【番外編①】江坂と真木(後編)

 瞼の上からでも容赦なく刺してくる朝陽と共に、私は目を覚ました。微かに感じる吐き気と頭痛で若干二日酔いの気配がするが、思考は正常だ。

 真っ白な天井を見つめながらガンガンする頭でぼんやりと昨日のことを思い出すと、最後の記憶はマンションの入り口で止まっていた。確か江坂さんにタクシーで送ってもらったんだっけ。一緒にマンションに入って、部屋について、それで……。

 そこまで思い出して私はガバッと跳ね起きた。慌てて周りを見回すが、彼の姿はない。そして視線を落とすと、なぜか私は裸ではなく自分の部屋着を着ていた。あれ? 私、いつの間に着替えたんだろう。

 痛む頭で記憶を探っていると、ガチャガチャと音がしてバンと部屋の扉が開く音がした。


「おー。真木ちゃんおはよう。もう起きてたんだねー。ご飯、コンビニで買ってきたから食べよ」

「あ……はい、おはようございます。で、なんであなたがここにいるんですか?」

「酷い! 真木ちゃんが昨日誘ったのに!」

「そうですけど、もう帰ったのかと思ってました。こんな、律儀にご飯買って戻って来なくても良かったのに」

「だって真木ちゃん帰ってすぐに寝ちゃうんだもん。防犯上、鍵開けたまま帰れないでしょ? だから昨日はオレも泊まらせてもらったよ?」

「ん? 寝た? 帰ってすぐ?」


 どうにも繋がらないなと思っていると、江坂さんがニコニコした顔で袋から自分のおにぎりを取り出して齧りつく。


「あ、言っておくけど、昨日はお互い別々に寝ただけだからね。オレはリビングで寝かせてもらったけど」

「え、そうなんですか? 私てっきり……そういうことなんだと思ってましたけど」

「忘れてると思うけど、オレ警官だよ? 男としては願ったり叶ったりな状況だけど、オレ一応男の前に公務員だからさぁ」


 彼の言葉に私は目をしばたかせた。陽気で人懐こい容姿と明るい性格から軽い男だと思っていたが、意外と真面目で紳士な性格のようだ。

 今まで彼に抱いていた印象を、私は心の中で少しだけ上向きに修正する。


「あれ、でも私いつの間に着替えたんですっけ。全然記憶がないんですけど」

「あ、それはオレがやったよ。服はそこらへんに脱いであったのを着せただけだけど」

「はぁーー? ちょ、ちょっと、私の裸見たんですか!? セクハラで訴えますよ?」

「大丈夫大丈夫、オレ職業柄そういうの何度も見てるからね。女の人のあんな姿やこんな姿見ても全然平気。一昨日も痴話喧嘩の通報でラブホテルに呼ばれちゃってさぁ、素っ裸の男女の仲裁したばっかりだし」

「いやそういうことではなくて!!」


 昨日は肌を重ねる気満々だったくせに、なぜだか急に恥ずかしくなって私は慌てて彼を部屋から追い出した。いつもバッチリメイクとフェミニンな服装でバチバチに決めている私の、部屋着姿とボサボサ頭は見られたくない。

 慌てて服を着替えて簡単に化粧もすると、彼は上着を羽織って身支度を整えていた。


「じゃ、オレ帰るね。またお話しようね、真木ちゃん」

「あ、はい……。あの、色々ありがとうございました。お見苦しい所を見せてしまってすみません」


 ペコリと頭を下げると、江坂さんが珍しく何かを考え込む素振りを見せた。顎に手を当てて何か逡巡している様子だ。

 だけどその一秒後に彼はいつもの人懐こい顔でニッと笑った。


「真木ちゃんさぁ、一人暮らしで寂しいでしょ? オレたまにここに来るね。朝ごはんでも一緒に食べよ?」

「は? いやなんで勝手に決めてるんですか。そんなこと言われても、私は許可しませんからね」

「ハイハイ照れなくて良いよー。じゃ、そういうことだから。バイバイ真木ちゃん、良い休日を」

「ちょっと、良いって言ってないですからね!」

 

