第36話 隠し子騒動?
ワタル君の言葉に一瞬思考が停止する。ん? 今日からうちの子になるってどういうこと? 一ノ瀬という名字から雅臣さんの親戚の子供だと思っていたけど、もしかしてこの子は雅臣さんの隠し子……。
一瞬変な想像がモヤ〜っと頭の中を駆け巡ったが、すぐさまぶんぶんと頭を振って妄想をかき消す。雅臣さんは二十七歳。どう考えてもこんなに大きい子供がいるようには見えない。若い頃は相当ヤンチャしていた説もなくはないかもしれないけど、変な憶測をするよりはまずはきちんと話を聞いた方がいい。微かに吹いた夜風がワタル君の首筋に鳥肌を立てているのを見て、私は急いで鍵を開けた。
「何がなんだかよくわからないけど、もう夜遅い時間だからとりあえず部屋に入って」
「あーやっと家に入れる〜。オレお腹空いちゃったよ」
「うちに入るのは構わないけど、おうちの人はあなたがここにいることを知ってるの?」
「まぁそういうのはあとで話すから早くメシ作ってよ」
玄関で靴を脱いだワタル君がドタドタと部屋の中に入っていく。もしかすると雅臣さんとワタル君の保護者の間では話がついているのかもしれない。事情はわからないが教職員としてこの時間帯に子供を外に置いておくのは憚られる。一ノ瀬、という名字から、雅臣さんと関係がある子である可能性が高いことからも、ひとまず私は彼を保護することにした。
部屋に入り、パチリと電気をつける。ワタル君は床にランドセルを置くと物珍しそうにぐるりとあたりを見回した。
「へー結構綺麗にしてんじゃん」
「そうかな? ありがとう……って、なんてこと言うのよ! 小学生のくせに!」
雅臣さんが来るのでわりと普段から部屋の片付けは気にしている方だ。時たま寝室のクローゼットに余計なものを全部押し込んじゃっているのは秘密だけど、それも土日の間に片づけておいたからセーフだ。ずいぶんませた子だなあと思いながら、私は雅臣さんに連絡をするためにスマートフォンを手に取った。だけどSNSの画面を開こうとしたとたん、ギュルルルルと気の抜けた音が部屋に響く。見ると、ワタル君がバツの悪そうな顔をしてそっぽを向いていた。
「もしかしてまだ夜ご飯食べてないの?」
「……うん」
「というか、あなたは何時からあそこにいたの? 学校が終わってからだとずいぶん待ってたんじゃない?」
「別に。バスに乗ったりもしたから、五時くらいじゃん?」
それでも一時間半くらいは外にいたわけだ。理由も状況もわからないけど、この子に必要なのはまずは休息だ。私はスマートフォンの画面を消してコトリと置くと、「今作ってあげるから待ってて」と言ってキッチンに立った。
先程買ってきた食材をまな板に並べて手早く切る。雅臣さんにもお裾分けしようと思ってじっくり味を染み込ませた肉じゃがを作るつもりだったけど、目の前に腹ペコの小学生がいるなら話は別だ。パパッと野菜とお肉を炒め合わせて一品作り、食卓に並べる。いただきまーすと気のない挨拶をして箸を持ったワタル君がうえーと舌を出した。
「げー、オレにんじん嫌い」
「だめよそんなこと言ってちゃ大きくなれないわよ。ちゃんと食べなさい」
「なんかにんじんってすげー野菜って感じがしてマズイんだよね」
「ちゃんと青臭くないように作ってあげてるから。ほら、いいから騙されたと思って」
「うう、わかったよ……」
言いながらワタル君が箸でにんじんをピロンとつまんで端をかじる。しばらく無言でもぐもぐと口を動かしていたワタル君はごくんと飲み込んで目をしばたかせた。
「……まずくない」
「でしょ? ちゃんと考えてあるんだから」
ワタル君の答えに私も得意げに鼻を鳴らす。浅雛あかり二十三歳。小学校教師でもあり、かつては女怪盗ぴよぴよ仮面として子供たちの放課後の時間を盗んでいた身としては、小学生男子の考えることなんて手に取るようにわかる。いかにも子供が嫌いそうな野菜炒めを、子供が好きな味付けにして食べやすくするなんて朝飯前だ。
その一件でほんの少しだけ心を許してくれたのか、ワタル君はそのあと素直にご飯を食べてくれた。
夕食のあとはもちろん宿題だ。もう辞めてしまったけど、こういう時間はかつての怪盗業を思い出させるので実は私もちょっと懐かしかったりする。
机に座らせてワタル君に教科書とノートを広げてもらう。教科書の出版社を確認するに、彼はうちの学校の生徒ではなさそうだ。お腹も落ち着いたことだし、そろそろ彼から事情を聞くいい頃合なのかもしれない。
