第19話 保護

 夏の気配が近付いてくる夜は日が落ちてからも暖かい。私は交番の椅子に座って一ノ瀬さんと対面していた。だけどいつもと違う所は、隣にブレザーを着た女の子がいることだ。

 

「舞歌さん、事情を話してくれるかな」


 私達と向い合せに座り、調書を取るためにペンを持った一ノ瀬さんが優しく問う。舞歌ちゃんは口を真一文字に結んだまま、睨みつけるように床を見ていた。 


 あの後すぐに一ノ瀬さんの個人電話に連絡した私は、駅前で舞歌ちゃんを保護してもらうように頼んだ。次のパパ活の場所を抑えて先回りし、彼女を保護する為の侵入だったが、それがたまたま今日だったのはラッキーだった。

 勿論、自宅に忍び込んでSNSを見たなんて言えないので、妹のひよりちゃんから「お姉ちゃんがなかなか帰ってこない」と相談を受け、駅前を探していた所たまたま彼女を見つけたということにしている。一応、警察署で保護していることを伝えるために舞歌ちゃんのお父さんにも電話をしたが、留守電になってしまったのでメッセージだけは残しておいた。

 

「舞歌ちゃん、お話できる?」

「…………」

「今日会う予定だった人は以前に車で送ってくれた人と同じ人?」

「…………」

「高校生のあなたが、大人の男の人とデートしてお金をもらうのが危ないということはわかってるわよね?」

「……わかってる」


 舞歌ちゃんが絞り出すように返事をする。後で一ノ瀬さんから聞いた話だが、補導をした際、意外にも舞歌ちゃんは素直についてきたそうだ。もしかすると彼女も抜け出す機会を待っていたのかもしれない。

 制服を着たままの舞歌ちゃんは何かに怯えているのか、ソワソワと落ち着かない様子だった。さっきから所在なげに視線をさまよわせている。ペンを持った一ノ瀬さんが、警戒を解くように優しい表情を向けた。


「ここではお話を聞くだけだから大丈夫だよ。どこで何をするつもりだったか教えてくれるかな」

「お父さんに言うの?」

「そうだね。君が未成年である以上、保護者には事情をお伝えすることになるね」

「でもお父さんには言わないで。こんなことしてるのがバレたら、私、今度こそお父さんに愛想つかされるから」

「愛想つかされる? どうして?」


 なるべく黙って見守っていようと思っていたが、彼女の意外な発言に私は思わず声を上げてしまった。

 舞歌ちゃんのお父さんとは、ひよりちゃんとの個人面談の時に話したことがあるが、娘思いの良い父親だった記憶がある。多忙ゆえに家を不在にすることが多いようだが、娘のことを話す彼に悪い印象は持たなかった。

 だけど舞歌ちゃんは唇を噛んだままぎゅっとチェックスカートの裾を掴んだ。

 

「だって今もお父さんから連絡ないんでしょ? 娘が警察に連れて行かれたって言えば普通は飛んでくるはずなのに。お父さん、私達のこと多分あんまり好きじゃない。外で会ってくれる人の方がよっぽど可愛がってくれるよ」

「だからパパ活をしたの?」

「そう。だってテストで良い点とったって、部活を頑張ったって誰も褒めてくれないもん。私が何やったって怒りも叱りもしない。私の存在なんて所詮はひよりの保護者代わり。私がいればひよりを学童に預けなくてすむから」


 一息に言って舞歌ちゃんが大きく息を吐く。


「パパ活をしたのは、夜遊びをするのにお小遣いじゃ足りなかったから。たまたまSNSで声をかけられて……最初は一回だけだからって思ってた。でも、だんだんやめられなくなってきて。もしこんなことしてるのがバレたら、今度こそお父さんに見放されるかもしれない。だから言わないで。パパ活って別に法律違反ではないんでしょ?」

「え? そうなんですか?」


 確認するように一ノ瀬さんの方を向くと、彼がゆっくりと頷く。


「はい。いわゆるパパ活という行為自体は罪に問えません。金銭の授受はあるものの、健全なデートというていですから」

「そうなんですか……。わかった。じゃあもう二度とパパ活はしないと約束してくれるなら、今回は夜の繁華街を歩いていて補導されたことにするわ。それでいいかしら」

「その前に一つ確認しておきたいことがあります。舞歌さん。あなたは何か隠していませんか?」


 彼の問いに舞歌ちゃんの肩がビクリと震える。怯えたようにうつむく彼女に驚いて、私も慌てて顔をあげた。


「ど、どういうことですか? 隠してることって……」

「彼女はパパ活自体は悪いことだと思っていません。ですが父親にバレるのはまずい。何か知られたくないことがあるのでしょう」

「そ、それは……違法でなくても、やっぱり娘がパパ活をしているって聞いて喜ぶ親はいないからじゃないでしょうか」

「それでも見放されるという言葉はいささか強いように思います。舞歌さん、あなたは何かしらのトラブルに巻き込まれていますね」

 

