【番外編②】もっと知りたいあなたのこと(前編)

「よし、できた。今日も完璧!」


 グツグツと煮立つ鍋にお玉を入れて一掬い。小皿にいれて煮物のお出汁をすすり、よく味が染みているのを確認すると私は満足気に頷いた。火を止めて荒熱を冷ましながら、別のフライパンで作った生姜焼きや千切りキャベツをタッパーに詰めていく。

 全てのおかずを詰め終わると、私はスマホを持って軽快に画面をタップした。


 ――雅臣さん、お仕事お疲れ様です。今日のおかず、冷蔵庫に入れておきますね。帰ったら食べてください。


 勤務中なのでもろちん既読はつかない。だけど仕事終わりにこのメッセージを見て微笑む彼の姿を思い浮かべると、私もなんだか楽しくなってくる。

 画面を消してコトリと机にスマホを置くと、私は鞄から合鍵をとりだした。雅臣さんの家の合鍵だ。まだ予定が合えば一緒にご飯を食べたり少しだけ部屋でゆっくりするくらいの関係なのだが、もしもの時の為にと彼が持たせておいてくれたのだ。

 タッパーを持ったまま部屋を出て雅臣さんのお家に入る。モノクロの家具で揃えられた、落ち着いた室内が私を出迎えてくれた。

 よくお互いの家には行き来してはいるものの、こうやって家主がいない空間はなんだか別の場所みたいに見えて落ち着かない。それでも、彼のテリトリーに入ることを許されたみたいで少しだけ気持ちが高揚するのも確かだ。

 タッパーを重ねて冷蔵庫に入れ、お疲れ様でしたと書いた付箋を上に載せる。こんなことをしていると、なんだか一緒に暮らしているみたいで照れくさかった。


(本当に恋人同士になったのかあ……)


 関係が変わったと言っても、一緒にご飯を食べたり時間を過ごす時間が増えたくらいで以前とそれほど変わりはない。けれど、こういう恋人っぽいやり取りをすると、急にふつふつと実感が沸いてきてほんのり顔が熱くなった。


(早くお家に戻ろう)


 気恥ずかしさに蓋をして、慌てて玄関へ戻る。だけど靴を履いてガチャリと扉を開けた瞬間、「わっ!」と微かな悲鳴が聞こえた。


「きゃ、すみません」


 開けたドアが、危うく前にいた人にぶつかりそうになった。慌てて謝ると、目の前にいた女の人が目をパチクリさせながらこちらを見ていた。


「え? あれ、マサじゃない? あなた誰?」


 そこにいたのはとても綺麗な女の人だった。ベリーショートの黒髪につけまつげがビシッと決まった派手な美人だ。腰は細く、スキニーパンツのお尻はキュッと上向きにあがっていてスタイルも良い。マサ、と呼んでいる所を見るに雅臣さんの知り合いなのだろう。友達か誰かだろうか。


「す、すみません。私、隣の家に住む浅雛という者です。驚かせてしまってごめんなさい」

「あれ、ここって一ノ瀬の家だよね? なんで他人がいるの?」


 彼女の疑問は最もだ。訪問したのに、尋ねてきた当人ではなく別の人が家から出て来るなんてどう考えてもおかしいに決まっている。違和感に気づいたのか、途端に彼女の切れ長の目がすっと細められる。


「まさかだけど泥棒じゃないわよね?」

「ち、違います! あの、えーと、雅臣さんとお付き合いをしている者と言いますか……」

「あ、そう。ふーん、雅臣さんねぇ……」


 やばい。自分で言うと物凄く恥ずかしい。だけどその美人さんは合点がいったように頷くと、ふんと鼻を鳴らしてニヤリと笑った。


「へ〜可愛いけど、マサがこういう子が好きだなんて意外だったかも」

「そ、そうですか? すみません……」

「あ、気を悪くしたならごめんなさい。別に大した意味じゃないのよ。でもああ見えてわりと彼、モテるのよね。今まで付き合ってきた子が全員派手系の美人だったから、あなたみたいな子を見るのが初めてだったっていうか……」


