第18話 やる気スイッチ
イズミシティホール。
『眠れる森の美女』第三幕が始まる前に場内アナウンスが流れた。
「皆様にプログラムの一部変更をお知らせいたします。本日のゲスト秋山仁の演目〈タランテラ〉のパートナーは河合陽菜に代わり狩野流衣。それに伴い曲順変更があります。どうぞご了承下さい」
秋山仁の名前が出て会場が騒めいたが、ただのパートナーチェンジとだと分かり、ため息と共に静かになった。
「びっくりした〜。一瞬、仁君が出れなくなったのかと思った〜」
「“Sスタ”知らないのに、チケット買ったんだもん、出なかったら激オコだよね」
「仁君の〈タランテラ〉なんて激レアだよ、絶対見逃せないっ!」
「めっちゃカッコいいだろーね〜」
「代役の子いいなぁ」
「あたしもSスタジオ行けば良かった〜」
Sスタジオとはなんの縁も無い、秋山ファンのバレエ女子達。
高校生にしては幼く、恐らく中学生であろう集団の会話が、通路を挟んで斜め後ろの、脚を折り曲げるスペースの狭さから、踏ん反り返り気味のハクの耳に残った。
——激レア……どんなんよ? それと踊んのか……流衣の奴。
そういやパンフとか入り口で貰った気ぃすっけど、写真とか載ってんかな?
「パンフ持ってっか?」
なんとなく興味が湧いたハクは、パンフレットを押し付けた、ハクとセキに挟まれてるだけでお行儀が良く見える一臣に聞いた。
律儀に折り目も付けずに持っていた一臣からパンフレットを受け取ると、登場人物の確認をする為に開いた。
舞台は結婚式の余興の
我が子可愛さに規則を破る親達をハクは二度見して苦笑し、その姿に重ねて懐かしいことを思い出した。
——おふくろも、試合はいつも仕事休んで見にきてたな、親バカだなアイツ……。
最後の試合で俺より泣いてたしな。
……と、んなことより……これか秋山仁。
パンフレットには、髪型を松潤に寄せ、腕を組んでハスに構えた秋山が写っていた。下に役名と本人の名前が書いてある。写真が載っているのは主役のオーロラ姫、王子、ゲストの秋山の三名だけ、あとは役名に名前と経歴。流衣達に至っては名前だけ。
——このパンフ、写真のとこだけフルカラーかよ
ケチ臭え……。
んー、こいつカッコイイ……か?
このタイプ普通にコンビニでバイトしてんぞ。
何っつーか「褒めると伸びるタイプです」的な
ヘタレ芸人臭すっけどなー。
ちょっと前までランチ食いに来てた、近所のビルの解体工事の兄ちゃん達の方が、男っぷり良いけど
ここに居る奴らはガテン系に縁なさそうだわ。
それに……。
ハクは思わず隣りの一臣の顔をマジマジと眺めた。
「なに?」
じっと舞台を見ていた一臣は、ハクの視線を感じて何か言いたいことがあるのかと聞いた。
「……いや、おまえコールド勝ちどころか、不戦勝だわ」
「?」
同じ土壌に上がる必要すら無い、と思わせる一臣に、ハクはメガホンみたいに丸くしたパンフレットをポンと返した。
「コンビニ店員でさえこんだけ騒がれんだから、踊れっとモテんだろーな」
「……モテてーのかよ」
俗物だな、と呆れて一臣越しに視線を投げるセキ。
「いやさ、いちどでいいから女子に囲まれてキャアキャア言われてみたくねえ?」
モテ期到来を夢見る男子。
「……テメェのムスコ出して歩けば、嫌でも悲鳴上がんぞ?」
たれぱんだ状態の脱力した体を椅子に預けて、嫌がらせに近い意見を言うセキ。
「そっちのキャアじゃねぇわ」
恐怖の悲鳴じゃなくて、歓喜の悲鳴が欲しいハク。
「囲むのも公安だしね」
現実的な事を何事もなかったような顔で言う一臣。
——チッ、ちょっとした願望を言っただけなのに、馬鹿にされた上に説教されたわ。 もうこいつらに何も言わねえ。
チャラい発言を見直す事なく、交友関係を見直そうとブツブツと考えてしまうハクに、周りから拍手が湧き起こるのが聞こえてきた。
「なんだ?」
何事かと周りを見渡すと、騒いでいた斜め前の女子達が全身全霊の拍手をしていることで、秋山が出て来たのだと分かった。
輪舞曲を踊り終えた生徒達はそのまま残り、結婚式の招待客として舞台上に花を添えている。その中の間を縫って、流衣と秋山は手を繋いで舞台の中央まで跳ねるように出て来た。
——フォークダンス……?
