底辺ラノベ作家だけど、絡まれてる美少女を助けたら実は最推しの癒し系Vtuber兼大人気イラストレーターの中の人だった。怖いぐらい懐かれて一緒に仕事しようって誘ってくるけどガチ恋愛は解釈違いで困ります。

ヤマモトユウスケ

底辺ラノベ作家だけど、絡まれてる美少女を助けたら実は最推しの癒し系Vtuber兼大人気イラストレーターの中の人だった。怖いぐらい懐かれて一緒に仕事しようって誘ってくるけどガチ恋愛は解釈違いで困ります。



『頼みますよ、仁神先生しか頼める人がいないんですって。ほんとうに困ってましてねぇ、はっはっは』


 電話口から聞こえてくる、あんまり困ってなさそうな声色に、仁神にがみ焙煎ばいせんは渋い顔で応じた。


「僕、パーティーとか、あんまり行きたくないんですけど……」

『まあそうおっしゃらずに! コロナ禍ですから立食はないですけど、代わりにお土産は用意してありますから! 欲しいでしょ? タダのお菓子』

「編集さん、僕のこと馬鹿にしてます? ていうか、なんで僕なんですか。ほかにもっといるでしょ、ひだまり先生とか軽井先生とか富士先生とか」

『いやあ、コロナ禍ですからねぇ。みんな、遠方にお住まいだからと断られてしまいまして』

「柊先生もいるでしょ、フレッシュな若手で」

『土曜日は部活があるそうです。高校生ですからねぇ。で、近所に住んでて手軽に呼びやすくてワクチン三回接種済みで暇そうな作家いねえかなぁって考えたら、仁神先生のこと思い出したんですよ』


 思い出したんですよ、ではない。

 編集部からかかってきた電話に「仕事の依頼か!?」と出てみたら、コレだ。

 出版社の創立記念パーティーに、代打の代打として出てくれ、と。


(電話なんか出なけりゃよかった。)


 そう思うが、もう遅い。

 溜息を吐いて、仁神はパソコンの音量を少し下げた。

 自宅のワンルームアパートで、推しの動画を見ているところだったのだ。


「もう消去法じゃないですか。そういうことなら僕もお断りさせてもらいたいんですが」

『ダメですよ、仁神先生に断られたら、うちのレーベルからパーティー出る作家がゼロになっちゃうので。来てくださいよぉ、どうせ暇でしょ』

「あのう、ええとですね、僕もいろいろと用事があってですね」

『Vtuberの配信見るのは用事とは言いませんが』


 う、と反応に詰まる。

 実際、いま見ているのはイラストレーター兼癒し系Vtuber、瓦当ショコラのゲーム配信だ。

 仁神の最推しで、ほのぼのとした口調とかわいらしい声音が特徴だ。

 さらにパソコンの音量を絞りながら、仁神は言い訳がましく口を開く。


「い、いや、そうじゃなくて。ほら、僕にも仕事はあるわけですから」

『え? 仁神先生、次巻の校正も特典SSも終わってますよね? 他レーベルでも動きないし、バイトもしてない弱小専業作家に仕事とかあるんですか? 家の中で本になるかどうかもわかんない小説書くことを仕事とは言いませんよ?』

「暴言が過ぎる……」

『暴言じゃなくて単なる一般論です。ともかく、来ないと次巻の発行部数減らしますからね』

「脅し文句も最低だ……」

『じゃ、そういうことで! 詳細はメールしますんで! それでは!』


 ぽろろん、と軽い音が鳴って、電話が切れた。

 大きなため息を吐いて、仁神焙煎はノートパソコンの蓋をそっと閉じる。

 瓦当ショコラの甘やかな声が、ぷつりと途絶えた。


(パーティーとか、いやだなぁ。挨拶いっぱいしなきゃいけないとこ、行きたくないなぁ。来るひと全員格上だろうしなぁ。)


 仁神焙煎は売れないラノベ作家だ。

 Web小説投稿サイトに投稿していた作品に声をかけてもらって作品を出したのが、社会人二年目のこと。

 副業禁止を連呼する会社と揉めに揉め、「こんなブラック企業辞めてやる!」と啖呵を切って辞めてから、さらに二年が経った。

 現在二十六歳。二十代を折り返して、三十路の影がちらりちらりと見え隠れしている。

 貯蓄も底が見え始め、作家としての限界も感じつつあったりする。

 あるいは、バイトを始めるか、就活するか。

 身の丈に合った作家業を、模索しないといけないのはわかっている。


(……仕方ないか。こんなことで編集部からの印象悪くなってもいやだし。)