「ワタル君、込み入ったことを聞くけど、君はどこから来たのかな? お父さんとお母さんはワタル君がここに来ていることを知っているの? 今日はお迎えは来てくれるの?」
「うるさいな、そんないっぺんに聞くなよ」
少し打ち解けた気がしていたのだが、ワタル君が急に不機嫌そうな顔をして荒っぽい言葉遣いになる。性急すぎたかと内心で反省しつつ、私は質問事項を整理した。
「雅臣さんの部屋の前にいたこととあなたの名字から考えるに、ワタル君は雅臣さんの親戚の子なのよね?」
「うん、そう。でも会うのは結構久しぶりだよ」
「そうなの? じゃあ雅臣さんは今日あなたがここに来ることを知ってるの?」
「んーわかんない」
なんとも要領を得ない回答だ。もしかすると子供には知らせていなくて、大人だけで話がついているのかもしれない。とりあえず雅臣さんと連絡がつくまで預かることに決めた私は、お風呂を掃除して湯を入れた。
部屋着は私のを貸せばいいだろうけど、子供用の下着はさすがに用意がない。留守番をしているように伝えて私は近所のスーパーに走っていった。
買い物に出たのは十分くらい。私が帰宅すると同時に、お風呂が湧いたことを知らせる電子音が鳴った。
「ワタル君、着替え置いておくからお風呂に入ってね」
脱衣所に着替えとタオルを置いて声をかけるも返事がない。そういえばリビングにも風呂場にも彼の姿はなかった。
「え、ワタル君! どこにいるの⁉」
まさか小さい子でもあるまいし転落したということはないだろう。もしかするとまた外に出てしまったのかもしれない。時刻は午後八時半。小学生が出歩いていい時間じゃない。
だが慌てて外に出ようとした瞬間、私の寝室からぴょこりとワタル君が顔を覗かせた。
「あ……なんだぁそこにいたのか。もう、びっくりさせないでよ」
「ごめんごめん、なんかちょっと眠くなっちゃってさ」
ワタル君がへへへと言いながらぺろりと舌を出す。きっと遅くまで起きていて疲れてしまったんだろう。なんだかんだ小学生の男の子はこういうところが可愛いのだ。
早くお風呂に入ってね、と声をかけようとしたとたん、ワタル君がニヤリと笑って手に持っていたものを掲げた。
「でもおねーさん、見かけによらずパンツがわりと派手なんだね、可愛いとこあるじゃん」
「ん? パンツ? ってきゃーー‼ それ私のーー‼」
ワタル君が持っていたのは私の下着だった。黒のレースでちょっと際どいデザインのやつ。もちろんこれは私の趣味ではなく真木先生が勝負パンツに使いなさいと無理やり持たせてきたものだ。ちなみにもちろん履いたことはない。
「こら! 手に持ってるそれを返しなさい!」
「はいはい〜どーぞ」
そう言ってワタル君が鷲掴みにしたパンツを差し出す。だけど取り返そうと手を伸ばした瞬間にヒョイとワタル君が腕を引っ込め、私の手が空を切った。
これはあれだ、完全に舐められている。
だが私だって腐っても小学校教師。担任として担当したことはなくても、高学年の指導だってしたことはある。
精一杯の威厳をかき集めてワタル君に指導をしようとした瞬間、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。インターフォンの画面には雅臣さんが映っている。私はワタル君から取り返したパンツをタンスの奥に突っ込み、急いで玄関を開けた。
「雅臣さん……と、環さん?」
焦った表情で立っていたのは、警察官の制服を着たままの雅臣さんと環さんだった。雅臣さんの従妹で、新聞記者をやっている人だ。
環さんは私の背後にいるワタル君を見るなり眉を釣り上げた。
「コラ! ワタル、あんたこんなところにいたのね⁉ 勝手に出ていっちゃだめじゃないの! 私がどれだけ焦ったと思ってるの!」
「環、あかりさんの前だ。もう少し落ち着いてくれ」
「だってあんた、私、捜索願いまで出すところだったのよ? もうこの子だって、夜の外出がどれだけ危ないかの分別がつく年頃じゃない!」
「あかりさんすみません、とにかく話をさせてください」
雅臣さんが申し訳なさそうな顔をして頭を下げる。何がなんだかわからないけれど、とりあえず話を聞くために私はコクリと頷き、部屋にあがってもらうことにした。
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