第20話 潜入

 舞歌ちゃんが無事に保護されてから数日が経ったある日、私は駅前で男を待っていた。と言っても残念ながら艶っぽい理由ではなく、例のパパ活男と待ち合わせをする為だ。


 腕時計に目をやり、時間を確認する。時刻は午後七時十分前。もう少しで男がやってくるだろう。私はビルのガラスに自分の姿を映しながらもう一度身なりを確認した。

 ガラスにうっすらと映っている私はなかなかに攻めた格好をしている。体のラインが出るようなピッタりとした黒のニットにホットパンツ。ダボッとしたキャスケットをかぶり、耳には大きめのリングのイヤリングもつけている。贅沢に太ももも露出させて、見るからに「遊んでそう」な格好をした私は、今日だけは女子大生の設定だ。年齢は二三個サバを読んでいるが仕方がない。キャスケットを目深に被れば若い女の子に見えなくもない気がする……自分で言っていて悲しくなるけど。

 ガラスに自分を映しながらキャスケットの位置を調整していると、背後でコツコツとコンクリートを踏む音がした。

 

「君がひなちゃん?」


 男の声につられて振り向くと、眼鏡をかけた中年の男性が立っていた。灰色のスーツを着て、頭は少しだけ薄い。一見どこにでもいるような普通のサラリーマンの格好をした男性は私を見て手をあげた。


「お待たせ、じゃあ行こうか。場所、こっちだから」


 男性が繁華街の方を指差す。私は軽く頷くと、男性に連れられるようにして歩き出した。



 

 先日提案された「秘密の会」。場所がどこにあるかは当日にならないとわからない上に、写真を撮らせた男はパパ活の相手とはまた違う人だ。警察も動いてくれるとのことだが、きっと捜査には時間がかかるだろう。一刻も早くデータを取り返した方がいいと判断した私は、舞歌ちゃんの代わりに会合に潜入することにしたのだ。

 舞歌ちゃんのSNSで連絡をとってもらい、「知り合いの女子大生のお姉さんがパパ活の相手を探している」と伝えてもらう。あとは舞歌ちゃん経由で数回やり取りをして、今日の待ち合わせ場所を教えてもらった。

 ただし、今回は浅雛あかりとして潜入するわけにはいかない。いまよりもっとお小遣いをもらえるという場所が健全であるはずがないのだから、一ノ瀬さんにバレたら間違いなく止められてしまうだろう。それに、怪しい場所に潜入すると平気で提案する教師なんて絶対に普通じゃない。私が怪盗ぴよぴよ仮面だと怪しまれない為にも、こんなことをしていると一ノ瀬さんにバレるわけにはいかなかった。


「ひなちゃんはパパ活初めて?」

「過去に一、二回くらいですかね」

「へーそうなんだ。ひなちゃんは可愛いから、結構人気ありそうだよね」

「ん〜どうですかね。自分ではよくわからないんですけど」


 目的地に向かいながら、時折嘘を混ぜつつも当たり触りのない話をする。男は田口と名乗った。多分偽名だろうけど、私はそんなことに気づかないフリをしてニコニコ愛想を振りまく。頼んでもいないのに合コンテクを教えてくれた真木先生には感謝だ。

 暫く歩いていくうちに私達は繁華街のど真ん中に来ていた。深夜でも賑わいを見せるこの繁華街は、飲み屋に行くサラリーマンや水商売風の格好をした人達でごった返していた。

 案内された場所は、繁華街の雑踏に紛れるように建っていた貸倉庫だった。正面はトラックの出入り口になっているようで、今は大きなシャッターがおりている。


「こっちだよ」


 田口が手招きをしてビルの横の入口から中に入った。中は灯りがついているものの、人の気配がなくなんとなく不気味な感じだ。殺風景な廊下に連なるように、いくつものドアが並んでいる。

 たんたんと靴音が響かせながら、私は案内されるがままに地下へ降りていった。建物の中には誰もいないと思っていたが、地下に降りるにつれて人の話し声のようなものが聞こえてきた。


「ここでやっていることはくれぐれも秘密だよ。友達を紹介したかったら、僕に連絡して」


 田口が念を押す。私が黙ったまま頷くと、彼は廊下に並んでいる扉の一つを開けた。

 部屋に入った私は瞠目した。中にいたのはたくさんの男女。所々にソファとローテーブルが置かれ、ソファの上には中年の男と若い女の子が寄り添うように座っていた。テーブルの上にはお酒がおいてあり、座っている男が若い女の子にお酒を飲ませている。

 一見するとキャバクラのような見た目だが、違いは座っている女の子達がどう見ても一般人だということだ。中には明らかに未成年だと思われる子もいる。


(酷い……何この無法地帯)


 あまりの不快な光景に私は顔をしかめた。未成年にお酒を飲ませて判断力を奪った上で「お小遣い」になることをさせているのだろう。ここでは大っぴらに事は行われていないようだが、一歩建物を出れば繁華街。連れ込める場所はいくらでもある。


