第22話 トラウマ
舞台は順調に進んで行く。
エコールバレエと、立花バレエからのキトリとエスメラルダも綺麗に収まり、今現在〈白い猫〉が舞台に出ていた。
〈四季の精霊〉の出番が近くなり、その後の
〈リラ〉の出番も控えてる美沙希と共に、舞台裏の上手側と下手側に別れて移動する。
〈リラの精〉 王子とオーロラ姫のパドゥドゥ。
最後にマズルカで幕となる。
舞台に通じる上手側の入口に秋山が立っているのが見えた。
既に帰り支度を整えたのか、柔らかい生地のグレーのスーツをカジュアルに装い、バレエダンサーらしく綺麗に立っていた。流衣達に気付いた秋山は、組んでいた腕を解き、流衣に向いた。
「ちょっといい?」
「……はい」
戸惑ったが、流衣は返事をした。
「……私達、行ってるね」
秋山が流衣を促す様に語りかけたのを聞いて、二人で話がしたいのだと察した美沙希が、理子を連れて入口から静かに入って行った。
「勝手なことして悪かったね」
第一声で秋山が謝るとは思っていなかった流衣は、どう言うか少し迷った。この時、もう秋山に嫌悪感は湧いてこない、それどころか落ち着いた大人の男性に見えた。
「あの……どうしてか、聞いてもいいですか」
『だよな』と秋山は思った通りの質問が来たと顔に出した。
「最初はさ、君が甘ちゃんだと思ったんだよね、リハ見た限りではそんなに印象深くなかった。展開的な日本人に見えたんだ。それなのに簡単に代役引き受けて、タランテラなのにアッサリしてるし、この子何も考えてないのかな? ってさ」
その時のことを思い出した秋山はちょっと忌々しげな顔をしたので、流衣はキズ付くと同時に、人にそう思わせたのかと悲しくなった。
「……すみません」
「いや。僕の勘違いだったんだよ。君、自分のとこの教室でティーチングしてるんだって? だからタランテラも、男子のパートであの子と踊り込んでたって先輩から聞いたんだ、さっき」
「ティーチングというほどでは……。うちの教室男子が居ないので、いつも相手役してたので……」
実際、師事されてる立場の自分が、他人に教えてると、言葉にして聞いた事で、恥ずかしくなって赤くなってしまう。
「ははっ。小さい教室はよくあるよね、普通は教師がやるけど……。それに、精霊は皆んなに合わせて抑えてたのも、踊ってみてわかったよ」
——えっ、あたし、そんなふうに踊ってた?
ソロのバリエーションは自分を出して踊る。けれどみんなと踊る時は協調性を出して、合わせるのは当然なのだが、秋山に言われるまで、意識して無かった自分自身にビックリした。
「……僕さ、リフトで女の子落としたんだよね」
「え⁈」
突然の秋山の告白のその話の飛躍ぶりに、流衣は驚いてまごついてしまった。
「一年前……。アメリカのバレエ団の公演にゲストで呼ばれてね、僕と同じ身長の子がパートナーだったんだけど、練習中にバランス崩して……それからトラウマなっちゃってね……」
身長が170を超えると体重も50キロを超える、十分細いのだが、持ち上げて更に動くとなると話しが違う。秋山の様に細身のダンサーには辛い。
秋山は175センチで53キロのパートナーを持ち上げた時バランスを崩した。
倒れる瞬間に、秋山は何とか庇って支えようしたが、パートナーの方が恐怖心からもがいてしまい胸から落ちる形で二人は倒れ込んだ。
「あるあるだな。任せてくれれば、こっちも何とか支えて、倒れなくて済んだんだろが……怪我は?」
金田は腕を組んだまま、険しい顔で秋山に聞いた。
「打撲で済んだんですけど……」
「けど、なんだ?」
口を濁した秋山の顔は、悪夢を見てうなされている人のそれで、目を覚まさせる感覚で金田は問いただした。
「……泣きながら非難されました。相手のアメリカ人の女の子から……練習が足りない、筋肉がない、下手くそ……自覚が足りない。もっと言われたけど覚えてません。 確かに、フォロー出来なかった僕が悪いんですけど……」
聞くに耐えない罵詈雑言を浴びせられた秋山。
「欧米人ははっきりしているが……
それはちょっと酷いな」
言って良いことと悪いことは世界共通。人種は関係ない。
わざとやったわけじゃない事に、ストレスを発散するような発言をされた秋山に金田は同情を禁じえない。
——自覚が足りないと言われた時、それは違うと言いたかった。食が細くて筋肉が太らないから、力が、足りないのは分かってる。
……自覚が足りない? それならパートナーを信頼しない自分はどうなんだと言いたかった……。
ゲストで行ったアウェイの場所で、押し切れない自分にも腹が立った。
