第23話 イブイブの神様
流衣が春の精霊で舞台に躍り出ると、会場内からちょっとしたざわめきと共に拍手が起こった。
「ねぇ、この人〈タランテラ〉の代役のひとじゃない?」
「あたしもそう思った!」
「だよね、だよね」
「パンフ……あ、ダメだ」
パンフレットで名前を確認しようとしたが、暗くて読めなかった。
騒つく中学生集団もそうだが、あちこちで起こるざわめきの原因はほぼそれであった。
〈春の精霊〉のバリエーションが終わると、今までの演目のバリエーションより、一段と多くの拍手が起こった。
「良かったわよ」
戻ってきた流衣を、待ち構えて日野は褒めた。
荒い呼吸の中、流衣は日野に褒められて、流衣の顔がパッと明るくなった。
「ありがとうございます」
日野は頷き、横にいる光莉も一緒に首も縦に振る。
「この調子でパ・ドゥ・カトルも頑張って。光莉ちゃんは先ず〈冬の精霊〉ね!」
先生に激励されて、光莉は手を挙げて指されたのに、答えに迷う小学生みたいな顔をした。
「タイムリープしたい……」
「わかる」
過去の自分に戻ってもっと練習したい。
と後悔の表情が緊張感と化している光莉に、流衣は同調し顔を見合わせてケスクスと笑った。
不意に舞台を見ると、柚茉からバトンタッチした、理子がアンボアテ・アン・トゥールナンを綺麗に回っていた。
「みっちゃん、もう〈アンボアテ〉得意になっちゃってる」
流衣は理子がターンを自分のものにしてる事に感心した。
「……ズルい」
拗ねた声でボソッと呟きながら、出番が来るのをステージの際で待つ光莉に、日野は笑いそうになった。
「まったく、人騒がせよね」
やりたく無いと騒いで、くじ引きまでした事が昨日のことの様に思い出された。
「光莉ちゃん。さん、にぃ……っ、出て!」
日野の合図で、綺麗なデミセカンドの腕で舞台中央まで躍り出た。
入れ替わりに理子が入ってきた。
「おかえりなさーいっ」
丁度いいタイミングで柚茉が後側を回って側まで来て声をかけた。
「完璧やろ」
第一声が自画自賛の強心臓。
「うん。完璧だった」
流衣がにこやかに肯定する
「自分で言うかな〜、それ〜」
理子らしい発言を呆れ顔の柚茉が指摘する。
「らしい〜」
流衣はふたりのやり取りが面白くて、つい笑ってしまった。
そこへ光莉が帰って来た。
「……私、ちゃんと踊れてた?」
少し息を乱しながらちょっと不安そうに光莉が言った。
「綺麗に踊ってたよ。光莉ちゃんらしかった」
細部に気を使う光莉らしい動きを、流衣はちゃんと見てた。
「本当? なんか、あっという間で覚えてない」
「それな」
「本番あるある」
理子と柚茉が頷いた。
「ちょっと皆んな、まだ終わってないわよ、最後までもっと気を引き締めて!」
日野が活を入れると同時に気合いを入れ、4人はパ・ドゥ・カトルのコーダに向かった。流衣を先頭に四人が舞台に揃うと、それだけで拍手が湧いた。リズミカルな曲に合わせ、揃ったステップを息の合った4人が見事なシンクロを魅せる。それぞれが個性的な踊りを、押し寄せる波の様に次々と決めて行き、楽しげに踊る精霊につられて客席からも手拍子が始まり、一斉にラストのポーズを決めると、惜しみない拍手と共に歓声まで聴こえて称えられた。
四人が舞台から降りてもまだ拍手が鳴り止まないが、プロとは違いアンコールはなし。
後方から〈リラの精霊〉がゆっくりと現れる事で、雰囲気が切り替わった。
——美沙希ちゃん……流石。
美沙希が出て来ただけで〈眠りの森の美女〉の舞台に戻った。
流衣は舞台を見てその存在感に感動した。
「ご苦労様!」
日野が声をかけると、そこに先生がいた事を思い出して、皆んなが振り向いた。
「皆んな良かったわよ。素敵だったわ」
皆んなで顔を見合わせた。
「……終わった?」
