第10話 本番前の楽屋

 仙台市立の中学校では、ほとんどの学校で卒業式を迎えていた。仙台市教育委員会の事務局で、職員が郵送物を整理していると、ある一本のビデオテープが差出人不明で送られてきていたと、委員に報告にきた。

 不審物として警察に届け出る義務が有るが、その前に中身の確認を職員と委員ですることになった。

 ビデオテープが再生されると、そこには仙台駅へ続く連絡通路が映し出され、移動しながら撮影されている映像は隠し撮りらしく、腰の位置より下から撮影されたと思われるアングルで、視点が定まらないが映像は鮮明である。次第にある一人の中年男性の後ろ姿を追っていることがわかり、その男性が前を行く女子高生の後を追っていることも見てとれた。

 しばらく歩いていると、連絡通路を抜けて仙台駅構内への近道でもある駅ビルの中に入っていく女子高生、その後を追う様に中年男性も歩いて行く。両脇に並ぶ店先には、各々クリスマスのグッズが競い合って並べられ、すれ違う人々の多くはクリスマスを祝うように浮かれている様に見える。エスカレーターの前まで行くと女子高生は上りのエスカレーターに乗った。そこへ中年の男がポケットから携帯を出して、何かを見ている様な仕草をすると、女子高生のスカートの下に携帯を差し出しすかさずシャッターを押した。エスカレーターの上下が重なる、ほんの一瞬の死角になる場所を狙っての犯行だった。 女子高生はシャッター音に気が付き、直ぐに後ろを振り返って中年を睨んだが、中年の男は素早く携帯を隠したので確証がない。女子高生は不審に思って辺りを見渡すが、近くに誰もおらず、目の前の中年男性が怪しいが、問いただすのも怖くなり、不安げな顔をしたその女子高生は早足で人混みの中に消えていった。店内に流れるクリスマスソングが、あたかもBGMの様に聞こえるその映像は七分弱で終わった。

 映像に映っていた中年男性は、委員達も事務職員もよく知っている八件中学校の教頭教諭だった。確認を取るために、男性の勤め先の中学校に連絡を入れた所で事件が発覚した。その教頭は自校の男子生徒に殴られ、救急病院に搬送されていたのだ。命に別状は無いものの全治三ヶ月の重症だった。

——中学校の卒業式のあと、暴力事件が話題になったのは覚えてる。高校の入学式で話題のそいつが同じクラスだったのに驚いた記憶もある。暴力事件を起こしたんなら少年院行けよと思った。周りもそう思ってたらしくて、盗撮で教頭が逮捕されて助かった、と、ラッキーな奴だと噂が流れてたけど……。

「どうやって撮ったんだよ。まさか毎日後をつけてたわけじゃねえよな?」

そんなマメな奴じゃ無い。

安原はアクセルを踏み車を車道に乗せた。

「あのくそ変態野郎なら一日で十分だったぜ。奴がロリコンで制服フェチだってのは分かってたからよ、机の引き出しに際どい制服専エロ雑誌ぶち込んでやったらビンゴでガチで入れ食いでやんの」

 人を小馬鹿にしたケタケタとした笑いが止まらず、楽しんだ光景を描きながら、ビールでグッと流し込む姿が車を運転している安原の視界に入った。

——こいつ……ただ好き放題暴れてるだけじゃなく、ちゃんと計算してやがる。悪賢い……怖い奴。

 安原は黙ってハンドルに向かい、三つ目の信号でウインカーを上げ、車を左折させて薬師堂の方向へ向かった。


 リハーサル室に戻った八人は後から来たふたりに、改めて順番に自己紹介していた。そして流衣の番になった時、リハ室に騒めきが起きた。

「〈春の精霊〉の狩野流衣です。よろしくお願いします」

「春の? じゃ……」

黒田凛子が聞き返すと、室内に居た人達が一斉に振り返った。

 流衣が喋った後の空気感が、さっきまでの発表会の緊張感とはガラリと違うものになり、あちこちの数人のグループから小声で〈ローザンヌ〉と言う単語が聞こえ、Sスタジオの生徒の中に一体感を生み、リハーサル室の生徒達が流衣に視線を向けた。

