第24話 12月の春

「虫垂炎⁈」

『そうなんです』

日野は陽菜の病状を聞いて素っ頓狂な声を出した。

虫垂炎ならば今日は踊れる状態ではない。

あの後の経過を聞くと、病院に到着したものの急患が沢山いて、検査までに時間が掛かった事、ようやく先生が来て、エコー検査をしたら虫垂炎であることが分かり、病名が発覚した事で、今は点滴で落ち着いた事。

『まだそこまで炎症が酷くないので、薬で散らせることが出来るそうです。入院しなくて済むみたいなので、点滴終わったら今日中にお家に帰れるそうなんです』

「帰れるのね。良かったわ、大事に至らなくて。香緒里先生ご苦労様」

『大丈夫です。それより、今から陽菜ちゃんのお父さんが荷物を取りに行くそうなんで、まとめて入口まで出て待ってて貰えますか?』

「分かったわ。正面の方で待ってるって伝えてちょうだい」

『分かりました。よろしくお願いします』

「香緒里先生も、戻る時気をつけて、それと、陽菜ちゃんのお母さんに〈お大事に〉って伝え貰える?」

『了解でーす』

安心したのか香緒里も声の明るさを取り戻していた。

日野は携帯を切ると、大きくため息を吐いた。


——盲腸か……可哀想に、アレはかなり苦しいのよね、盲腸だって腹膜炎を起こす危険があるから、甘くみちゃ駄目だもの、手遅れにならなくて本当に良かった。


日野は肩の荷を下ろして、陽菜の荷物を取りにリハーサル室に向かった。途中経過が気になりながら廊下を歩いて行くと、客席に続く中列の出入口のドアから歓声と拍手が薄っすらと聞こえ、ぎょっとしてドアに手を掛け隙間から様子を覗いた。


——大変! マズルカ始まってる!

最後に流衣ちゃんに花束渡すのに……間に合うかしら!?


日野は陽菜の父親が早く到着することを願いながら、慌ててリハーサル室に向かった。


〈眠りの森の美女〉の舞台は大団円の様相を呈して、マズルカは大きな盛り上がりを見せた。第三幕に出演したキャラクター達は、本番の緊張感から解放され、伸び伸びと舞っている姿が可愛らしく客席に映った。取り分けブルーバード、狼、長靴を履いた猫の男子が三人で飛び出てきて、一斉にザンレールをする姿は拍手喝采。それに負けずにフロリナ、赤ずきん、白猫が走り出て、それぞれのお得意のポーズを取ると、客席に向かって軽快にフェッテターンを繰り出した。客席から手拍子が出て、ノリノリの状態でラストまたまたお得意のポーズを取った、客席は大きな拍手で応えた。順当にキトリ、エスメラルダが出て踊り、次は流衣達の出番。四人のコーダのラスト部分と同じく、ピルエットWをウェーブの様に一人ずつ決めていき、最後の光莉のターンでそれを折り返した、流衣が回転を終えると四人がスカートをフンワリとなびかせ一斉に膝を着くポーズをピッタリと決めると、その所作、息のあったタイミングに客席は惜しみない拍手を送った。