「うん、終わった……」
夏休みが終わってしまった様な寂しさと、気が抜けた感覚。
満足度は人それぞれに、そして程よい達成感は残った。
「最後のマズルカに参加するし、幕の後に挨拶があるから着替えないで待ってて、このあたりの邪魔にならない所で舞台観ていて、いい?」
日野はこれからの予定を話した。
「は〜い」
良い子のお返事が返って来た。
「あの〜、先生はどこに行くんですか?」
言うだけ言って去ろうとした日野に、柚茉が聞いた。
「楽屋よ。香緒里先生に連絡しようと思って。携帯、楽屋に置いてあるからね」
香緒里の名を聞いて皆んなはハッとした。
「陽菜ちゃん……。大丈夫かな」
流衣が心配そうに顔を歪めた。
「それを聞いてくるから。ちょっと行ってくるわね」
「はい」
流衣達は日野を送ったあと、視線を舞台に向けた。
リラの精霊はジャンプと回転の連続技で舞台を何度も往復し、舞台の前方まで来ると、奥に登場したオーロラ姫と王子に、魔法をかける様な仕草で舞台中央まで
「この場面にイタリアンフェッテあったっけ?」
光莉が首を傾げた。
「レベル上げたんやないの?」
理子は特に違和感なく見ていた。
「美沙希だしね〜」
柚茉は足首を回し脚をほぐしながら言った。
「は〜。なんか気〜抜けるわ〜」
「まだ出番あるよ、みっちゃん」
流衣は自分に言うように言った。
「そやけど、マズルカ気合いとかいらんやん」
「お腹すいちゃった」
「だから〜」
お腹をさすりながら腹音を収める流衣と柚茉。
「その仙台弁ほんっま邪魔くさいわ〜、素直に〈分かる〉って言うて〜な〜」
「んー。でもなんかそれ〈いずい〉よ」
「〈だから〉〜」
「もうええっちゅーねんっ!」
呆れ顔の理子をよそに、緊張の糸が切れた3人は顔見合わせて大いに笑った。
「ひょっとして終わりか?」
脚を通路側に投げ出し、腰をずらして座っていたハクは、隣の一臣に顔を傾けて耳元で囁いた。
「多分ね」
四人組の踊りが終わり、主役の二人の結婚式の踊りに移り、流衣が出番が終了したのは一臣にも分かった。
「もう出ても良いよな」
「禁断症状?」
「……ヤニ切れ」
反対側からボソッと聞こえた。
「起きたの?」
一臣が目を閉じてままのセキに話しかけた。
「あー、寝てねー……」
「嘘こけっ。がっつり寝ったぞ」
ハクは速攻で否定すると、セキの眉間に皺が寄った。
「変な夢見った……」
「夢?」
一臣が聞き返すと、セキは頭を抱える様に髪の毛を掻きむしった。
「……床に穴空いててよ、板張って直してんだけど、ぜんっぜん直んねーんだよ、何だありゃあ」
ふたりは板に黙々と釘を打ってるセキを同時に
想像した。
「お疲れ様」
夢に労う一臣。
「良かったじゃねーか、トイレじゃなくて」
笑いを堪えてハクが言った。
「何でだよ?」
「トイレに不具合出る夢って、金運下がるらしいぞ?」
いつか小耳に挟んだ、おばさま常連さん情報を
さも、らしく語るハク。
「……与太ってんじゃねぇ。出っからどけや」
ハク達が他愛もない話をしている間に、舞台はマズルカへと移行して、会場内は盛り上がり始めて騒がしくなったのをいいことに、今なら容易に抜け出せると踏んだセキは、横のふたりを立ち上がらせ会場から脱出すると、ハクと一臣も続いて一緒にその場から退出していった。
和室の楽屋へ戻った日野は、携帯の着信を知らせる履歴を確認したが何も無いことに不審に思った。
「連絡入ってると思ったのに……あら?」
日野は携帯が圏外である事に気が付いた。
「やだわ、……どうりで。ロビーまで出れば繋がるかしら」
楽屋から出ようとして、入口側の畳の小上がりの場所に置いておいた花束に目を止める。
——まだ早いかしらね。それに花束持って歩いたら邪魔だし、取り敢えず香緒里先生に連絡入れないと!
