第3話 一対一

「お前まさか、おれのバイク貸せって言わねーよな」

ハクは、ドキドキしながら一臣に聞いた。

「言ったら貸してくれるの?」

「んな訳ねーわ」

「知ってる」

だから最初から聞いてないけど? と言いたげな表情で、いつも通りのサラリとした返答が返ってきた。木曜日の昼下がり、賄い飯の本日のランチの残りの鯖の味噌煮定食を食べながら、一昨日に一臣がバイクについて聞いて来た事が気になり問い質した。

「『差しの勝負だバイクで来い』と言われた」

「今度のお前の敵は〈海槌亜悠弓〉かよ?」

「それ誰?」

〈スケバン刑事〉の初期のラスボスの妹の名前である。ハクのマニアックな突っ込みについて行けない一臣は普通に聞き返した。

「いやそこ気にすんな。それよりお前一体どこの違法人の相手にしてんの? それにバイクはどうすんだよバイクは! お前まさかおれのバイク貸せって言わねーよな?」

「言ったら貸してくれるの?」

「んな訳ねーわ」

「知ってる」

 木枯らしが吹き始めた秋晴れの日、乾燥し切った空気の中を、自転車で『時玄』まで来て喉が渇いたのか、お冷グラスに水を注ぐと一臣は一気に喉の奥に流し込んだ。

「この間散らした原チャリ連中のダチっぽいのが400CCのホンダの二輪に乗って現れて、勝手に時間と場所行って去って行った。バイクは通学路にある空き地に何年も不法投棄されたバイクがあって、バッテリー入れ替えたら電気系統が生き返ったから、何箇所か修理すれば乗れる筈」

一息ついた後、一臣は明々白々としてハクの質問に答えた。その答えにハクは、何じゃそりゃと頭を抱えながら聞く。

「時間と場所は?」

「日曜の夜0時、新港の入口」

「……何だその特撮の決戦場みたいなの」

 利き手じゃない方の指で持った箸を自分的に存在理由が解らないヒジキの煮物をつついて持て余す。

「……その生き返ったバイク何?」

「ヤマハXS650」

「ブーッ!」

飲んでた水を全部吹き出してしまった。

「ブッ、ゲホッゲホッ、ゴホッ」

そしてかなりむせた。咳き込んでるハクを冷静に見てた一臣は。

「大丈夫?」

と声をかけたが、ハクは咳き込みが治るのを待ちきれず、動物を見るような驚嘆の眼差しで一臣を見て

「おまっ、それっ、あ、んっかっ、バイク、四十年前の遺物だどっ、分かるってんのか⁈」

変な日本語を放つハク。確かそのバイクは十何年も前に製造中止になっている。

——メンテナンスがしてあるならともかく、放置して野ざらしのバイクが動いたら、世界遺産認定だっつーの!

「動くと思うけど?」

ハクの焦りを他所に、一臣は事も無げに答えた。

「いやそんな、ナンクルナイサー的に言われても……」

「じゃあ何て言えばいいの?」

何の捻りも無く聞いてくる一臣。

「取り敢えずそのバイク見せてみろよ」

ハクは目の前のヒジキの煮物を口の中に押し込み水で流し込むと、食器を流しに押し込んで立ち上がり、一臣を促し外に出る。

「さーて、世界遺産登録申請しに行くか」

一臣は無味乾燥の為、ハクのセリフはただの独り言になってしまった。時間短縮のためハクのバイクで目的地に向かったので15分程で着いた。そこには十坪ほどの土地に、手作りの扉の無い小屋が建ててあってバイクはその場所に収まっていた。

「野ざらしじゃねーじゃん」

ハクが驚いて声を上げると。すかさず一臣が応えた。

「野ざらし何て言ってないけど」

 ……ん? そう言えばそうだな……言ったのオレか。

「ユネスコもびっくりだな」

何でここにユネスコが出てくるのかは分からないのでスルー、の一臣。

「待てよ、じゃあこれ不法投棄じゃねーよな。誰か持ち主いるだろ、まずいじゃんか」

「この土地、持ち主が分からないらしい」

「へ?」

ハクは目の前の土地を眺め、回りを確認するように見渡した。その右側は雑草が生い茂る空き地、左側は田んぼ、その小さな土地の中に小屋と電信柱が建っていた。

「電信柱が震災とその余震で倒れそうになって、直したくても土地の所有者が分からなくて、出来なかったらしい」

成る程、その電信柱は応急処置として、隣の土地から支える用に柱が立ってる。

「町内会長から持ち主が亡くなってるの聞いて自治体が調査してる、10年はかかるらしい」

更に一臣が聞いた話を要約して説明すると……

 独り身だった土地の所有者は交通事故で亡くなったらしく、遺言書も無いため自治体が親戚筋を探してるのだが、土地代より敷地内の撤去費用と相続税足した金額の方が高く付くと思われる為、おそらくは親戚は遺産放棄するだろう。しかし遠い親戚を探して財産放棄の書類を作成して法律上で国の所有権を取るまで、何年も何十年もかかる、とゆう事らしい。

「民主主義ってめんどくせえな……」

まあ、けどそれなら逆にバイクが無くなってくれた方が都合良いんだな。これをわざわざ金掛けて直すなら、間違いなく廃棄処分費用のが安いもんな…、ハクはバイクに近寄って座り込みマジマジと見つめた。

 野ざらしでは無い屋根は有る、が扉が無い為、下半分はやはりとゆーか、かなり錆が上がってる、クラッチが切れてるしオイルタンクに穴が開いてる、けど見渡した今の所酷いのはそのぐらいか…? あとタイヤ、もちろん車検も切れてる。一臣が取り替えたと言ってたバッテリーだけやたら新しく浮いてる、70年代のハーレーダビッドソンに心酔してたで有ろう時代のアメリカンスタイルに寄せたフォルム。

(カッコいいな……)ハクはうーんと唸った。

「お前これエンジン掛けた?」

「いや、タンクに穴が開いてたから掛けてない」

「お利口さん」

ハクは素直に褒めた。

(こいつ……モノの原理が分かってんだよな。もしエンジン掛けてたら、水が回ってちまって一発アウトだ。バイクの構造とか知らないくせに、自分で直そうとする割に、知ったかぶりして弄り回したりしないとこが流石だな)

「『ゴールデン・スランバー』って映画見たか?」

ハクは携帯を取り出して、電話を掛けながら脈絡の無い話しをし始めた。

「小説なら読んだ」

『ゴールデンスランバー』井坂幸太郎著。ハクは活字を見ると眠たくなるので、もっぱらら〈映画化〉待ちの人。その映画のワンシーンがポンッと、頭に浮かんだ。

「あれで、長年放置された車で、逃げるシーンあんじゃん。——あ、しぶちゃん、社長居る?」

話途中でちょっと待った、と軽く手で合図する。

「バイクタイヤの在庫探して欲しいんだけど、350-19 と 400-18 そうそう、それとさ、ガレージの隅っこ貸して欲しいんだけど空いてねえ? おーやった。サンキュ。ついでに軽トラも。……うんそう、助かる。え?要求多い? 気にしない気にしない、じゃよろしく」

言いたい放題いって電話を切った。そして事もなげに先程の話の続きをし始める。

「ありえねぇよな。あの車さ、日本車だからエンジンはバッテリーで生き返るかもしんねぇけど、ぜってえタイヤ死んでんのに走れるわけねー! って、映画館で突っ込み入れるとこだった」

「ファンタジーだから」

一臣がボソっと言った。

「まあな、政治ミステリーってより青春SFドラマだったな、面白かったから、んな事はどうでもいいけど、まあ普通はこうなってるよな」

と言いながらバイクのタイヤに目をやると、空気が完全に抜けてる上に亀裂が入ってボロボロの両輪、これで走ろうとしたら真っ直ぐ走れないし直ぐに止まるだろう。

「ところで、何でハクがバイク治すの」

一臣はさっきから、何故かハクがタイヤやらガレージやらを手配してるのか分からなくて、言い出しのタイミングを測っていた。

「やんねーよ。治すのも金出すのもお前だわ。オレは場所を確保してやっただけ」

ここで、ハクは並んでる一臣に向き直って説教する口調で話し続けた。

「喧嘩を売られたのはお前だし、中途半端に買ってラスボス引き出したのもお前じゃん? それを助ける程おれはお人好しじゃねーっての」

「じゃあ何で……」

説明はまだ消化不良のようだ。

「おれはなあ、このおっとこ前のバイクが、野ざらし同然になってるのが忍びなかっただけよ」

「なるほど……」

それなら納得できる。

「もうすぐ、渋ちゃんが軽トラでバイク取りに来てくれるから、お前一緒に行って直ぐ治しにかかれよ、今からやれば日曜日の夜まで何とかなんじゃね?」

こいつの事だから、この2日で勉強してバイクの構造頭に入ってんだろな……とハクは思った。

「……そうだね」

いともあっさりと、肯定されて、慣れたとは言え少しムッとしたハクは。

「ちなみに、行き先は車屋なんだわ、渋谷くんは二級整備士の資格持ってるけど、四輪の方だから頼りにはならないからな、道具は貸して貰えるけど直すのマジでお前だから、まあ頑張れよ」

嫌がらせのように意地悪く言った。

「分かった」

が、全く通じなかった。


 日曜日『時玄』はお休み。日曜日のハクはいつもより少し早起きして、もう一つの仕事のスロットライターの原稿の為、下見と云いつつ趣味のパチ屋に出勤する。だが今日はどうしても出勤する気になれなかった。8時20分……。黙々と煙草の煙をはきながら、今日打つとしたら何を打とうか……といつもの思考に戻そうと、考えながらインスタントコーヒーを2杯流し込むように飲んだ、視線を動かし壁を見るとは8時37分……と時計の針が指していた、全然時間が進んで無い。

「……行ってみるか」

 そう決心すると気持ちが楽になった。いつもの上着に腕を通し、愛車の鍵を手に取ると気持ちが落ち着いた。バイクに跨りエンジンを掛ける前をみると、程よい秋晴れの遠い太陽が冷たい空気を運んでくる心地良さに、今日ドライブしないでいつする? と、自問自答しながら愛車を走らせた。

 国道をひた走り、県道へ移りしばらく行くと川を越える、そしてもうひとつ川を越えすぐ左折し、緩いカーブを過ぎたとき、『車屋さん』の看板が見えて入り口で客の車を洗車している渋谷を見つけた。

「よお渋ちゃん、今日早くね?」

 駐車場——というには程遠い、敷地内には車がひしめき合い、人が横歩きしないと動きが取れない場所を避けて、道路よりにバイクを停めて話しかけた。

「ハクも来たのか、何か今日も朝からやるって言うしさ、つられて早く来ちゃったよ」

笑いながら文句を言う渋谷は、茶髪で小柄で細身な20代後半の青年で、一見チャラく見えるが、人の良さそうな話しやすいタイプの男だった。店舗を兼ねているためいつもなら10時迄に来れば良いのだが、今日は1時間も早く出勤している。

「ハク、も?」

も、って——?