立ち上がると四人は同時に〈リラの精〉の美沙希を迎えるべく手を向けた。

美沙希は仲間に称賛される形で舞台に出ると、ブレない六回転のピルエットを余裕で決めると、客席から怒涛の歓声が湧いた。


「あーあ」

カーテン越しに見てた秋山が声を出すと、スタッフの一人の古川講師は、気になり声をかけた。

「何です? 秋山さん、そのため息」

スタッフの講師が話しかけた。

「美沙希さん、やっちゃったよ。しかもアンオーで。プライド高いなぁ」

手を上げて回る、高度で派手な技を見せ付けることで存在感をアピールし、主役に取って代わる勢いの美沙希のプライドと度胸に秋山は感服する。

「六回転しちゃいましたね。最後だし、まあ乃亜ちゃん気にしないから、大丈夫ですよ」

「オーロラの子? ……へえ、余裕だね」

やはり美沙希がSスタジオのトップだと認めているのだと秋山は頷いた。

「よくいうじゃないですか、金持ちケンカせず…… って」

古川がアッサリと言うと、秋山はそっちの余裕なのかと妙に納得した。

「あ〜なるほど。それなら気にしないか」

と言って興味のない話題を切り上げて、舞台に目を向けた秋山。その視線は話題のオーロラ姫ではなく、金田に注がれていた。


——先輩……年寄りとか自分で言ってるけど、踊りはまだまだキレはあるし、コンテだって出来て、 もっと大きなバレエ団で活躍出来るのに、何で

こんな田舎にいるんだろう。

こうして見てみると、オーロラの子が主役張れるのは先輩ありきなんだな。

「ここでひとりでなんて……勿体無い」

「えっ?」


——ひとりが勿体無い? って私の事? 

     だって……他に誰もいないわよね。


 古川はキョロキョロと辺りを見渡し、今は二人きりである事を確認すると、独り言を呟いた秋山に、自分のことを言われたと思いドキドキしてしまう。

 秋山は生徒としてレッスンを受けていたバレエ団で、金田は既にベテランの域の団員で、女子から人気が高かった事を思い出し、今更ながら納得した。秋山が郷愁に駆られていると程なくして、舞台は終焉の幕を下ろして眠りの森の美女は終わりを迎えた。


秋山は携帯で時間を確認してから、深刻な素振りで側にいるスタッフを真面目に見つめた。

「古川さん」

「はい」

秋山に見つめられた古川はドキッとして、手に持つ進行表を握りしめた。


——まさか、秋山さん私の事好きなんじゃ……。以前来た時に練習相手しただけなのに、でも……他の人と踊るより明らかに気が合ってたけど……!


「僕さ、この後のアンコール出たら新幹線の

時刻に微妙だから、今のうちに言っときたい

んだけど……」

言いずらそうに一旦目を伏せる秋山に、更にドキリとした古川は期待値が上がり落ち着かなくなった。 

「私にですか……?」

——まさか……告白!?

動悸が激しくなり古川は手に汗握る。

「花束処分してくれない?」

「私もです!」

「は?」

「え? 花束……え⁈」

お互い何のこっちゃ的な顔を見合わせた。

「そう花束。舞台で貰うでしょ? 邪魔だから置いて行きたいんだけど、楽屋に置くとこも無かったし預けて良いかな」

大概は花を置く場所があったり、誰かに預けたりするのに、今回はそのことを話す機会がなかった。黙って置いて行ったら失礼だと思い、目の前のスタッフに頼んだのだ。

「あ、あ〜と。ですね。そりゃ邪魔ですよね! 何だー……ははは……」 

恥ずかしい勘違い、落胆ぶりも隠せない、彼氏いない歴そのまんま25歳古川きよみ。

目の前で身をくねらせているスタッフ講師の動きが気味悪く感じた秋山は、スタッフから少し距離を置いた。


 幕が降りた舞台。照明の調光が段階的に明るくなっていく。周りの人たちの顔が確認できる様になって、ざわざわとし出す客席。

そこへ、閉まっていた幕がスルスルと上がっていき、皆が何事かとそちらに気を取られると、バレエの場である事を思い出させる様に、舞台上に主役のふたりが小走りに出てきた。先ほどの興奮が蘇り一斉に歓声と拍手が湧き上がる。

アンコールとも言える登場人物紹介が始まった。

名前を呼ばれ握手で迎えられると、前に進み出て礼をする。

続いて〈リラの精〉〈宝石〉と次々と出演者の名前が呼ばれで行く中、流衣は幕の影でみんなとは違ったドキドキ感に包まれていた。

いよいよ名前を呼ばれて4人で手を繋ぎ舞台に出ると、大きな拍手出て迎えられ、手を繋いだまま愛嬌を保つてお辞儀する。


「あ、あれみっちゃんのばばちゃんじゃない?」

顔を上げた瞬間に、前から三番目の席に理子の家族が見え、柚茉が一歩下がった所で理子に耳打ちする。

「ほんまや、どんだけ前に居んねん……」

前方の席でスタンディングオーベーションしてる姿に恥ずかしかったのか。理子は上げた頭を瞬時に下げた。

早くきて並んだことが伺える、全席自由席。

「横に居るの柚茉ンちやし、後ろに居るの光莉ちんのママやない?」

「本当だ〜!」

光莉は理子とは逆に母に手を振った。その隣に祖父母が居たのだが、理子の家族の影になって見えなかった為、朝の怒り続きは起きない。

みんなが家族を見つけて盛り上がる中、流衣は会場中を見渡した。一臣達の姿を探したが、居るはずの場所に見当たらない。もう一度全ての席を舐める様に見渡したが、やはり見当たらない。


