日は、金土日にあたっていた。

「なるほど、でも……何でそんなに疲れてるの?」

なんだか覇気のないセキをみて流衣が聞く。

「ブッ」

突如ハクが笑った。

「気にすんな。コイツ一晩中床直す夢見っただけだから」

ハクは笑いをこぼしながら喋る。

「うっせえな」

セキはハクの笑い方が感に触る。

「ご苦労様」

一臣がさらりと労いの言葉をかける。

「床を直す夢……?」

流衣は不思議に思う。

「いやそれよりさ、昨日なんでお前だけ足音しなかったん?」

「足音……それトウシューズの事かな?」

これ? といって、昨日履いてたシューズを取り出して見せた。

「他の女子はすげ〜音させてたじゃん? けどお前はあの王子とコンビニや、男子共と同じくらいだったわ」

「コンビニってなに?」

「そこスルーな」

ハクが笑いながら流衣を促した。

「んー。あたしのポアント途中で柔らかくなってダメになっちゃったから」


——そのあと新しいのに履き替えたから、音はしてる筈だけど〈春の精霊〉はジャンプが少ないから気にならなかったのかな。


「柔らかくなるってどんなんよ?」

「男の人が履いてるのバレエシューズで、柔らかい皮で出来てるの、女子のシューズは生地を何枚も重ねて作ってあって、ポアントで立つから先が固めてあるんだ。こんな風に」

流衣が手に持ったトウシューズの先を指先で突いてコンコンと音を立てる。その説明を聞いてるうちに、ハクが怪訝な顔をする。

「……前から気になってたけど、ポアントとトウシューズってなにが違うん?」

「え?」

流衣も改めて言われて使い分けてる事に気が付いた。

「英語とフランス語の違いじゃない」

一臣が答えた。

「そうなん?」

「あ、そうかも……でも、本体をいう時トウシューズで、爪先を使う時ポアントというか、使い方で分けてるというか……」

感覚的に使い分けてた流衣は微妙過ぎて説明しずらい。

「何で統一しねーの、めんどくねぇ?」

「え〜と、なんていうか……お米とご飯の違い?」

言ってから、流衣はそう考えるのは自分だけかも知れないと思ったが、他に思いつかなかった。

「あ〜あ……」

何となく納得するハク。

「それでね、爪先はノリで固めてあるんだけど、布で出来てるから、履いてるうちに柔らかくなっちゃうの」

「そういやさ、接着剤入れてたよな、そのシューズに」

「うん。でもそんなに変わんない、百均の接着剤だからかもしれないけど」

気休めに近いかも、と流衣は思った

「百均でも接着剤の質は変わんないと思うけど。むしろ百均のは量が少ないから割高だし」

瞬間接着剤はホームセンター等で買うと、25グラム398円。対して百均は5グラム100円。

「えっそうなの?」

安いから長く持たないんだと流衣は思っていた。

「だよね?」

一臣はセキに向かって聞いた。

「まあな。大事なのは接着剤の質より、使い方と材質だな」

「よっ。専門家」

ハクが囃したてる。

「茶化すんじゃねえ」

接着剤の授業があるわけではなく、あくまでも応用なのだと言うのがめんどくさいセキ。

「んで、どうすりゃ保つんだ、これ?」

トウシューズを見ながら、昨日のコーティング話が再炎上するハク。

「アルデコは効く?」

瞬間接着剤をアルデコで固めるやり方はどうなのかと一般知識で聞く一臣。

「そりゃ、硬化促進剤で速く固めるだけで強くなりはしねぇよ。靴の中じゃ湿気もあるし、布に対して効果はねえな」

ガチ工業系男子。

「布用の接着剤ならいけんの?」

「接着ならな。けど硬化はしねえよ。固めるのが目的ならむしろパテだな」

「パテ……2剤の? 液体と粘土とゼリータイプ有るけど」

2種類の液体を混ぜて固める接着剤は強力である。

「エポキシはな。木部用でもいけんだろ、水廻り用なら完璧だな、ゼリータイプなら金属でもいけるしな」

エポキシも2剤である。

「なんか5年くらい使えるシューズになん

 じゃね?」

「10年はいけるな」

言い切るセキ。

「えーと、……今ノ会話ハ日本語デスカ?」

内容がトンチンカンな流衣がやっと口を挟んだ。以前同じようにサッカーの話で盛り上がってた男子を横目で見ていた事を思い出し、まだサッカーの方がわかる単語があったと、宇宙人的疎外感が襲う。