「結果的に公演はキャンセルしてイギリスに帰ったんです。でもそれからおかしくなって……女の子とのパ・ドゥ・ドゥでリフトの度に止まってしまうんです。言われた言葉がフラッシュバックする様になって、踊れなくなってしまって……」
《PTSD》の一種。トラウマが原因のパニック障害。秋山は恐怖心から、同じ場面に遭遇すると身体が動かなくなった。
「後になってその子から『パニックになって言い過ぎたの、ごめんなさい』と謝罪の電話を貰って……解決した筈なのに、それでも身体が動かなくて、悩んでカウンセラーに相談したら、環境を変えた方が良いと言われて……帰国したんです」
——それで日本に帰って来たのか……。
『紙に書いた言葉は消せるが、口から出た言葉は戻らない、だからものを語るときはよく考えてから喋るのだ』と、昔の日本人の教えにあるな。後から謝られても〈時すでに遅し〉だったんだな、気の毒としか言いようがない。
「今はリフト出来てるという事は、克服したわけだろ? 頑張ったじゃないか。……日本の女子だと安心して踊れたということか?」
金田の発言がお説教に聞こえたのか、秋山は苦い顔をした。
「そうですね。日本人の女の子って物腰が柔らかいじゃないですか、……攻撃的なところも無いし、久々に日本でレッスンしてるうちに落ち着いて、徐々にだけど組めるようになったんですよ。
……そうなんですけど、でも、逆に反応がないのが気になり出して……誰と踊っても大体同じで。
……優しいのは良いんですよ、けど、何も言わずに淡々と踊るんですよ? 聞いても答えないし……踊りに対する要求が無さすぎて、今度はやる気が起きなくなったっていうか……」
秋山は頭を抱え、金田も呆れた。
「贅沢な奴だな、結局おまえはどうしたいんだ⁈」
二の足を踏んでる秋山にイラつくのは、舞台人であるダンサーの寿命が短い事を熟知しているためであった。
「それ、自分でもわからなくて迷走してました」
若い秋山でも、それは肌で感じられた。
——可もなく不可も無く。
そんな踊りをしてるうちに、相手の子の踊りを揶揄し始めた。踊りに欲がないなら、どうでも良いなら、辞めてしまえと思うようになった。
自分の心が歪んでるのも分かってたけど、どうしようもなかった。
「今日、君と踊るまで」
「あたし……?」
流衣は予想外の言葉に目をぱちくりさせた。
「君みたいに手応えのある女の子初めてだよ。手応えがあって自分を曲げないのに、すごく軽くてコンタクトが通じる。……意味わかんないよ」
〈難解な数式〉を見てお手上げだと言ってるのと
同じ顔をする秋山。
「あの……それ褒めてます?」
——意味わかんない……て言われても、
いやそれ意味わかんないデス。
褒められてるのか、貶されてるのか流衣はわからなかった。
「家さ、ソシアルの教室なんだよね、両親が教師でね」
「は? え? ソシアル??」
——え、何それ? なんで急に家の話?? 〈両親〉? が先生? 秋山さん何言っちゃってんの〜!?
答えが2キロくらいあさっての方角から飛んできて、流衣は、目がもう一度パチクリさせて、必死に考えてみるが、意図がわからない。
「ああ、社交ダンス知ってる?」
秋山が言い方を変えた。流衣の疑問はその部分では無いが、とりあえず話に乗るしかない。
「社交ダンス? えっと、ドレス着て男女ペアで組んで踊る……?」
ロングドレスと燕尾服で踊る姿を頭に描くと、自然に腕を広げた。
「そう、それモダンのほうね。社交ダンスの一環として、踊りの基礎のバレエを小さい頃に習い始めて、そっちにハマったんだけどね。僕の場合」
「踊りの基礎……」
流衣は漫然と秋山のセリフを繰り返す。
「ソシアルって、男性のリードが上手いと女性は全くの初心者で、ステップ知らなくても踊れるんだ」
社交ダンスのダンススタイルを、もの凄く簡単に省略して説明する秋山。
「えっ! まさか……」
——そんなの事出来るの?
秋山の話に耳を傾ける。
「まあそれは、初心者レベルの話だけどね、何でこんな話しするかっていうとさ、その相手の女性がバレエダンサーだと無理だって話なんだ」
——んっ??
流衣の頭に大きな〈?〉マークが飛び交い、首を曲げて考えた。
「どして?」
思わず疑問をそのまま声に出した。
——踊れるなら有利になりそうなのに、
何で逆なの?
「バレエダンサーは自分で踊りたいからさ、男性のリードに従わない。というより従えない、それがバレエだから」
——バレエは個人の踊り……自分で踊りたい
……そうかも。うーん、分かった様な
分からない様な……。
流衣はただボンヤリと考えた。
「でも君は両方出来るね」
「え?」
踊りながら、秋山はそれを確信に変えた。
「君と踊って目が覚めたよ」
——目が覚めた?