とりおき、陽菜の様子を香緒里に聞くために急いで部屋を出て行った。
「寒ぃじゃねーか……」
煙草を吸いに出て来たハク達は、灰皿が外にしか無い事が分かり、喫煙者に行くために入口の扉を開けた瞬間、セキは寝起きに外気温が突き刺さって思わず声を出してしまった。
「喫煙者を癌じゃ無くて、肺炎で殺す計画じゃね?」
寒さに体を丸めてながら煙草を火をつけ、それでも煙を吐いて満足そうなハクが言った。
「誰がそんな計画立てんだよ」
セキも負けずと煙を吐き出して落ち着いた声で言う。
「だな、人が死んで得すんの神様だけだもんな」
「神様だぁ?」
「ほれ、美女とか美少年とか侍らせんの
好きだろ? 神様って」
ハクが思い描いてるのは、ギリシャ神話のゼウス神だが、天使も楊貴妃もクレオパトラも大量発生させたカオス妄想中である。
「じゃあ、おめーはカンケーねえだろ、出番ねえじゃねえかよ」
「ザーンねん。オレはメシ作れんだわ。料理人は世界共通の超重要ポストだろ」
自己中妄想に勝ち誇るハク。
「……おめーのポジティブ思考はただのご都合主義だっつーんだよ」
「羨ましいか」
「んなもん1ミリもねぇ」
眉間に濃い縦皺を寄せて、大量の煙を吐き出す怒り心頭のセキ。
「一本貰える?」
一臣の一言で、ふたりの寒さを誤魔化す為の無為な会話が止まった。
「メビウスとエコーどっちがいい?」
「メビウス」
ハク=メビウス。
セキ=エコー。
ハクの二者択一に一臣は即答した。
懐中を探ると残り一本の煙草。それとライターと共に軽く放った。
「おらよ、ラスト・ウルトラマン」
「おめえ、それ言いたい為にメビウス吸ってんのか?」
そうとしか思えないと、少しからかうセキ
「んな伏線作るほど、笑いに時間も体も張ってねぇわ。買えるもんに変えただけだっての」
マルボロからメビウスへのシフトチェンジは、震災後暫く、おひとり様2個までの個数制限もさることながら、販売時間も限定、行列に並んでの購入に毎日時間を費やし、目当ての銘柄が無いからと言って手ぶらで帰るわけにもいかず、もう煙が出れば何でもいい状態な上、近所の店で一番手に入りやすいのがそれだった。
「はい」
ふたりのやり取りの中、煙草に火をつけ無用になったライターをハクに返した。
歩道とホールとの境界線に花壇が並び、軒下まで伸びた木々に、クリスマスらしくイルミネーションが仕掛けられていた。一臣の視線はそこに向けられ、はその光を思い入れのある物を見る様に見ていた。
「……お前から吸いたがんの珍しいな」
「……」
習慣化するほど喫煙してなかったが、何故吸いたくなったのかも説明が付かなくて、一臣は返事が出来ないまま、深呼吸と同じに煙を吸い吐き出した。
——そういや、前に一臣が煙草くれって言ったの、工事現場でケンカした時だよな。……あのきっしょい赤ラインのツマグロヒョウモンとやり合って、あれは5月だから半年前か、……何だかスッゲエ昔の気がすんな。
あの時、煙草の煙を吐き出しながら、喧嘩の後の妙な清々しさが口を軽くしたのか、自分の事を語り出した一臣に、つい、自分もカミングアウトし出した事を思い出した。
——あの時の状況から、まさか半年後にバレエなんか観ることになるなんて、思いもしねえよな、わっ感ねーな人生って。
ハクは、黙って煙を吐き出す一臣をみて、ボンヤリと切り出した。
「流衣がさ」
「え?」
話しかけられて、一臣はハクを見返した。
「あいつがさ、トップバッターで出て来て、コンビニ店員と踊ってたじゃん?」
「あいつコンビニ店員なのか?」
セキが初耳という顔をする。
「名前知らねーから仮名な」
「何だそりゃ?」
セキに構わず続けるハク。
「なんかすげ〜軽く踊ってんなって、見てたんだわ、上手いかどうかなんて分かんねーから」
「軽い……」
一臣は思い出す仕草で顔を右に傾げた。
「でも、他の奴の踊り見てから気付いたんだけど、あんだけ飛んだり回ったりしてたのにさ、あいつから足音聞こえなかったんだよな、あいつの靴だけ細工してんのかと思ってさ」
ハクは煙草の灰を灰皿に落として、一臣の答えを待った。
「いや、それは……むしろ逆かな」
一臣は分かった様に顔を上げた。
「何だ逆って?」
「流衣の靴は、コーティングが落ちて音がしなかったんだと思うけど」
「コーティングが取れる?」
「3週間位でダメになるらしい。後から出て来た時は足音が聞こえたから、別の靴に履き替えたんだと思う、多分だけど、最初の曲でコーティングが取れて柔らかくなったんだ」