「もう来てるよ2人とも」

 ……2人?

「なんでセキが居んの?」

ガレージの作業場所まで来てみて視界に入ってきた2人の姿。

「溶接出来るか聞かれたから、何だと思って来てみたら面白そうな事してるからよ、つい手伝っちまった」

言いながら、セキは器用に手を動かしながらマフラーを外しにかかってた、マフラーを外さないとタイヤが外せない為である。作業は既に最終行程の磨きに入っていた。

「そういやおまえ、工業高校に行ってたんだっけ」

オイルやグリースで汚れたセキの作業服と一臣が着てる恐らくセキに借りたであろうツナギにはどちらにも1103の番号が書いてある。

「なるほど、お勤めご苦労さんですアニキ」

「馬鹿野郎! これは出席番号だ囚人番号じゃねえ!」

ハクがからかい、セキがキレる、いつもの風景。

「凄え……タイヤ以外もうほぼ直ってんな、クラッチも繋がってるし、タンクの溶接綺麗じゃん」

ハクはバイクをグルッと見渡し、素直な感想を口にした。

「溶接はセキがやった」

一臣はハンドルとシャフトを中心に錆を落とす作業を終えて、サンディングの番手を上げて磨き上げてるため、ハクを振り返りもせずに答えた。

「へぇ、オマエ器用だな」

人って何かしら取り柄あんな……とハクが思ってると、そのやや斜めからの目線に、コイツ今、ぜってえよからぬ思想してやがんな、と表情から空気を読むセキ。

「溶接より旋盤回す方が得意だけどな」

なのでセキはちょっと牽制してやった。

「懐かしいな、旋盤! 中グリとねじ切りどっち得意?」

中に入ってきた渋谷が話しを聞いてた部分に、突如反応して質問してきた。

「どっちかってえと、ねじ切りっすね」

どうやら渋谷も工業系の学校だったらしく、ちょっと話が盛り上がる。

「へぇ職人気質だね、オレさチャカチャカしてるから旋盤苦手だったんだよね、フライス盤のプログラミング間違えて機械止めてえらく怒られちゃってさ」

と言って笑い出す渋谷。

「そりゃマズイっすね」

落ち着きのない生徒だったといいたいのか、昔を思い出したのか苦笑い、セキも引き攣った笑いをした。

「渋さん、サンダー借りてます」

 この二日でこの場にかなり馴染んだのか一臣が後付け確認をする。

「はいよ。おまっとうさんのタイヤ来たよ、表に積んであるから」

ここは車屋さん……なのでタイヤは勿論外注である。

「どうも」

「悪いな渋ちゃん」

一臣の素っ気ない返事が物足りなく感じたのか、ハクが付け足すように礼を言った。

「一本千円ね」

商売だから気にしくていーよ。という表情の渋谷。

「安っ」

セキはボソと口にしたのが耳に入った渋谷は

「ハハッ、中古だかんね〜、チューブ交換の方が大変だから、まー頑張れ」

渋谷は車のエンジンが専門なので、チューブ交換はやらない、いや出来ないので他人事である。

 セキが外したタイヤのチューブ交換を行うため、一臣は古タイヤを台座にしてその上に乗せた。まずバルブとナットを外しビード落としに取り掛かる。古タイヤは空気が抜けてフニャフニャしてるがそれはチューブの空気が抜けてる為、古いタイヤ自体は凄く硬くて手強い、実際にタイヤとホイールのリムの部分にレバーを差し込みズラし乍ら下に落としていくが、一周しても微妙な手応え。

「うちビードブレイカー無いからなぁ、タイヤレバーで行ける?」

苦戦してる一臣を見て渋谷が声をかけた。

「……リムガード有ります?」

硬いので体重を掛けようとすると、ホイールの方が傷付きそうだ、それは不味い。

「ないけどウエスで代用したら良いよ、あ、古タイヤのゴムの切れっ端あるからそれの方がいいかも」

言いながら指で示した先に、ウエスやらのまだ使えるそうな物がまとめて置いてあった。

「ありがとうございます」

又ハクに代弁されない様にハッキリとお礼を言うと、再びチューブ交換を試みる。3周するとビードが外れ、しっかりとチューブが取り出せた。

「どうせタイヤも交換すんだから、そんなにキッチリやる必要なくね?」

横で見てたハクが、全部切ってしまえば楽じゃねーのかと思いながら言うと。

「取付けするなら工程覚えた方がいいと思って」

一臣は原理を覚えたかったのだが、ハクはそこの所はパスしたいタイプなので、整備工になるわけでもないくせに真面目な奴だな……と映った。


 タイヤのビード上げ……つまり取付けも程なく終了し、一連の作業工程が終わり。いよいよエンジンの振動を試みる。中古だが新しいタイヤを履き、錆を落としてピカピカのそれは、何やら少し威厳のようなものを感じる。

キーを回しキックすると、二度目に……

—ドゥルン! と軽快な音を響かせ続いて ドゥ、ドゥ、ドゥ、と繰り返す、いいエンジンだ。

「いー音すんなぁ……」 

ハクがエンジン音に痺れてると。

「何でテメェが掛けてんだよ」

バイクに跨ってウットリしてるハクに、セキが呆れて叱った。

「いいじゃねーかよ、こん中でバイク乗ってんの俺だけだろ」

好奇心に勝てなかったハクがしれっと答えた。

「ふざけんな、一臣がやんなきゃ意味ねーだろ!」

「別にいいけど」

お手本見れたからいい、くらいの程で言う一臣。

「ん?」

うっとりとエンジン音に聴き惚れていたハクが、何か気が付いたのか、バイクのエンジン音に耳をすませた。

「なに?」

一臣がハクの行動を真似て耳を傾けてみると、微かにさっきと音が違う、けどそれがどんな意味なのかは分からない。

「回転数下がってねえ?」

ハクの発言で全員耳を傾けた。すると微かにモーター音が低くなり〈弱まる〉〈回復する〉——を繰り返してる。

「本当だ、よく気がついたね」

じっくり聴かないと分からないくらい微かな違いに気がついた事に、渋谷が感心して言った。

「ジェネレーターか?」

学校で、原動機の時間に自動車のエンジンの構造はやったのだが、結構前の事なのでセキは朧げな記憶しか無い。

「親玉のオルタネーターかもな」

バッテリーがダメなら、エンジン自体がかからない。バッテリー交換済が分かってたハクは、そもそもの元が悪いのかと思う。

「いや、ジェネレーターにしてもオルタネーターにしても、電気系統がイカれたなら音が上がる、これは音が下がってるから違うね」

電気系統なら、計器類に異常を知らせるランプが点灯する。しかし何も点灯していない。渋谷は何となく原因が分かったのだが、目の前の子達がなんて言うのか、どこまで辿り着けるのか見てみたかった。

「なんとも言えねーけど、オイル交換してみたら少し落ち着くんじゃねーか?」

セキが意見を出した。

「オイル交換まだなんかよ?」

「エンジンかけてあっためないと抜けきんないからね」

基本的な事を渋谷が言った。通常ならオイル交換の為に何方かの店に行くまで走るので、既に車体は温まっている。このバイクは例外の為に暖気運転の必要があった。

「ああそっか……。んで、コイツのオイル何?」

ハクが一臣に聞いた。

「純正だと鉱物油。20w・50」

「20w? んな硬いの使ってんの? ただでさえ硬いのに鉱物油ならエレメントから一式交換だな……ってそれ全部お前できんの?」

「やるけど」

(相変わらず「なんで聞くの?」って顔して、なんか他の事考えてるみたいだけどマジか)

「大丈夫そうだけどね」

ハクが心配そうな顔しているので、思わず渋谷がいった。

「必要な部品の話した時、何が必要か分かってたよ。俺はバイクに無知だから知らなかったけど、〈ヤマハ〉のSRってドライサンプ式エンジンで、ドレンボルトが二ヶ所有るらしい、ドレンボルトのガスケットの役割も理解してるし、力加減を煩く言う必要ないから、オイル交換くらい余裕でできると思うね。この三日間の作業っぷり見てたら、明日からここで仕事出来るよ」

ハクの不安を払拭させた。

「……なるほどな」

そう言って納得したのは、元ヤンルックスだが実際には頑固職人気質の渋谷に、ここまで言わせた事に感心したのだった。

「まあ、取り敢えずオイル交換してエンジン回してみて、そっからの話じゃねーか」

セキが話しを区切り、暖気運転中のバイクに近付いた。するとさっきより音の波が顕著になってきた。

「……何だこりゃ?」

セキが止まり掛けてるようなエンジン音に、理由が分からず驚きの声を上げた。

 エンジンは普通に動いてるかと思うと、どんどんと音が弱くなり、今にも止まりそうなほど弱々しいなり、ぎりぎりの所で持ち直す……を繰り返す。そして警告灯は付いてない。

(……やっぱり、三十年も前のバイクだし、何十年も放置されてたから無理か……)

とハクも思ってしまった。

 一臣はさっきからずっと、この数日の間に何度も見返したバイクエンジンの構造、仕組みの構図を思い出して原因を考えた。

(回転数……、回転を上げるのはスロットルを回せば良いから簡単だけど、下げる……。ニュートラル状態で、回転数が制限されてる物が下がる、エンジン内部その物がおかしければ付くはずの警告灯が付かない。じゃあその前の根本的な問題だ、という事は、……燃料?)