ハクは、両手を繋いで足を細々動かすふたりに
そんな感想がつい口に出そうになった。
会場は一斉に拍手をした後、組んで踊るふたりの美男美女ぶりに感嘆が漏れ、固唾を飲んで見守った。
「誰だ?」
フォークダンスなど忘れ、舞台の流衣達を見て、
思わず口を突いて出たハク。
「流衣じゃない?」
いつもとは違うが、流衣の顔は判別できると
隣で一臣が呟く。
「野球選手でもねぇしな」
セキにも分かったらしい。
——パンフとちげー……男も化粧すんだな。
こうしてみっとイケメンにみえて確かに
かっこいいわ。
「やるじゃんコンビニ」
「?」
別のところで驚いてるハクに、反応できない一臣とセキは、放っておく事を暗黙の了解とし、セキは眼鏡をずらし深々と座り直し、一臣は舞台に目を戻した。
「この女の子、可愛い〜。誰?」
「Sスタジオの人じゃない? 上手いし」
「Sスタジオの人〈リラ〉の及川さんしか
知らないよー」
「さっき名前言ったよね」
「覚えてるわけないじゃん」
バレエ女子達の会話から、全く知名度が無い流衣を認識したことが伺える。
——しっかし、そんなに高身長でもないのに、コンビニ手足なげぇし体の線ほっそいな。
最初に出て来た中年の王子は結構な筋肉してたけど、コッチのほうが王子様な感じして女子が
好きそーだわ。 そりゃモテるわ。
手足の長さは負けねーけど、オレの立ち位置って王子に絡むチンピラの雑魚キャラだもんな、やべ、モテ期来ねーの自覚しちまった。
自問自答で解決するハク。やり切れなさそうに視線を変え、舞台で踊る流衣に注目した。
——やっぱ女だな流衣の奴。
化粧で変わるっつーか変わりすぎじゃね?
舞台化粧ってやつにしてもさっきのダチ女子とも違ぇーし、独特でヤバいわ。
なんかやたらキラキラしてんし……魔女かよ。
これだったら普段のノーメイクのが良いわ、この顔だったら恥ずかしくて喋れねーし、声かけらんねーよな。
……しっかし、チャカチャカと忙しい踊りだな、バレエってこんなんだったか?
ハクの頭の中はバレエ=白鳥。しかし今はモンテカルロバレエ団の〈白鳥の湖〉の四羽の白鳥で占められていた。
「……困ってる」
一臣の小さい声が聞こえて、思わずハクは横を見た。
「なにが?」
「……」
流衣の表情が困ったように歪んで見えた、ほんの一瞬だったので気のせいかとも思い、一臣はそれ以上何も言わなかった。
——また……!
何で繋いでる手を動かすの⁈
位置変えないで!
最初の手を繋いだままステップを踏む振り付けで、流衣はイライラが爆発する。
顔は満面の笑みを絶やさないが、こめかみには怒りのマークが浮き出てるように見える。
「……流衣ちゃん、めっちゃ怒ってる……」
舞台袖からは流衣の怒りがハッキリと見てとれた光莉が、ドキドキしながら声に出した。
「そりゃそうだよね……あれじゃあ」
柚茉も光莉と同じ思いだった。
舞台上の二人は手は離れ、お互いが左右に移動する振り。ここで女子がソロパートに入る為、男子はさり気なくはけるのだが、秋山は大袈裟な程大きく動きスタンドプレイで場を沸かせた。
「そこは女子に譲るとこでしょう⁈」
美沙希がうっかり大きく声に出し、幕近くの招待客が何人か振り向いた。
「美沙希。ちょい落ち着きーな」
いつもなら一番騒ぎそうな理子に言われ、美沙希は落ち着くどころか苛立ちが募った。
「落ち着かないよ、いくら何でもやり過ぎでしょう? あれは」
美沙希は秋山に対しての怒りが収まらない。
「でも、流衣ちんに任せるしかないやろ?」
「そうだけど……」
「大丈夫や、見とき」
理子は舞台の流衣を見ながら言った。
ソロパートに移った流衣は、いまだ怒りのスイッチが入ったまま踊っていた。そしてそれは、バレエをただひたすら〈好き〉の情熱で踊っていた流衣にとって初めての感情だった。
——可愛くなんて踊れない、
優しくなんてもっと無理!