「でも、強度はそれで増すけど、完全に固めたら、動きのある靴には向いてないかも知れないし、毎日履いてたらサテンの生地の部分が破けて、結局は持たないんじゃないかな」

一臣がトウシューズを眺めて結論を出した。

流衣は一臣の説明で、三人の会話がシューズを固める話だとようやく分かった。

「うんそうなの……柔軟性がいるから、堅過ぎてもダメなの」

「そういうもんなん?」

「うん。あたしは先の部分をちょっと補強して、甲出しをする為に底のソールを踵位置に合わせて切るだけだけど。ひとによっては足の入るボックス部分をかなり潰しちゃう人もいるし、ソール部分も一回取っちゃてから付け直す人もいるし、ギリギリまで柔らかくしちゃうひとの方が多いの」


——ドゥミポワント(踵を上げた状態)はレッスン中に柔らかくなるの待つから、買ってすぐゴムとリボン取り付けながら軽くシゴくだけなんだよね……。


あくまで実践で慣らすのは、不器用な為に加減がわからなくてやり過ぎて取り返しがつかなくなるより、レッスンで履き慣らす方を選んだ。というのが流衣の本心。足に馴染むまでの違和感はそういうものだと納得済みだった。

「真っ直ぐに立ってぐるぐる回んなら靴は硬い方が良さそうだけどな、フィギュアスケートみたいにさ」

「うーん……氷は水平だからいいと思う。……でもヨーロッパの劇場には傾斜がついてる所があるから、靴を固めすぎると対応できなくなっちゃうからなんだと思う」

やはりバレエはヨーロッパ基準なのだった。

「傾斜って坂道? なんでんな事になってんの、嫌がらせなん?」

「嫌がらせ?」

ハクの疑問が疑問な一臣。

「お客さんが客席から見えやすいようにって聞いたけど、ローザンヌの劇場は3.6度の傾斜がついてて、ヨーロッパのバレエやオペラの劇場は大体その位の傾斜があるみたい」

流衣の話を聞いた一臣は軽く眉を顰めて、すぐさま聞き返した。

「3.6度……舞台の奥行きは何メーター?」

「えっと、確か14か15メーター? だと思う……」

「だとしたら、50センチの高低差があるけど」

一臣がザックリと計算した。

「50……そんなに!?」

流衣は実際にセンチで言われて、今までのイメージがガラリと変わった。


——出場者のコメントに、劇場の傾斜が一番大変だったって書いてあった。行ってみなきゃわかんないと思ってたけど……50センチ!?

それビー玉が転がるとかのレベルじゃないよね⁈


「それだけ高低差があれば、昨日と同じ踊り方だと転ぶかも知れない」

「転ぶ……」

流衣はゾッとした。

「道路標識の10%は6度だったかな、10メートル先が1メートルが上がるくらいなら、車ならなんでもねえけどな」

セキは教習所の授業を思い出した。

「踊る時の移動や回転ならその場で踏ん張れば済むけど、ジャンプの着地は角度が分かってないと絶対に滑って転ぶ。それを避けるために力を入れたら、間違いなく膝がやられる」

「ええ、そんなっ」

一臣の説明を聞いてて、流衣は恐怖を感じた。

「それやべーじゃん。練習出来るとこねーの?」

「あるよ」

サラッと言う一臣にみんな一斉に振り向いた。

「うそっ、ほんと?」

流衣は期待に満ちた目で見た。

「どこよ?」

ハクは疑心に満ちた目で見た。

「樺町小学校の体育館」

「は?」

「小学校?」

「なんで?」

「体育館は震災で地盤沈下して真ん中がかなり凹んでる。流石に50の高低差は無いけど、感覚を掴む為ならいけると思う」

「そこ避難所だったよな、それに学校の体育館とか勝手に使えねーだろ?」

被災者が使っている小学校の体育館。

「使えるよ。先月、校庭の一部に仮校舎が出来て小学生が戻って来たから、それに合わせて被災者は体育館を明け渡す為に他の場所に移ったし、土曜日は一般開放してるから、子供じゃなくても同じ学区の人間なら使えるよ」

