第41話 新しい日常

 キーンコーンカーンコーン


 チャイムの音が校舎に響くとともに子供たちがキャアキャア騒ぎながら教室から出ていく。授業と授業と間の休み時間にも校庭に出ていこうとするのだから小学生はとても元気だ。廊下は走っちゃだめよ! と声をかけながらも私はニコニコしながら小さな背中を眺めていた。

 職員室へ向かいながらも、寄り道をして高学年の階を覗く。まるで探偵のように壁の影から顔だけを出して廊下を見ていると、後ろからポフンと名簿で頭を叩かれた。

「きゃ! て、真木先生じゃないですか。もう、びっくりさせないでくださいよ」

「ちょっとアンタ、ワタル君のこと気になりすぎじゃない? いくら一ノ瀬さんの元カノの生き別れの妹の子供だからってそんなに休み時間になるごとに様子を見に来なくてもいいでしょ」

「いや従姉の息子さんですからね! なんですかその重たい設定! 最近始めた恋愛アプリゲームの影響受けまくりじゃないですか」

「あれ、そうだっけ。まあそれはどうでもいいや。でもそろそろワタル君も学校に慣れてきた頃かしらね。あ、あれワタル君じゃない?」


 なんだかんだと言いながら気にかけてくれる真木先生が廊下を指差す。今しがた教室から出てきた男の子の集団の中にワタル君はいた。転校して一週間ほどたったが早速クラスに馴染んでいるようだ。真木先生と並んで見守っていると、私に気がついたのかワタル君がニッと笑って片手をあげた。


「あらあら、一ノ瀬さんと同じ血を引いているとは思えないほどのチャラ気質ね〜。やんちゃな顔してるけど顔立ちは結構整ってるし、あれは将来化けるわね」

「真木先生、さすがに小学生につばつけておくのはどうかと思いますよ……」

「バッ! そんなんじゃないわよ! さすがの私もそんなに飢えてないっつーの!」


 ぎゃあぎゃあ言い合う女教師二人をチラリと一瞥して友達に囲まれたワタル君が通り過ぎていく。私が心配するまでもなく、彼はちゃんと頑張っているようだ。今日はワタル君の好きなものを作ってあげようと思いながら、私は通り過ぎていく背中を眺めていた。



 午後六時三十分。終わっていない仕事をまるごとカバンに突っ込んで私は教室までワタル君を迎えに行った。保護者の尽力もあって、数ヶ月前から放課後の学校解放ができるようになったお陰でずいぶんとやりやすくなったのはありがたい。

 五年生の教室へ行くと、ワタル君は本を読んでいた。私が声をかけると顔を上げ、他にも残っているクラスメイトに挨拶してランドセルを背負う。今日の出来事を聞きながら二人で校門を抜けて足早にスーパーへと向かった。



「ワタル君、学校は慣れたかな? 楽しい?」


 帰宅してすぐに二人で簡単なご飯を作って食べ、食後のコーヒーを飲みながらワタル君の宿題を見る。ワタル君は両手を使いながら計算ドリルと格闘していたけど、私の問いかけに顔を上げた。   


「うん、まあまあだよ。友達もできたし」

「そっか、良かった。もとはと言えば私の思いつきで転校することになっちゃったからね、それを聞いて安心したわ」

「むしろこっちの方が作りやすいよ。ここの学校は一ノ瀬の名前があんまり知られてないから」


 図形の問題に書き込みをしながらワタル君がつぶやく。それでもサラリと告げられた言葉に、普段の彼の苦労が感じられて私の胸もギュッと締め付けられた。家でも学校でも休まる時がないのは大変だろう。

 頭に手を置いて撫でてやると、ワタル君が顔を上げた。雅臣さんによく似ているけれど、ほんの少しだけやんちゃそうなツリ目が真っ直ぐにこちらを向く。


「そういえばあかりちゃんってマサのカノジョなんでしょ。チューとかした?」

「ぶっ」


 いきなり突拍子もない質問を投げつけられて私は盛大に吹いた。小学生も高学年になると大人びた子が多くなるから侮れない。


「な、なんでそんなことを聞くのよ。子供はそんなことを知らなくていいんです」

「えーだって仮にも今はオレの保護者役でしょ? 両親の仲がいいか確かめておかないと」

「あなたが心配しなくても先生たちはとっくにラッブラブですから! 問題なーし!」


 若干表現を盛った自覚はあるけれど、精一杯の威厳をかき集めて胸を張る。ワタル君は分数の計算問題に格闘しながら「ふーん」と気のない返事をした。じゃあなんで聞いたのよ。


