第13話 喫煙者の避難場所

 細かな雪がひらひらと舞い始めた。

イズミシティホールの正面のガラス張りの壁面に、イルミネーションで煌めく木々が映し出され、チラつく雪が幻想的なスノードームの世界を等身大で実現している様にみえる

 花束を抱えた女性が入口から入っていくのが見え、中の通路に消えて行くその姿をボンヤリと目で追いかけて、車の助手席の窓を全開にして煙草と顔をのり出し、細く長く煙を吐き出してからハクが口を開いた。


「……今日、雪が降るなんて言ってたか?」


「天気予報なんてオレに聞くんじゃねーよ。まだ7時だぞ早くねーか?」


 運転手のセキは路肩に車を停めて、灰皿の無い親の車に、缶コーヒーの空き缶を灰皿代わりに、ハクと同じく窓から乗り出して喫煙していた。


「おめーが飛ばすから早く着いたんだろーが」

何でもセキのせいにしたがるハク。

「街中で飛ばすもクソもねえだろ、信号は一度止まると全部止まるように出来てんだよ」

「そのセリフは止まってから言えっての、黄色は加速、赤は急げ。だと思ってんだろ」

 普通乗用車の助手席が些か狭く、窮屈そうに脚を折り曲げ、偉そうに上半身はふんぞり返るハク。


「8時10分から20分までが休憩時間だって」


 一臣がふたりの話しの中に割って入る。


「あ? 8時からじゃねーの?」

「変わったらしい、流衣からメール来た」

「んじゃあと1時間以上もあんじゃね?」

「んだそれ。それまでどーすんだよ」

「パチる時間もねーし、時期でもねーしな……」

「クリスマスは〆んのか?」

「いや、給料日後だかんな」

「あー、25が日曜だからか」

「……マックなら喫煙席あるんじゃない?」

一臣はふたりの不毛な会話を止めた。

「このメンバーでマックかよ……」

奇異な目で見られるのは避けられない。

「嫌なら来んな」

「ヤニくらいてぇから行くわ」

 周りの視線よりニコチンに負けるセキは、ヘビーを越したチェーンスモーカーである。


『了解』

 流衣は一臣からの返信メールを3回見返して、携帯を撫でるように閉じると、カバンの内ポケットにそっとしまった。

 舞台が始まり後半しか出番のない配役の生徒は〈宝石〉と〈四季の精霊〉達以外は既に準備が整っている為、最後の踊りの調整を始めた。〈宝石〉の黒田と庄子はもうメイクなどの支度を終え、トウシューズを脱いで、リハーサル室の隅で身体をほぐし始めた。準備がまだの流衣達は、衣装を一旦脱いで鏡の前で並んで支度する。特にメイクはここぞとばかりに念入りに仕上げ出す。

「あかん、やっぱ苦手や」

理子は最後の仕上げの目下のラインに悩み、アイライナーを持て余し気味に手に持ったまま、鏡に向かって歌舞伎の見得を切る。宝石達は躊躇したが、いつものメンバーは理子の変顔にクスクス笑う。


——みっちゃん綺麗にメイクしてるのに……。あれでダメなら私どうしよう……。


 流衣は笑うに笑えない。理子のメイクは完璧に見えた。自分は下地は作ったものの、舞台経験の少ない流衣はそれを物語る様に、メイク道具も百均で揃えたペンシル、シャドウ類と数が乏しく、ここからどうするか悩む。


——おさらい会の小さい舞台ならこれで十分だと思うけど、大ホールの舞台でこれだと目立たなくて、のっぺらぼうが踊ってる様に見えないかなぁ? それだと〈春の精霊〉じゃなくて〈春の妖怪〉だよね……。