 だけど江坂さんはニコニコしながら手を振るとそのまま部屋を出ていった。

 ドアが閉まる音と同時に、私は見直した江坂さんの評価をコッソリ下方修正した。


 だけど、その言葉の通り、江坂さんはたまにうちに来て朝ご飯だけ食べるようになったのだ。

 具体的には、江坂さんがコンビニでご飯を買ってきてうちに寄り、一緒に食べてそのままお互い出勤する。もちろん向こうは泊まり勤務もあるからそういう日は家に来ることはないけれど、でも彼が休日の時や普通の勤務の時は必ずと言っていいほどうちに来る。正直に言ってはじめは鬱陶しいと思っていたけれど、日を重ねるうちに、私もなんとなくズルズルとその関係を享受してしまっていた。

 ご飯を一緒に食べながら話すのは他愛のない日常の話ばかりだ。初めは勝手な理由をつけて女性の家に転がり込んで来るなんて、ふしだらな理由に決まっていると思っていたのだが、彼は本当にご飯を食べるだけで帰ってしまう。

 甘え上手でグイグイ来るけど、不思議とプライベートな内容には踏み込んでは来ずに一線を保ってくれるので、私もなんとなくこの時間が心地良かった。




 そんな日常を送っていたある日のことだった。


「理沙子? 理沙子だよな?」


 いつものように学校を出て繁華街を歩いていると、後ろから突然声をかけられた。聞き覚えのある声に振り向き、私は絶句した。

 そこにいたのはよく見知った男だった。肩まで伸ばした金髪にシルバーアクセサリー。ナヨっとした見た目のわりにゴツいファッションで決めたその男は、昔と変わらない甘いマスクでニヤリと笑った。

 かつて親密だった男。初めて関係を持った男。


「斉木……」

「なんだよ、元彼を名字で呼ぶなんて随分寂しいことするじゃん。元気か?」

「それをあんたに答える必要ある?」

「その勝気な所は昔のまんまだな」


 そう言って斉木が薄く笑う。その不快な笑みに、二日酔いでもないのに目眩と頭痛がした。


「私はアンタに用はないけど、何? 忙しいんだけど」

「久しぶりに会ったのにつれないなぁ。まぁいいや、端的に言うと、オレ今無職なんだわ。昨日までいた女の家、追い出されちゃって。お前ん家行っていい?」

「良いわけないでしょ。あんた私に何したか覚えてんの? 今更どの面下げて来た訳?」


 拳を握りながら声を張り上げるが、声が微かに震えていた。

 そう、この男は私のトラウマなのだ。端正な顔に惚れ込んで貢いだ挙げ句、二股をかけられてアッサリフラれた。捨てられてしまったのは自分に魅力がないせいだと思って、それ以来化粧や服で派手に武装するようになったけど、それでも失恋が怖くてその後交際関係が長く続かなくなったのはこいつのせいだ。

 それでもその場で固まってしまった私に斉木が近づき、遠慮なく抱き寄せる。


「なんかちょっと見ない間に随分イイ女になったじゃん。理沙子、もう一回俺と付き合おうよ。今度はお前みたいなイイ女、捨てることないからさ」

「何フザけたこと言ってんのよ。今の私にアンタが釣り合うと思う?」

「俺さ、たまにお前のこと思い出すんだよ。初めてデートした時にさ、お前ほっぺたにアイスつけててすげえ可愛かった。またあそこに行こうぜ」


 馬鹿にしないで、と言いかけた言葉がふわりと香る香水の匂いに遮られる。お金がないから何年も昔から同じ香水を使ってるなんて馬鹿みたい。そう言いたいけれど、嗅ぎ慣れた懐かしい匂いが私の決心を鈍らせる。

 この男が好きなわけでは決してない。それでも、たまに感じてしまう寂しさは誰かの存在がないと埋められない。

 