 仁神は立ち上がり、ワンルームマンションのクローゼットを開いた。

 一着しか持っていないスーツは、二年間吊るしっぱなしだ。

 太ったわけではないが、サイズ直しもしたほうがよさそうだ。

 ワイシャツともどもクリーニングに出すなら、今日中にやっておいたほうがいいだろう。

 推しの配信は、また今度アーカイブで見ることにして、仁神はスーツを引っ掴んだ。





 パーティー当日、コロナ禍の開催だけあって、会場には徹底した感染対策が為されていた。

 入場時には検温と手指のアルコール消毒が義務付けられており、マスク着用は必須で、立食もドリンクの提供もない。


(もうこれ、今年もオンラインで開催した方が良かったんじゃないの?)


 と、仁神は身も蓋もないことを思ってしまう。

 出版社には出版社の、作家には推し量れない事情があるのだろう、とは思うが。

 セレモニーが終わって談笑タイムに入った会場の空気は、小さなレーベルの、しかも弱小作家の仁神には肩身が狭い。

 早々に退散したいが、一緒にいてくれるはずの編集さんは急な電話に呼ばれて会場外へ行ってしまった。

 勝手に帰るわけにもいかず、かといって知らない人に話しかけるのも気まずい。


(かえりてー。)


 そう思いながら壁際に立っていると、ふと気づいた。

 数メートル隣で、仁神と同じように、壁にもたれて所在なさげにしているひとがいる。

 楚々としたフォーマルなワンピースに白いショールを羽織った女性。

 マスクをしているため、正確な年齢は見て取れないが。


(……大学生くらいか?)


 新卒の編集なら、スーツを着ているだろう。

 大御所作家の娘かだれかだろうか、と思ったが、人数を減らして開催する会場に家族を連れてくるとは考えにくい。

 つまり、仁神と同じ……クリエイターと見て間違いないだろう。

 漫画家か、イラストレーターか、あるいはラノベ作家か。

 いまや、高校生のラノベ作家やイラストレーターが当たり前のように存在する時代だ。

 二十六歳の仁神も、若手を自称するのは――業界全体で見れば、たしかに若手ではあるのだが――気が引けてしまうほど、新陳代謝が激しい業界である。

 そういう、『若い才能』なのだろうとアタリを付けて、


(なんか気まずいな。)


 仁神は違う壁に移動することにした。

 ぼっちがふたり並んでいるとか、ちょっと気まずい。

 なので、すごすごと背を向けた――直後。

 浮ついた男の声が、仁神の耳に届いた。


「きみ、若いねえ。新卒かな? どこの編集部の子? マスクなんか外してさぁ、顔見せてよぉー、いいでしょ? このあと時間ある? 飲み会とかどう?」

「え、あ……」


 震える女性の声。甘い声だ。

 聞き覚えのある声音に思わず振り返ると、壁際の『若い才能』に、顎マスクで赤ら顔を露出したおじさんが話しかけていた。

 明らかに酔っぱらっている。


「お酌してよ、いいでしょ? 若い子はこんな、なんにもないパーティーは退屈でしょ。おじさん、いい店知ってるよ。どこの部署? 出世させてあげようか」

「う……その、あたし、社員じゃなくて……ええと」

「まあいいや! いこいこ! ね! ね!?」


(うわぁ……。こういうおじさんって、まだ生き残ってるのか。僕はこうならないように気を付けなきゃな。)


 仁神は苦い唾の塊を呑み込んだ。

 赤ら顔のおじさんの回りには愛想笑いするスーツ姿の男性が何人かいるだけで、止めようとしていない。


(……うわー。もう。)


 三秒ほど悩んでから、仁神は壁へと戻って、女の子とおじさんのあいだに体をねじ込んだ。

 目を丸くする女の子に「どうも」とうなずいてから、おじさんと向き合う。


「んあ? なんだ、おまえは」

「あの、困っているみたいですから、やめたほうがいいですよ」

「困っている? だれが?」

「彼女が、です。ていうか……マスク必須のはずですけど」

「してるだろうが、ほら!」


 顎を指さし、唾を飛ばして怒鳴るおじさん。

 なんのためのマスクだ、と仁神はかなり嫌な気分になる。


「あの。お酒も飲まれているようですし、少し休まれて冷静になったほうがいいのではないでしょうか」

「おい! おまえ、どこの部署だ? おれの邪魔をするのか? おれはなあ! この会社のなあ! おい!」


 わめくおじさん。会話が成立しない。

 結構な泥酔具合というか、よくこの状態で会場パーティーに入れたな、と思う。


(……前職で経理部と喧嘩して以来だな、こういうの。)


