エピローグ 女怪盗と警察官

 後日、複数のお母さん方から学校に署名が届いた。家庭と学校でもう少し連携し、共に協力して子供を守っていける仕組みを整えてほしいということだった。保護者の圧力によってこれまで動けなかった学校はすぐに対応してくれた。

 まずは放課後の教室の解放だ。教師の退勤時間までは、好きなだけ学校に残って自主学習をしていいこととし、校庭も解放する。

 もちろん、先生だけで生徒を見るのは限界がある。どの家庭も子供の保護を学校に丸投げしてしまうと、今度は先生達に負担がかかるからだ。

 ゆえに学童のように定期契約をするわけではなく、必要な時だけ事前に申請をして利用するだけの仕組みになった。利用する頻度にばらつきが出ないよう利用回数も定められているが、各家庭同士の相談によってその権利を譲渡してもらうこともできる。今まで以上にお母さん同士の連携が必要になるが、この学校に通う全ての子供を守るためなら、と容認してくれる家庭が多かった。

 学校も家庭も、子供の保護をどちらかに押し付けるのではなく、お互いにできる範囲のことをやりながら協力していくという意識が生まれ、学校も保護者も少し変わったように思う。

 私自身も毎日少し遅くまで残って生徒の見守りを行っていた。ぴよぴよ仮面の仕事は終わったのだから、残業はいくらでもできる。死んでも家に仕事を持ち帰りたくない真木先生なんて、毎日当たり前のように残って生徒の面倒を一緒に見てくれるから心強い。

 今日も私は最後の一人が帰るまで学校に残ると、机の上を片付けて職員室を出た。


 

 秋も深まり、夜は少し肌寒くなってきた。時刻は午後六時半。薄いグリーンのカーディガンを羽織りながら校門をくぐると、学校の前で私服の雅臣さんが待っていてくれた。今日はお仕事がお休みみたいだ。彼は仕事がない日は夜道は危ないからと必ず校門まで迎えに来てくれる。校門の前で佇む彼を見て、私はキュッとスカートを握った。


「雅臣さん、こんばんは」

「こんばんは。今日もお仕事お疲れ様です」

「もう、子供じゃないんですから。私一人でも帰れますよ」

「俺がそうしたいんです。あかりさんに会いたい口実ですよ」


 付き合って数ヶ月経つのに、私はこのストレートなセリフに弱い。赤くなりながら俯いていると、雅臣さんが自然と私の手を握った。

 少し薄暗くなった夜道を手を繋ぎながら歩いていく。ぴよぴよ仮面の件が片付いた為、私達はまた元のように交際を続けていた。

 結局、塚本から提出された被害届も受理はされなかった。雅臣さんが連絡をし、事情を知った正太郎君のお母さんが取り下げてくれたみたいだ。曰く、住居侵入されたあの家の名義は正太郎くんのお母さんで、塚本は何の関係もいないただの他人だから私が取り下げても問題ないでしょうとのことだった。

 他愛のない話をしながら夜道を二人で歩いていく。右手に感じる手のぬくもりにドキドキしていると、雅臣さんが少しだけ寄り道しようと提案をしてくれた。まだ帰りたくない気持ちは私も同じだ。二つ返事で了承すると、私達は近くの公園に立ち寄った。

 

 日が落ちた公園には誰もいなかった。街灯に照らされたベンチの上に二人で並んで座る。緊張しながら手をもじもじさせている私を見て、雅臣さんがふっと目を細めた。


「最近学校はどうですか?」

「はい、保護者の協力も得られるようになってだいぶ変わってきたように思います。もっと早くこうなればよかったんですけど」

「そうですね。そうすればあなたも危ない橋を渡らずに済んでいたかもしれないですからね」

「はい。雅臣さんにもご迷惑をおかけしてすみませんでした」

「確かに褒められた行動ではなかったかもしれませんが、あかりさんの思いに保護者と学校が答えた形になりましたからね。結果として、怪盗業のおかげでこうなったとも言えます。あかりさんの頑張りのおかげですよ」


 雅臣さんの声色は優しかった。警察官として注意すべき所はきちんと伝えつつも、一人の男として私の思いを汲み取ってくれる言葉に、私は少しだけ心が軽くなるのを感じた。


「お気持ちは嬉しいです。でも怪盗はもうおしまいですね。ぴよぴよ仮面は捕まっちゃいましたから」

「そういえばぴよぴよというのはどこからつけた名前なんですか? 随分可愛らしい名前ですけど」

「実は浅雛という苗字からとったんです。雛だからぴよぴよ。小さい子達に馴染んでもらおうと思って……まさかこんな、警察に追われることになるなんて思ってなくて、いま思うとちょっと恥ずかしい名前なんですけど」

「そうだったんですか。では名字が浅雛じゃなくなればもうぴよぴよ仮面は名乗れませんね」

「え? ど、どういうことですか?」

「ぴよぴよ仮面を永久的に捕まえておきたいならば、名前を変えてしまえばいいということですよ」


 ――例えば一ノ瀬とか。


 そっと耳元で囁かれた言葉を理解した瞬間、顔がボッと熱くなった。そ、それってもしかして、もしかしなくても……そういうこと? 

 あわあわと一人で動揺していると、隣に座る雅臣さんがそっと私の手をとった。同時にスッと指に何かがはめられるのを感じる。手元に視線を落とすと、右手の薬指で銀色の指輪が輝いていた。


「ま、雅臣さんこれって……」

「やっぱりあなたの手にはめるのは、手錠じゃなくてこちらがいい。ひとまずはペアリングですけどね」

「ペアリング……私にですか?」

「はい。捕まえておいてもいいですか、結婚するまで」

 

 雅臣さんがいたずらっぽく笑った。その優しい表情がまた私をドキドキさせる。と同時に彼に対する深い愛情が泉のように沸き上がってきた。

 目に熱いものを感じながら、指で静かに光る銀の輝きを見つめる。手錠の代わりに私を捕まえておく、銀色のわっか。


「雅臣さん、私嬉しいです。私も……捕まえられるならあなたが良いですから」

 

 えへへと照れ隠しをしながら笑うと、雅臣さんがスッと目を細める。彼の腕が優しく腰を抱くのを感じて、私はそっと目を閉じた。

 いつもより甘くていつもより少しだけ深いそれを私は全身で感じ取る。唇を離した雅臣さんの頬も、いつもより微かに赤い。


「今から俺の家に来ませんか? ご飯も準備しておきましたので」

「わっ本当ですか? 嬉しい。じゃあ遠慮なくお邪魔しますね」

「ええ、今夜はちょっと帰したくないですしね」


 その言葉を理解するよりも早く雅臣さんが私の手を取って立ち上がる。爽やかな笑顔と共にサラッと告げられた言葉を理解して私の顔がまた熱くなったのはそのすぐ後だった。

 

 ポツポツと街灯が照らす道を二人で並んで歩いていく。

 手錠の代わりに指にはめられた銀の指輪が、月明かりに照らされて優しく瞬いていた。

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