第38話 両親

 都心から電車で揺られて二時間半。そこまで田舎ではないけれど、都会に出るにはまあまあ時間がかかる場所、そこが私が生まれ育った地元だ。

 懐かしい故郷の空気を感じながら、窓から近所の田園地帯が見える一室で、私と雅臣さんは私の両親と向かい合わせに座っていた。


「……というわけですので、お嬢さんと一緒に暮らすお許しをいただきたくご挨拶に参った次第です」


 自己紹介を交えつつ雅臣さんがにこやかに挨拶を済ませると、私の真向かいから咳払いが聞こえた。私の父だ。最近ちょっとだけ白髪が交じってきたし、お腹まわりはすっかり体操選手だった頃の面影がなくなっているけれど、それでもかつてのスポ根親父のオーラは健在だ。眉間にシワを寄せて口を真一文字に引き結んでいる顔は、完全に雅臣さんを値踏みにかかっている。

 頼むから失礼なことを言わないでよね、と無言で念を送っているけど伝わっているのだろうか。

 対して私の母はニコニコしながら雅臣さんと父を見ている。話を聞き終わった父がうんうんと頷き、すーっと息を吸った。


「娘は嫁にやらーーーーん!」


 ビリビリと空気が震えるくらいに大きな父の声に、私は思わず耳を塞いだ。シンプルにうるさい。いくら田舎だからといっても限度があるだろう。父の隣にいる母がツンツンと父の肩をつついた。


「ちょっとお父さん、結婚じゃなくて同棲って言ってたじゃないの。ちゃんと話聞いてました?」

「うん? なんだ結婚の挨拶じゃないのか。人生で一度は言ってみたいセリフを今こそ言うときだと思ったんだが」

「ほら、そのセリフを言いたいことしか考えてないから話を聞いてないじゃないの。とりあえず一緒に住むことから始めましょうってことでいいのよね、あかり?」

「そ、そうよお父さん。まだ付き合ったばっかりなんだもん、結婚なんてまだ先だよ」


 母のフォローに乗っかって私もコクコクと頷く。ワタル君の一件があって成り行きで同棲することになっただけなのだから、結婚なんてまだまだ先の話だ。そもそも交際を始めたばかりなのだから、彼のことも知らないことの方が多い。雅臣さんだってさすがに結婚までは考えていないだろう。

 父の言葉を否定しつつも、私はチラリと隣の雅臣さんを見やる。


(そりゃしたくないと言ったら嘘になるけどさ……)


 気が早いとは思うが、やっぱり付き合ったばかりなのに会えないのは寂しい。さすがに結婚まではいかなくても、もう少し踏み込んだ関係になりたいのは素直な私の本音だ。


「ふうむなるほど、でもいずれあかりとは結婚を考えてくれるのかい? 一ノ瀬くん」


 そんな風に思っていると父がいきなりぶっ込んできて私は思わずお茶を吹いた。さすが脳筋の父。考えることがストレートだ。

 私は慌てて立ち上がって身を乗り出す。


「だからお父さんは気が早いの! 雅臣さんだってそんなこと聞かれたら困るでしょ! そういうのは、同棲をしてみていいなぁと思ってから決めるものなのよ!」

「そうよお父さん、もういい大人なんだから二人に任せておけばいいじゃないの」


 母が援護をしてくれる。だけどいつも母に頭があがらないはずの父は険しい顔で頭を振った。


「こらこら、俺は一ノ瀬くんに聞いているんだ。お前たちは座っていなさい。これは父としてよりも男としてちゃんと確認しておきたいことなんだから、なぁ一ノ瀬くん?」


 父が腕を組みながらじっと雅臣さんを見つめた。その目は挑発的で、どんな些細な動揺も見逃さないと言わんばかりにギラギラと光っている。

 だが雅臣さんは涼しい顔で笑みを返した。


「ええ、お父様のお許しをいただけるなら、いずれはあかりさんと結婚したいと思っています。そのときはまた挨拶をしに伺わせてください」

「ほぉーんそうなのか。しかし悪いがこの子のどこがそんなに好きなのかね。見たところ君は顔良し、性格良し、仕事熱心で真面目な好青年だ。対してあかりは私にとっては可愛い娘には変わらないが、どこにでもいるような普通の子だろう。都会の華やかな女の子に比べると地味だし、化粧っ気もないし、童顔だし」

「お父さん、そろそろ怒るよ」


 酷い。私だって最近真木先生にアドバイスをもらって華やかなフレアワンピースとか着るようになったし、お化粧も流行にそっているのに。というより父よ、私の味方じゃなかったんかい。

