第27話 迷いと恋心
私は晴れて一ノ瀬さんとお付き合いすることになった。でも恋人同士になったからといってすぐに何かが変わるわけではなく、私達は清い交際を続けていた。
一番の変化は、お互いの都合がつく日か一ノ瀬さんのお仕事がお休みの日にどちらかの部屋で一緒に夜ご飯を食べるようになったことだ。ご飯を作り終えると私は一ノ瀬さんにSNSでメッセージを送る。そうすると一ノ瀬さんがケーキやらお菓子やら食後のデザートを用意して私の部屋に来てくれるのだ。逆に一ノ瀬さんがご飯を作ってくれることもある。我ながら高校生みたいな交際だと思うが、それでも食後に甘いお菓子を食べながら、二人で並んでコーヒーを飲んでいる時間はたまらなく楽しかった。
今日も私は廊下を歩きながら、今日のおかずは何にしようかなぁとぼんやり考えていた。誰かと一緒にご飯を食べられる嬉しさに心を踊らせながら歩いていると、キャハハハっという笑い声と共に生徒二人が廊下を駆け抜けて行った。
「危ないから走っちゃだめよ!」
二人に声をかけると同時にチクリと罪悪感が胸を刺す。そう、私は一ノ瀬さんに正体を隠したまま今も怪盗を続けていた。
当初の思惑通り、一ノ瀬さんと恋人同士になったことで彼の動きは余すことなく把握できるようになっている。彼の勤務日はもちろん、急に呼び出されたりシフトが代わったりした時もご飯を一緒に食べる関係で彼は必ず連絡をくれた。おかげで怪盗業はぐっとやりやすくなったものの、その度に罪悪感で胸が潰れそうになる。
今は罪の意識に恋心で無理やり蓋をしているが、いつまでもこのままというわけにはいかないだろう。いずれ私は結論を出さなくてはならない。
(理由はどうあれ、私がやっていることが犯罪だというのはわかってる……本当は怪盗をやめなくてはいけないのに)
それでも、寂しそうな表情や相手をしてやると喜ぶ子供達の顔を見てしまうと、今すぐに怪盗を辞めるということはどうしてもできなかった。
そんな葛藤を抱えてはぁとため息をついていると、ふいにぽんと肩を叩かれた。
「あかり先生〜おはよ〜」
「あ、真木先生。おはようございます」
「あれ、どうしたの? なんか元気なくない? 折角彼氏ができたっていうのに」
真木先生がきょとんとした顔で私を見る。
「何? 彼氏と喧嘩した? なんだっけ、うちに来てた警察の人よね? 一ノ瀬とかいう」
「はい。喧嘩……はしていないのですが、まだ彼に言えていないことがあって」
「なになに? あんたが処女だって話とか?」
「しょっ……! ち、違います! なんてことを言うんですか!」
「まあ乙女には一つや二つ言えないことがあるわよね〜」
ぶんぶんと首を振って否定する私に、真木先生はあっけらかんと返す。そりゃまぁ男性経験がないのは否定しないけど。
むすっと口を尖らせていると、ニヤニヤと笑っていた真木先生が、何かを思いついたかのように「あ」と声を上げた。
「そういえばさ、隣町に大きな公園があるじゃない。聞けばあんた達デートらしいデートってまだしたことないんでしょ? あそこならいいんじゃない? 一ノ瀬さん……だっけ、がいきなり招集食らっても駆けつけやすいしさ」
「自然公園のことですよね。確かに私、本格的なデートってまだしたことがないかもしれません」
「そうそう、それがいけないのよ。距離が近くなれば隠し事も自然と話せるようになるわけだし」
真木先生が私の背中をバシッと叩く。彼女なりのエールだ。その気持ちに感謝しつつ、私は真木先生の提案に惹かれる自分を否定できなかった。
私が抱えている悩みは決して彼に話せることではないけれど、それでももう少し彼と距離を縮めたいと思ってしまうのもまた本心だから。
「そうですね……ありがとうございます。ちょっと彼にも聞いてみます」
「彼だってさー! くぅのろけやがってぇ! あーあ私も早く彼氏欲しいわー!」