 ポケットから、スマホを半分だけ、おじさんではなく背後のスーツ男たちに見えるよう、覗かせる。


「最近はコンプラもありますから、いつどこから録画や録音が漏れるかわかりませんし。ね、会社のためにも、このあたりでやめておきましょうよ」

「なんだ、こら! なにわけわかんないこと言ってんだ、おい! どこの編集部だ、おまえ!」


 さあっ、とスーツ男たちの顔色が変わった。


「おまえ! こら! なにが会社のためにだ! おれの顔を知らないのか!? おいこら! おれはなあ! この会社がなあ! 苦境に立たされたときからなあ!」

「と、取締役! そろそろ、会場を出ませんか!」

「そうですよ、もうセレモニーも終わりましたし! お店行きましょう、お店! ね!」


 取締役。まごうことなき役員である。

 うそだろ、と仁神が内心で呆れ果てた。


(役員のくせに酔っぱらってパーティー来るか、ふつう。)


 まあいい、事態は収まりつつある。

 編集にはあとで謝ることにして、これが片付いたらもう帰ろう……と仁神は思った。

 スーツ男たちになだめられたおじさんは、不承不承といった顔でうなずいてから、赤ら顔をにへらぁりと崩した。


「じゃ、おネエちゃんも一緒に来てよ。いいでしょ?」


 おじさんが不躾に手を伸ばして、仁神の隣でおろおろしながら事態を見守っていた女の子の肩を掴んだ。

 そのまま引き寄せて、肩を抱こうとするような、そういう動き。


「い、いやっ」


 甘い声で、小さく悲鳴があげる。

 とっさに、仁神が動いた。

 動いてしまった。


「……あっ、やべ」


 気づくと、取締役の腕を掴んで、捻り上げていた。

 大して力は入れていないから痛くはないだろうが、取締役は一瞬、あっけにとられた顔をして、


「なにすんだ、おまえ!」


 腕を振りほどき、ただでさえ赤かった顔を、怒りでさらに真っ赤に染めた。

 仁神が慌てて、手を振りながら頭を下げる。


「すいません、つい、その――」


 言い終わる前に、仁神の頬に取締役の拳が突き刺さった。

 ぐべ、と情けないうめき声をあげて、会場の床に転がる。

 だれかが「きゃあ!」と叫んだ。

 例の女の子だろうか。


(聞いたことある気がするんだよな、この声。もっとこう、甘く作った感じにしたら……。)


