【番外編②】もっと知りたいあなたのこと(後編)

 次の休日に、私は雅臣さんを誘って隣駅の自然公園まで来ていた。ここは秋に初めて二人でデートをした二人の思い出の場所だ。

 以前来た時は色とりどりの花々で埋め尽くされていた自然公園も、真冬は少しだけ寂しい空間になる。それでも私の心は弾む気持ちと心地よいときめきで十分に温かかった。

 公園をぐるりと一周した後、カントリーハウス風の外観をした屋外休憩所のベンチに腰をおろした。凍てつくような冬の空気が容赦なく肌を刺してきて、私は思わず両手に息をはいた。いつもみたいに温かい部屋でぬくぬく過ごすのも良かったのだけど、今日はどうしてもデートっぽい時間をすごしたかったのだ。自分の勝手なワガママに彼をつきあわせてしまって申し訳ないなと思っていると、ふわりと体が温かくなった。

 顔をあげると、雅臣さんが自分のコートの前を開けて私の体を包み込んでくれていた。後ろから抱きしめられる形で彼のコートの中に収まった私の体温が一気に急上昇する。


「ま、雅臣さん……! ああああの、す、すみません、私、そんなつもりじゃ」

「俺がしたかったんです。あかりさんが嫌じゃなければ」

「い、嫌じゃないです……」

  

 絞り出すように声を出すと、返事の代わりにぐっと腕に力が込められた。緑のコートと落ち着いた赤色のマフラーが私の胸元で交差する。

 背中に感じる広い胸板と、毛織物特有の匂いの中に混じる彼の優しい香り。否が応でも彼が男性だと言うことを意識してしまって私の心は落ち着かない。けれど、同時に安心感を覚える空間でもあった。守られているような、そんな心地よさを感じる。


「雅臣さんって人がいない所だとちょっとだけ大胆になるんですね」


 面白そうに言うと、笑い声と共にぎゅっと抱きしめられた。コートの中で二人の体温が溶け合って同じ温度になっていく。身体だけじゃなくて心も同じ温かさになっているといいな、なんて我ながら乙女すぎる考えだろうか。


「しかし珍しいですね。あかりさんがこういう所に来たいと言うなんて。俺は嬉しいですけど」

「すみません、今日はちょっとだけ雅臣さんを独り占めしたかったんです……なんて。でも当直開けの疲れてる時にデートに誘ってしまってすみません。我ながらワガママ言っちゃったなっていう自覚はあるんですけど」

「俺からしてみれば、あかりさんはもう少しワガママを言ってくれても良いと思いますよ。恋人同士なんですから」


 照れくさそうに笑う姿がいつもの凛々しい警察官姿の彼と違ってちょっとだけ可愛い。こんな一面を見られるのも、距離が近くなったことの証拠だと思うと心が浮き立つほど嬉しくなった。

 彼の腕にくるまりながらそっと辺りを見回す。寒い夜の公園は自分達以外に誰もいなかった。


(キスしたいって言ってもいいかな……)


 屋外にいる時はなるべくスキンシップはさけていたのだが、今日はほんの少しだけ魔が差した。そう、たまには言いたいことを言ってもいいじゃないか。今日の浅雛あかりはワガママな女になるのだから。

 心の中で拳を握り、するりとコートの中から抜け出す。雅臣さんの顔を正面から見つめると、彼が怪訝そうな顔で見返してきた。間近で見る彼の顔はやっぱり格好良くて、私の胸がドキドキと鼓動を打ち始める。


(いややっぱり恥ずかしくておねだりなんてできない!)


 切れ長の瞳に見つめられて、私はその視線から逃れるようにフイと目をそらした。ワガママな女になるには勇気と度胸が必要なことはよくわかった。まだまだ私には修行が足りないようだ。

 だけど、時間も時間だしそろそろ帰ろうと立ち上がった途端、ベンチに座ったままの雅臣さんがぐっと私の手を掴んだ。反射的に振り向くと、真剣な表情をした彼がこちらを見ていた。

 束の間時間が停止する。だけどその手はすぐにするりと解かれて、雅臣さんがゆっくりと立ち上がった。


「そろそろ帰りましょうか。送っていきますよ。家、隣同士ですけどね」

「あ……はい、今日はありがとうございました。ちょっとだけでも会えて嬉しかったです」

 