「ひなちゃん、ここ座ってね」


 田口が空いているソファに座り、とんとんと隣のスペースを叩く。私は嫌悪感を隠したまま笑顔で席についた。


「お酒飲んだことある?」

「えっと、あんまり得意じゃないかもしれません」

「じゃあ最初は弱いのから飲んでみようか」


 田口が薄笑いをしながらテーブルに置いてあった缶チューハイを開ける。自慢じゃないけど、私はちょっとやそっとじゃ酔わないくらいにはお酒に強い。私は缶を手に取るとお酒をグイと一気に口へ流し込んだ。


「ここってどういう場所なんですか? カップル達の穴場じゃないですよね?」

「ははっ。ひなちゃんはピュアだなぁ。さあね、僕も最近知ったからよくわからなくて」


 田口が薄笑いをしながらはぐらかす。へぇ、と適当に相槌を打ちながら私はそっと周囲に視線を巡らせた。若い女の子を侍らせている男の中には、明らかに普通じゃないような人もいる。剃りが入っていたり、変な所にピアスが開いていたりする感じの。

 おそらく舞歌ちゃんが言っていた怖い顔の人というのは、暴力団とかヤクザとかそういう類いの人で、こうやって田口のような一般人に場所を提供しているのだろう。その代わりに、撮った写真や動画を横流しする……あくまで想像だが、きっと真実は警察が暴いてくれるだろう。私の役割は別の所にある。


「私がイメージしていたパパ活と違うみたいですけど、ここで何をするんですか? 普通よりお小遣いがもらえるんですよね?」

「何もしないよ。ただお酒を一緒に飲むだけさ」

「そんなこと言って。変な写真とか撮ったりするんですよね? そのスマホで」


 田口が持っているスマホを指差すと、彼は口角をあげて薄く笑った。無言の肯定に、舞歌ちゃんの写真が入っているのもこのスマホだろうと確信する。

 隣に座る田口がポケットから財布を取り出し、中から一万円札を数枚抜いた。そのままお金をテーブルの上に放る。投げ出された十枚の諭吉が嘲笑いながらこちらを見ていた。


「こんなにくれるんですか?」

「ひなちゃんは可愛いからね。スタイルもいいし。でも、これが何を意味するかはわかってるよね?」


 田口が薄く笑い、手が太ももまで伸びてくる。私はチューハイをグイとあおり、その手をかわすようにしてひらりとソファから立ちあがった。


「私ちょっと酔ったみたい。トイレに行って来ますね」


 立ち上がる際によろめいて酔ったフリをすると、田口の目が怪しく光る。下卑た視線を背にしながら、私はゆっくりと部屋を出た。廊下は人気ひとけがなく、今しがた出てきた部屋から聞こえるザワザワとした声以外は何の物音もしない。


(えっと、階段を降りてきたからここは地下よね。さっき見た倉庫はどこかな……)


 なるべく靴音を立てないようにしながら階段を上り、廊下を進む。トイレと嘘をついて出てきた以上あまり時間はかけられない。

 足早に歩き、廊下の角を二つ曲がった所で私はやっと搬入口を見つけることができた。重たいスライド式の扉を開くと、思った通りそこは外に通じる搬入口になっており、トラックが出入りできるスペースになっていた。今は使われていないのか車は置いておらず、だだ広い空間があるだけだ。上からも作業の指示ができるように、搬入スペースは二階と一階が吹き抜けになっている。

 私は中に入るとぐるりと辺りを見回した。


(私が逃げるならここしかないわね。だとしたら、あそことあそこの内鍵を開けておいて……)


 考えながら腕時計を見ると、部屋を出てから五分以上経っていた。頭の中で流れをイメージしながら、あちこちの扉や窓を触って準備を整える。作業が完了すると私はズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、電話をかけ始めた。



※※※

 

「ごめんなさい、お待たせしました」

「何してたの? 随分遅かったね」

「お化粧を直していました。でも女の子にそういうことを言うのはマナー違反ですよ」


 部屋に戻って田口の横に座りながら、私はいたずらっぽく笑う。ちょっと含みを持たせて微笑んだら、気を良くしたのか田口が薄く笑った。テーブルに目をやると、さっき出したままの十万円がそのままになっている。


「さ、ひなちゃん準備しよっか。じゃあまずそこに立ってくれる?」

「その前に田口さん、私からも話があるの」


 田口の手からすっとスマホをとりあげ、にっこりと笑う。そのままスマホを床に叩きつけて靴で踏みつけると、私は立ち上がってポケットから自分のスマホを取り出した。


「これね、今録画中。大人の男の人が未成年の女の子にお酒を飲ませてる動画を、警察に持ち込んだらどうなるかわかりますか?」

「な、何をしてるんだお前は!? それを仕舞え! 撮影をやめろ!」


 田口が大声を出してソファから立ち上がる。彼の大声に、周りにいた男や女の子達が一斉に私の方を向いたのがわかった。

 と同時に私はくるりと踵を返し、走って部屋を出る。一拍遅れて部屋の男達が慌てふためく声が聞こえた。

 

「クソッ! あの女、私服警察だったのか?」

「おい早く捕まえろ!」

「建物から出すな! 誰か正面口の鍵を閉めてこい!」


 残念でした。正面口の扉を閉めたって私には関係ない。自慢の脚力で廊下を飛ぶように走り、。階下では、複数人が走ったり、扉を開けたりと私を探し回っている音が聞こえる。

 私は脇目もふらずに二階へあがると、中へと飛び込んだ。

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