「……ヒューエルポンプ」

一臣の一言で、みな表情が変わった。

「ビンゴ!」

渋谷は笑ってナイスサインを出した。

「あー」

セキは燃料を運ぶポンプの事だと気がついた。

「ヒューなんとかポンプってなに?」

ハクは置いてけぼりをくった。

「〈ヒューエルポンプ〉は燃料ポンプの事だ、車体動かしてんならそんくらい覚えとけ」

セキにつっ込まれたハクだったが、専門用語を盾ににマウント取られ、カチンときて流石に反撃に出た。

「いや待てよ、〈ヒューエルポンプ〉なんて誰も知らねーわ、整備士と教科書にエンジン構成図載ってる奴らと一緒にすんなっ、それとも毎日飯食ってるから皆んなが〈面取り〉知ってんのかよ!」

最もな意見を吐いたので、流石のセキも黙り込んだ。

「オルタネーター知ってるだけでもえらいよね」

頷きながら、渋谷は〈ヒューエルポンプ〉が出て来る普通科の高校生の方がおかしいと思った。

 

 数時間後、オイル交換が終わり、渋谷が調達して来たヒューエルポンプも交換して、無事に再始動。滑らかに回るようになったエンジンは、不安要素がなくなった。新車とはいえないまでも、錆を落とし磨かれたそれは、中古車販売している店頭に並んでてもおかしくない仕上がりになってる。

「数日前まで、外に転がってボロボロだったバイクに見えねーな」

(バイクにも車にも……つーか、今は何にも興味ないくせに、二、三日勉強しただけでここ迄出来るもんなんか? ……スゲエなこいつ……)

ハクが感動すら覚えながら言った。

「……ところでさ、これ二輪の大型だけど、君が乗るんだよね、免許持ってる?」

 身長がデカくて落ち着いてるので、最初は大人びて見えたのだが、次の日制服で現れ高校生だった事に驚いた。

 この3日間見てきて、全くの素人で単車に興味がある訳でもなさそうなのに何故こんな事してんのか疑問だった、手際の良さから頭が良いのは分かるけど、優等生っぽい真面目さは出てるけど、ちょっと違う、ヤンキーでも無いし……なんとも言えない雰囲気を醸し出す不思議な少年。

「無いです」

めっちゃ素直に答える一臣。

「そのくせよく呼び出しに応えようとすんなお前……」

とハクが力無く言った。

「呼び出された?」

渋谷がそこに食いついた。

「あれ? 渋ちゃんに言ってなかったっけ?」

「聞いてないよ、察しはつくけど」

それはそうだろう。

「こいつ、歩いてるだけで、『世界政府』から因縁つけられるタイプだから」

「じぁあハクの立ち位置、ニコ・ロビン?」

「なんでサンジじゃねーの?」

料理出来るし、女じゃねーのに。黒服に長髪のせいなんか。

「〈ワンピ〉の女子陣は巨乳じゃ無かったら興味出ない感じかな?」

「渋ちゃん、インターの出口間違えて、高速逆走するような答えやめてくれる?」

流石にハクも理解不能、腕組んで眉間に縦皺。

「原付くらいか? 持ってんの」

2人の会話を無視して、セキは以前に一臣が原チャリ転がしてる所を思い出して聞いた。

「原付も無いけど」

答える一臣。

「無い⁉︎」

ハクもセキも渋谷も驚いた。そして渋谷以外はピンと来た。

「お前ひょっとしたら、まだ十五か⁈」

「免許ねぇんじゃなくて取れねーのかよ!」

ハクとセキがほぼ被りながら喋ったのを聞いた渋谷は、そこ驚く所なのか……と交友関係の複雑さを思い知る。

「そうだけど」

そういえばコイツ高一だった……

「身長と態度がデカいから気付かんかったわ……」

ハクが唖然としてボヤいた、セキもそんな顔をしている。

「ふーん、でさ、呼び出されたって事は、勝負に行くって事?」

渋谷が、一臣に質問した。

「多分そうです」

ツナギの上半身を脱いで軽く腕を回しながら答えた。ツナギは慣れないと肩が凝る。

「免許無いのにどうやってこれ転がすの? 最近は慰問の為に要人が色々来るからパトロールキツいよ、逃げ足に自信あんの? それとも運が良いほう?」

その質問に

「両方とも必要ない」

まるで定例分の返信の様に通常通りに答える。

「その自信どっから来る? 言っとくけど車検もねえぞ」

セキが一言付け加える。

「それも必要無い、見つかっても捕まる事ないから」

運が良いわけでない、逃げる事もしない、車検も免許も無いのに捕まらない? ハクとセキはキョトンとした。ただ渋谷はさも愉快そうに笑い出した。

「新港?」

「そうです」

「そこまではどうすんの?」

「1キロで八百円らしいです」

渋谷と一臣がぽんぽんと会話してると、ハクが痺れを切らした。

「……1キロ八百円? なにその暗号化された会話」

「ああなんだ」

セキは理解したらしくうなづいた。

「えっ何でセキは了解顔してんの? 高級フルーツ的値段が見えてこねーの俺だけ⁈ 」

「ぷははっ、あーごめん、けどハクのダチおもしれー、チョー現実的!」 

とうとう渋谷は声を出して笑い出した。

現実的?

「1キロ八百円が⁉︎」

「フルーツでも野菜でもねーから、そこにこだわんな」

セキが皮肉な笑いを浮かべながら諌めた。

「重さじゃ無くて、距離の事だけど」

一臣がネタバラシすると、ハクはようやく合点がいった。

「レッカー移動か……何だよ最初からそう言えよ」

レッカー移動もしくは積載車料金、1キロメートルにつき八百円は、大手のロードサービス会社の最安値である。

「いや普通気付くだろ、新港で」

セキが言わんとしてる事は、流石にハクにもわかった。

「そりゃ分かってるわ、港の周りの道路は公道じゃねーから、お巡りに捕まる心配無いってこったろ?」

1キロ八百円がツボにハマっただけだっつーの、と心の中でボヤく。

「や、待てよ、お前この前、原チャリ動かしてたよな?」

セキが思い出しながら質問した。

「したけど?」

真顔で聞き返す一臣。

「あん時も無免許で運転してんだから、今回も乗って行きゃいんじゃねーか? レッカーするのだって免許証いるし、場所的に通報されるぞ」

さっき『車検もねぇぞ』と忠告した人間とは思えないセリフ。

しかし現実は本人確認をされる為に免許証の提示が求められる。おまけに住宅でも修理工場でも無い場所に、レッカー移動するとなったら、警察へ通報されても仕方がない。

「あの時は不可抗力で仕方なく運転したけど、今回のは必要事項だから説得するしかない」

「説得? 誰を?」

不思議に思って発言したハクにみんなの視線が集まる。

「オレー⁈ なんでだよ!」

急に注目されて意味がわからず焦るハク。

「大体テメーがバイク出してれば、こんな大袈裟な事しなくて済んでんじゃねーかよ」

セキが凄んでハクに言った。

「待てよ、それとは話しが違うんじゃね? 俺の愛車のハーレー使うってんなら、全身全霊で止めてみせるわ」

真面目にキレそうになるハク。

「ハクのバイク〈スズキ〉じゃなかった?」

ハーレーだっけ?? と渋谷は疑問を投げかける。

「バイク〈スズキ〉よ? 〈スズキ〉のイントルーダー。名前がハーレーなんだよ」

ハクはキョトンとして答える。

「アホか? 何だその名前⁈ てめえネーミングセンスゼロだな!」

バイクに名前をつけてる事に呆れるのでは無く、センスの無さに怒り出すセキ。

「うっせえわ! どう呼ぼうが俺の勝手だっての」

呼びやすいからそう呼んでるだけで、大した意味はない。

(ハーレーはカッコいいから好きだけど、高くて買えない。ヤマハはスタイル良くてモデルチェンジ最小限な所がこだわり感じるし、カワサキの絵に描いたようなフォルムもいけてるし、スズキの渋い感じもかなり好きだし、ホンダはメーカー全部ひっくるめた感じの品揃えで文句なし、でも逆にあり過ぎて選べない。——俺は単純に風を切って走るのが好きなだけで、バイクは原チャリでも良いんだけど、体のサイズに合わせて四〇〇にしてるだけで……こだわりねーし……なんかグダグダだな俺って)

カッコイイ、好き、興味無し……の方向に分かれているだけで、改めて自分のこだわりのなさに呆然とするのだった。

「〈スズキ〉のイントルーダーはアメリカンスタイルで、確かにハーレーに似てるけどね」

渋谷は笑うのを堪えてるようだ。以前に何故そのバイクを選んだか聞いた時『安かった……』と答えたハクに対して、何だか面白いバイク乗りだな、と思った事を思い出した。

「お前のバイクじゃあ下廻りごちゃごちゃしてて、小回り効かねーから無理か」

「悪かったな、ごちゃごちゃしてて……」

「……ハクのバイクを借りる説得じゃなくて、こっちのバイクを運ぶ手続きをして欲しかっただけなんだけど」 

セキはからかってるだけなのだが、言葉を選ばない為に暴言に近い。ハクが本気で起こる前に間に入る一臣だった。

「何だよそれ、……説得するって程の事じゃねぇんじゃねーの」

愛車を貸すんじゃないなら、そんくらいやるわ。と安心して答えるハク。

「夜中の集合だろ? いいよオレ運んで送ってやるよ、軽トラで」

「え、渋ちゃんマジ?」

一臣より早くハクが返答した。願ったり叶ったり。

「いーよ、明日休みだからね。それにどうなるか気になるじゃん」

「それは言える……」

セキもそこの所は合意した。

「……イントルーダー〈侵入者〉」

真夜中に港に向かって行く自分の様だな……。一臣は初めて聞いたハクのバイクの車種の名前に、ふとそんな事を思った。


 深夜……産業道路と呼ばれる幹線道路から逸れて入り込んだその入り口は深閑としていた。

震災の跡が生々しく残るこの場所は、街灯が数が減りぼんやりと薄暗い、この先に有るフェリー埠頭とコンテナ・ターミナルが有り、人の出入りがある為に泥は撤去されたが、道路に泥が無いというだけであの日からさほど変わりは無い。大型車両の出入りが多い工場地帯で、工場や流通センターが多数あるだけに道路は広く、それに合わせる様に路肩も広い、通常の道路幅程もある路肩は木々が生い茂り、初夏は新緑が自然な景色として見てた場所が、至る所に津波で海から運ばれてから来た残骸で溢れている。ブイや小型のボート、建物の中から流されたのか、イスや毛布などが至る所に引っかかってる、枯れ木の間に挟まれた乗用車もそのままもう錆びているのが離れて見てもわかる。まるで時間が止まったようでなんとも痛ましい様が、街灯が減った薄暗い中でせばまった視界に、ボンヤリと広がりを見せる。今日は凪なのか潮の匂いはしないが為、海の側というのを感じさせ無いのが唯一の救いだった。