 今のやり取りの意味を考えないようにして慌てて笑顔を作る。彼も優しい笑みで返してくれて、二人で並んで公園の出口へと向かっていった。

 だけど公園から出ようとした瞬間、右側の方から「あ!」という甲高い声が聞こえて黒髪の女性がこちらに走ってくるのが見えた。


「やっと会えた! マサ、こんな所にいたのね! アンタったら全然捕まんないんだもん。見つけるの大変だったんだから!」


 焦った声と共にこちらに向かって走ってきたのは、先日雅臣さんの家の前で出会ったあの女の人だった。雅臣さんが驚いた表情で「環!」と彼女の名前を呼ぶ。

 女性――たまきさんは雅臣さんに駆け寄ると、ゼエゼエと大きく肩で息をした。


「ちょっと、アンタっていつ家にいるのよ。何度も家を訪ねても全然いないんだもん。連絡先も知らないし」

「最近は勤務日が安定していなかったんだ。でもお前が俺に用だなんて珍しいな。何かあったのか」

「んーちょっと込み入った話だからここでは言えないわね。場所変える?」


 そこまで言った所で環さんは、はじめて私の存在に気がついたようだった。私の方を向いてくっきりアイラインの引いた目をしばたかせる。


「あれ、貴女この前の子よね? えーと確か浅雛さんだったっけ。なんで貴女がこんな所にいるの?」

「へ!? あ、すみません。あの、雅臣さんとちょっと話したかったって言うか、デートだったっていうか……なんですけど」

「へぇ、マサの彼女っていうのは本当だったんだ。良かったね、愛しの彼とデートしてもらえて」

「環はあかりさんと知り合いだったのか? 二人が顔見知りだったとは意外だな」

「別に。ちょっとこの前玄関口で会ったから話しただけよ。急にあなたの家から出てくるから泥棒がストーカー女かと思っちゃったけど」


 口元に手をあててクスクスと笑う環さんを見て、雅臣さんが微かに眉をひそめる。


「環、あかりさんは俺の大事な人だ。失礼なことを言わないでくれ」

「へえ、マサがそんなことを言うなんて珍しいじゃん。そんなにこの子のことが気に入ったの?」

「ああ、結婚も考えている人だ。いずれお前にもきちんと紹介したい」

「ぶっ!!」


 そんな場面じゃないのに、彼の唐突な爆弾発言に私は吹き出した。え? 雅臣さんってこういうことを口に出して言う人なの? いやそれよりも結婚という言葉が私の胸に直撃して心臓の鼓動を速くする。やだもう、こういう時どんな反応を返したら良いんだろう。

 今の発言が意外だったのか、環さんも目を丸くして彼を見ていた。


「え、本当にちゃんと考えてるんだ。私、てっきり一ノ瀬の名前に引き寄せられてやってきた女だから追い払ってやろうと思ってたのに」 

「ちょちょちょっと待ってください! 結婚!? それに一ノ瀬の名前ってどういうことですか?」

「え、アンタ本当に何も知らないで付き合ってたわけ? ありゃあこりゃ私も勘違いしてたわ。邪険な態度とってごめんね」

「すみません、失礼ですがお二人はどんな関係なんでしょうか。お友達ですか?」

「ああ、紹介が遅れてすみません。環は俺の従姉妹です」


(元カノじゃないじゃん!!)


 心の中で真木先生に猛ツッコミを入れる。最初に彼女を見た時にソワソワしてしまったことは二人には秘密にしておこうと思った。

 事情を知って警戒心を解いてくれたのか、先程と打って変わって雰囲気が柔らかくなった環さんがカラカラと笑う。


「アハハ、元カノだと思ってビビってたでしょ。わざとそう見えるように振る舞ってたんだもん。でも今回の子はマサの方からきちんと選んだみたいだから私はちょっかい出さないでおくわ。まぁせいぜい上手くやんな」

「あの、雅臣さんに何か御用ですよね? すみません邪魔をしてしまって……私はもう帰りますので、二人でゆっくりお話してください」

「あ、いーのいーの。マサに連絡が取れるようになれば良かったわけだから今日の所は帰るわ。こっちこそ邪魔して悪かったわね。あ、マサ、私の連絡先だけ登録しておいて」


 そう言って環さんが雅臣さんに畳んだ紙を渡す。そのままヒラヒラと片手を振って彼女はさっさと歩いて行ってしまった。

 環さんの背中を二人で見送ると、雅臣さんが申し訳無さそうな顔をして私を見る。


「申し訳ありません、環が色々と失礼なことをしたみたいで。彼女に代わって謝ります」

「い、いえ全然気にしてませんから。それよりも私、雅臣さんのことを全然知らないんだなって自分でもびっくりしました。……恋人同士なのに」


 頬に熱を感じながら、誤魔化すようにモジモジと両手の指を組む。でも今なら普段は言えないこともしっかり言葉にできるような気がした。


「考えてみれば私、雅臣さんのご家族のこととか学生時代のこととか何も知らないんですよね。私のこともまだあんまり話せていないですし……私、もっといっぱいあなたのことを知りたいです。何が好きかとか、どんな幼少期を過ごしたのかとか、どんな所に心が動くのかとか」   


 ちょっと恥ずかしいけれど思い切って伝えると、雅臣さんが一瞬驚いた表情をする。だけどすぐに柔らかく微笑むと大きな手でするりと私の手を握った。


「俺も同じですよ。もっと知りたいです、貴女のことを」

「本当ですか? えへへ、そんなことを言ってもらうとなんだかちょっと照れちゃいますね」

「ええ、あかりさんは俺が初めて好きになった人ですから」


 え? と返す間もなく大きな手が伸びてきて私の手を握る。そのままゆっくりと指が絡められたと思ったら、腕を引かれてそっと手の甲に唇が落とされた。肌に伝わる柔らかい感触が私の心に一気に熱を与える。


「まっ雅臣さん……! わ、わわ私、あの」

「知りませんでしたか? 俺は意外とスキンシップは嫌いじゃないんですよ」


 伏せられた目が開いて、笑みを称えた瞳が私の目を捉える。ニヤリとほんの少しだけ口角をあげたいたずらっぽい表情は、いつもの優しい彼と違って少しだけ色っぽくて――



 浅雛あかり23歳。

 まだまだ彼には勝てそうにありません。

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