エピローグ 幸せの日々へ

 ふわりと春の風とともに花の香りが舞った。雲一つない青空は私たちの門出を祝福してくれているようだ。今まで着たことのない豪奢な純白のドレスを身にまとい、鏡の前で最終チェックをした私はあまりの出来栄えに幸福なため息をついた。

 美しい光沢を放つ純白のドレスは腰元からふわりと広がるAライン。袖は肩下についているオフショルのデザインのお陰で首から胸元までが美しく見える。ドレスのトレーンも長くて、まるでおとぎ話から出てきたお姫様みたいだ。結った髪には白い生花をたくさん飾ってもらったおかげで、動くたびに甘い香りがふわりと漂う。

 赤いビロードの絨毯が敷かれた螺旋階段を降りていく。挙式まではまだ時間があるが、その前に雅臣さんにドレスを見せに行きたかったのだ。だけど微かに聞こえる子供の泣く声が私の歩を止めた。キョロキョロとあたりを見回すと、ちょうど螺旋階段の下で五歳くらいの女の子が泣いていた。


「どうしたの? 迷子になっちゃったのかな?」


 階段を降りて女の子の方に向かい、屈んで目線を合わせる。淡いピンクのドレスを着ている女の子はグズグズと泣きながら手で涙を拭った。


「あのね、お母さんが髪の毛につけてくれたお花の髪飾りがなくなっちゃったの。せっかくお母さんがつけてくれたものなのに」

「そっか。そしたらお姉ちゃんのお花をあげるね」


 そう言ってニッコリ笑うと、私は自分の髪に挿してある花を引き抜いて女の子の髪にさしてやる。泣きべそをかいていた女の子は、かぐわしい香りのする花を手で触ってパアッと顔を輝かせた。


「これもらっていいの?」

「もちろんよ。ほら、お姉ちゃんの髪にはいっぱいお花が咲いているでしょ? だからあなたにもあげる」

「うん、ありがとう!」


 白い花を頭に飾ってもらった女の子が嬉しそうにお礼を言って走っていく。両親に見せにいったのであろう女の子の後ろ姿を幸せな気持ちで眺めていると、スッと髪に何かを差し込まれた。思わず手で触ると、今しがた花を抜いた場所に新しい花が飾られている。振り向くと、正装した雅臣さんが優しく微笑みながらこちらを見ていた。


「雅臣さん! このお花ってもしかして……」

「ええ、俺の胸に挿してあったものです。せっかくの晴れ舞台なんですから、あかりさんも着飾らないと。それでもやっぱり自分のことよりも子供のことを優先してしまうあなたが俺はたまらなく好きなんですけどね」

「えへへ、でも勝手なことしちゃだめですよね。せっかく式場の人に綺麗にしてもらったんだから」


 ぺろりと舌を出しながら彼に向き直る。と同時に正装した彼を見て私は目を丸くした。


「ま、雅臣さんの礼服、かっこよすぎじゃないですか? どうしよう、私挙式中ずっと照れて雅臣さんのことを見られないかもしれません……!」


 サテンの長いグローブをはめた手で顔を覆う。雅臣さんが着ている服は、いわゆる儀礼服というもので警察官の正装だそうだ。黒の警官帽に黒の制服。胸元には金の飾緒もついていて、まるでおとぎ話から出てきた王子様みたいだ。体格の良い雅臣さんはこういうカッチリとした正装がよく似合う。

 ドキドキしながら見惚れていると雅臣さんが嬉しそうに目を細めて私の手を取った。


「あかりさんこそ……こんなに綺麗な花嫁を見たことがありません。俺は本当に幸せ者ですね」


 そう言いながら手を引き寄せて手の甲に優しく口づけをおとす。その様子がまるで王子様のように見えて私の顔がカッと熱くなった。


「ま、雅臣さん。ほら、もうすぐ式の時間ですよ。早く行かないと」


 照れた気持ちを隠すように慌てて彼の腕を引っ張る。ちょうどそのとき、結婚式場のスタッフさんが慌てた様子でこちらにやってくるのが見えた。


「一ノ瀬さん! すみません、こちらの書類にお名前をいただくのを忘れてしまいまして。今ここで署名をいただいてもよろしいでしょうか」

「あ、はい。わかりました」


 ペンを受け取り、指定された場所に名前を書く。記載した名前は──一ノ瀬あかり。数日前に入籍した私はもうぴよぴよ仮面は名乗れない。それでも新しく変わった自分の名前を私は幸福な気持ちとともに指でなぞった。


「一ノ瀬さーん! そろそろ時間ですよー! こちらへ来てくださーい!」


 別のスタッフさんが手招きしながら呼んでいる。これから一緒に人生を歩んでいく彼と手を繋ぎながら、私は幸せな気持ちで赤い絨毯を歩いていった。



「あかり先生ー! ブーケはこっちに投げてねー! 絶対にキャッチするからー!」


 列席者の先頭で真木先生がブンブンと手を振っている。私の先をこすなんて許せなーい! なんて言っていたものの、私の結婚を一番に喜んでくれたのも彼女だ。ブーケがもらえなかったら後日小さい花束でも渡してあげよう、なんて考えていると、紺色のタキシードを着たワタル君がこちらに向かって手を振る。


「マサー! あかりちゃんを泣かせたら、オレがあかりちゃんをもらっていくからなー! ちゃんと守れよー!」


 おませなワタル君の言葉に、雅臣さんがニヤッと笑って親指を立てる。式に来てくれた大切な人たちの顔を嬉しい気持ちで眺めていると、大人に紛れるようにして半べそをかいている男の子が目にとまった。迷子にでもなったのだろうか。とっさに駆け寄ろうとした私の腕を雅臣さんが優しく引き戻す。


「今日は警察官もいっぱい来ていますから。彼らに任せておけば大丈夫ですよ」


 見ると、子供の泣き声を聞きつけたのか人混みをかき分けてやってきてくれたのは江坂さんだ。泣いている男の子の前にやってきて、ひょいと抱き上げる。


「どうしたの僕、迷子かなー? お名前と住所と年齢は言える? なんちゃって」


 冗談を言いながら江坂さんが私に向かってパチンとウインクをする。ホッと安心した私に雅臣さんが笑いながら耳元に唇を寄せた。


「いつも子供のために一生懸命なあかりさんも素敵ですが、今日くらいは俺に独り占めさせてください。俺だけの花嫁なんですから」


 そう告げる彼の言葉にはたくさんの愛がこもっていた。これからの幸せを予感させる甘い響きに包まれながら私は幸福な気持ちとともに頷いた。



 白いチャペルと抜けるような青空。そして人々の明るい笑顔。色とりどりの花のシャワーを作ってくれるのは私の可愛い教え子たちだ。たくさんの幸せを胸いっぱいに感じながら私はくるりと後ろを向く。


 私が投げたブーケが青空を舞った。






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