さっきは骨格がキレイだと褒められたけれど、顔にメリハリが無いのは自分が一番よく分かってるし……。


 落ち込んで悩みこみながら、流衣は我が顔をじっと見つめると、座ったままボーとしている陽菜が目に入った。

「陽菜ちゃんどうしたの? 風邪しんどい?」

リハの後、呼吸が整うくらいの時間は立っている。風邪のせいで、まだ回復してないのでは無いかと思う。


「ううん。大丈夫」


——あの匂いのせいでちょっと気持ち悪い……。でも流衣ちゃんだって本番なのに、心配かけちゃうから黙ってよう。


「ちょっとお腹痛いからおトイレ行ってくるね」


 至近距離で不慣れな匂いを嗅いだ為に、陽菜は香りに酔ってしまったのだ。でも流衣に心配かけないように何も言わない。


「なんや陽菜、女の子の日なん?」

「そうかもしんない。確かめてくる」

陽菜が理子の問いに、改めて気がついたかの如く頷いて、トイレに向かった。

「違うと良いね」

陽菜がトイレに向かうと光莉が慰めを送った。

「本番に生理やだよね〜、衣装が気になるし、でもタンポン抵抗あるよね」

柚茉が仕上げの口紅を丁寧に塗り、タンポン使用を躊躇してしまうと言う。

「タンポン入れといても、ナプキンはつけとったほうがええよ、動くと漏れるときあんねん」

理子はチャレンジャー。

「えー、大変なんだ」

信じられないという顔をする未経験者の光莉。

「今日みたいにギリで支度する事ないやん? いつもみたいに3時間前とかに支度してもーたら、2日目とかめっちゃやばいで?」

「そうなんだ」

 そういうものなのか……とナプキンでさえ経験不足の流衣は、他人事のように頷くしか無かった。

「そっかー、衣装汚したらクリーニング代別にかかるもんね」

柚茉は現実的。


「まあ用心に越した事はないよね。ところでみっちゃん、ライン入れたいの?」

 

 理子の背後から、千尋が話に混ざりながら近づいてくる。鏡越しに見えた千尋がさっきまでとは別人に変身してるのが見えると、理子はすっとんきょうな声を上げた。

「なんか自分、プロバレリーナみたいなメイクやな」

濃い化粧だが、バレエメイクとは一味違うバレエ用アイラインの入ってない千尋。

「千尋ちゃんきれい」

 数時間前に顔の話で盛り上がるだけの事はある、まるで舞台女優な仕上がりに流衣はガン見してしまった。

「やだ〜そんなに見られたら照れちゃう。流衣ちゃんは何でそこで止まってるの?」

理子は未完成、流衣は手付かず状態。千尋はふたりの踊りを観た後なだけに、メイクが苦手とは思えずに問いかけた。

「メイク苦手で……」

「うちもや」

理子がどさくさ紛れに共感する。

「みっちゃんキレイに出来てるじゃない」

「ここまではええねん。けど、うち奥目やろ? 普通にライン入れたら目がちっさ〜なんねん」

ちっさ〜っに力を入れる理子。

「じゃあ思い切って目袋より更に下にライン入れたら良いよ」

と言って思い切ったバレエメイクを、ささっと描いてしまう千尋。

「ちょっ、漫画やない?」

鏡の前でアップで見ると、歌舞伎の隈取りかと思うほど大胆な位置に入ってる。

「わっすごい! みっちゃん外人さんみたいよ?」

「嘘やん。そんなわけあらへん……」

柚茉の一言は揶揄いにしか聞こえなかった理子は、柚茉越しに遠くの鏡に自分が映ってるのが見え、遠目には自然に目が大きく見える、絶妙な位置に入れられてるラインに驚いて言葉が途切れた。

「すご〜い、舞台映えしそう」

光莉も感動するほど見てる。

「さすが千尋。バレエより才能あるわ」

「私もこっちの方が好き」

いつのまにか背後から見てたユズが、千尋の特技を褒めた。そして机の上に並ぼられてる流衣のメイク道具を見て何か感じ取ったユズ。

「流衣ちゃんの顔も作ってあげたら?」

「え?」

「そのつもり!」

千尋はほくそ笑むと、自分のメイクセットを抱えてきて、流衣の前机の上にドンと置いた。まるでリカちゃんハウスの様な白くて大きいカバンが開くと、階段状態のパレットが飛び出してきて、その別世界ぶりに、流衣は生まれて初めて獲物を見た猫さながらに目を丸くした。