——居ない……。

もう帰っちゃったのかな、あたしの出番……見てくれたかな。


心の中に寂しさを感じ一抹の不安も覚える。


——あたしの出番終わったから、他のお客さんと被らない様に外に出たのかな?

まさかの別人だったとか、本当は来てなかったとか無いよね⁈

……や、違う、大丈夫。光莉ちゃんが見間違う筈ないもん、きっと。

      うん、見てくれた! 

……見てくれたんならそれだけでいいや。


ちゃんと見てくれたはずだと、自分に言い聞かせた。

流衣にはそうする理由がある、そう長く気落ちしてられない。

客が花束を抱えて、舞台の直ぐ下まで集まって来ているのだ、続々と増えていく人達に、流衣は引き時を考え始める。

 出演者の紹介が終わると、主役のふたりにスタッフから花束が渡され、会場から暖かい拍手が湧いた。

そして王子が、金田が会場内を拍手をする様に煽り初めて、大きく手を回して秋山に出て来いと求めた。

招かれた秋山は、勢いよく出てくると、紳士然とした中世の騎士の様に挨拶した、衣装とは違うスーツ姿の秋山に四方から歓声と悲鳴が飛び、会場は盛り上がった。

その姿を傍で見ている流衣達は、感心しつつ拍手して、盛り上がりに一役買った。


——わ〜、さすが秋山さん。


——だよね〜。プロだもん。


——めっっちゃ、猫被っとるやん、クサヤ。


——こうしてみるとカッコいいかも……。


四人の女子には、踊る姿より踊らないスーツ姿の方が良く見える男子に変化していた。


斎田代表から大きな花束を渡されると、今まで以上に笑顔を向ける秋山に、会場から絶大な拍手が鳴り響いた。そして秋山は時間だと周りに訴えると、手を振って拍手に送られて退場して行くのであった。それを見た何人の女子が秋山を見送ろうと、その後に続いて会場から波が引くように追いかけて出て行った。

 追っかけと、既に席を立った人達を合わせると、結構な人数が居なくなり、閑散とするのだが、会場内の空気は身内だらけ良く知った状態になり、緊張感がなくなった。すかさずスタッフが美沙希〈リラの精〉に花束を渡し美沙希が綺麗なレベランスをすると場内から声援が飛んだ。

そこへ、花束を上にあげてゴソゴソと年配の女性が舞台に近づいて来て大きい声で叫んだ。

「理子〜、めっちゃべっぴんさんやったで〜!!」

理子のお婆ちゃんである。孫の勇姿に堪らずに舞台下から大声を出して手を振った。

「も〜、おばあちゃんっ、やめて〜な〜!」

恥ずかしがってる理子に会場内から笑いが起こった。ここでかしこまったムードが一変し、和やかな雰囲気に切り替わった。舞台下から花束を渡そうとするお婆ちゃんに、周りが気を遣い道を譲り、前方の理子の真ん前までやって来て大きな花束を差し出した。

「ほら、綺麗やろ? 奮発したんやで!」

「何で黙って渡せんの?」

理子とお婆ちゃんのやり取りに、皆んなどっと笑い出してしまった。それを皮切りに、待ち侘びていた友人知人達から舞台上のダンサー達に花を渡し始め、一気に花束譲渡会の会場に変わった。