 直後、舞歌ちゃんがワッと泣き出した。口を真一文字に結び、目から大粒の涙がポロポロと零れ落ちる。びっくりした私は思わず彼女の小柄な体を抱きしめ、助けを求めるように一ノ瀬さんを見る。彼はペンを持ったまま険しい顔をしていた。


「こういうケースの場合、少女を騙して簡単に逃げられないようにするケースも少なくありません。具体的に言えば録音などの音声データ、写真や動画などの画像データを撮って脅しに使うことですね」

「まさか舞歌ちゃん、あなた……」


 私が腕の中の彼女に視線を落とすと、舞歌ちゃんが真っ赤に目を泣きはらしたままズッと鼻をすすった。


「最初はすごく優しかったの。お父さんと違って会う度に可愛いねって褒めてくれるし、ご飯を食べるだけでお金もいっぱいくれる。お父さんより、こっちのパパの方が大事にしてくれるって思ってた……でも何回か会ううちに、突然怖そうな顔の人がやってきて、プラスでお小遣いをあげるって言われて……」

「それで撮らせてしまったの?」

「写真を撮るつもりだったなんて知らなかったの。ちょっとスカートをあげて見てって言うからその通りにしたら、思ったより捲くられて……それで……」


 言いながら舞歌ちゃんが嗚咽を漏らした。涙を流しながら震えている彼女の姿を見て、その事実が彼女を怯えさせることであったのが容易にわかる。私は落ち着かせるように舞歌ちゃんの肩をギュッと抱いた。


「わかった。もうそれ以上言わなくていいわ。怖かったね」

「写真、ネットにあげられたらどうしよう。しかも今度、もっとお小遣いをあげるから、秘密の会においでって誘われてるの。本当は行きたくないけど、でも写真を拡散されるのが怖いから、うんって言っちゃった……」

「そんな。今から取り消せないの?」

「無理だよ。断ったら、写真を拡散されちゃうかもしれないもん」


 舞歌ちゃんの声が震える。無理もない。私だってそんな写真を握られてしまったら逆らえないもの。だが、その不安な気持ちを払拭したのは、一ノ瀬さんの声だった。


「舞歌さん、その会合の場所と日時はわかりますか?」

「え、わかんない。デートする時も、いつも待ちあわせ場所以外の行き先は知らされないから」

「では該当の人物のSNSのアカウントを教えて下さい。こちらでも調査をしてみましょう。少女を騙して同意のない写真を撮るのは立派な犯罪です」


 そう言って一ノ瀬さんが手を伸ばし、舞歌ちゃんの頭をぽんと叩く。


「不安な気持ちはわかるよ。でも大丈夫、みんな君の味方だから」


 そのまま優しく一撫ですると、舞歌ちゃんが手の甲で涙を拭う。その頼もしい言葉に少し安心したのか、舞歌ちゃんの肩の力が抜けたのを感じた。


「私、こんなことしなきゃ良かったって後悔してる。パパ活なんてもうやらない」

「そうね、その方が良いわ。もし困ったことがあったら、今度からは私に相談して。小学校に来てもいいから」

「え、ひよりの?」

「うん。だって舞歌ちゃんも卒業生でしょ? 卒業した学校に来てくれるなんて、先生からしたらとっても嬉しいことよ。今度から何かあればあったらいつでも頼って」


 舞歌ちゃんの目を見ながら優しく言う。家にいたくないと言いながらも、お父さんに嫌われることを恐れているということは彼女は寂しいのだ。私にできることは少ないけれど、話を聞くくらいならできる。悩みがあるなら私、困ったことがあれば一ノ瀬さん。私達は子供の味方だから、と伝えると彼女はやっと安堵の息を吐いた。

 ちょうどその時、交番の電話がリリリと鳴り、一ノ瀬さんが席を立つ。一ノ瀬さんが電話に出たのを見届けると、私は舞歌ちゃんの耳にそっと口を寄せた。


「舞歌ちゃん、パパ活相手が持っているデータなんだけど、私の知り合いに頼めば取り返せるかもしれない」

「えっ本当? 本当に取り戻してくれるの?」

「うん、可能性はあるわ。だからね、今度舞歌ちゃんのSNSで相手にこういうメッセージを送ってくれる? 返事が来たら、私の携帯に連絡してほしいの」


 そう言って私が自分の連絡先を伝えると、舞歌ちゃんが不安そうな表情でこちらを見る。データが返ってくるという期待と、本当にそんなことで大丈夫なのかという不安がないまぜになったような表情だ。

 だから私は彼女を安心させる為に、ぽんと頭を撫でてやる。大丈夫、女怪盗に二言はないのだから。

 ちょうどそのタイミングで、電話を終えた一ノ瀬さんが席へ戻ってきた。


「お父さんと連絡がつきましたよ。今から仕事を切り上げて迎えに来るそうです」

「え、お父さんが?」

「ええ。随分あなたのことを心配していましたよ」


 そう言って一ノ瀬さんが微笑むと、やっと舞歌ちゃんの顔が少しだけ明るくなったように見えた。

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