 こういう時、あかり先生ならビシッと断れるんだろうな。


 ああ、やっぱり私は弱い人間だ。こんな酷い提案を受けてはいけないと思いつつ、次に好きな人ができるまでの間だけなら良いと思ってしまっている自分もいる。

 それでも、斉木の方に向き直ろうとした瞬間に頭の中を掠めたのはあの人懐こい笑顔だった。


 ――ああ、そっか。私はもう寂しくないんだった。


 次の瞬間に私は斉木の腕を振りほどくと、両手で力いっぱい突き飛ばした。


「金なしのバカの癖に何上から目線で物を言ってんのよ! 早く去りなさいこのクズ!」

「ああ!? 昔から俺の言うことに逆らえなかったくせに生意気言うんじゃねぇ!」


 私の態度に怒りを爆発させた斉木が拳を振り上げる。殴られると思った私は咄嗟に目を瞑った。  

 だけど、いつまで経っても拳は降ってこなかった。

 

「はいそこまでだよー。お兄さん、こんな場所でそういうことはしちゃだめだよ」


 代わりになんとも呑気な声が聞こえてきて、私は静かに目を開けた。

 目の前には警察の制服を着た江坂さんがいて、後ろから斉木を羽交い締めにしている。声はのんびりしているけど、その顔はいつもと違って真剣だ。普段見ない厳しい表情に、胸の内が少し熱くなったような気がした。


「警察です。お兄さん、ちょっと話聞かせてもらっていい? 交番行こうか」

「は!? なんで警察がここにいるんだよ! くそっ離せ!」

「あんまり暴れると公務執行妨害で逮捕されるよ。ワッパかけられるの、嫌でしょ。ハイついてきて」


 低い声で諭す江坂さんに、斉木も抵抗する気をなくしたようだ。ペッと地面に唾を吐いてもう一人の警察官に連行されていく彼を呆然と見つめていると、静かに腕が差し伸べられた。


「真木ちゃん大丈夫? 怪我してない?」

「あ、はい……え、でもどうしてここに江坂さんが?」

「たまたま見回りしてただけだよ。でも間に合って良かった。真木ちゃん、詳しいことは後で聞くけど、こういうことに巻き込まれていたらまずは警察に相談しようね」

「すみません。以後気をつけます」

「真木ちゃんってさ、あかりちゃんの前ではイイ先輩でいようって頑張ってるでしょ」


 核心を突く言葉に私は顔をあげた。くりくりした大きな目が優しそうにこちらを見つめている。

 なんとなく見透かされているような眼差しに、私はやっと合点がいった。

 

「江坂さん、もしかして毎朝うちに来てたのって、私の様子を見る為だったんですね。何か抱えているんじゃないかって」

「あの日部屋に送って行った時に、真木ちゃん言ってたからね、寂しいって」

「ええ!? え、私そんなこと言ってたんですか!?」

「うん、そうそう。その後すぐに寝ちゃったけど。でもさ、普段頑張ってる子って結構内側では寂しがりだったりするのよ。真木ちゃんはそういうタイプに見えないけど、クスリ飲んじゃったり、自暴自棄になっちゃったりとかね。そんで心配だからちょっと見張ってたんだよ」


 そう言って江坂さんがまたいつもの人懐こい顔で微笑む。


「あかりちゃんみたいに素直な子もいいけど、オレ、真木ちゃんみたいに強がりな子の方が気になっちゃうんだよね」

「……なんですかそれ。私のこと口説いてるつもりですか」

「あ、やべ、そう聞こえちゃうのか」


 苦笑いをしながらポリポリと頬をかく仕草がなんとなく可愛くて私は思わずくすりと笑ってしまった。警察官の制服を着ているくせに、威厳なんてあったもんじゃない。 

 私は手でスカートの裾を直すと、両手を重ねて丁寧にお辞儀をした。


「江坂さん、今日は助けてくれてありがとうございました。今度お礼をしたいから……その、また家に来ても良いですよ」

「え、ほんと? じゃあオレ真木ちゃんの手料理が食べたいな〜。最近一ノ瀬さんが手作りのお弁当を持ってくるのがもうホント、羨ましくて」

「いやそこまではしないので。調子に乗らないでください」


 ぴしゃっと言うと、江坂さんがウッと唸ってしょげるように肩を落とした。だけどなんだかんだこの甘えて来る感じも憎めない。だから私は今度こそ声を出して笑ってしまった。

 


 簡単に懐に飛び込んでくるようで実は見守られている関係。私達がお互いに居心地の良い関係になるのは、そう遠くない未来かもしれない。

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