第32話 逮捕
カチャリと金属の鳴る音がする。目の前にいる雅臣さんが手錠を手に持った。だけどその表情はとても苦しそうで、私の胸も罪悪感で押しつぶされそうになる。それでも私は今日、捕まる覚悟を持ってここに来ていた。
交番の前にメッセージカードを置いた後、私は急いでたくみ君の家に行った。
たくみ君の家では彼の他に数人のお友達が待っていてくれた。みなと君に葵ちゃん、サトシ君にひよりちゃんと、皆怪盗業でお家に行っていた子達だ。ぴよぴよ仮面の最後の仕事なのだから、最後は皆でワイワイ楽しくやりたいからと、私がたくみ君に事前にお願いしておいた。久しぶりに顔を合わせたサトシ君には「最近来てくれないからつまらない」なんて文句も言われてしまったけれど。
ケーキは買ってきた市販の物だし、ジュースとケーキだけでご馳走もないパーティーだけど、たくみ君は嬉しそうにケーキを食べてくれた。「ありがとう」という彼の言葉を聞けただけで、私は満足だった。もう後悔はない。
ザリっと砂を踏む音がする。一ノ瀬さんが私の方に近づいてくる。この手錠をかけられれば、女怪盗の活動はお仕舞い。そして同時に、雅臣さんとの関係も終わる。警察官の恋人が犯罪者だったなんて汚名を彼に着せてしまうことだけが心残りだけど。
一歩一歩彼が近づくに連れて、今までの彼との記憶が蘇ってくる。
鞄を忘れて家に入れない私を迎えに来てくれたこと、交番でシャツを貸してくれたこと、ストーカーから私を守ってくれたこと、そして犯罪者の手から私を救ってくれたこと。
――ありがとう、雅臣さん。貴方に会えて幸せでした。
心の中でそう呟き、静かに目を閉じた時だった。
「やめろ! ぴよぴよ仮面をいじめるな!」
背後から声が聞こえて私は顔をあげた。さっきまで一緒に誕生日をお祝いしていたはずのたくみ君がこちらに向かって走ってくる。彼の後ろからは、他の子達も。
あっと思った瞬間にたくみ君が雅臣さんに突撃し、彼の胸を拳固で叩いた。追い付いた他の子達も雅臣さんに群がり、服を引っ張ったり叩いたりしている。
「ぴよぴよ仮面の敵だ! やっつけろ!」
「悪者はあっちへ行け!」
「ぴよぴよ仮面をいじめるやつは許さないぞ!」
子供達が口々にわめきながらポカポカと雅臣さんを攻撃する。正直に言って、体格の良い雅臣さんにとっては何のダメージも無いだろう。だけど、小さな子達が私を守ろうとしてくれる姿を見て、私の目からポロリと涙がこぼれ落ちた。
動揺した雅臣さんが手錠を持つ手を引っ込める。たくみ君がこちらに来て私の手を取った。
「ぴよぴよ仮面、今だよ。逃げて」
たくみ君の小さな手が私の手をとって引っ張る。その健気な頑張りに涙が止まらなくなるが、私は手の甲でグイと涙を拭って微笑んだ。
「たくみ君ありがとう。皆も……でもぴよぴよ仮面は悪いことをしちゃったからちゃんと謝らないといけないんだ。ごめんなさい、してくるね」
「嫌だよ! ぴよぴよ仮面が捕まっちゃったらもう会えなくなるじゃん! そんなの嫌だ!」
たくみ君の涙声につられたのか、他の子達も雅臣さんから離れて私の周りに集まってきてくれた。
「ぴよぴよ仮面捕まっちゃうの?」
「嫌だ、行かないで!」
「また来てくれるって言ってたじゃん!」
私の服を掴みながらすがってくる子供達を見て胸が熱くなる。だからこそ、こうやって皆の前からいなくなることになるのが申し訳なくて悲しかった。そっと目線をあげると、雅臣さんも困惑した表情でこちらを見ている。
「あら、あかり先生どうしたんですか?」
どうしたものかと考えあぐねていると、背後でのんびりした声が聞こえた。振り返ると、ピシッとスーツを着こなした中年の女性が目を丸くさせながらこちらを見ている。
「あっ! ママ!」
たくみ君がパッと目を輝かせて女性に駆け寄る。どうやら女性はたくみ君のお母さんだったようだ。
「どうしたんです? 警察の方まで……何かあったんですか? それにあかり先生もいつもと違ってそんな黒尽くめの格好をして。黒の手袋まではめていたら、泥棒さんみたいですよ」
「はい、実は……って、え? 今あかり先生って」
あかり先生という言葉に、私は自分の正体がバレていることに気づいた。確かにウィッグもとって仮面を外した状態の今の私はどう見ても浅雛あかりだ。だけどさっきまで子供達はぴよぴよ仮面って言っていた気がするけど……
「あのねママ、さっきまでぴよぴよ仮面がうちに来て、誕生日パーティーをしてくれたの! ケーキもあったよ!」
「あらあらまぁまぁ、それはすみませんね。いつも先生にはお世話になってしまって」
お世話? いつも?