 国際コンクールに出場する人間が醸し出す、上級者然とした威圧感オーラが感じられ無い流衣を、皆が値踏みし始めたのだ。

「あの子が、ローザンヌ出場者なの?」

「なんか、そんな感じしない」

「美沙希ちゃんや凛子さんの方がオーラあるよね」

 バーの前にいる数人が流衣を下に見て、知ったような口ぶりで中傷とも取れる発言をしてる。

「なんで制服着てんの? 祝日なのに変だよね」

「学校行って来たとかじゃない」

「呼び出しされる問題児なの? やだぁ」

バレエとは関係のない所で、卑下した笑い声も聞こえて来た。

——何これ、やだ。制服とか関係ないじゃん、すっごく感じ悪い……! 

光莉がSスタジオの生徒達の品の無さにムッとして、そっと流衣を見た。

——だよね。あたしも美沙希ちゃんはオーラあると思うもん。やっぱり誰から見てもそう見えるんだ。制服は……これしかないからしょうがないよね。

 流衣は色々と言われることに慣れて、諦めているだけだったが、光莉は、そんな流衣を見て、悲しいのに表に出さないで流衣が堪えてるのだと思い、自分が余計な事を言うべきじゃない、とキュと口を閉じた。

「はーい。〈秋の精霊〉の朝倉でーす。よろしゅう〜」

空気を割るように、理子が元気よく手まであげて挨拶したから、教室中の人間が理子をみた。

「みっちゃんはさっき挨拶したでしょ?」

柚茉が割って入ると。

「何でいかんの? さっきはここだけや、今はSさん全員に「よろしゅう頼んまっせ〜」言うとるだけや、うちメッチャ礼儀正しいやん」

美沙希たちの前に出した手を、朝食の生卵をかき混ぜる様にグルグル回す理子。

その仕草に室内の空気が変わった。

「今の関西弁?」

「えー、ちょっとこわ〜い」

 バツの悪そうな顔をした人たちがいる中で、理子を変な人だと見る人の中に、更に差別的な発言がしてる声が聞こえ、目を合わせないようにソッポを向く人もいた。

「儲かりまっか〜?」

突如ユズが理子に向かって言い出した。

「ぼちぼちでんな〜って、それ年寄りしか言わへんギャグやで?」

「分かっとっちゃん。やけん、使ってしもーたげな」

ユズが喋ると、聞きなれない語源にコップが割れた音の場所を探る様に皆が振り向いた。

「自分、博多やったんか、気づかんかったわ」

ユズと理子はまだ2・3回しか会ってなかった。

「博多は幼稚園までおったとよ。お父さんが転勤族やったさかい、京都行って大阪行って、埼玉、石川、そこからずーと北に行ってうちが受験生になったってはあ、単身赴任に切り替わったさけ、仙台で止まったった」