「美沙希〜!」

美沙希の同級生が何人か、手を振って呼びかけた。

「翼!」

気が付いた美沙希が近寄ると、友人は代表で花束を渡した。

「良かったよ」

「最後のターン凄かったね〜!」

「ラストのアンオーでの2回転! 神だよ!」

「伊千夏も加菜も、杏果も、いつもありがとう〜」

美沙希は喜んで、いつも発表会を見に来てくれる友人に、舞台上から身を乗り出してハグしに行った。

「出た、ゴールデンコンビ!」

千尋はよく知ってる美沙希とその友人達に向けて言った。

「ゴールデンコンビ? 」

ユズは何のことが分からず聞き返すが、直ぐに思い当たって声に出した。

「ミサキとツバサかー⁈ 」

千尋が横で笑っていた。


出演者の中には舞台から降りて客席に行って話し込んでる者も多数いる。客席はカーペット敷きなのでトウシューズのまま気にせず歩く子もいる。

いつの間にか光莉も柚茉もその中に居た。

「おねー。頑張ったじゃ〜ん」

柚茉に向かって茶髪の女子が口を開いた。

「あんたはなんでいつも上から目線なの?」

「ん? 柚茉っちの妹なん? えらいちゃうな」

花束を母に預けようと理子も舞台から降りて柚茉の隣にいた。理子が初めて見る柚茉の妹に驚いた。どう見てもギャルである。

「あー、関西弁! 

    これが噂のみっちゃんチャン?」

「あんた敬語使いなよ」

いつもゆったりしている柚茉が、お姉さん顔になりタメ語を使う妹に注意した。

「どんな噂しとんねん」

言葉使いより理子はそっちが気になった。


「光莉ぃー。良かったよ」

「ママありがとう!」

光莉のママが光莉に近寄りすぐさま誉めた。

「さすが俺の孫だな、一番めんこかったぞ」

「おじいちゃんたら、ジジ馬鹿なんだから」

そう言う祖母も嬉しそうに光莉を眺めて頭を撫でた。

「本当だぞ。衣装も似合ってるしな。スカートが長えからパンツも見えなかったしな」

「も〜! おじいちゃん! そんな話しないで!」

光莉が真っ赤になって怒った。

「まあそう怒らないの。それより流衣ちゃん凄かったわね。急な代役だったんでしょ?」

光莉のママが会場の盛り上がりを一人で買っていた流衣のことに話を振った。

「そうなの! 流衣ちゃん大変で……あれ? 流衣ちゃんどこ?」

光莉は辺りを見渡したが流衣の姿を見つけることができなかった。


「ミッションクリア」


流衣はどさくさに紛れてその場を脱出する事に成功し、楽屋の入り口まで来て立ち止まった。スタッフが舞台の裏手側から通路にかけで片付けで動き回ってるが、出演者は舞台に集まってるせいで、楽屋にはまだ誰も帰って来ていない。


——今のうちに着替えちゃお。

 

ひとりでいるのは慣れていても、花束に埋もれた人達を手ぶらで見るのはキツイ。

自分だけ時間が止まっているような疎外感。

家族に誉められてる皆んなを見るのも、流衣には辛かった。

 羨ましくて仕方がない自分を押し殺す。

「……も、歌っちゃおうかな……」

流衣はドアの取手を持ったまま、動きが止まっている事に気が付いて我に帰った。

「違う違う、着替えるんだった。……と、あれ?」

 ガチャガチャと取っ手を回して押すが、

ドアが開かない。

「なんで開かないの? 鍵閉まってるの?

        ウソだぁ! 回すんだよね??」

ノブを回してる手に力が入り、ガチャガチャと音を立てていたが全く開かない。どうしようと思って手の力を抜いたら、スッと扉が手前に開いた。

「あ……」


——やだ、これ引くドアだ。

何で押してたんだろ……馬鹿みたい……。

メイク落とすとのっぺらぼうで、脳みそは真っ白しろスケだし……情けな。


流衣がドアに向かって、自分にため息をついた。


「流衣」

 

空間に響く一臣の声。

        空耳かと思った。


「臣くん?」


 振り向いた視線の先に、通路を歩く一臣の姿があった。自分を見ながら真っ直ぐに向かって歩いて

来る。


別世界のバレエの世界から元の現実に戻り、一臣が一歩ずつ近づくたびに、寂しさから嬉しさに、徐々に心が埋まっていく……。


——臣くん……なんか落ち着く……。帰ったと思ったから今日会えるなんて思わなかった、でもでも、がっかりからのこの浮き浮き感、わざとじゃ無いこのたまたまツンデレ感……。やーんもう、楽しい。んふふ。でもなんでここに来たんだろ、手になにか持って……。

 

流衣は自分勝手な無意識ツンデレ解釈にひとしきり萌えた後。一臣の顔をを眺めていた目に、その視界に手に握られた花束が映り、衝撃が走った。


——臣くん……それ……

……なんでお花持ってるの……!?