 零時少し前、一臣達は新港の入り口に到着し、軽トラからバイクを降ろした。

「人の気配無いな——本当にここか?」

ハクが寒々しそうに身体を揺すって一臣に聞いた。

「大雑把だけど、ここしか無い」

一臣が周りを見渡しながら言った一本道である。目の前に現れたあの男が言ったのは「入り口」だけだった。

「何処の埠頭行くにもここ通るから、間違いないよ」

渋谷も同意した。

 明るい産業道路の方から、こちらに向かって来るライトの灯が見えた、3つ……乗用車では無い。

ドンドン近づいて来る光にみなが反応して見つめていると、その内2つの光が通り過ぎて行き、ひとつが目の前で止まった。ホンダのバイクCB400super fore〈スーフォア〉に乗ったその男は目の前の4人の男達から一臣を見つけると、ヘルメットのシールドを上げた。

「逃げずに来るとはいい度胸だな」

したり顔で言った男から妙な自信が伺えると、『いい度胸』だ? そのセリフに何やらハクはカチンと来た。

「だとさ、だったらこなくても良かったんじゃね?」

「みたいだね」

ハクに言われて一臣も頷いた。

「何だと⁈」

男は怒りを表したがすぐに収めた。

「……アイツらの言う通りおかしな野郎共だ」

落ち着いた口調で言うと静かに黙った。

 その時、幹線道路の方角から無数の光が見えた、その数二十から三十、そこからだけでは無く、反対側の県道からも幾つか光が見えて、全てこちらに向かって来る。今までの静寂が嘘の様に、改造されたマフラーから、けたたましい音を響かせて、ゾクゾクと集まってくる様々さまざまな種類のバイクの集団その数は50近くになり、あっという間に4mの道路を挟んで向かい側にズラリと並んだ、しかも走り屋だろうが暴走族なんだかしらないが、角材を積んでる奴もいる、明らかに喧嘩上等な人種だ。

 その数にハクたちは驚いた。いつも相手にしているのはせいぜい5・6人……その十倍の数となると流石にゾクリと鳥肌が立った。こちら側はたったの四人。

(仙台にこんなに族いたのか……)

(特攻服着てねーから走り屋か? 今どき、ダサくて特攻服なんて着ねーか……)

ビビりながらも思考回路は斜めのハクとセキ。渋谷は成り行きを見る。一臣はただひとり、顔色ひとつ変えずに目の前の光とニヤけた男達を眺めていた。

最初に現れたホンダの男が、原チャリに乗ってきたひとりを見ながら喋った。

「おい、こいつで間違いないんだろうな?」

「間違いないっすよ、テラさん!」

乗ってきた原チャリに乗ったままその男は叫んだ、ノーヘルなので顔が丸見えなのだが、一臣は誰か分からず首を捻った。しかし隣の男を見た瞬間に思い出した。

「あんときは世話になったな」

隣に居た同じくノーヘルの男はバイクから離れ一臣に近づいて来た。あの時……団地で、一臣に顔に模様を付けられた男だった、叫んだ奴は最初に絡んで来た男だ。

「うちの後輩がお世話になったそうじゃねぇか、まさか知らないとは言わねえよなあ」

〈スーフォア〉に跨ったまま、その男は威嚇した。

「言わないけど、忘れてた」

一臣は正直に言う。

「ああ⁉︎ ざけんな貴様!」

忘れられていたのは大樹だが、後ろにいた茶髪のいかにもチャラい圭太が怒鳴って、大樹の前まで出てきた。

(この馬鹿……ひと言余計だっつーの)

ハクは頭を抱えた。

「テメェ……今日はこの前みたいにゃいかねぇからな」

虎の威を借る狐みたいに、ずいと前に出て来る顔に模様の男、傷はかなり癒えたようで近づいてようやく分かる程度になった様だ。

「この前の仮キッチリ返させてもら……」

そこで声が途切れた、一臣がその男の顎関節を掴んだからだ。

「ほあッ」

可笑おかしな声が口から漏れた。閉じることができない口からそれしか発音できない、一臣は左手で掴んだ関節を、後ろに押しながらさらに下に押し込み、男に膝を折らせた。一瞬の出来事で誰も何も動けない。さっきまでニヤけてた男達の顔色が変わった。模様男を押さえ込みながら、一臣は大樹と呼ばれていた男に視線を向けた。

「俺の何が気に食わないって?」

無表情な顔から、凍てつく冬の朝の空気が流れ、大樹はあの時のことを思い出す。自分の前スレスレに、邪魔だと言わんばかりに通り過ぎたこいつが腹立たしくてすっかけた、いつもだと少し脅せば相手が引き下がる、殴り掛かれば大抵の奴は謝って来る。けどこいつは違った、どう脅しても無表情で『だから?』を繰り返すだけで、頭に来て殴ろうとしたら……、気が付いたら、コンビニの駐車場で大の字で寝ていた。

「何やってんだマサ! んな奴サッサとやっちまえよ!」

圭太の声が聞こえた、一見ただ顔を押さえられてるだけ、動けば直ぐに外せそうに見える。

「ふっ、ぐっ」

マサと呼ばれた〈顔に模様〉男は、口が閉じられなくて苦しくて仕方なかった。涎が口から滴り落ち、身体も前に横にも動けなかった。それでも圭太の激を聞いて、少し身体をよじってみた。

「動くと顎外れるよ」

しかし、一臣は顎関節と共に急所を抑えてる、合気道の極意と同じく、相手の力を使い上手くいなす事……それと同じ原理。少し動くと自分で自分の顎を外す事になる、そんな忠告をした。

「おい大樹さっきから何で黙ってんだ?」

〈スーフォア〉に跨っている虎が、オマエらが始めた喧嘩だよな? と暗にけしかけると大樹は我に帰って、一臣を睨みつけた。

「気に食わねぇのは気に食わねーんだよ! このスカし野郎が!」

煽り文句を聞いた瞬間、一臣はマサの顔を払うように離し、大樹の眼の前まで近づいた。

「じゃあ殴れよ」

 一臣は真っ直ぐに大樹を見て言った。マサはその場に転がると顎を両手で覆い涎を啜りながら口を閉じた、そうしないと動かなかったからだ、顎が外れる恐怖と相手の左手だけで体が動かせなかった恐怖を味わって下を向いて咳き込んだ。

「でも、その理由は納得出来ないから抵抗するけどいい?」

抑揚の無い声で言われ、横に転がるマサの姿が目に入り、言葉が出て来ない大樹。大樹が黙って居るのは、覚えてない故に仕方のない事だ、不甲斐ない2人に痺れを切らした圭太が声を上げた。

「何黙ってんだよ、大樹もマサも! 理由なんかいらねーだろ、んな奴ぶん殴っちまえよ!」

「われ先に逃げた奴がほざいてんじゃねえよ!」

黙っていたセキが痺れを切らして声を荒げた。

「んだよオマエ……」

圭太はセキを見るなり声が出なくなった、誰なのかわからなかったのと、そのガラの悪さのせいである。素行不良の集まりである。特攻服などは着てないが、なかには眉がない髪がない者もいる中で、ハンチング帽にグラサン、こけた頬……無精髭、1・2を争う悪人容貌である。

「誰だあれ……」

「ホンモンじゃね?」

などと囁きがきこえる。

(これだけのヤンキー黙らせる外見凄えな……)

ハクはぼんやり思った。

「お前から殲滅すっぞ」

セキにいつも通り読まれて

「さーせん兄貴、続きどうぞ」

抵抗無く謝った。

 あの時、セキが煙草を買ってコンビニから出て来ると、いつものように一臣が絡まれていたので、手に入れたばかりの煙草を吸いながら見学する事にした。殴りかかってきた奴を一臣が投げ飛ばすと、その男は転がって気絶し、その内ひとり、またひとりと原チャリに乗り込んで逃げ出したのを見て、更に二人が原チャリに乗り込んだところを、一臣が後ろから二人の襟首を掴んで後ろに引き倒し、キーを引き抜いて放り投げると、二人は原チャリを置いて走って逃げ出した。そこで先行で逃げた二人を追いかける為にセキに車を出すように一臣が頼んだのだ。

「あん時——一番に逃げたのはお前だよな? 二番目はお前だ」

とセキは圭太とマサを順番に示した。

 国道を北に向かって走っていると追い掛けられてるのに気が付いて二手に分かれた、けど左に逃げた奴が曲がりきれず、縁石に弾かれて転んで、見つかったのがわかると原チャリを置いて走り出した、それを一臣が追いかけて、自分が車でもうひとりを追った。逃げ足だけは感心する、なんせ一臣が追い付け無かったくらいだ。

「全力で逃げ出したくせして、でけえ口叩くなみっともねぇ!」

セキの迫力に押されて皆が黙った。ホンダの男は眉間に皺が寄る。

「何言ってんだ、圭太の原チャリ警察さつに突き出したくせしやがって!」

口が動く様になったマサが吠え出した。

「突き出して無いけど」

一臣が口を開いた。

「は? ふざけんな! 大変だったんだぞ、警察から呼び出されて、金は取られるは説教は食らうわ」

改造車は基本的に罰金、没収。

「バイクを道路の真ん中に置いて逃げたから、空き地に置いて来ただけだけど」

一臣は事実を説明するが、その空き地が交番の隣だとは言わなかった。

「置いて逃げた?」

どういうことだ? 疑問に思いながら小野寺はおもむろにヘルメットを取った。ハタチを少し過ぎた青年は、髪は短目に刈り上げ、数カ所の傷があって厳つい顔、いかにも昔の悪ガキの面影があるが不思議と瞳は濁って無かった。

「おい圭太、バイクちゃられて警察さつに突き出されたって言ってたよな?」

小野寺は聞いた通りにもう一度聞いた。それを聞いた一臣は直ぐに反応する。

「盗んで無い、邪魔だから移動して、仲間に鍵を届けただけ」

鍵を返す際についでに脅した事は特に言う必要がない……と判断する。

「小野寺さん、……そいつおかしいんで……いや、変な事言ってるし」

圭太は口籠もった。どうやら、原チャリを盗まれて、わざわざ警察に持って行く嫌がらせをされたから、仇を取ってくれと言われたらしいが、矛盾が出て来た事に小野寺は気付いた。盗んだバイクを警察に持って行ってどうするんだ?