 ブスッとしながら父をにらみつけると、隣の彼が笑い声を漏らした。


「そうですね……あかりさんの好きなところは数えきれないくらいあるのですが、でもやっぱり……」


 そう言って彼が口をつぐむ。そっと視線を横に向けると、雅臣さんが微笑みながらこちらを見ていた。ほんのり照れ笑いをしている彼の目はとても優しく私を見ている。

 普段あまり見ることのない雅臣さんの照れた表情を見て私の心拍数も急激にあがる。え、どうしよう。なんだか私も恥ずかしくなってきちゃった……。

 そんな風にドキドキしながら雅臣さんと見つめ合っていると、向かいに座る母がペチンと父の頭を叩いた。


「あなたは詮索しすぎです。いいのよ、娘の恋愛関係に親が首を突っ込まなくても。あかりがいい人とお付き合いをしているならそれでいいじゃないの」

「そ、そうよねお母さん! じゃあ私たち、もう行くね。今日中に帰らないといけないし」


 母の言葉にこれ幸いと私も話を切り上げて立ち上がる。これ以上父の前でドキドキしたくないし、明日の仕事のために早く帰らないといけないのも事実だ。せっかくの休みの日なのに、往復で五時間かかる場所までわざわざ来てくれた雅臣さんには感謝しかない。

 まだ話し足りなそうな父を置いてさっさと家を出ると、私は大きく息を吐いて新鮮な空気を肺に入れた。実家とはいえ、初めて恋人を両親に見せたのだ。自分でも思っていたより緊張していたらしい。


「雅臣さん、今日は遠いところまで来てくれてありがとうございました。同棲するだけの報告なのになんだか堅苦しくなっちゃって」

「いえ、俺もあかりさんのご両親に挨拶ができて良かったです。あかりさんはあたたかい家庭で育ったんですね」

「ええー、そうですかね? どこにでもある普通の一般家庭ですよ。雅臣さんのご両親はどんな方なんですか?」

「父は昔ながらの厳格な男で、母も規律には厳しい人ですね。それでも本家に比べるとごく普通の一般家庭ですよ」

「わぁ、そうなんですね。本家……というのは環さんの実家のことですよね。本家ってどんな感じなんでしょうか」


 名士と呼ばれる一ノ瀬家。環さんやお姉さん、そしてワタル君が過ごしてきたのはどんな環境なんだろう。私が聞くと、雅臣さんが少しだけ硬い表情になる。


「本家の方はもっと厳しいですね。結婚相手はおろか、進路や職業も自由に決められません。当主は環の父……俺の伯父にあたる人ですが、環の姉が結婚する際にも相当揉めたと聞いています。結局彼女は駆け落ちをし、小さなワタルを連れて離婚して戻ってきたのですが、そのときも伯父の怒りは凄まじいものでした。俺は当時高校生だったので騒動に直接関わってはいませんでしたが、俺の父までも本家に呼ばれて連日当主を説得していましたよ」


 雅臣さんが淡々と告げる。あのときはワタル君もいたからあまり込み入った話はできなかったけれど、改めて聞くとなかなか壮絶な家族関係だ。


「由緒正しい家柄だと大変なことも多いんですね……環さんはよく新聞記者になれましたね。いろいろと苦労があったのでしょうか」

「環はあの性格ですからね。昔から父親に反発ばかりしていましたよ。新聞記者になると決めたときも猛反対されていましたが、むしろ勘当されて清々したと言わんばかりに堂々と本家を出ていきました。でも結局、蓋を開けてみれば彼女は優秀な記者だったために様々な事件を解決に導いて一ノ瀬の家名を上げましたからね。皮肉な話ですが、あれだけ反発した環は本家に受け入れられているんです」

「そうなんですか……じゃあ、環さんのお姉さんはどんな人だったんですか?」

「環は俺の一つ下なので幼少期からよく一緒に遊んでいましたが、かおりさん……環の姉とは七つも離れているのであまり交流がありませんでした。昔から大人しくて部屋に篭りがちな人だったので、駆け落ちしたと聞いたときは驚きましたね。父親の言うことに従順な人だと思っていましたが、内心では逃げ出したくてたまらなかったのでしょう。彼女は昔も、今も本家には居場所がありません。そんな母親を見ているので、ワタルも本家では肩身が狭いでしょうね」


 彼の言葉が私の胸に突き刺さる。黙って出てきてしまったのはいけないことだけど、彼が一人で雅臣さんの家に行ったのは、辛い現状から逃げたかったのかもしれない。他人の家庭の事情に首を突っ込むなんて差し出がましいことをしてしまったけれど、やっぱりワタル君の側にいてあげたいと思う気持ちは本当だ。

 黙ってうつむいてしまった私を見て、雅臣さんが少しだけ表情を和らげる。


「あかりさんは優しいですね。先程はお父さんの前で言えませんでしたが、俺が好きなのはあなたのそういうところです」

「え? えええー⁉ そんな……う、嬉しいですけど、急に言われたら恥ずかしいですよ!」


 不意打ちの惚気のろけに私の顔が火のように熱くなる。あわあわしながら私は彼から視線をそらすが、まるで逃すまいとするかのように雅臣さんの手がするりと私の手を掴んだ。


「せっかく同棲の許しをもらったわけですから。このまま今日は一緒に過ごしましょうか。同棲の練習ですよ」

「ええ⁉ い、今からですか? そんな、心の準備が……!」

「すぐにワタルも一緒に生活するんですから。今日くらいは俺に独り占めさせてください」


 そう言って彼がいたずらっぽく笑う。なんという殺し文句だろう。彼にそんなことを言われて抗えるはずがないのに。

 そんなこんなで私は雅臣さんに手を引かれながら、彼の家へと帰っていったのだった。

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