 そう言いながら女の人がクスクスとおかしそうに笑う。だけどその視線は鋭く、まるで私の存在を拒絶しているかのように冷たかった。


「あの、失礼ですが、雅……一ノ瀬さんに何かご用ですか? もし私で良ければ言付かっておきますけど」

「あ、うーうん大丈夫。大したことじゃないから。また来るってだけ伝えておいて」


 そう言って彼女はひらりと手を振って踵を返す。だが立ち去る瞬間、思い直したように私に近づくと、薄く笑った。


「健気な彼女でいるのも良いけど、もう少し頑張らないと他の人に簡単に取られちゃうよ?」


 まるで内緒話をするように耳元で囁くと、彼女はふふっと嬉しそうな笑みをこぼして颯爽と去っていった。



※※※


「その女、絶対に元カノじゃん!!」


 お昼のサンドイッチを頬張りながらお行儀悪く真木先生がバンと机を叩く。その弾みで私のお弁当箱に入っていたミートボールが一瞬跳ねたような気がした。


「元カノですか? うーんどうなんでしょう。そんな感じに見えませんでしたけど」

「はーー、これだから恋愛初心者のおこちゃまは! そいつ、明らかにアンタのことを牽制しにきてるでしょ。一ノ瀬さんの歴代の彼女が派手系の美人だとか、そういう当人達しか知らない情報を出して刺激するの。アンタそれ、一ノ瀬さんに釣り合わない女って遠回しに言われてんのよ」

「えーー! そうだったんですか! 私てっきり、このファッションは雅臣さん好みじゃないから変えた方がいいよってアドバイスをくれたんだと思いました!」

「いやそうだとしたらもっと言い方があるでしょ。ていうか、アンタがそんな珍しいカッコしてるの、服を変えろって言われたと思ったからなのね」


 真木先生が呆れ顔で私を見る。あの女の人と同じように、今日は体にピッチピチにフィットするニットのセーターとスキニーのズボンを履いてみたのだが、もしかして似合わなかったのだろうか。さっきから真木先生の視線が胸元に釘付けになっている気がするが多分気のせいだろう。それよりも私が気になるのは真木先生の言葉だ。


「やっぱり私って他の人から見たら雅臣さんに釣り合わない女に見えちゃうんですかね……うう、確かに雅臣さんはカッコいいし性格も良いし、どこもかしこも素敵すぎるからちょっとわかる気がしますけど」

「落ち込むか惚気けるかどっちかにしなさいよ。ていうか言っておくけど、あんた綺麗なカッコして合コンに行けば断トツで声かけられる顔してるからね。顔は安牌あんぱいでしょ」


 なんだかシレッと失礼なことを言われたような気もしなくもないが、そんなことを気にせず真木先生は顎に手をあてて形の良い眉を潜めた。


「まあ問題はその女の存在か……何をしに来たのかわからないというのが怖いわね。気をつけなさい、また来るって言っているところを見るに、その女は必ずまたアンタの前に現れるわよ」

「そんな探偵ドラマの犯人みたいな感じで!? わ、私どうしたらいいんでしょうか」


 恋愛マスター(自称)の真木先生の予言(?)に私が悲鳴をあげると、真木先生がフフンと口角をあげる。


「簡単よ。一ノ瀬さんの目に他の女が入らないくらいにアンタが独占しちゃえばいいの」

「独占!? 独占ってできるものなんですか? どうやって?」

「そりゃもう朝のおはようから夜のおやすみまでメッセージを送ったり、休みの度にどっかに連れてってもらったりすんのよ。後はそうね、会った時は思いっきり甘えてみて、自分しか見えなくさせるのも手ね。『私のどこが好きですかニャン?』って可愛く聞いてみればイチコロよ」

「わわわ私のどこが好きですかニャン!? は、恥ずかしすぎますよそんなの! ていうか真木先生は普段から恋人にそんなことを言っているんですか!? あんまり想像したくないんですけど」

「はぁ? 私がそんな頭の悪い女みたいなことを言うわけないじゃないでしょ。考えただけでも無理」

「理不尽!!」

「まぁ今のは冗談として」


 言いながら真木先生が綺麗にネイルを塗った指を伸ばして私の額を人差し指でコツンとつつく。


「アンタのことだから、忙しいだろうからとか疲れてるだろうからとか余計な気を回してご飯やデートにも連れて行ってもらってないでしょ。たまには甘えてみなさいよ。ちょっとだけワガママ言えるのも、彼女の特権なんだから」


 そのまま額をグリグリと爪で押される。爪の先が額に食い込んで少し痛かったけど、これは真木先生なりのエールなのだ。確かに言われてみれば、付き合い始めてからちゃんとしたデートや旅行には行ったことがなかったかもしれない。

 彼女の指先から優しい気持ちが流れてくるようで、私の気持ちも温かくなる。


「真木先生、ありがとうございます。確かに私、遠慮しすぎてあんまり彼との時間を持ててなかったかもしれません。たまにはちょっと甘えてみようと思います」

「そうそう、頑張りなさいよ。あとそのどこもかしこも体の線がハッキリわかる服はやめておきな。さすがのこれは彼にもちょっと刺激が強いわ。一ノ瀬さんのキャラが変わるところ、私も見たくないし」

「一体どんな想像してるんですか!!」


 それでも言われた通り、帰宅した瞬間に私はSNSの画面を出して雅臣さんへのメッセージを打ち始めたのだった。

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