「真木先生は男遊びをやめればすぐにできると思いますけど……」
と言いつつも、多分彼女も失恋から立ち直れていないのかもしれないのだと思った。意中だった酒井先生があんなことになってしまったのだから。
一応、彼は今回が初犯だったらしいけれど、それでも周りに与えた影響は大きい。真木先生が落ち込むのも無理はないだろう。これで私まで捕まってしまったら、真木先生はショックを受けるだろうなとぼんやり思った。
真木先生だけではない。私が逮捕されることで被害を受けるのは学校や、真木先生のように真面目に勤務している教員なのだ。もちろん、お付き合いをしている一ノ瀬さんも。
(そうよね。そう考えるとやっぱり怪盗を辞めるしかないんだわ)
元々は自分と生徒の間で完結していたことなのだから、警察に知られてしまった時点で辞めるべきだったのだ。子供の為と言いつつも、自分がやっているのはただの自己満足であるのもよくわかっている。
自分がいくら頑張ろうとも、結局は環境が変わらないと、放課後に一人で過ごす子供は減らないのだ。怪盗業はその時その時の火消し作業にしかすぎなく、根本の解決にはなっていない。遅かれ早かれ怪盗はいつかは辞めなければならず、そしてその時期が予定より早くなったと思うしかない。
(ごめんね。私にもっと周りを変えられる力があれば良かったんだけど)
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、朝の会を告げるチャイムが鳴り響いた。あと十五分もすれば校庭に出ていた子供たちが教室に集まり、変わりない日常が始まる。
真木先生と別れた私は、足早に教室の方へと歩いていった。だけど、二階の教室に行こうと廊下を曲がった途端、階段に座る誰かとぶつかりそうになって私は小さく悲鳴をあげた。
「きゃあ! て、なんだ、たくみ君か」
階段の一番下に腰掛けていたのは、隣のクラスの杉本たくみ君だった。だけど、いつも飛んだりはねたり元気いっぱいのたくみ君が、今日はしょんぼりと俯いてぐずぐずとべそをかいている。びっくりした私は慌ててたくみ君の前にしゃがんで彼と顔を合わせた。
「どうしたの? もう教室に行く時間よ。お友達と喧嘩でもしたの?」
「……母さん、……じょう日」
「え? お母さんがどうしたの?」
「お母さんが、誕生日にいてくれないんだって……」
たくみ君が目にいっぱい涙をためながら絞り出すように言う。
彼の話をまとめるとこうだ。
たくみ君のお家は夫婦共働きで両親共にあまりお家にいることがない。それでも、来月のたくみ君の誕生日にはお母さんが休みをとって一緒にお祝いをしてくれることになっていたようだ。たくみ君はそのことが嬉しくて、誕生日が来るのを指折り数えていた。
けれど、急遽どうしても外せない仕事が入ってしまい、今朝、やっぱり誕生日のお祝いはお仕事がお休みの日にしましょうと言われてしまったらしい。埋め合わせで欲しいものは何でも買ってくれると言われたそうだが、たくみ君にとってはそんなことはどうでもいいことらしかった。
「だって、おもちゃを買ってもらっても一緒に遊んでくれる人がいないもん」
たくみ君の心の叫びが私の胸を刺す。子供のこういう顔を見てしまうと、やっぱり何とかしてあげたくなってしまうのだ。
一瞬、
「たくみ君の誕生日っていつなの?」
「来月の14日……」
「そっか。大丈夫、たくみ君が良い子にしていれば、もしかして良いことがあるかもよ?」
「いいことって?」
「それはナイショ。ほら、もうすぐ朝の会だから。教室に行こ?」
人差し指を立てながらウインクをし、彼の手を取って立ち上がる。
たくみ君の寂しい時間を盗む。これを私は怪盗としての最後の仕事に決めたのだった。
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