事態がうまく飲み込めない私が困惑していると、たくみ君のお母さんが微笑んだ。
「あれ? たまに家に来て子供の面倒を見てくださっているのはあかり先生ですよね? うちの息子が先生が来る度にいつも喜んでいますよ」
「え? ご、ご存知だったんですか? 私が勝手に家にお邪魔していたこと」
「ええもちろん。だって子供だけで部屋を片付けたりご飯を作ったり、ましてや自主的に宿題をすることなんて無いんですもの。すぐにわかりますよ。それに、息子自身が言っていましたから。『今日あかり先生が家に来てくれた』って」
「ええっそうだったんですか」
たくみ君のお母さんの言葉に、私は羞恥で顔が熱くなるのを感じた。周りにいる子達もうんうんと頷いていることを見るに、ぴよぴよ仮面の正体が私であることにとっくに気がついていたみたいだ。
「だって雰囲気でわかるもん。確かに見た目はだいぶ違うけど、話し方とか、怒り方とか、あと勉強の教え方が学校にいる時のあかり先生とソックリだったし」
「そうそう、あとおれ、連絡帳に宿題書いてくるのを忘れたのに、なぜかぴよぴよ仮面が宿題の範囲を知ってたし。そこであかり先生だなって思った」
「前にぴよぴよ仮面が作ってくれたチャーハンにピーマンがすごくちっちゃくなって入ってたから。私が給食で出たピーマンが食べられなくて残したの、知ってたからでしょ?」
子供達が口々に根拠を口にする。私の詰めの甘い部分から、彼らはしっかり正体を見破っていたようだ。知っていてなお茶番に付き合って私を頼ってくる子供達の純粋な気持ちに、私は救われるような気持ちだった。だからこそ、やってしまったことはしっかりと償わなければならない。
私はたくみ君のお母さんに向かってしっかりと頭を下げた。
「この度は私の軽率な行いでご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした。今ご自宅のベランダから出入りしている場面を警察の方に見られてしまって。今から警察署でしっかりとお話してこようと思います」
「あら、そうだとしてもまずは私達にも事情を話して。他の子達もお母さんのお迎えが必要でしょうから連絡を取るわ。ちょっと待ってて」
そう言ってたくみ君のお母さんがスマホを取り出してSNSで連絡を取る。もうどこの家庭も仕事が終わる時間帯だったからか、数十分で他のお母さん達も来てくれた。
たくみ君や他の子達――皆ぴよぴよ仮面として家に住居侵入をした家庭だ――のお母さんの前で私は事情を説明し、しっかりと謝罪の言葉を述べて頭を下げた。だけどやっぱりどのお母さんも勘づいていたみたいで、驚きの言葉はなかった。
頭を上げると、お母さん達が優しい目で私を見ている。葵ちゃんのお母さんとサトシ君のお母さんも申し訳無さそうに頭を下げた。
「事情はわかりました。でもねあかり先生、私達も謝らなければいけないの。だってあかり先生が来ていることを知っていて、私達も甘えていたから」
「そうそう。学童もいっぱいだし、外部の預かり所となるとまたお金が必要でしょう? 自宅で、しかも無料で子供を見てもらえるなんてラッキーって私達もあなたを利用していたのよ。ごめんなさい」
「そ、そんな。私が勝手にやっていたことですから。それに、許可なく家にあがってご自宅の私物を勝手にいじっていたことは事実です。許されることではありません」