「つまりは、自分が置いて行ったの盗まれた事にして、警察さつから連絡あるまで、バイク放置したって事だよな?」

 まさか相手がこんなに冷静に説明するとは夢にも思わなかった上、それを小野寺に簡単に見抜かれた3人は、非常にバツが悪くなり一様に溜まり込んでしまった。その3人の様子と、嘘吐かれて騙されたと言うより、話をちょっと盛った感が中途半端で逆に腹が立った。

……小野寺?

渋谷がその名前を聞いて半年ほど前に見た車関係の情報誌を思い出した。

「小野寺修二?」

ボソッと口に出した。それは地元出身者に関する小さなコラムだった。

「渋ちゃん、知り合い?」

「確か、走り屋上りでプロのオートレーサーになった奴じゃなかったかな……細かくは覚えて無い、確かプロテスト3回で合格したって褒めてた記事だった」

「えっ、マジ?」

ハクは驚いて聞き返した、ギャンブラーだが、競馬、競輪、競艇等の公営ギャンブルには疎い、地方に住んでると、競馬以外の情報が皆無に等しい。だがバイクに乗ってるだけに、オートレースのその存在くらいは知ってる。

「あの男がプロのレーサー?」

二人が相手を認める声を出してるので聞き返す、セキはギャンブルには興味無く、〈プロ=金を稼いでる〉くらいの認識で、全くレベルが分からない。

「うんまあ、昔……公道爆走してました。っての通じる世界じゃないからね〜」

スピード狂だったのは昔の話…の渋谷は自分と比べて、マジっ子だなぁと感心しながら言った。

「小さい頃からやってないと的レベルのやつだよなぁ、マジ無理だわ」

要するに真面目な奴じゃないと出来ない仕事で自分みたいなテキトーに力抜いて生きてる奴にはまず無理だと力のない笑いをかますハク。

(何か凄い事らしいが、コイツらのまったりトークで、それが一切感じねぇ……)

おかしな所に感心するセキだった。

 今、小野寺はかなり後悔していた。3年前に上京し働きながらレーサーになる為の試験に何度も挑戦して今年の春に何とかデビューに漕ぎ着けた。

 今回、祖母の葬儀の為に帰省したのだが、ほとんど喋った事がない祖母の葬儀は、眠るのを堪える為の儀式みたいなもので、悲しさなんてものは何一つ出てこない。そこへ後輩から相談を受けて、家から出る良い口実が出来た。うちの後輩に嫌がらせする奴を懲らしめようと意気揚々とけしかけてやったのに、騙されたのも気付かずにのこのこ出てきて、意気込んだ自分が一番カッコ悪い!

「あ……とだな」

言葉を選びながら、すごく言いにくそうに、一臣に話しかけた。

「どうやらコッチの勘違いらしい……」

 目の前のだいぶ年下のコイツは……正直、後輩共がムカつくのはよくわかる。ガン飛ばしても目線を外すことなく、喧嘩を売る訳でも買う訳でも無く、堂々としたまま全く態度を変えない、つらがよくてタッパがあるとなったら、腹が立ってどうにかしてやろうと思う、もし十代なら自分んも殴りかかっていたに違いない、しかしよく考えたら……こいつは何も悪くない——。

 落とし前をつける理由がなくなった小野寺はこの場を納めようとしたのだが。

「勝負って何するの?」

一臣は話を振り出しに戻した。

「は?」

小野寺は戸惑った。

「レース?」

平然と話す一臣に——

(でた……一臣のマイペース自己中)

ハクは頭を抱えて『考える人』状態に陥る。

(あのアホぅ、折角向こうがこの喧嘩を白紙にしようとしてんのに、何でわざわざ話し戻してんだよ)

「どこ走るの?」

「……コースは、ここからフェリー埠頭を回って、コンテナのターミナルの手前を曲がって帰ってくる。一周約1・5キロだ」

一臣が真面目に聞いてくるので、思わず答えてしまった小野寺だが

「……もうそんな気は無い、忘れてくれ」

小野寺はとうに対戦する気は失せている。

「いや、勝負しよう」

一臣の一言に周りが騒ついた。

「何言ってんだよ、お前と勝負する理由が無いって言ってんだろ」

こいつ馬鹿なのか、それとも自信があるのか? 一臣の大型バイクを見て小野寺は訳が分からなくなってきた。バイクを盗んで乗り回してる奴なら、圧をかけて叩きゃいい、けどなんか違う……。

「いやある。俺を殴りたいならその理由を作ってやるよ」

「なんだって?」

何言い出すんだこいつ

「俺が負けたら好きなだけ殴ればいい」

真っ直ぐ相手を見て言葉を投げかける。

「好きなだけ……って、お前は大型に自信あんのか?」

「今日初めて乗る」

言い切った一臣に

(何バラしてんだよアホがっ、そこは見栄張っとけっての!)

ハクが心の中で突っ込みを入れる。

そしてハクの心配通り、周りから中傷とゲラゲラと嘲笑あざわらう声が聞こえ出した。

「何言ってんだ、頭おかしいんじゃねーの」

「おちょくってんのか」

「小野寺さん何者か分かってねーのかよ、プロのレーサーなんだぜ、プロ」

色々な声が聞こえてくるが、一臣は完全に無視して続けた。

「俺が負けたら好きなだけ殴ればいい、けど勝ったら……」

一臣のセリフに周りは更に嘲り笑い出した。

「だからテラさんプロなんだって言ってんじゃん、勝てる訳ねーよ、ほんとに頭いかれてんの?」

「逃げらんねーよっボクちゃんMなのーっ?」

 さっき煽った連中とは違う奴らが大声で叫んで笑い、やはり周りも可笑しくてしょうがないと馬鹿笑いが伝染する。

「勝ったら……二度と俺に関わるな」

雑音は一切耳に入らない、ただ真っ直ぐ相手を硬い目線で見つめた。

「本気で言ってるのか」

大勢の仲間の後輩たちが罵倒する中で、小野寺は一切笑わず、不可解極まるといった面持ちで真顔で聞いてきた。

「そうだけど」

一臣は何故そんなに疑問視されるのか理解出来ずにいたが、それでも素直に返事した。

 この時小野寺は生まれて初めて、喧嘩越しでは無い、平常心の奴から勝負を申し込まれたのだ。ふつふつと高揚心が湧いてきた、小野寺はニヤリと笑い、久しぶりにエキサイトしてる自分に気付いた。こいつは面白え——!

「受けてやるよ」

断るわけにはいかない。

(本当におかしな野郎だ、勘違いで喧嘩をふっかけられた相手に、逆に自分から勝負を持ちかけやがった、しかも乗った事ないバイクで条件付きときたもんだ、こんなイカれ野郎見た事ねえ!)

ニヤついてる小野寺に、仲間連中はその心中が理解出来ずに静まった。

(ああ、やっちまった……)

ハクはガッカリした。

(……ありゃりゃ〜)

渋谷は呆れながら面白がった。

(オレ知らね)

セキは他人のふり。

 

 二人は直線に唯一残された街灯の下をスタートラインとしてバイクを並べその場に立つ。

「さっきも言ったが、この場の直線から先のL字を曲がって、フェリー埠頭をUターンしてコンテナターミナルまで緩いカーブ、ターミナル埠頭には近寄れないからその手前の駐車場を縫う様にS字を描く形で曲がって来ると、この直線に戻る事になってる」

 小野寺が指を挿しながら説明すると、一臣は一旦頭の中でナゾってみたが上手く描けず、やはり走ってみないと分からないと結論を出した。

「ターミナルの駐車場には、先行した二台が進行方向に張ってる……近道できないようにな。一回り約1・5キロを3周だ」

言い終わると小野寺はバイクのエンジンを掛けると、一臣もそれに倣いキーを回す、三度目のキックでエンジンが掛かった。

(うん、悪くない)

軽快なエンジン音を聞いた渋谷は、今日何度目かのエンジン始動音を聞いて、その都度に落ち着いて来る、30年も前に作られた時代のエンジンモーターの性能の高さと、素人整備士達の仕事っぷりに感動すら覚えた。

 ハクは一臣に近づいて行きヘルメットと手袋グローブを手渡した。

「相手はプロのレーサーらしいぞ、本当にやんのか?」

半ば愛想を尽かす口調でいった。ヘルメットと手袋を受け取りながら、一臣は何かを飲み込むようにほんの少し顎を引いて口を開いた。

「……負けたとしても、ここら辺で線引きをしないと、いつまでたってもキリがない」

「まあな」

それはハクも同感だ。

(歩いてるだけで、因縁つけられるってめんどくせぇよなぁ……)

同調も同情も出来ると頷く。……ん? ハクは何か引っかかった。

(負けたとしても? って言ったよな、……まさか勝つ気でいるのか⁉︎ )

唖然……。という言葉が身体の中を突き抜け力が抜けて行くと、次に笑いが込み上げてきた。

(こいつの……器用さの限界見てやろうか)

そう思ったら覚悟が決まった。

「前にも言ったが、カーブを曲がるのが一番手が掛かる、曲る手前でスピードを落として全力で突っ込むのが基本だ、あとは最初の一周で身体に叩き込んで来い」

「分かった」

珍しく真面目な声で語るハクに、いつも通り平坦な口調だが、ゆっくりとグローブを嵌めながら、集中し始めた一臣は力強い返事をする。

「おいあんたさ、こいつにハンデくんね?」

小野寺に向き直ったハクが何やら交渉を始めた。

「ああいいぜ、一周やろうか?」

(ざけんな、バカヤロウ)

冷やかすような小野寺の口調にイラっとしたハクは、それを一瞬で納めて、いつものふざけた笑いを浮かべながら。

「最初の1周慣らしで頼むわ」

バイクに跨ってる小野寺を見下ろしながら言った。最初の一周は本気出すなという事だが…言葉を選んだ。

「いいだろう」

ニヤつくのをやめ小野寺は承知した。

「アツシ、頼むわ」

小野寺の一声で、バイクの集団の中から小柄の茶髪の男がひょっと顔を出し、スタートラインの近くに鎮座してるバイクの後部座席にヒョイと飛び乗った。

「これ振ったらスタートっすよ」

フラッグの代わりになるように上着を脱ぎ、手に持って広げて見せた。

小野寺は横を向きスタート前の最後の確認をする。

「止めるなら今のうちだぞ?」

前を向いたまま

「そんな無意味な事はしない」

と一臣は言い切って、ヘルメットのシールドを下げた。

(こいつ、クッソいい度胸してやがる……!)