 ぐらぐらする視界で、ぼんやりとそんなことを考える。

 倒れた仁神を蹴りつけようとする取締役を、スーツ男たちが慌てて制止しているのが、視界の端っこで映った。

 止めるのが遅いよ、と恨みがましく思う。


「おいっ! なんだコイツは! 警察呼べ、警察! 暴行罪だ!」

「取締役、警察は困ります! 取締役が捕まりますから!」

「なんだと! おれのなにが悪いってんだ!? 取締役だぞ、おれは!」

「落ち着いてください! とにかく、いったん出ましょう! ね! ね!?」


 うめく仁神を指さし怒鳴る取締役を羽交い絞めにして、スーツ男たちが会場の出口へと向かう。

 殴られるのは、ずいぶん久しぶりだった。

 それこそ、学生時代の喧嘩以来かもしれない。

 体重の乗ったおじさんの拳は、なかなか堪えた。

 鼻の奥で、じくじくした痛みと熱さと生臭さが湧き上がってくる。

 ずるずる床を這って、壁に背中を付けて座り直した。

 人目はあるが、もう三日くらいは立ち上がりたくない気分だった。


「あ、あの、だいじょうぶ……ですか?」


 絡まれていた女の子がそっとそばに寄り添ってきたので、仁神は苦笑してうなずいた。


「だいじょうぶ。きみはどうですか?」

「あたしは、だいじょうぶです。あの……」

「そっか、よかったです」


 そのとき、騒ぎを聞きつけたレーベルの編集が戻ってきた。


「先生ッ! なにしてんですかッ!」

「あ、編集さん。申し訳な――」

「鼻血出てるじゃないですか、病院行きますよッ!」

「いや、ただの鼻血ですから。しばらく休んだら、止まりますよ」

「こういうのは診断書の有無が大事なんです、あとで有利になりますから。……あなたは?」

「あたし? あたしは……」

「ああ、絡まれた子ですね。女性のスタッフ呼んだので、あなたはそっちへ。仁神先生、さ、立って」

「もうちょっと休んでから……」

「ダメです。鼻血が出てるうちに病院行くくらいでいいんですよ、こういうのは」

「……にがみ、せんせい?」


 こてんと首をかしげる女の子に、仁神は「それじゃ」と力なく手を振って立ち上がった。

 鼻をティッシュで押さえて歩きながら、仁神は改めて編集に頭を下げた。


「ほんとうにすみません。ただ、僕は――」

「わかっていますよ。あの取締役、昔から素行が悪いって有名で。今回は目撃者もたくさんいますし、仁神先生のせいだとは、だれも思わないでしょう。悪いのは頭の古い権力者です。私たちも、レーベルをあげて仁神先生を守りますから」

「編集さん……!」

「まあでも言うて弱小レーベルなんで、限度はあります。先に言っておきますね、ごめんなさい」

「そこで謝られると『もう無理』って意味に聞こえるんですけど!?」





 パーティーから三日後、今日は瓦当ショコラの配信がないため、真面目に原稿をやっている仁神のもとに、またしても電話があった。

 編集からだ。例の取締役の件だろう。

 出ないわけにはいかないが、正直、出たくない。

 少しいやな気持ちで通話ボタンを押すと、


『仁神先生! 朗報です!』


 予想と違って、いきなり明るい声音が仁神の鼓膜を叩いた。うるせえ。


「な、なんですか、朗報って」

『あ、その前に、例の取締役なんですが、編集部と仁神先生宛に正式に謝罪が来ました! いやあ、よかったよかった!』

「え? ぜったいこじれる展開だと思ったのに」

『私も仁神先生はもう一生ウチから出版できなくなると思ってましたよ! はっはっは』

「はっはっはじゃないですけど」


 さらりと怖いことをのたまう。


『まあ実際、取締役は仁神先生を訴えるとか息巻いていたみたいですが、株主のひとりが例の騒動を目撃してたんですよ。で、すぐに株主会に話が回って、けしからんということになって。来月付で海外事業部に出向になりました』

「海外事業部に出向って……左遷ですか? 取締役まで行ったのに、左遷?」

『ええ、はい。ドミニカ支社だそうです。コンプラって怖いですからねぇ』


 ま、ドミニカの雄大に自然に触れれば、ああいうひとでも多少はマシになるでしょ、と編集が他人事のように言った。

 仁神はほっと胸をなでおろす。


「でも、安心しました。訴えられなくて。朗報でよかったです、ほんとに」

『いえ、これは朗報の前のちょっとした報告事項です』

「え?」

『仁神先生、いますぐ編集部来れます? すごいことが起きてるんですよ、ぜったい来れますよね来てくださいただちに』

「え? いますぐ? なんで?」

『来ないとめちゃくちゃ後悔しますよ、いいから早く来い』


 ぽろろん、と通話が切れた。

 仁神はしばらくスマホの真っ黒な画面を睨みつけてから、しぶしぶ家を出て編集部へ向かった。


 巨大なビルの中層階にある編集部に行くと、あれよあれよという間に広い会議室に通される。

 室内には笑顔の編集さんと、緊張した面持ちの女の子が待っていた。


(……ああ、絡まれてた子だ。)


「どうも、仁神焙煎です。先日は大変でしたね」


 挨拶しながら座ると、女の子がぺこりと頭を下げつつ、紙袋を仁神のほうへ押しやった。

 有名菓子店のロゴが入っている。


「こないだは、ありがとうございました。これ、その、お礼のバームクーヘン……」

「これはご丁寧に。わ、いい匂い。ありがとうございます」

「……その。怪我は、だいじょうぶですか」

「ああ、はい。CTも撮ってもらったんですけど、異常はないそうで。ちょっとあざは残りましたけどね」

「そう、ですか」


 こほん、と咳を打って、女の子は緊張した様子で言った。


「あたし、瓦当ショコラって言います。イラストレーター、やってます。Vtuberも」

「……え?」


 仁神は、取締役(……元・取締役?)に殴られたときよりも、はるかに強い衝撃を受けた。

 推しだった。

 最推しの、中の人が……そこにいた。


(聞いたことある声だと思ったよ、どうりで……。)