「でも、あかり先生にそんなことをさせてしまったのは私達にも原因がありますから。私達こそあなた方学校の先生に謝らせてほしいわ」
たくみ君のお母さんが静かに言葉を紡ぐ。
「あかり先生が怪盗をせざるをえなくなったのは、以前に学校で起きた揉め事と関係あるのよね? 毎日遅くまで親が帰らない家庭に学校の先生が自主的に援助をしたことでクレームに発展してしまったこと。実はね、あれ私もクレームを入れた一人だったの」
たくみ君のお母さんにつられて他のお母さんもうんうんと同意する。
「我が家も共働き。朝から夜まで働いて、クタクタになって帰宅してからご飯に片付け、お風呂に洗濯に宿題……息をつく暇もないくらい忙しいのに、他所の家庭では学校の先生が援助しに来てくれるのはずるいと思ったの。それを他のお母さんに言ったら、それは贔屓よねって話になって、それは学校に一言言っておかなきゃねってなって……あとから知ったけど、あの家庭はご主人がいらっしゃらない上に頼れるご実家もなかったんですってね。お母様も持病を抱えていらっしゃったみたいだし……そんなことを知らないで、不平等だと喚き立てた自分が恥ずかしいわ」
「どこの家庭も大変だから、誰かがズルするのは許せないって思ってしまうんだけど、でもそれってただの足の引っ張り合いにしか過ぎないのよね。自分がしてもらった時はやっぱり助かると思ってしまったもの」
「あの時は正しいことをしたと思っていたけど、あかり先生をこんなに追い詰めてしまったとは思っていなかったわ」
そう言ってたくみ君のお母さんが目を伏せる。
「今回、たくみの誕生日に両親どちらもいないと知った時、たくみは家で大騒ぎでした。私も泣き叫ぶ息子を見るのは辛かった……ただでさえ家にいてやれないのに、また悲しい思いをさせてしまうのかって。だから今日、あかり先生がお友達と一緒に楽しい一日にしてくれたと知ってとても嬉しかった。もういらっしゃらないけど、今になってあの時の先生の気持ちがわかったの。誰かを贔屓したいんじゃなくて、一人でも多くの子供の笑顔を守りたかったのね。どこの家庭も大変なんだもの。私達もお互いの足を引っ張り合うんじゃなくて、共働きのお家同士、お互いに助け合う気持ちでいなくちゃ」
そうポツリと呟くと、たくみ君のお母さんが顔をあげる。その目は雅臣さんに向けられていた。
「警察官さん、私達は彼女の訪問を認知して、許可していました。だからこれは違法な侵入にはなりません。彼女は学校の先生として、家庭訪問をしてくださったまでです。これでよろしいですか?」
たくみ君のお母さんの言葉に私はハッと顔をあげた。たくみ君のお母さんは――いやここにいるすべての保護者がそういうことにしてくれたのだ。
一連のやり取りを見守っていた雅臣さんがお母さんの言葉を受けて一礼する。
「そういうことでしたら、自分は署に戻るのみですね。浅雛さんも、今後は危ない行動を取らないように」
そう言って雅臣さんが私の目を見ながら優しく微笑んだ。
その言葉がお開きのきっかけになったのか、それぞれ挨拶を交わして一人、また一人と帰っていく。お母さんに手を引かれた葵ちゃんが私の方に走ってきて、ぎゅっと腰にしがみついた。
「あかり先生、だいすき」
そう言い残してまたお母さんのもとに走っていく小さな背中を、私はずっと見つめていた。
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