エンジンをふかすと、小野寺は切り替えて集中し始める。一臣もまたそれに倣う。

スタートの緊張感が高まり、あちこちから歓声に近い声が漏れ出し周りが煽り出した。走り屋達の血が騒ぎ出す。

 アツシと呼ばれた茶髪の男は上着を頭の上でグルグルと回した後、一気に振り下ろした!

 二人はスタートすると、すぐ先のカーブを小野寺は綺麗なライティングで、一臣はぎこちなく曲がり、あっという間に見えなくなった。すると、騒ぐ男達の中で金属の波紋が起きたかのような変わった空気が流れると、中から声が聞こえて来た。

「圭太、大樹、マサ、ここに来い」

 低めのドスが効いた声色で周りの男どもが水を打ったように急に静かになる。声の主はずっと小野寺の斜め後ろに居た男で、自分のバイクから降りてスッと前に立つと、ヘルメットからジャケット、ブーツまで全身黒ずくめの男で、他の奴らとは違うオーラを漂わせていた。

(なんか迫力あるな、こいつがリーダーなんかな)

ハクは苦手なタイプにちょっと引いた。

 そいつはヘルメットを取り自分のバイクに置くと、近づいてくる3人に視線を注いだ、厳ついほどでは無いが、がっしりとしたガタイの良い男は人を寄せ付けない威圧感が有り、その周りはサアッと男達が道を開ける様にいつの間にか空間が出来た。呼ばれた3人はおずおずと男の前に出て来た。

「日下さん……」

大樹が声を出した、と同時に日下の左手の裏拳が大樹の横っ面に飛んだ。圭太、マサ、と次々に日下の左を喰らい、その衝撃に3人は倒れ込んだ。

「お前達、何やったか分かってんだろうな。テラさんに迷惑かけてタダで済むと思うなよ」

ドスの効いた低い声で日下は3人に言葉を投げかけた。しかし誰一人返事は出来ない、目の前に火花が飛び脳震盪を起こして這いつくばり、ダンゴムシのように体を丸くして痛みに耐えている。

「くだらねえ野郎と連んで走りたくねぇ、さっさと消えな」

消えろの一言が耳に入り理解出来たらしく、恐怖心からか痛みからなのか顔を歪め、3人はよろけながら歩き出し、自分のバイクに辿り着くと、ヨロヨロと走り出して、やがて視界から消えた。

「健、蓮斗、見たな?」

日下は2人の名を呼ぶと、人の肩の間からバツが悪そうに顔を出した。2人の顔を見たセキは、あの時コンビニで逃げた奴らだと一目で分かった。

「お前らはくだらねぇ真似するんじゃねえぞ」

日下は慣れた口調で一言で言い切った。

「はい」

2人は余計な事は喋らなかったのか、クギを刺されただけで終わり、静かに返事した。余程『日下』が怖いのか制裁が怖いのかは、本人達しか分からない。

(何だこれ、どっかの軍隊の教官様? それとも強制学校の教師? パワハラ感が……いや、〈掟〉感半端ねぇ……マジ無理……)

上下関係の空間共有が苦手なハクは、自分の存在感が宙に浮いている気がする。

「帰るとか言うなよ」

セキはそんなハクのソワソワ感を感じて、気合い入れろとばかりに忠告するのだが。

「帰りたいけど、帰れねぇ……」

デカい図体を小さくさせてボソッと口にした。

「ハクはハリボテだからなぁ」

 全くの見掛け倒しで、喧嘩が嫌いなハクをよく知ってる渋谷が残念そうに言う。

「ハリボテはひでぇな渋ちゃん、友達ならフォローしてくんない?」

「うどの大木?」

「何か頭も悪そう」

「デクの棒」

「それ悪化してる」

「ハリボテのハリちゃん」

「〈ちゃん〉 付ければ可愛くなる方程式ウソくさくね?」

「……お前らもう帰れ」

セキは緊張感の無い会話に聞くに耐えなくなって思わず口を挟んだ。

(893じゃねえから、小指までは行かれねぇだろうけど、ボコられて爪くらいはやられんだろうなアイツら……)

今はただ追い返しただけだが、定番の制裁されるのは目に見えてる。さっきまで日下の圧で静かにしていた集団は、ハク達がヘラヘラと、軽い会話をしているように聞こえたのか、一臣の事をあからさまに馬鹿にし始めた。

「あいつ本当に馬鹿なんだな」

小野寺プロさん相手に勝てっこねーじゃん」

「素人のくせして、よっぽど殴られてぇらしいわ」

再びざわつき出し、ハッキリと聞こえる罵倒する言葉が飛び交った。

 ……素人。

(そう、3日前までは素人だったけど、今はこの中の誰よりも、二輪車の構造詳しいと思うけどね。それに多分だけど、1周目と2週目では別人になってるはず……)

渋谷が心の中で、この3日間の一臣の行動を思い浮かべてそう思った、それが分かったのかどうかは疑問だが密かにそう思っていたハクは、顔をあげ睨むように周りを見渡した。……確かに一臣は初心者だけど……勝因が無い訳じゃ無い。

「なんか忘れてやがる……」

とハクが声に出して言った。

「ここはレース場じゃ無いし、レース仕様のバイクでも無いって言いてぇんだろ?」

セキがサラリと言い当てた。

「……前から思ってたんだけど」

「なんだ?」

「ニュータイプとエスパーってどっちがナウい?」

「全部昭和の死語じゃボケ!」

ハクのボケに、ツッコミを入れながら叱るセキ。パターン化しつつある馴れ合いに、慣れてきてしまった渋谷は、ふと意識が直線のコースに向いた。

すると道路の直線の切れ目からライトが見えた。

……ひとつ。それは紛れもなく小野寺だった。遠くから行先を指し示す光が、意思表示をする様にあっという間に近づいて来て通り過ぎた。バイク連中が歓呼の声を上げ賑やかになると、もうひとつの光が見えた。一臣のバイクがようやく現れ見えたと思ったら、既に小野寺は先のカーブを曲がって行った。

 その差、この直線と同じく約200メートル。

さっきまで歓声を上げてた連中がその差に馬鹿にして囃し立て始めた時、一臣が目の前を凄い速さで走り抜けたとおもったら、小野寺が曲がった場所を追いかけ同じ形で曲がって行った。

その場の全員が押し黙った。

「何だあのスピード……」

誰かがボソッと口にした。

 一臣は明らかに小野寺より速かった。直線でスピードを出すだけなら誰でも出来る。けどその先に待ち受けるカーブ……ブレーキ操作の恐怖感。難易度の高さからくるおぞましさ。その操作を少しでも誤ったら、間違いなく転んでバイクから投げ出されるだろう。あのスピードでバイクから投げ出されたら、軽い怪我などで済むはずも無く、〈死〉……が垣間見え、本能がそれを避けるスピード。

今この場所にいる者達は、普段走ってるだけに一度はそんな経験をもっている。

「よく出せるね、怖く無いのかな」

渋谷は自分の想像通りに2周目のカーブを、綺麗なライティングでこなして行った一臣に(やっぱり……)と感心しつつ、その異常なスピード感が旋律を走らせゾクリとした。

「怖いなんて感情ねぇし」

ハクだけは驚いて無かった。

「何だそれ」

 ハクの一言に反応する、渋谷同様に驚いてたセキはどういうことだ……と考えあぐねた。感情が無いのは聞いて知ってはいたけど、セキは正しく理解して無かった、単に喜怒哀楽の表情が乏しい……類いのものだと思っていた。戸惑い顔のセキにハクは

「こういう事だとは思ってなかったか?」

と尋ねた。

「ああ」

……セキはここで初めて〈感情が無い〉を実感したのだ。

 2人の会話がいまいち理解出来なかった渋谷だったが、しかし今、全く別の事を考えていた。ふと疑問が湧いて来たのだ。それは一臣に対してではなく、相手の小野寺に対してであった。

(なんでこの場所選んだんだろう、ひょっとして下見してない? ここがどんなとこか、一臣くんの方は分かってる。けどあの小野寺っての……どうも分かってない気がすんだけどな……わかってたら、この場所で勝負しようなんて言わないよな……)

そんなモヤモヤした渋谷の予感は的中する。

(何だこりゃ……)

 小野寺は帰省して今初めてこの場所に来たのだ。馴染みの道が様変わりしてるのを見て、愕然としていた。ここが浸水域であるのは知っていた、昔の集合場所である蒲生は、震災の瓦礫置き場になったいて、一般的には立ち入り禁止になってるのは聞いた。この辺りは、春先には既に泥が撤去されたのも聞いていた、知っているつもりだった。……けれど「見る」と「知る」の区別の理解は足りてなかった。道脇の歩道の先に、ボートが転がってる光景にシュールな驚きを感じる温度差という違和感は、部外者と当事者の違い……。いざ自分の良く知っている道路の、至る所の陥没や亀裂は当たり前にあるのを目の当たりにし、現実と重なった時、小野寺は居た堪れなくなった。