 ほぼ毎日、配信で聞いている声だったのだ。

 ただ、Vtuberのときは、もっと甘やかしてくれるような、とろけるような声音だが。

 配信中はそういう声音を作っている、ということだろう。


(……うん。まあ、そりゃそうだ。)


 Vtuberの配信とは、そういう裏側があって成り立つものである。

 そして、仁神は裏側には興味がない……というか、できるなら裏側は見たくないタイプだ。

 編集がテンション高めで電話してきた理由もわかったが、瓦当ショコラの中の人、本人を知りたいとは思っていなかった。


(直接お礼したかったのはわかるけど、推しの中身を知っちゃったのは、個人的にちょっとアレだな。挨拶だけして、帰るか。)


 仁神は努めて微笑み、紙袋を受け取った。


「ご丁寧にありがとうございます。それじゃ、今日は……」

「それで、あの。本題なんですけど」


(……ん? お礼が本題じゃなかったの?)


 瓦当ショコラが、仁神の目をまっすぐ見た。


「あたし、仁神先生の次の小説の表紙、描きます。描かせてくださいませんか?」

「……はぇ?」


 変な声が出た。

 編集がにんまりと笑う。


「いやあ、素晴らしい! こういう縁もあるんですねぇ! 瓦当ショコラ先生がイラスト担当してくれたらもう勝ち確ですよ! 登録者百万人のVtuberがイラストを担当するラノベ! 話題性大爆発! これは売れますよぉ!」


(……ああ、なるほど。)


 仁神は一気に渋い顔になって、うなずいた。


「そういうことなら、お断りします」

「……え? 仁神先生? いま、なんて?」

「ただのお礼でそこまでしてもらうのは、さすがに悪いですよ。編集さん、瓦当先生の無茶言ったんでしょ。瓦当先生もごめんなさい、無理に付き合わなくていいですからね」


 苦笑し、紙袋を持って立ち上がる。


「バームクーヘン、ありがとうございます。それでは」

「ちょ、仁神先生!?」


 会議室を出て、しかし、廊下を曲がったところで、ぐいっと袖を引かれた。


(引き留めようたって、そうはいくか。)


「編集さん、僕はそういう――」


 拒否の言葉を口にしながら振り返ると、仁神の服の袖を掴んでいたのは、かわいい女子大生風のイラストレーター、瓦当ショコラ本人だった。

 編集氏はちょうど会議室から出てきたところで、つまり、瓦当ショコラが真っ先に追いかけてきたらしい。

 瓦当ショコラはしょぼしょぼした顔で、不安そうに仁神を見上げている。


「あの、あたしのこと、嫌い……ですか」

「い、いえ! 嫌いとかそういうことはなくて、むしろ配信よく見てて推しっていうか、その」


 瓦当ショコラは目を丸くした。


「あ、あたしの配信、見てるんですかッ?」

「ええ、まあ。僕Vtuberけっこう好きで」

「Vtuber見てるとか、SNSに書いてなかったじゃないですか! うそ! そっちの覚悟はしてきてないんですけど! 恥ず! ちょっと待って!?」

「僕のSNSチェックしたんですね……。あれ、宣伝用ですから、趣味の話はあんまり」

「地元の友達だけフォローしてる私的なアカウントにもVtuber好きなんて書いてなかったじゃないですか!」

「なんで僕の地元アカ知ってるんですか!?」


 小首をかしげられた。


「本名と誕生日を何パターンか試したら普通に出ましたよ?」

「本名まで割られてるの!? こわ!」


 編集氏も追いついて来て、額の汗をぬぐった。


「仁神先生、このおはなし、実は瓦当先生から打診いただいたもので。助けてくれた仁神先生に、ご興味があるとかなんとか」

「そうです! あたしが、お願いしたんです。一緒にお仕事、しませんか?」


 仁神は嘆息し、正直に告げることにした。


「その……僕としては、推しの生身の姿を見るのは、かなり解釈違いで。すいませんが、一緒の仕事というのも、距離が近い感じがしちゃって……」

「ああ、そういうタイプのファンでしたか」


 瓦当ショコラは、ふっと微笑んで、「んっん」と喉の調子を確かめた。


「仁神先生♥ 一緒にお仕事、しましょうよ♥」

「ごふッ」


 甘い声で囁かれて、仁神が死んだ。


(いや死んでないけどっ! 耳が幸せだけど……!)