京都から盛岡、酒田を経由してユズが喋る。

「そうだったの? でも普段イントネーションがフラットだよね」

普段のユズの喋り方から連想できなかった美沙希が聞いた。

「いろんな方言がチャンポンしておかしくなっちゃうから、ゆっくり喋ってた」

ユズはあはは、と軽快に笑って答えた。

スタジオ繋がりで三年以上の付き合いだが、家の事まで細かく聞く事は今までなかったので、標準語でも仙台弁でもない発音の原因が初めて分かって、美沙希は頷いた。

「なんや、博多でも関西でも無いやん。まがいモンやな」

「だから〜」

歯に衣着せぬ理子の物言いに気後れもせず、「そうなの〜」の意味の仙台弁「だから」で軽く返すユズ。

「まがいモン……」

凛子をはじめ、リハ室の面々は理子のダイレクト発言に引いてしまい、中には目を合わせないようにコソコソと練習を始める人達もいた。

「ユズちゃん、超バイリンガル」

「うん。器用だよね」

一方で理子に慣れてる面々。生まれも育ちも仙台の光莉は、羨ましい気持ちを込めて初対面のユズ情報をインプットし、流衣も尊敬念を持って笑顔で頷いた。

 理子発言に何一つ動揺はしない。そんなふたりの前に理子がツカツカと寄って来て流衣に向かって口を開いた。

「笑っとる場合やないやろ流衣ちん。見返したり!」

「え?」

流衣がのんびりしてるので代わりに理子が怒っていた。

「みっちゃんの言う通りだよ流衣ちゃん。あーゆーのは実力で黙らせるのが一番だよ」

美沙希も静かに怒っていた。

「美沙希ちゃんに一票!」

「光莉ちゃんまで……」

流衣は焦ってオロオロしてしまった。

「当たり前だよ、うちのエースなんだと思ってんのあの人達」

柚茉が自慢げに言ったトドメの一言は、誰よりも流衣に響いた。

——エース⁈ それ私? うそ……おだてられてるのかな……。

「舞台終わったら、土下座させんで?」

「見てらっしゃいって、感じだよね」

何故か鼻高々で威張る理子と柚茉。そして美沙希も光莉も、まるでバレボールの試合前の気合入れのような顔をしていた。

——そんな風に思ってくれてたなんて……。

教室のみんなが自分の事を自慢に思っててくれた、流衣は感動してじわりと胸が熱くなる。そして改めて踊りに向き合う姿勢に気合が入った。

——もっと感動して貰えるように、……みんなにがっかりさせないように、しっかり踊りたい。

Sスタジオのユズと千尋、少し離れて凛子も、流衣の近くに寄って来た。

「うちらね、噂の流衣ちゃんに会えるの楽しみにしてたの」

耳打ちするようにユズが声を潜めて言った。

「噂?」

——ってことは美沙希ちゃん? なんだろう。

美沙希が自分をどう言ってたんだろうと、流衣は耳を傾けた。

「私には出来ない可愛い魅力的な踊り方するって、美沙希が言ってたからね」

凛子が回想する仕草で腕を組んだまま話す。

「ええっ、ウソっ」

思わず叫んでしまう流衣に、美沙希は普通に

「そうでしょ?」

と言う。

——美沙希ちゃんに褒められた。美沙希ちゃんにも褒められた! 可愛い踊りだって。魅力的な踊りだって。や〜ん、どうしよう〜! 今日なんの日? 私もう死んじゃうのかな、仏滅? いや、のの様じゃないから、神のアガペーを注がれし迷える子羊……? うん全然違う。なんかもうおだてられてても良い、今だったら椰子の木のテッペンにも登れそう〜!

 面と向かって拍手されるより、陰で言われていることは本音に近くて信じられる。皆んなに自慢に思われていた事プラス、自分より上手くて先輩である美沙希が本気で褒めてくれた事で、流衣は有頂天で今にも踊り出しそうになった。

「……なんて化粧のし甲斐がある理想的な顔立ち……」

突如、遠方からオレンジの光線が飛び込んで来たような、刺激のある視線とセリフの内容に流衣は振り向いた。

 さっきから流衣の顔をじっと眺めていた千尋が喋りだしたので、流衣の有頂天ダンスは不発に終わった。

——化粧のし甲斐がある……それって〈のっぺら坊〉ってことかな……?

浮かれていた流衣に水を差すような発言だった。

「流衣ちゃん一重なんだ」

「はい……ごめんなさい」

つい謝ってしまう流衣。

「なんであやまるん?」

理子が定例のように突っ込む。

「違う違う。目がおっきいのに一重だから驚いただけ。この瞼に二十四時間アイプチ入れたら、絶対二重になるから頑張って!」

「あ、はい。え?」

何を応援されてるのかよく分からないまま返事する流衣。

「ニキビ痕がない……何これ奇跡? コンシーラー要らないじゃん! ツルツルたまご肌で、大きい瞳にカラコンと二重の付けマだけでも〈姫顔〉いけそう。シャドー入れ放題で、作り放題じゃーん!」