 地盤沈下が酷くマンホールが10cm近く隆起してる……それだけ地面が沈んでいるのを考えると寒気がする。亀裂や陥没も多く、道路が波打ってる場所もある。その昔、この場所からさらに奥まった蒲生海岸が集合場所で程よくメンバーが集まると、埠頭を何回か周りその後国道に出る、毎日そのパターンで流してた道。目をつぶっててでも行けるはずの体に染み込んだコースを下見などするはずも無く、以前と変わらぬ思いで挑んだ場所がガタガタで、あれだけ体に馴染んだ道が思うように走れない苛立ちと哀しさが小野寺を襲った。

 同じく、下見をして無いのは一臣もだが、理由は全く違っていた。一臣はどうしてもその場所・・に行けなかったのだ。潮の香りが近付くとクロスバイクを漕ぐ脚が止まる…どうしても前に進めない。今日、車でここまで来たら何でもないのに、自分の身体が想い通りに動かない、そんなもどかしさが支配するが、その定まらないジレンマが何なのか、何だったのか、今の一臣には思い出せないシロモノだった…。


 一周目の2人は、ハクが言った通り『慣らし』運転で走ったが、言われるまでもなく、スピードなど出せなかった。小野寺はコース取りに必死になり、後ろから付いてくるバイクの事など二の次だった。一臣も路面のトラップのような痘痕を避けるように行く、そして尚且つ、眼の前のていのいいお手本を丹念に頭に入れ乍ら走る。ブレーキ、クラッチの切り替えし、ライティングフォーム、未体験のタイミングを身体に叩き込んでいく。そして一周目の最後のS字、本来は曲がり角だが、道幅が広く大きく湾曲する緩いカーブ状となっている。その場所はマンホールのない地帯で、陥没も少ない。ここからようやく本来の走りに戻れる、小野寺はスピードを上げて行き一臣との差が広がっていった。

 2周目——。スタートラインのある直線から90度に曲がった後、入りの直線は一番酷く、あちこち波打つように陥没がある。隆起したマンホールが道の左寄りに並んである為、真ん中が一番まともに走れた。しかし、やはり思うようなスピードは出せない。本来の走りが出せるのが最後のカーブと直線だけ、後はいかにそこに行くまで〈保てるか〉の勝負だ。と小野寺は己のシナリオを描く。

 一方で一臣は仕掛・・け《・》る《・》場所・・を探していた。対等に勝負して勝てる訳が無い、それは一周目でよく分かった。ヘアピンカーブ迄は『慣らし』の提案通り。けどそれだけじゃない、道路が酷すぎてスピードが出せなかったと言うのが実情なんだと思った、そのおかげで、真後ろから小野寺の動きを観察できたのはハクの思惑通りとも言える。しかしそれも束の間、S字カーブであっという間に置いて行かれた。だから一臣は直線でどのくらいスピードが出せるのか試してみたのだ。手応えは悪くない問題はどこで差を詰めるか……それに尽きると思いそれを2周目に当てる事にした。マンホールは分かりやすい、殆どが進行方向に対して下りの亀裂も問題ない、アスファルトの陥没が厄介だが深く危険なものは一つ、それはほぼ真ん中に位置してる為、そこだけ緩和しなければならないが、それを差し引いても真ん中のコース取りが一番速い。

そして……この直線で小野寺がスピードを出せない場所で、一臣は少しづつ距離を縮めて行った。今の一臣は習いたての子供と一緒で恐怖心が無く、初めて見る物に疑問が湧かない、総てをスポンジの様に吸収してしまう。目前で披露された小野寺の動きは全て目と脳裏に焼き付いた、後は適材適所に繰り出すだけ。

 そして2周目のラストの大きな緩いカーブに差し掛かる少し前の短い直線で、一臣は少しでも小野寺に追いつく為に、スロットルを回してスピードを上げた、すると、ストンと何が入った気がして、動きが滑らかになった気がした。スルスルとスピードがでる、明らかにさっき迄と違う……。何十年振りに走ったバイクはここに来て、自分の仕事を思い出した様にエンジンが落ち着き出したのだ。

(生き物みたいだ……)

一臣は思わず。

「よろしく」

 バイクに声を掛けて労うと、さらにスピードを上げ、前方のバイクを模倣しながらカーブを曲がり出した。


「あのすかし野郎、好きなだけ殴っていいっつったよな」

 あちこちからせせら笑いが漏れて来て、俺ならこう殴るとかのシュミレーションが聞こえて来たが、ハクとセキと渋谷は黙って聞いていた。そして、2周目が終わり、3周目に突入する小野寺のバイクの明かりが見えてくると、男達がわっと湧いた。それも束の間すぐ後ろからもう一台のライトの光。一臣のバイクが数十メートルに迫っているのが見えて来ると皆黙り込んだ。2台のバイクは配列は変わらないものの、その差を詰めながら直線を走り、ほぼ同時に同じ形で曲がって視界から消えて行くと、レース場で先行争いを観戦するのと同じく固唾を飲んで見送った。

 二人の姿はその場に居た全員に衝撃が走った。

「マジか……」

 渋谷は我が目を疑った、もしや……とは思ったが、まさか本当にここまで良い勝負になるとは思ってもいなかった。驚きと期待とが入り混じり胸が熱くなる。

 ハクもまた、渋谷に近い思いでいた。少し違うのは、まさか……が入ってないである。しかも未だ2周目……これからラストの周回に入るなら……。

「あいつ……勝つかもな」

セキがハクの代わりに、小さな声だがハッキリと『勝つ』のふた文字を口にした。

「よっ、メンタリスト・セキ」

ハクは、自分の台詞を言われた悔しさを、笑いながらからかって晴らした。

「最初っから、そこ来いや! ったく、散々昭和彷徨いやがって」

ハクのレトロ感を諌めながらしょうもないと笑うセキだった。

 

そして今、じんわりと湧く恐怖感を味わう小野寺がいた……。

(何だこいつ、初めてなんて嘘だったのか?)

「チキショウ、ざけんなよ!」

 小野寺は悪態をついた。カーブと直線で差を縮められたのはかなりのショックだった。十数メートルしか、後ろと差がないのを確認した小野寺は、引き離したくても、この道じゃこれ以上スピードは出せない事に苛ついた。

(ここからだ——)

一周目に目をつけていたコースに一臣は移動した。それはマンホールより左寄りの一番外側のコース。そこはマンホールの隆起により、道が波打ってはいるものの、陥没や亀裂が無かったためっ《・》か《・》か《・》る《・》ところがない、だが幅が50センチ程で狭く、二輪のバイクからすると平均台の上を走るに等しい感覚ちょっとでもよれてしまえばたちまち転倒してしまう危険な場所。しかしここで大型バイクが面目躍如たる働きを見せる。その重量の為に全くブレないのだ、しかも本来の調子を取り戻したバイクが絶妙な安定感を魅せる。そこで一臣は思い切りスピードを上げた。

「なに⁈」

一臣が自分と並んだのを見て小野寺は声を上げた。それはエンジン音にかき消され聞こえはしないが、声を上げた自分に小野寺は腹が立った。このままだと相手に先にヘアピンに突入される! 小野寺のプロ魂に火がつき、道悪などお構いなしに相手を牽制する事を優先させ、一臣を抑えながらヘアピンに突入した! スピードを上げながら先にその場から脱出しようとした、瞬間……

——ガッ!

アスファルトに金属が当たる音がし、一臣の前を小野寺のバイクが流れて行った。

「!」

辛うじてぶつかる前にバイクを止めた。振り返り、一臣がバイクから投げ出された小野寺を見ると、転倒した瞬間受け身を取ったのか、大きな怪我はなさそうで、ゆっくり体を起こして座った体制になった。バイクをその場所に停めると、一臣は歩いて小野寺が転倒した場所を見に行った。ヘアピンカーブの出口にある道幅いっぱいの亀裂、それは数ある亀裂の中で、唯一の一段上がる亀裂で、外側に向かう亀裂は中央辺りより1センチほど高くなっている。小野寺は1周目と2周目はアウトからインに抜け、3周目でインからアウトに抜けた為、その段差に気付かず、ステップを引っ掛けたのだ。10ミリの罠……に落ちた小野寺は、こんな初歩的なミスにつまづいた自分に呆然としていた。

 一臣もまた段差を眺めながら思いがけない展開に考え込んだ。分かっていたのはこの場所の亀裂だけ登りの段差だと言う事……。そこに斜めに突っ込んで行けばヨロけてスピードが落ちる、それが狙いだった。外側に向かって段差が高くなっている事には気付かなかった。

「……転ばすつもりじゃなかった」

 自分に言い聞かせるように言ったのだが、それは小野寺には侮辱に聞こえた。

「なんだと? 何言ってやがる、おまえが仕掛けたって言うのかよ⁈」

揚々にして怒っているが、構わず一臣は続けた。

「カーブでは技術の差が出るから、追い付くなら直線しかないし、最後のヘアピンで蛇行して貰えば、ラストの直線で近付けると思った」

一臣のストレートな説明は、テクニックじゃ敵わないから、バイクの排気量で勝負という事だ。それが小野寺に伝わると、自分を馬鹿にしたわけではない事がわかり、小野寺は躊躇し混乱した。勝負を仕掛けといて勝つ気持ちもなさそうに見える。

「おまえ何が狙いだったんだ?」

小野寺は考えが定まらずにダイレクトに聞いた。

「同着」

一臣は真顔で答えた。

「……は」

 同着だって? 確かにそりゃ角が立たないが、最初からそれが狙いなら、勝つ気持ちもねぇのに話持ちかけたってことか? なんか意味わかんねえ……変な奴だなコイツ。 

「行けよ、おまえの勝ちだ」

完全に気勢を削がれた小野寺は、一臣に行けと促した。それを聞いた一臣は、座り込んでいる小野寺を今までとは違う印象を持って見つめた。

 潔い……

『男前』——ハクならきっとそう言う。

 果たして自分はどうなのだろう……? 相手がプロなら、自分が並んだ姿を見せれば、ムキになって仕掛けてくる、あの位置からバイクを倒せば、必ず亀裂の段差にステップが引っかかる、そこで足をついて体制を立て直してる間に差を詰めれば、最後の直線での勝負になる………と考えてそれを実行に移した、この考えは……人の災難や不運に便乗して利用するのは卑怯なのかな……。相手のライティングを模倣するのも卑怯……? 