「か、解釈違いです! そういうのが!」

「でも目元めちゃくちゃにやついてますよ。体は正直ですね、仁神先生♥」

「その声、やめてください……」


 仁神はなんとか表情筋に鞭を入れて、瓦当ショコラに向き合った。


「あのですね。僕にも、作家として、プライドがあるんです。お情けで仕事を振られるのは、正直、つらいです」


 言うと、瓦当ショコラはマスク越しでもわかるくらい、むすっと頬を膨らませた。


「あのね、あたしだってプロです。話の分からない小娘じゃない」


 甘い声ではなく、地声で言う。


「それはわかってますよ。クリエイターとしては、僕なんかよりよっぽど高名ですし」

「ううん、わかってない。ぜんぜんわかってないです。にわか丸出しです」

「そこまで言う?」


 袖を握る手に、力が入る。


「あたし、本気で『このひとの小説はもっと売れるべきだ』と思ったんです。著作、この三日でぜんぶ読みました。Webのも含めて」

「ぜんぶ!? めちゃくちゃ多いのに……あ、ありがとうございます……」


 この三日間、仁神焙煎のことを調べつくしていたらしい。

 地元垢まで割ったところといい、なんだかこう、けっこう湿度の高い性格をしているのかもしれない。


「正直、恩返しの気持ちがまったくないとは言わないですけど、それだけじゃないです。恩返しだけなら編集部通してバームクーヘン贈って終わりです」

「バームクーヘンは瓦当先生の定番おもたせなんですね」


 嘆息する。


「でも、僕いま、新規の企画持ってませんし、瓦当先生の可愛い絵柄にあうプロットも――」

「『初恋と火蜥蜴』」

「ごふッ」


 またしても、仁神が死んだ。いや死んでないけど。

 瓦当ショコラのうしろで、編集が首をかしげる。


「はつこ……なんです? それ」

「仁神先生が十年前にWebで発表してた小説です。女子中学生が、首元にサラマンダーの入れ墨を入れたガールズバンドのシンガーに恋しちゃう、百合恋愛もの。あれなら、私の絵柄がばっちりだと思うんです」

「へえ、攻めた百合作品ですねぇ。仁神先生、異世界ファンタジー以外も書けるなんて知りませんでした。先生のWeb作品はぜんぶ確認してるつもりだったんですけど」


 いきなり心臓に食らったダメージをかばいつつ、仁神が応える。


「高校のときは、いろいろ書いてみようって挑戦して……でも、完結させられなかった話です。かなり前に、Webからもデータ引き上げてあるんで、編集さんが知らないのも当然で」

「へえー。え、瓦当先生はどうやってその作品を?」

「そういう作品を掲載していた痕跡はあったので、仁神先生のファン垢を作って、その昔に交流のあったひとを探って、データ保存しているひとを見つけて、そこからは交渉ですね」


 なんかもう、瓦当ショコラが怖くなってきた仁神である。


(だから中の人なんて知りたくなかったんだ……! 見たくないところまで見ちゃうから!)


 瓦当ショコラは、むくれ顔のまま、上目遣いで仁神を見た。


「ほら、あたしの絵柄にあうおはなし、あるじゃないですか。こんな奇跡ってあります? もはや運命ですよね」

「いや、偶然じゃないかな……。いっぱい書いたうちのひとつだし……」

「そうですよね、運命ですよね」

「僕の話聞いてます?」

「だから、あたしが表紙を描く。描かせてほしいんです。だから先生、一緒にお仕事、しませんか? ……ね♥ 仁神先生……焙煎くん♥ おしごと♥ しましょ?♥ ね?♥」


 甘い言葉にくらくらしながら、それでも仁神は根性で首を縦には降らなかった。


「か、考えさせていただきます! それでは!」


 言って、今度こそ編集部から帰宅……もとい逃走する。


(メールでお断りしよう! それなら声を聞かなくて済むし!)


 そう思いながら、ビルを出る仁神だが……。

 翌日から毎日、推しから「お仕事しましょ♥」の電話がかかってくることになることを、このときの仁神焙煎は、まだ知らない。




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