ジャンクフードも揚げ物祭りにも縁がない生活していた流衣は、吹き出物に回るほど脂を取ってなかった。

 千尋は更に流衣を見つめ、顔だけじゃなく頭からつま先まで360度観察し始めた。

「ヤバイ。千尋にスイッチ入った」

「キャンメイク信者降臨」

コナン君が毛利小五郎の声真似で蝶ネクタイに話しかける場面を観るように。後は説明を聞くだけの放置状態のユズと美沙希。

「すみません。凹凸が少なくて……」

シャドー入れ放題なんて言われたので、やっぱり〈のっぺら坊〉という事なのかと、自分が可愛くないと分かっていてもちょっぴりショックな自滅女子。

「流衣ちゃん、そんな事ないよ」

光莉が一生懸命に流衣を庇う。

「そうそう、骨格が良いし、こんな綺麗なEライン初めて見たよ」

千尋が光莉に同調してきた。

どんな顔でも化けられそうな顔立ちに、千尋は創作意欲が湧き出した。

一転して褒められた流衣は、聞き慣れない美容用語にキョトンとした。

「Eラインってなんやの?」

同じくよく分からなかった理子がユズに聞いた。

「ここ」

理子の質問に流衣の顔を両手で掴み、くるっと動かしてみんなの前に並行にし、鼻の頭から顎まで指を当てて示した。

「この鼻から顎にかけての斜めラインがEラインで、このラインから唇が出てないと、理想的な骨格と言われてるの。こんな感じで」

鼻から顎にかけて当ててる指のライン上、その内側に唇が納まってる完成度の高い流衣の横顔を見て、皆が自分の顔に指を当てて比べ出した。

「やだ、あたし鼻から縦に真っ直ぐだ」

「真っ直ぐなら良いじゃん、私なんか唇出てる、ショック」

鏡の前で普段見ることのない横顔を見比べてショックを受ける女子達。

「あかん、シャクレとる……現実キツイな」

「みっちゃん笑わせないで……」

顎が唇と同じライン上なのだが、わざと下顎を出して大袈裟に言う理子に、美沙希が笑いを堪えて注意する。

「おはようございま〜す」

入口から聞き慣れた声が聞こえて来た。

「陽菜ちゃん」

流衣が振り向き、今までEラインの話題で盛り上がっていた皆んなも振り返った。するとマスクをしている陽菜が目に入り、驚いて美容会話は頓挫してしまった。

「どしたの陽菜?」

美沙希が心配して声をかけた。

「風邪ひいちゃった〜」

しょんぼりした声が聞こえて来た。

「大丈夫? 熱ない?」

駆け寄った流衣は陽菜から荷物を奪い、皆んなの荷物の近くに置いた。

「うん。喉が痛いけど熱は無いの」

「でも陽菜、ボーとしてない?」

いかにもこれから熱が上がる前兆の、潤んだ瞳をしている陽菜を見て益々心配する美沙希。

「なにしとんっっ。今日本番やないか、自己管理せなあかんやろ」

理子の叱咤が飛ぶ。

「そんな事言ったって〜、陽菜悪い事してないもん」

いい訳しながら流衣の後ろに隠れる陽菜。

「ちゃんと家帰って、うがい手洗いしてた?」

風予防の基本を美沙希が聞く。

「してたもん、たまに」

「たまにってなんやねん! それ絶対あかんやろ」

「やーん」

厳しい先輩に怒られる陽菜は、隠れるどころか流衣を盾にした。

「まあまあ、みっちゃん。そんなに怒らなくてもいいじゃない」

流衣の影に隠れた陽菜に、反省する気が無いのを見てとった美沙希が二人の間に割って入った。

「だよね〜。結局、上手く踊れなかったら後悔するの陽菜だもんねー」

柚茉も美沙希と同じ感覚で見ていた。

「グサッ」

現実的な柚茉に、心の声ダダ漏れで表現する陽菜。

「結構シビアやな」

「んー。風邪が急に治るわけじゃないもんね。陽菜ちゃん着替えて一緒に柔軟しよう」

流衣が陽菜を促して着替える為に荷物のそばに行った。

「そだね。うちらも着替えよ」

 ふと周りをみると、リハが終わり個室に行った秋山に追随して他の男子達も個室に行ったらしく、リハーサル室には女子の姿しかなかった。既に着替えいる美沙希たちを置いて、五人は荷物のそばで着替え始め、その様子は女子校の教室に見えた。