「ねえなんであかりちゃんはマサのこと好きになったの? 顔がかっこいいから?」

「そりゃもちろん見た目も素敵だけど、そうね、警察官という仕事に誇りを持っていて実際に人を守る力があるところかな」

「でも警察官なんて全然帰ってこないし家のことも丸投げじゃん。この家で暮らすようになってから一週間たつけど、マサよりあかりちゃんの方が大変そうじゃない? 公休日も全然家にいないし」


 ワタル君の言葉にはほんの少しだけ棘があった。彼はやはり身内に警察関係者が多いことから意外と内情に詳しい。そして実際に泊りがけで勤務することも多く、雅臣さんが家にいることはほとんどなかった。きっと彼は雅臣さんを糾弾することで家族に言いたいことを吐き出しているのだろう。だから私は優しく笑ってその気持ちを受け止めた。


「でもね、家に使う時間を市民のために使ってるんだから立派だと思わない? そりゃ寂しくないって言ったら嘘になるけど、私は応援したいな」

「前から思ってたけどさ、あかりちゃんってマサのこと大好きだよね」

「そ、そりゃそうよ。好きだから一緒にいるんだもの。きっとワタル君にも好きな子ができたらわかるようになるわ」

「……結婚って好きだからするのに、なんで別れたりするんだろうね」


 ポツリとこぼした言葉がなんだか寂しそうに聞こえて私はハッとした。きっとワタル君が小さい頃に別れてしまったお父さんのことを考えているのだろう。態度には出さないけれど、やはり彼は寂しさを感じているのだ。まだまだ親が恋しい年頃なのに彼が背負わされているものを考えるとなんとか力になりたいと心から思う。


「ワタル君、今日は一緒に寝てあげようか?」

「オレおっぱい触るけどいい? あとそのことをマサに言うよ」

「せ、先生に向かってなんてことを言うんですか! もう、絶対に一緒に寝てあげないから!」


 なんだかんだと言いながらもワタル君との生活は楽しい。賑やかになった放課後の生活を堪能しながら私の日常は過ぎていった。






※※※


「一ノ瀬さん、そろそろパトロールの時間っスよ。俺、先に車乗ってますね」


 江坂の言葉に、一ノ瀬はおもむろに顔を上げた。書類を書いていた手を止めて壁掛けの時計に目をやる。気がつけば時刻は午後の十一時半。もうすぐ一日が終わる時間だ。だが一ノ瀬たちの夜はまだまだ終わらない。

 今日は公休日だったはずなのだが、昼頃に応援要請が来て現場に駆り出されそして今に至る。書類を片付けて装備を整えると、一ノ瀬も急いで車に乗り込んだ。

 運転席に座った江坂がパトカーを発進させる。


「一ノ瀬さんも大変ですよね。今日本当はお休みの日っスよね? 助手席で寝ててもいいですよ」

「そんなわけにもいかないだろう。犯罪を取り締まるための警らなんだから」

「一ノ瀬さんは真面目だなぁ。でも本当に最近揉め事が増えていますよね。俺も急な招集が多くてイヤになりますよ。最近なにかあったんですかね?」

「わからないが、とにかく俺たちの仕事はできるだけ早くに犯罪の芽を摘み取って街を守ることだ。泣き言は家で言うしかない」

「泣き言は家ねぇ。そういえば最近、あかりちゃんと一緒に住み始めたんですよね? いいなぁ、おうちに帰れば可愛い子が待っていてくれるなんて羨ましいです。はぁ俺も早く結婚したいなぁ」


 ハンドルを握りながら江坂がため息をつく。そういう彼も、最近真木という女教師と距離を縮めたらしいが、こうやって仕事に駆り出されているために一歩進んだ関係になれていないようだ。この仕事を選んだときに私生活がおろそかになることは覚悟していたが、さすがにこのような多忙な生活サイクルが続くとやるせない気持ちになる。

 深夜になっても減らない車を一ノ瀬はぼんやりと眺めていた。公道を照らす無数のテールランプが目に眩しい。きっと彼女は今頃ワタルと一緒に寝ている頃だろう。結局彼女に大きな負担をかけることになってしまったが、彼女がそれを責めることはない。それどころか、帰るたびに嬉しそうに出迎えてくれるのだから、日に日に愛しさは募るばかりだ。なりゆきで同棲をすることになったが、浅雛あかりと一緒に暮らすことになってから、家に帰るのが楽しくなったことを一ノ瀬は感じていた。