——マリーシア。

一臣はその一言がポンと脳裏に浮かんだ。〈マリーシア〉とはサッカー用語で「ずる賢い」を意味するもの。ヨーロッパでサッカーをすると必ずついて回るもの、ラフプレイ(反則技)ギリギリの物〈フェイク〉程度の技の認識がヨーロッパスタイル。長期の休みのたびにスペインでプレーしていた一臣にとってごく普通のものだった。けど日本では違った……。武士道精神がスポーツのフェアプレイに順ずる日本ではそれは卑怯になる。地元のスポ少や学校でプレイすると、チームの中では「ズルい」と言われ、コーチには「好ましくない」と言われる。一臣は日本でプレイする時は常にその高い境界線となる所で止める為、頭をフル回転させながら動いてヘトヘトな上に消化不良な毎日になっていたことを思い出した。——今はもう関係ない……。

「おい、どうした?」

一臣が一点を見つめたまま動かないので不信に思った小野寺が声をかけた。すると、道路の先から小さくライトの灯りらしきものが見えた。

 一臣はそれに気がつくと振り返り、自分のバイクに近付いてスタンドを上げて横に倒した。

「おい⁉︎」

 ふたりがいつまでもゴールに来ないので、仲間が様子を見に来たのだ。小野寺がその意味に気付いたが、次の言葉を発する前に仲間がたどり着いた。

「大丈夫っすか、テラさん」

倒れた2台のバイクを見て仲間は小野寺に話しかけた。

「ああ」

小野寺は立ち上がり、顔を上げると一臣と目があった。一臣は目線を合わせたのだ、そしておもむろに2台のバイクを交互に見やったので、小野寺は目の前のおかしな男の誘導通りに

「接触しちまってな」言った。

「怪我はどうすか?」

「すり傷くらいだな」

「そりゃ良かった、あー、実は」

仲間の男がバツが悪そうに、頭をかきながら喋るので、小野寺は何かあったのかと気になった。

「んだよどうした?」

「皆んな散っちまって……」

仲間が皆んな解散して走って行ったらしい。一臣は説明を簡略化させてる男のバイクを見て、最初に小野寺と来て、斥候としてS字の緩いカーブで待機してた奴だと認識した。

警察サツか?」

流石に分かるらしい、小野寺は特に意外そうでも無かった。騒ぎを嗅ぎつけて誰かが警察に連絡したようだ。

「なんか通報されたみたいで……アツシの奴が報告しに来たんっすけど、アイツも言うだけ言って行っちまったんで……」

伝えに来たその男も何だか落ち着かずソワソワしている。

「しゃあねぇな、お前も帰れ、捕まんなよ」

小野寺が言うと、仲間の男は頭を掻きながら。

「すんません、自分、次、やばいんで……」

免停目前らしい。行こうとした男を小野寺は呼び止めた。

「今回の勝負は勝ち負け無しだ、皆んなに伝えといてくれ」

小野寺は仙台にそう長居はしないので、伝言を伝える必要があるのを忘れなかった。

「了解っす」

男があっという間に去っていく。小野寺は自分のバイクに近づき、起こして具合を確かめる。傷は付いてるが、走るのに問題は無さそうだ。そして一連の動作を黙って見ていた一臣に話しかけた。

「締まらねえラストだが、ひとつ借りだな」

「借り? 何も貸してないけど」

バカ奴だな、素直に貸しつくりゃ良いのに……と思うが、常に表情が変わらない一臣に小野寺は慣れたのか、面倒くさくなったのか。

「もうお前に絡まない様にアイツらに言っとく、で、チャラでどうだ?」

「分かった」

一臣は納得したようだ。小野寺はエンジンを掛けると一発で掛かったので、にっと笑い機嫌が良くなった。

「もう会うこたあねーと思うが、じゃあな」

一言発してあっという間に消えて行った。なんともあっけない幕切。

 一臣は自分のバイクに乗ってハク達の元に戻った。すると驚く事に、2人の警察官と喋ってる渋谷を見た。さっきまでいたこの場を賑やかにしていた走り屋集団は誰一人居なくなり、文化祭のノリから定期試験の教室にチェンジしたかと思う程、静かな空間へと空気がガラリと変わっていた。

「あ、ほら来ました」

一臣はゆっくりとバイクで近付くと、警官と話してる渋谷の横でハクが苦笑いしていた。空気感の違いは警官の制服のせいかも知れない。

「うん、確かに安全運転だな」

警官が一臣を見てうなずきながら言ったのだが、状況が分からないので黙ったまま、一臣は静かにバイクを止め、ヘルメットを取って丁寧に乗ってきたバイクに置いた。

「でしょ? 大型一発で取る為に、ヒッソリ練習してたのに、集団に絡まれて……遠藤さん達に来てもらえて助かりましたよ」

 渋谷が喋ってるのは顔馴染みの警官だった。以前、店に置いてあったタイヤをゴッソリ盗まれた時、対応してくれた警官が、今会話してる人と同一人物だったのだ。身元がハッキリしてる渋谷のお陰で、こちらの言い分がすんなり通った。それにバイクに乗って来た一臣も、ヤンキーには到底見えない。その時パトカーの無線がなり、警官はそれに出て対応した。

「直ちに向かいます」

そう言って無線を切った。

「今日は忙しいな、君ら気をつけて帰れよ」

忙しいのが幸いしたのか、免許証の提示も求められず、警察官達は次の現場に向かって行き、一臣達は解放された。

「はー、サイレンも鳴らさんと、脇道から急にパトカー出て来て、一時はどうなるかと思ったけど、渋ちゃんの知り合いのお巡りで助かったわ」

ハクが緊張感から解放されてホッとした顔になった。パトカーを見た途端、バイク連中は蜂の子を散らす様に逃げ出し、2台来た内の1台が蜂の子達を追いかけて行き『置いてけ堀』の状態だった3人に、もう1台のパトカーが寄って来た。

「ハクが通報したんじゃないんだ」

一臣が思ってた疑問をぶつけた。

「まさか、この辺公衆電話もねーし、携帯番号出んだろ向こう側に、バレる真似するわけねーって」

それもそうか、と一臣は思った。

「さっき通った、アルファードじゃねえか? こっち見て笑ってたし」

セキがそれに答えた。

「いきがったカップルで感じ悪かったしね」

渋谷も同意した。高級車に乗ったチャラいカップルの方が、ヤンキーや走り屋達よりよっぽどタチが悪い。

「んで、勝負はどうなったんよ?」

ハクは改めて一臣に聞いた。

「接触してコケてチャラ」

比類なき簡潔な説明。

 全員が「は?」って顔したが、一臣は『以上、説明終わり』な顔をして、それを崩そうとはしなかった。ここから何か聞き出すのは無理だと、ハクとセキはこれまでの付き合いで分かった。

「ま、そんなもんか」

ハクが賛同。

「チャラになったんならいいんじゃねぇの」

セキも納得。

渋谷はひとりだけ不可解な面持ちだ、バイクに付いた傷を見て、走っててコケた物ではないのは一目瞭然。接触で出来た傷でも無い。小野寺が別のルートで帰ったので、向こうのバイクを見てない為に確認は出来ないが……(多分この子が勝ったんだろうな)と推測した。……後日、バイクをよくよく点検して、推測は確信に変わるのだが、今はとにかく、それならそれで、まあいいか。なのである。

「んじゃ帰ろ」

 全員解散。それぞれ帰路に着いた。

なんだかおかしな一日だったな……。答えが出てる様な無いような……、宇宙の法則の方程式みたいに、解いても解いても、答えに行き着いて無い、そんな一日——。


「お前なんで流衣の事無視してんの?」

『時玄』の前まで、ハクに乗せられ、自分の自転車に乗り換えようとした時、ハクの質問が飛んできた。

「え?」

 無視? 流衣? なに、だれ? 一臣は質問の意味が全くわからなかった。その何の事か分からず、視線が宙に浮いてる一臣に、やっぱりな……と思うハク。

「流衣だよ、席が隣りで、82? 62…… 72? ページ?」

スリーサイズの様な数字を経由して、ハクがわざとらしく行き着いた72ページで、気がつく。

「ああ……無視?」

72ページで思い出したものの、『無視』のカテゴリーが分からない一臣は今度は思考が宙を舞う。

「だよな……」

さもありなん。完全に予想通り。気が付いて無かっただけかよ、面白くもなんとも無いハクは自称ユルイ頭で一計を案じた。

「『時玄ここ』の前で会った次の日から、毎日挨拶してるけど、一回も返ってこないって、あいつ泣いてたわ」

泣いてないのに……。勝手に脚色し出し思いつきで『あざとい女子化演出』を図りだす。かなり余計なお世話ではあるが、二週間無視されたら、普通は諦めるか泣くかの二択が一般的で演出としては間違ってない。と実に勝手な思想を繰り出すハクだった。

「え……」

 泣いてる……と言われても全くピンとこない一臣。

「そこ、そんなに考える事か? 挨拶返すだけだろ」

「そうだけど」

 その通りだけど、果たしてあの《・・》教室・・で気付けるかどうか……。


「嘘おっ! 会ったの⁈ 何処で? 駅⁈」

月曜日の朝、英語科の一年一組は女子の悲鳴で始まった。

「私も行けば良かったー‼︎ 3代目でしょう⁈ いやーチョー悔しいー‼︎」

けたたましい会話が予鈴まで続く。どうやら、震災復興の支援とかなんとかで、EXILEのメンバーの内何人か来仙してたらしい。

「なんで朝から……」

 全男子4名中の一人の山田がボソっと口にした。朝から元気良過ぎる……。決してEXILEで特別に騒がしいのではなく、ほぼ毎日これに近い、理由などなんでもいいのだ。

 一臣が修行僧化するのも無理はない。しかし今日はちゃんと意識を向けていた。予鈴が鳴る直前に教室に入って来た一臣は、自分の席に近付くとハクが言ってた隣の席に注視する、するとその席の主は

 隣の72ページは……爆睡中だった。

そして予鈴が鳴る。やがて本鈴も鳴るが、びくともせずに軽い寝息を立て寝ている女子に。

(挨拶を無視されたくらいで泣くタイプに見えないけど……)

と、静かにハクの嘘を見抜き、『あざとい女子化計画』は失敗に終わるのである。








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