限界まで足を上げて。
男子に負けないくらい。
高く! 早く! 強く!
アントルッシャスからグランバットマン。
ピケターン、シェネ、パッセターン、そしてピケターンの連続のターンを早く、そして正確に決めていく。
会場は静まり流衣のターンを見送った。
「……ヤバっ」
ユズが流衣のターンの感想を一言で発した。
「春の精霊とは別人みたい……」
千尋の台詞に、その横に居た黒田と庄子も同じくそう思った。
流衣は舞台袖にいた光莉達の前まで来ると、深呼吸で呼吸を整え始めた。
流衣が集中してるのを肌で感じた美沙希達は、誰も余計な声をかけなかった。
「流衣ちゃん」
その様子を見て光莉が、小道具のタンバリンを流衣に渡した。
「ありがとう」
タンバリンを受け取りお礼を言うと、流衣はそれ以上何も言わずに、舞台の秋山を見つめ、呼吸を整えながら出番を待った。
——私の出はジャンプから……。
秋山が舞台下手側でポーズを取っている間に、流衣は飛び出して、舞台の中央で高く舞上がった。
「うまい!」
金田が思わず声に出し唸った。
——いいぞ! 秋山が粘ってる間に中央まで出て来た。絶妙な主役交代のタイミングだ。
流衣は、曲げた右足の爪先でタンバリンを打ち鳴らしながら、右に移動していく。
正面でジャンプ。
タンバリンを手で打ちながらフェッテで上手側に進む。
舞台を横切るアチチュード・ターン。
——ターンだけどこれはアチチュード。
止まる。
正面一番、その位置で魅せる。
そして回転は速く!
意識は背中! 肩、そして胸!
伸ばして見せる、綺麗に。
止まって!
顔、軸足踵、一番。
回って、止まって、止まれってば!
こら私の脚、いうこと聞いて!
脚……足?
じゃ無い、ポアントだ!
ブレーキが効かないっ。
やだ嘘っ、頑張って!
あとひとつ、よし、えらい!
ゆっくりとバットマン・ジュテ。
軽くホップしながら
タンバリンをリズムに合わせて鳴らす。
——ここ、何気にキツい……。
気を緩めるとホップする時に膝が汚くなる。
タンバリンもてっぺんで打たないと雑に見えちゃう。
ホップ、ステップ。
ここはタンバリンを綺麗に見せるターンだね、えへへ。
お次はアラベスク。
ヒェッ、ここ次のステップを曲に合わせると止まれないっ。
やだっ、男子のパートしてたから、女子のパート細かくてムズいっ。
アラベスクは止まりたい、でも止まれないっ、やだ止まりたい!
エクスペクトパトローナム!
ヤバっ、ステップが高速で五番入る暇ない!
アラベスク、五番。
間に合わない。
音に遅れるっ、やー、もう!
自分ならどっちが見たい?
……〈アラベスク〉
よし!
流衣は踊り込んでない分、体が動かない振りを、連続アラベスクにする事で乗り切り、更に
その時客席から拍手が鳴った。
しかし秋山が出て来ると、秋山の踊りを見るためか拍手はパラパラと鳴り止んだ。
舞台袖に引っ込んだ流衣は、途端に身体が酸欠を訴えて肺が空気を取り入れようと肩が上がり始めたのを感じて、さっきと同じくゆっくりとした腹式呼吸で整えようとすると、目の前に日野と金田が見えた。日野が近付いて来たので姿勢を正し、腰に手を当て背筋を伸ばした。
「流衣ちゃん。聞こえた?」
流衣の額に滲んだ汗を、タオルで抑えながら拍手が誰に送られたのか、流衣が分かっているのか日野が聞いた。
「え?」
流衣は分からず聞き返した。
振り付けを変えた事を注意されるかと思ったが、違かった。
そんな流衣に日野は微笑みかけるとこう言った。
「ラストよ。もっと全力で踊ってきなさい」
日野は激励では無く、まだ足りないと叱咤を選んだ。
「はい!」
流衣はラストのソロ。
そして秋山との踊り比べのコーダのため
流衣は舞台に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます