第28話 デート

 一ノ瀬さんとお休みがかぶるタイミングで、私はデートのお誘いをした。と言っても、隣駅にある大きな自然公園を一緒に散歩するだけなのだが、それでも日常から離れた時間は私を否応なしにときめかせる。


 私の初デートを祝福してくれたのか、当日は爽やかな秋晴れの空だった。待ち合わせの十分前には到着したけど、一ノ瀬さんはもっと早くついて待っていてくれた。グレーのシャツに濃紺のジャケットを着こなしている彼は何度見てもカッコいい。彼を見つけた私が慌てて駆け寄ると、一ノ瀬さんが片手をあげて挨拶してくれた。


「一ノ瀬さんお待たせしてしまってすみません」

「いいえ、俺もちょうどさっき来たところですから」


 そう言って笑った後、一ノ瀬さんが私を見てふっと微笑む。


「今日のあかりさんはいつもと雰囲気が違いますね」

「え、そ、そうですか? えへへ……初めてのデートなのでちょっと張り切っちゃったのかもしれません。見慣れませんか?」

「いいや、とっても可愛いですよ」


 笑いを含んだ一ノ瀬さんの声に、顔がほんのり熱を帯びる。今日着ている服は白の袖なしブラウスにふんわりひろがるピンク色のフレアスカート。足には赤いヒールのパンプスを履いていつもより少し女子力高めの組み合わせにしてみたから、一ノ瀬さんに褒められたのは素直に嬉しかった。


 自然公園は緑豊かな木々と季節の花々が美しいのが自慢のデートスポットだ。

 色とりどりの花が両隣に咲き誇る道を二人並んで歩き、ぐるっと一周ひとまわりした所で私達は公園の中にある屋外休憩所の中に入った。カントリーハウス風の外観になっているけれど、きちんと人が座れるようにベンチになっているタイプのもの。ベンチに座ると、正面の花畑が良く見えた。

 歩いて暑くなったのか、一ノ瀬さんがジャケットを脱いだ。警察官という職業に恥じない、よく引き締まった体が目の前に現れてドキッとする。半袖から覗く腕は太く逞しくて、ベンチに置かれた手は骨ばっていて大きい。私の手なんてすっぽり入ってしまいそうだなと思った瞬間、心臓が急速に高鳴り始めた。


(手……繋ぎたいな)


 熱に浮かされた思考の中でぼんやりとそう思った。視線を落として地面を見たまま、おそるおそる腕を伸ばして一ノ瀬さんの手に触れる。彼の体温を手のひらに感じて胸がじわっと熱くなった。

 そのまま一ノ瀬さんの指に自分の指を絡めればいいはずなのだけど、心臓がドキドキしすぎてその先に踏み込むことができない。ドギマギと落ち着かない気持ちに翻弄されていると、一ノ瀬さんがスルッと手をほどいて私の手を上からギュッと握った。

 驚いて見上げると、一ノ瀬さんが笑いながらこちらを見ていた。その優しい表情に、またキュッと胸が心地よく締め付けられる。


「一ノ瀬さん……」

「あかりさん、よかったら俺のこと、名前で呼んでください」

「名前?」

「はい、俺の名前、あかりさんの声で聞きたい」


 一ノ瀬さんの手に力がこもる。名前。一ノ瀬さんの、名前。


「……雅臣さん」


 声に出した瞬間、カッと胸が熱くなって私はうつむいてしまった。恥ずかしすぎて彼の顔をまともに見ていられない。

 地面を見つめたままソワソワと落ち着かない気持ちになっていると、スッと目の前に小さな箱が差し出された。赤いリボンがついた白くて小さい綺麗な箱。突然のことにわけがわからず目をパチクリさせている私を見て、一ノ瀬……雅臣さんが微笑む。


「良かったらもらってください。日頃のご飯のお礼です」

「そんな、お礼だなんて。私だって作ってもらうこともありますし……」

「俺が贈りたかったので。受け取ってもらえたら嬉しいです」


 彼に言われるまま小箱を受け取り、するっと赤いリボンをほどく。中から出てきたのは有名ブランドのロゴがついた綺麗な布張りのアクセサリーケースだった。

 お礼と称してまた高価な物をもらってしまったことに申し訳無さを感じつつも、言われるがままに箱を開けると、白い真珠の付いたイヤリングが二つ並んでいた。


「とても綺麗……これを私に?」

「ええ。宝飾品を贈るなんて重いかなと思ったのですが、見た時にあかりさんに似合うと思ったんです」


 雅臣さんの言葉がじんわりと胸の内を温かくする。丸くて愛らしい真珠は清楚な輝きを放っていて、私は思わず手に取った。そのまま両耳につけると雅臣さんが嬉しそうに目を細める。


「良かった。よく似合ってますよ。でも、あかりさんにはもう少し華やかな方が良かったかもしれませんね」

「そんなことありませんよ! これなら学校にもつけていけますもん」

「はは、これはまた嬉しいことを言ってくれますね。普段遣いしてもらえたら、俺も願ったり叶ったりです」

「はい。えへへ、これをつけていると一……雅臣さんがいつも一緒にいてくれてるみたいで嬉しいです、なんて。ありがとうございます、大事にします」


 感謝の気持ちをこめて彼の目を見ると、雅臣さんが微かに目を見開いた。そのまま切れ長の目がすっと細められる。

 彼の雰囲気が変わったのがわかった。いつもの優しい顔ではなく、胸のうちに秘めた熱を隠したような真剣な表情。

 雅臣さんがすっと腕を伸ばして私の頬に触れた。そのまま屈んで私に顔を寄せる。彼が何をしようとしているのかを理解し、私は息を飲んだ。彼の気配が近づくに連れて心臓が早鐘のように脈打つ。


「あかりさん」


 雅臣さんの手が頬をつたい、ゆっくり顎に添えられた。そのまま軽く持ち上げられる。


「雅、臣さん」

「あかりさんが嫌なら、俺はしません」


 今にも唇が触れ合いそうな位置で雅臣さんが低く囁く。吐息を感じて私の体が甘美にゾクリと震えた。彼の端正な顔が目の前に来て心臓が止まりそうになる。

 この口づけを受けてしまえばもう後戻りはできないだろう。

 それでも、私の気持ちはとっくに決まっていた。

 静かに目を閉じ、少しだけ腰を浮かせる。

 だけど唇が重なる瞬間、きゃあきゃあという笑い声が聞こえ、私達は慌てて距離をとった。見ると、公園の入口から小さな男の子とベビーカーを押したお母さんがこちらに向かってやってくる。

 身を起こした雅臣さんが照れくさそうに頬をかいた。


「あかりさんすみません。俺、とんでもないことを」

「い、いえ。私は嬉しかったです。次はちゃんと私から、その……しますね」


 精一杯気持ちをこめて伝えると、雅臣さんが微笑みで返してくれた。その表情に、私の心もくすぐったくなる。


「俺、飲み物を買ってきますね」

 

 そう言って雅臣さんが立ち上がる。私は大きな背中を見送った後、なんとはなしにぐるりと辺りを見渡した。

 澄んだ青空の下に広がる鮮やかな花畑が目に眩しい。公園にはほとんど人気ひとけがなく、静かだった。

 ぼんやりと道を眺めていると、先程の親子がやってきて、そのまま向かい側の休憩所に座った。お母さんが水筒を出して男の子に手渡す。その微笑ましい光景に、私は顔をほころばせた。


(子供かぁ……私もいつかほしいなぁ。誰と結婚するかはまだわからないけど)


 ――一ノ瀬あかり。


 ふっと思い浮かんだ言葉に恥ずかしくなって私はうつむいた。我ながら浮かれ過ぎだ。

 内心で自分をいましめながら微笑ましい気持ちで親子を見ていると、お茶を飲み終わった男の子が水筒を置き、パッと走り出した。


「あっ!」


 お母さんが声をあげ、慌てて立ち上がる。彼女は一瞬ベビーカーの方を気にする素振りを見せたが、周囲にほとんど人がいないことを確認して慌てて男の子の後を追いかけていった。


(うわぁ大変そうだなぁ。でも確かに、男の子はわんぱく君が多いよね)


 すぐに傷やあざだらけになる男子生徒達を思い出して苦笑する。そのまま温かい気持ちで遠目にベビーカーを見守っていた時だった。

 どこからか男が現れ、休憩所に近付く。そしてそのままごく自然な様子でベビーカーに手を入れ、スヤスヤと寝ている赤ちゃんを抱き上げた。


「あ!!」


 私は立ち上がり咄嗟に声を上げた。同時に男が私の方を向き、赤ちゃんを抱き上げたまま全速力で去っていく。

 慌てて追いかけようとして雅臣さんの存在を思い出し、私は足を止めた。

 ここに現職の警察官がいるのだから、本来であればここは彼に任せるべきなのだろう。もし万が一、私が男を捕まえている場面を雅臣さんに見られてしまったら絶対に怪しまれてしまうに決まっている。ただの小学校の先生である私が、怖がることなく男に立ち向かっていくなんてどう考えても不自然すぎるわけだし。


(でも、もし取り逃がすことで赤ちゃんに何かあったら、私はきっと後悔する!)


 そう思った途端、私は何のためらいもなくカバンを放り出し、男の後を追って走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る