以前に流衣が接着剤でシューズを内側から補強してたのを見てた一臣。その時に、糸で外側を補強する方法もあるけど、縫い目が揃えられないから自分には出来ないと流衣が言っていた。その光景が、ありありと浮かんでいた。
「何だそのくそコーティング」
セキが眉を顰める。
「コスパ最悪だな。ぼったくりじゃね?」
コーティングの意味が無いと言う工業系男子は、金属の加工とは違う事には気が付いていない。そして状況も理解してない事も安易に分かったので、違う角度で説明を試みる。
「……素足だとしたら、飛んでもそんなに音しないよね」
「は?」
「そんじゃあいつ、素足状態であんなに飛んでたん? 爪先アイアンマン?」」
一臣はその時の状態の説明を少し大袈裟にすることで、ハク達にインパクトを与えることに成功した。
「アンディ・フグかよ」
「それカカト落とし」
「せめてアイアンクローに行かね?」
「ゴット・フォン・エリックしか知らねぇな」
「それ投げ技だし、アイアンクローはキン肉真弓の技だと思うけど、どっちも足の爪先から離れすぎ」
「……んな真顔でキン肉真弓とか言うんじゃ
ねーよ」
一臣の口から〈キン肉真弓〉が出て来た事で、セキは笑いを通り越して、本日一困った顔をする。
「大王の方が良かった?」
「討ち入り前の戦国武将みたいな顔で話す内容か? キン肉マンはオタクとマニアの間で揺れる、うんことちんちんと同じな男子アイテムだかんな」
ハクがドヤ顔で説明してるが
「おまえバカだろ?」
タバコを咥えたまま器用に喋るセキ。
「おー。レベル100な」
ヤケクソで答えるハクは、急に寒さが身に染み出して、帰る事に視野が入り出した。
「あ〜、どうでもいい話は置いといて。……あいつどうやって帰んの?」
ハクが空気の透き通った夜空を仰ぎながら、流衣の帰りの予定を、放り投げかける様に一臣に聞いた。
行きは友達の親の車に乗せてもらうと流衣は言っていた、帰りの事までは一臣は知らない。
「……聞いてない」
「行って聞いてこいよ」
「……行って?」
一臣が、なんでわざわざ? と言ってる顔をした。
「ここの施設内、携帯通じねーんだよ。まあ、あいつのこったから、通じても電話もメールも気付かねーと思うしな、だから直で聞いてこいよ。予定がねぇなら待っててやるって」
会場内で携帯で時間を見た時に、圏外だった事にハクは気が付いていた。
「なるほど」
一臣は思わず納得する。
「なんでだ? 行きも帰りも一緒だろうよ?」
セキは帰りだって乗せて貰えるだろうと、ハクが何で脚の心配をしてるのか分からなかった。
「朝は乗り合いでも、大体帰りは家族単位で
帰んだろ」
「そうなのか?」
「ダテにスポ少やってねぇわ」
県外なら、概ね行きも帰りも一緒だが、県内、しかも市内なら間違い無く帰りは単体、スポーツ少年団の常識である。そしてハクの様に母子家庭で親が仕事が被り迎えに行けない場合は、誰かに個人的に頼んで乗せてもらわなくてはならない為、親同士のコミュニケーションも必要なのだ。
——他人ん家の車に乗るとなると気が引けるよな……。家族の中に一人だけ他人って、めっちゃ気まずいっつーの。……あいつ、ひとりで帰る気じゃねーかな……。
自分の経験上、ハクは居心地の悪さをよくわかっていた、そして流衣の性格も分かるので、荷物を抱えて地下鉄に乗る姿から、夏休み前にまとめて持ち帰る道具類を、引きずって歩く小学生を連想してしまった。
「分かった」
ハクが言わんとしてる事を察したのか多くを聞かず、一臣は煙草を揉み消すと、真っ直ぐ入口に向かって歩いて行った。
「……相変わらず勝手に決めてやがんな」
一臣の姿が消えて、いつも通りにただの運転手扱いされてるセキが、ハクに向かって吐き捨てるように言った。
「ケチくせぇ事言うなよ、女の足代わりに使われるクリスマスのが粋じゃね?」
クリスマスという名の免罪符にハクが笑う。
「……クリスマスは明後日じゃねぇか?」
未だイブでもない二十三日。
しかし、クリスマスの響きがセキの頭にも残った。
「あー、イブイブつーの? 今日は天皇誕生日だよな、んでもって25日はキリストさんのご生誕記念だかで……ダブル役満みてーだな、挟まれてる24は満貫記念日じゃね?」
真面目に不真面目なハク。
「右翼とバチカンから狙撃されちまえ」
セキはただ呆れて、灰皿を隠す様にある花壇に植えられたシラカシの木に、地味に巻かれたイルミネーションに向かって煙を吐いが、届く前にかき消えた。
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