「……よろしくお願いします」

 右手でこそっと自分のメイク用品を脇に避けて、もうまな板の鯉だと千尋に顔を預ける流衣。

「任せて〜!」

やったぜゴー! の世界に入った千尋は、指を鳴らす代わりに、パフを小指にはめ戦闘体制に入った。


「任せてごめんなさい、香緒里先生」

そう言って和室の控室に入ってきた日野は、大きな花束を抱えていた。

「大丈夫です、特になにもありませんでしたから」

生徒の荷物が数点置いてあるだけの、誰もいない控室で何かが起こるわけもなく、香緒里がのんびりとペットボトルのお茶を飲んでいた。

「見事に誰もいないわね」

閑散とした和室の上がり框に花束を置いて、日野もお茶を飲んだ。

「大概の子は舞台見に行きましたよ。秋山さん見るためにチケット買ってますからね」

この楽屋を使っている生徒達の出番は終了している。 

 ジュブナイルクラスの子達はほぼ帰宅。それより年齢が高い子達は観劇に回るか、出演する側(流衣達五人)にいる。大人バレエの生徒達は帰宅と観劇は半々といったところである。

「ところで先生。どうしたんですかその花束?」

ピンクがメインの大きな花束が、ミスマッチに和室の畳の上に横たわる。秋山に贈るには乙女チック過ぎるのではと香緒里は思った。

「駅ビルに入ってる花屋さんに頼んでたんだけど、間違って秋山さんに届いたら困るから取りに行ったのよ」

「それ、秋山さんに贈るためじゃないんですか?」

秋山とSスタジオには三教室合同で、ロビーに飾る花を送ってあるので、個人的には必要無いと日野は判断した。

「流衣ちゃんによ」

日野はにっこりと香緒里に笑いかけた。

「なるほど、ローザンヌのはなむけですね!」

「それもあるけど、花が無いと寂しいものね」

日野の頭の中に、以前の発表会で舞台上での最後の挨拶が終わった後、美沙希に寄ってきた友達が舞台の下から花束を手渡し、抱えきれなくなって困っているのを流衣が手伝い、美沙希が抱えきれない花束を代わりに抱えていた、以前の発表会の場面が回想されていた。


——あの時の哀しそうな笑顔が離れないのよ。一番拍手喝采を浴びた流衣ちゃんが、他人の花束を代わりに抱えるなんて……美沙希ちゃんの付き人じゃあるまいし、あれは酷だわ。誰も悪く無いのに人が傷つく事ってあるのよね……。いまさらこの花束で傷を塞げる訳じゃ無いけど、少しでも良い記憶作って貰いたい。


流衣が発表会を躊躇う訳を、日野はちゃんと分かっていたのだ。


「でも、流衣ちゃんチケット買ってましたよね? 貰った人は花束くらい買ってくるんじゃ無いですか〜?」

 香緒里は経験上、招待される相手はその位は当然と思っているが、理解が有るのは舞台を熟知してるか、周りの大人がいかにしっかりしているかである。そのことがどれほど幸せなのか香緒里は知らない。

「それはそれでいいの。最後の挨拶の時に一番最初に渡しちゃおうと思って、目立つように奮発して大きな花束にしたの」

「主役より先にはマズくないですか?」

「ほぼ同時に渡して、なし崩しに雪崩を起こしてやろうかと思って」

怒涛の花束贈呈ラッシュを起こす気満々の日野。その状態になれば、順番など気にならなくなる。

「……先生。何だか楽しそうですね」

 子供がイタズラする直前の顔に似た笑みを漏らす日野を見て、よっぽど言いたいことが溜まっているのだろうと香緒里は日野が気の毒に思えた。

しかし日野は、教室同士の確執よりも、花束を手渡されて驚く流衣を想像しつつ、更に喜ばせる方法はないものかと思案するのだった。

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