 今日は本番なので後で衣装に着替える為に、インナーの上にジャージを羽織って時間まで練習する。流衣達の出番は三幕でも最後の方。幕間のリハーサルでは衣装をつけて踊り、メイクはその後でも間にあう。Sスタジオの生徒達は色違いのお揃いのロゴ入りジャージ、もしくはパーカーだが、ヒノ教室の生徒は上着に制限も規則もない。ピンクの可愛いパーカーから、黒くシャープに見えるスウェットものとバラエティに飛んでいるなか、流衣は学校の体操着だった。

「パンチ効いとんなぁ、そのジャージ」

理子が流衣の背中を見ながらボソッと言った。

「動きやすくて暖かいよ」

紺色で厚めの生地で作られたジャージは使い勝手が良く、流衣は気に入っていた。ただ背中に漢字で校名が入ってるのがたまにキズ。

「あれなに? 恥ずかしっ」

向こうから小さく、しかし確実に聞こえて来た声は、クスクスと笑い声が伴った。

「……ここちっこい犬おるん? キャンキャン聞こえるわ〜、やっかましくてかなわんなぁ」

負けじに聞こえがしに言う理子の声に、中傷して笑っていた三人は黙ってバーレッスンを始めた。

——ローザンヌにビデオ送る度胸もないのに限って、あないな事言うねん! ほんまムカつくわ!

 理子は自分から貶すような事を言っても「冗談」だと言い切り、他人が貶すと庇い出す。ツンデレ選手権があったら優勝しそうな頼もしい先輩。

「みっちゃん。ありがとう」

流衣はそんな理子に、抱きついて好きだと言う代わりに「ありがとう」と言った。

「自分……毒リンゴでも食べたん?」

照れ隠しに雑言を吐く理子。

「……んー。朝にバナナ食べた」

「マジカルバナナや」

しれっと突っ込みを入れる理子を見て、流衣は誰かを思い出した。

「みっちゃんって、ハクみたい」

何だかんだ言っても、心配してくれて気を回してくれるハクと理子が重なり、ぽろっと口から出てしまった。

「え〜みっちゃんがハクなの? 似てないよ〜」

着替え終わった陽菜が横から話に乗ってきた。流衣はハクを知ってる事に驚いてしまう。

「うちおかっぱやないで?」

「おかっぱ……?」

流衣があれ? と思うと

「〈千と千尋の神隠し〉のハクでしょ?」

光莉が答えたので流衣はポンッと手を打った。

——なんだそっちか〜! って当たり前か、皆んなが『時玄』知ってるわけないもんね。びっくりした〜! おかっぱなんて言うから、……天パーの長い髪の毛をいつも結んでるハクの髪がおかっぱでって…… やだ、ハクに会ったら絶対想像しちゃうっ。

「流衣ちゃん、顔がニヤけてるよ」

「今度は何を思い出したの?」

着替え終わって、開脚してる光莉と、座って足裏を合わせて、腸腰筋のストレッチをする柚茉。

「楽しそうやな、緊張しないん? もううちはガッチガチのきっりきりやわ」

「うそぉ、みっちゃんが緊張⁈」

光莉は驚いてちょっと大きい声を出した。

「ロボットやないねんから、緊張くらいするわ」

「うーん。今まだ楽しい方が勝ってるけど、メイクして衣装着たら胃がきっりきりすると思う」

流衣は胃をさすりながら同意した。

 緊張するタイミングは人それぞれ、しかし流衣は今回はいつもとは違うものに心を支配されていた。この胸のときめきは見る相手が一臣だからなのか、皆んなの期待の表れなのか、それともローザンヌ前の緊張感からなのか、複雑に感情が絡みあう。


——皆んなの期待が嬉しい、それに客席から自分を見てくれてる人が居る……。それだけでこんなに気分が違うなんて……凄く胸が熱い……!


湧き上がる高揚感に襲われて、緊張を通り越してしまっていることに、流衣は気付いていない。


そして、この日の出来事が一臣の運命を決める事になろうとは、流衣にわかるはずもなかった……。



 




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る