あたしと踊って?
両方出来るって、どゆこと?
秋山が何を言ってるのか意味不明で、右往左往してしまう。やはり理解はしてなかった。
彼女は僕リードに応えて迷わずに踊った、そして手を離すと放たれた鳥の様に自由に舞い、離れた場所から僕の動きを読んで合わせた。
リフトでは形を決めるとあとは全て相手に任せる。
実にスリリングでエキサイティング。
次が待ち遠しい!
そう感じて踊ったのは始めてだった。
初対面で信頼関係は無い、相性が良いわけでも無い、あの時お互いが思ったのは完成形、いい舞台を作るそれだけの為に最高を目指し、全力を尽くす。
これこそがパートナーシップ。
僕が迷い、忘れていたもの……。
「ありがとう」
——思い出させてくれて。
秋山はスッキリとした笑顔を流衣に向けた。
「秋山さん……」
お礼を言われたけれど、流衣にはピンとこなかったしかし、秋山が付き物が取れた清々しい笑顔に向けたので、自分はそれで良いのだと合わせて笑った。
「赤ずきんが始まったね。次、出番でしょ?」
舞台の曲が変わったと秋山は言う。
〈赤ずきんと狼〉の次が流衣達の出番である。
「はい。……じゃあ、私行きますね」
出番と聞いた途端〈春の精〉モードがオン状態になり、役に沿った笑顔に表情も切り替わり、流衣は柚茉が居る出場所に向かおうとした。
「うん、頑張って。と、そうだあのさ……」
何か言い忘れたのか、秋山は流衣を呼び止めた。
「はい」
流衣は足を止めて振り向いた。
「君、会場に彼氏来てるでしょ?」
——え?
〈青天の霹靂〉が流衣に降りかかる。
※青森のお米ではありません。
「え、ちがっ! かか、彼氏っ⁈ 何でぇ?」
——そんな馬鹿なっ! 何で秋山さんが? どうして、そんな事言い出すのー!?
頭は真っ白、顔は真っ赤。
「何でって、だから僕を突き飛ばしたんでしょ?」
当たり前にバレていた。
「いえ、そのっ、彼氏じゃないです……とと、友達で……」
〈精霊〉から〈一年A組、出席番号五番、狩野流衣〉に戻ってしまう。
「友達? ……その彼バレエやってるの?」
彼氏じゃない。それで発表会を見に来るなら関係者なのかと思う、秋山の疑問はいたって素朴。
「ええっ、まさか!」
「まさか?」
力いっぱい否定する流衣に、秋山は尚のこと疑惑がわいた。
——臣くんがバレエやってるわけないし!
もうやだ〜、想像しちゃう〜、やめてっ、あたしの妄想ストップ!!
そうじゃないでしょ、臣くんがやってたのって……。
「えっと、やってたの……サッカー?」
何故か無理矢理バレエに匹敵する物を探して、辞めたと言ってた競技を答える。
「サッカー?」
——バレエの発表会を見にくるサッカー男子が
友達? いや、絶対彼氏でしょ。
この狼狽ぶり……さっきも思ったけど、ほんとに僕と対等に踊った子?
踊ってる時とのギャップが激しすぎる。
舞台メイクは仮面なのに、それで素に戻るくらい動揺してるのって何でだろう。
……ああ、そっか、内緒なのか!
仲間内に知られたくないから、否定しているのか。
なるほど、そりゃあ、ローザンヌ出場に彼氏持ちなら妬まれるよ、女子怖いからね。
真っ赤になっちゃって、可愛いんだけど……。
了解。
誰にも言わないよ。
「ふーん……。まあ、僕がしたのは感謝のキスだから、誤解しない様に彼氏に言っといてね。じゃあ〈春〉頑張って!」
流衣と一臣の関係性を知らない秋山は、理解のある先輩の程で、意味深でありながら爽やかな顔で流衣を送り出した。
——ごっ、誤解!?
秋山が振り返って行ってしまったので、流衣はその後ろ姿を見ながら悶々と考えた。
——彼氏じゃないし、五回も六階も無いよっ、そんなの言えるわけないし。
ちょっと待って、感謝のキス……って何?
秋山さん分かってたんだよね?
会場に彼氏(じゃないけど)来てたの知ってたのにキスしたって事?
それってどういう感覚?
軽く無い?
外国生活が長い人ってそうなのかな??
うーん……。
……秋山さん……やっぱりチャラいかも……。
大人っぽくなった秋山に感動した舌の根も乾かぬうちに、第一印象が見事にカムバックしてしまい、人の本質はそう簡単に変わらない事を流衣は体感するのである。
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