流衣は困惑して動揺し、脈打つ音が耳元で聞こえ、瞬きするのも忘れ、流衣の眼は一臣を見続けた。


——まさか、そんな筈ないよ。……だってあたし何も言ってないし、臣くん達バレエの発表会知らないし、お花なんて……臣くんだったらいるかどうか聞いて来るし、聞かれてないし……。


流衣が、否定と肯定が頭の中でとぐろを巻いてる間に、一臣はほぼ目の前まで近づいて立ち止まると、流衣が凝視している物に気が付き、思い出したように花束を流衣に向けて差し出した。

「これ」

主役のふたりに負けないほどの大きな花束が、自分に手向けられた事に、流衣は嬉しくて顔が歪んだ。


——……本当に……?


「あたしに?」


自分だと分かってても確認したかった。

顔を上げて一臣を見ると、一臣は一呼吸置いてから返事をした。

「……先生から」

一臣は来る途中で日野に捕まり、流衣に渡して欲しいと頼まれたのだった。


一臣の一言で、流衣は全てを理解した。


——……先生が? 

……先生……分かってたんだ。

   知ってて……黙っててくれたんだ! 

あたしが発表会を断ってたの事、お金の事だけじゃなくて……悲しいからだって……。


 ……ありがとうじゃ足りない思いが、言葉に出来ない感動で胸が熱くなった。

こっそりと花束を用意してくれた日野にも、断らずに手渡してくれた一臣にも、いつも理解してくれる美沙希や、柚茉、理子、話し相手になってくれる光莉、自分以上に気合いを入れてメイクしてくれた千尋、見守るユズ。

みんなから感じる優しさが、抱えきれないほど溢れて、寂しさが全部埋まるほど嬉しくて。

わんわん泣いてしまいたい。

でも我慢した。

一臣が困るから。

初めて貰う花が、一臣からであることが何より嬉しい。泣きたい気持ちが、全てが、笑顔に変わった。


流衣は腕を上げて受け取ろとしたが、大きさに一旦左右に迷い、そっと腕広げて抱えると、腕から花が溢れそうになった。

「……ありがとう」

流衣は嬉しさが抑えきれず、笑いが漏れた声で一臣にお礼を言うと、一臣は顔の角度を変えた。

「……帰りはどうするの?」

「帰り?」

大きな花束で小さい流衣が埋もれてる。

「セキの車で来てるから、他に予定がないなら待ってるけど」

「良いの!?」

送迎の申し出に、一も二もなく流衣は喜んだ。

「……ハクが気にしてた」

「ハクが?」

流衣はいつものハクとセキのやりとりを想像して、吹き出して笑いそうになった。

「あ、でも、着替えるの時間が掛かるから、待たせるかも……」

「大丈夫だけど」

セキが何か言いそうだが多分ハクが止める。

一臣にその景色が浮かんだ。

「じゃあ急いで準備するね!」

気持ちが先行して、ドアのことを忘れて押してしまい、反動で押し戻されたのを見た一臣は、代わりにドアを引いて開けた。

「ごめん……」

「終わったら連絡して」

ドアを開け放したままの腕と反対の手で携帯を手に持って示した。電波の事はかければ分かると踏んで語らなかった。

「うん。ありがとう」

「それはハクとセキに」

自分はただの使いっ走りだと言う。

「ふふ、うん」

一臣らしい返答に思わず笑う。

ドアに手をかけたままの一臣を見上げてから、花束の中の隠れた薔薇に顔を近づけて深呼吸した。

「やっぱり……臣くんにも、ありがとう」

「……別に」

一臣のいつもの言い回しは、流衣にはもう『いいよ』としか聞こえない。感情が含まれていないのは分かっていても、照れ隠しにしか思えなくて、なんだか可愛く見えた、


——えへへっ。


流衣は笑い声を心の中に留めて、一臣の腕を潜って楽屋に入って行った。

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