「で、どうですか? 同棲生活は。やっぱりずっと一緒にいるとエッチな雰囲気になったりするんですか?」


 江坂がニヤニヤしながら聞いてくる。


「俺の親戚の子供も一緒に暮らしているからそれは無理だな。でも夜遅くに帰宅してあの子の寝顔を見ると、俺はこれを守るために仕事をしているんだと思えるよ」

「うわ一ノ瀬さんいいこと言う! でも本当にその通りっすよね。大切な人たちが安心して暮らせるなら、徹夜が続こうが休みが潰れようが頑張ろうって思えますもんね」


 そういう江坂の横顔は、ほんの少し疲れが見えているものの活力は衰えていないようだった。きっとこの後輩の頭にも大切な誰かの顔が浮かんでいるのだろう。まったく、男というものは惚れた女にはとことん弱いなと一ノ瀬は苦笑した。 


「でもこんな生活が続いているんじゃなかなかあかりちゃんと一緒にいられないですよね。せっかく一緒に住んでいるのに……しかも子供がいるんじゃイチャイチャもできないもんなぁ。そのワタル君はいつまでおうちにいるんですか?」

「あの子の母親……俺の従姉が見つかるまでだな。そちらの方も捜索を続けているが手がかりがなかなか見つからないんだ。犯罪に巻き込まれていなければいいんだが」

「うわ一ノ瀬さん抱えてるものが大きすぎっすね。お願いですからぶっ倒れないでくださいよ」


 江坂がヒエーと言いながら交差点を右折する。都会の夜は深夜でも明るく、人通りもまばらだ。助手席に座りながら周囲を見回していると、商店街の入口付近で揉めている二人の男が目に入った。一人の男がもう一人の男の肩を押し、男が盛大に背後のゴミ箱に突っ込む。  

 トラブルの気配を感じた一ノ瀬は江坂に指示を出してパトカーを停車させ、急いで車を降りた。フットワークの軽い江坂が駆け寄って男たちの前に割って入る。


「はいはいお兄さんたち、公共の場での喧嘩はご法度だよ。話があるなら交番で聞こうか。こっちのお兄さんは立てる?」

「ああ? ポリ公が割り込んでくんじゃねぇ! 関係ねぇやつは引っ込んでろ!」

「まぁまぁちょっと落ち着こうか。皆の迷惑になってるのわかる? とりあえず話を聞いてもいいかな」

「話すも何もコイツが前からフラフラ歩いてきて俺にぶつかったんだよ。痛ぇなって怒鳴ったらコイツがブツブツ言いながら肩パンをしてきたからムカついて突き飛ばしたんだ。正当防衛だよ正当防衛。ったく、気持ちわりぃな」


 今しがた相手を突き飛ばした男が憤慨しながら江坂の手をはらいのける。江坂が男を諌めている間に一ノ瀬はゴミ箱の上に倒れ込んでいる男を助け起こした。まだ若い男だ。だが彼は立てない様子で大の字になって天を仰いでおり、その目は虚ろで焦点が定まっていなかった。意識の有無を確認しながらも、一ノ瀬は内心で違和感を覚える。


(これは頭を打ったからが原因ではなさそうだな。この酩酊感はアルコールでもない……クスリを何かやっているな)


 ひとまず保護をしたうえで検査が必要だと判断した一ノ瀬は無線で応援要請を頼む。一ノ瀬のもとにやってきた江坂が倒れている男を見て顔をしかめた。


「で、この人は大丈夫そうですか? 見たところめちゃくちゃ酔ってるみたいですけど」

「いや、これは飲酒ではないな。多分覚せい剤だ。幻覚の症状が出ている」

「本当ですか。最近多いですね。この付近に売買人がいるってことですか?」

「わからない……だがそう思って取り締まりを強化した方がいいだろう。渡さんにも報告しなければ」

 

 そんなことを話しながら事情聴取をしているとジジッと音がして無線が鳴る。


「向町一丁目交差点付近で覚せい剤所持の男を逮捕。至急応援要請求む」


 無線の内容を聞き、一ノ瀬はこれから眠れない夜が始まることを覚悟した。

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