「本当に? それ凄い!」

流衣は目が希望の光で輝きだした。

「お前それどこのなに情報よ? 神過ぎね?」

「どこって、回覧板だけど」

一臣の神情報は町内会の連絡網。

「はあ?!」

情報元が身近過ぎて三人はこけそうになった。


——そういえば。震災前は良く隣のおばちゃん家に持ってったけど、いまのうちに来てないなぁ


 回覧板が来てないことに初めて気がついた流衣だが、アパートは大家の自治体の加入の仕方で回覧が変わるのを知らない。

「お前は主婦かよ?」

エプロンを付けた小学生が回覧板を回す姿が、ハクの頭にこびり付く。

「うちの親がよく忘れるから、昔から俺の仕事だったんだけど」

郵便受けに回覧板が入ってたら、ハンコをついてお隣さんの郵便受けに置いてくるのが、一臣の唯一の家のお手伝いだった。

「ブッ!」

「やーもーっ嘘みたい」

セキも流衣も笑い出した。

「そうじゃねーわ。ハンコついて回すのは分かっけどな、なんで中身も読んでんの?」

そこがいちばんのポイントだとハクは突っ込む。

「工事の為の迂回路とか、廃品回収の日程、伝え忘れると怒られるから」

「へ?」


——怒られるって、あの優しそうなお母さん怒るの⁈ それに怒られて落ち込んだりする臣くんって……。


流衣は母親に怒られないように、回覧板をチェックしてからハンコをついて隣の家に持って行く、小学生の一臣を想像したらおかしくなって、たまらず吹き出して笑い出した。


「ンププッ。あ、もうむりっ。キャ〜ッヤ〜ッ」


流衣が大爆笑し始めたので、店の中は女子校のような雰囲気に変わり、乗り遅れたハクたちは煙草に逃れる。


「やべっ、もう11時か。マスターかえってこねーし、そろそろランチ用のスープ作っとくか」

おもむろにハクが立ち上がって、自分のコーヒーカップをカウンター越しに流しに置いた。

「んの前にビールケース表に出すの手伝って

 くんね?」

一臣に向かってハクが言うと、慣れた様子でカラビンの入ったケースを運び、ふたりは外に出た。

「ん?」

まだ、笑いが収まり切らない流衣は、自分のカバンの中から普段静かな携帯のバイブレーションが聞こえて来て、何事かと中を探った。


——あ、ドラッグストアの店長だ。今日シフト入ってないけど……なんだろう。


流衣は目の前のセキが、我関せずと煙草を吸い出したのをみて電話に出た。

「もしもし」

『もしもし。店長の鴫原です。狩野さん?」

「はい。狩野です」

『あのさ、急で悪いんだけど、明日シフト出れる?』

「明日は、ちょっと……」

自主練習は1日も休みたく無い。

『ああっと、午前か午後か、どっちかでも良いんだ。実はさ、小斎さんの親御さんの遺体が見つかってね……彼女の実家、閖上ゆりあげなんだけど』

「え……」

小斎は医療従事者資格のあるパートさんで、店長と同じキャリアの女性。その人が自分の住んでいた荒浜と同様の沿岸で、漁港のある閖上はより被害の大きい場所。そこの出身者である事を今まで感じさせなかったことが流衣には驚きだった。

『DNA鑑定の結果が出て判別したみたいで、彼女残された一人娘ひとりっこだから、遺体の確認をしに安置所に行かなきゃならないってさ、多分そのまま葬儀になるみたいだから暫く休むって。なんせ急だし日曜日は誰も捕まらなくて、明日だけ何とかならないかな?』

一人娘という言葉に流衣はドキッとした。

「えっと、……午後からなら……」

午前中にレッスンすれば良いと流衣は思った。

『午後? じゃあ1時から6時までお願いできるかな?』

「6時まで……はい、分かりました」

『明日よろしくね』

「はい」

流衣は携帯を耳から離して通話を切ると、ぼんやりと考えてしまった。


——ひとりっ子……。お父さんとお母さんに何かあったらあたしが確認するのか……。


両親との別れはまだまだ先の話のようでいて、身近にこれだけ〈死〉が有ると嫌でも考えてしまう。震災後はそれを肌で感じて暮らしていた。たとえ流衣のような夢だけ見ていられる年若い者も子供でも例外はないということが、現実の厳しさである。


「……トウシューズ、もう一足追加出来るかも」


バイト代でトウシューズを増やせる予感に心が湧いてきて、流衣の心は楽しい方向に切り替わった。


 店の裏口の横にハクがビールケースを置くと、一臣はその上にケースを重ねた。

ヒョロ長い体を背伸びさせ、髪を結え直し煙草を咥えたハクに一臣は話しかけた。

「終わり?」

「ん、サンキューな」

空のビールケースを3ケース置いただけの、ひとりでも出来る作業に一臣は違和感を覚えた。

「俺に話があるの?」

一臣に問いかけられ、どう言おうか出だしに困った顔をしたハクから、普段のおちゃらけた表情が消えて眉間に皺が寄った。

「……渋ちゃんから電話あってさ」

久しぶりにその名前を聞いたと一臣は思った。

「あの時の走り屋ども覚えてっか? 黒のライダースーツに殴られた3人」

「うん」

ひとりはゲーセンで会った、後のふたりはあの日以来見てない。

「その3人がな、ちょっと前に、あのツマグロと会ってたの見たっつうんだよな」

「え⁈」


——あのタチの悪い〈梶〉と?


蛭のような梶の顔が不吉な悪魔のように浮かび上がり、痛い雨をもたらす暗い雲が湧き上がるごとく、一臣の胸に広がり心を揺さぶり始めた。




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