第三章 パパ活女子を保護せよ!

第17話 問題児

 あれから数日たった。あの日以来薄井先生が何かをしてくることもなく、私は平凡な日々を送っていた。たまに廊下ですれ違うこともあるが、彼は会釈すらしてこない。やはり私の勘違いだったのではないかと思いつつも、あの時の彼の目はやはり普通では無かった気がして、私もなんとなく彼を避けるようにして過ごしていた。

 一ノ瀬さんは定期的に小学校の見回りに来てくれている。朝と夕方の一日二回。そこまで長く話すことはないけれど、会うたびに一言二言挨拶を交わすのが日課だ。最近では校門に一ノ瀬さんがいないとちょっぴり寂しい気がして、校門を通る時はなんとなく彼の姿を無意識に探してしまうのが癖になっていた。


 勿論、怪盗業はずっと続けていた。夏休み前の山場を乗り越えた私は、終業と同時に鞄を持って学校を出る。

 今日訪問するのはひよりちゃんの家だ。いつも通りに変装をして彼女の家を訪問すると、ひよりちゃんは目を輝かせながらベランダの掃き出し窓を開けてくれた。


「ぴよぴよ仮面! 最近来てくれないから、もう来ないのかと思っちゃった」

「ひよりちゃんごめんね。最近怪盗業も忙しくって」


 事実、夏休み前の準備でここ数日は残業続きだった。ひよりちゃんが頬を膨らましながら抱きついてくるのを、私もギュッと抱きしめ返す。こうやって私が来るのを待っている子がいる限り、やっぱり怪盗業はやめられない。

 私はひよりちゃんの頭を優しく撫でると、パチンと黒い手袋をはめて家の中に入った。



 机に座って宿題をするひよりちゃんの側で掃除機をかけていた私は、子供部屋の壁にかかっている制服に気がついて手を止めた。ハンガーにかかっている紺色のブレザーと赤色のチェックスカートは、どう見ても小学一年生のひよりちゃんが着るものではない。


「あれ? ひよりちゃん、お姉さんがいるの?」

「お姉ちゃん? うん、いるよ」

「え、本当? お姉さんって今いくつなの?」

「えっと、高一」


 ひよりちゃんの言葉を聞いて私は瞬時に壁の時計に目をやった。時刻は午後八時前。高校一年生が外出するにはやや遅すぎる時間だ。


「ひよりちゃん、お姉さんはどこに出かけているのかわかる?」

「んーと、わかんない。最近は全然家にいないもん」

「じゃあ何時くらいに帰ってくるの?」

「それもわかんない。でもひよりが寝る時間まで帰ってこないこともあるよ」


 寝る時間まで? 予想外の答えに私の眉がピクリと動く。


「お姉さんは外で何してるのか聞いたことない?」

「うーんよくわかんない。でも、たまにおじさんが車でおうちに送ってくれてるみたいだから大丈夫じゃないかな」

「おじさんっていうのはひよりちゃんの親戚のおじさん?」

「ううん、知らない人」


 質問を重ねていくうちに、私の胸が急速に鼓動を打ち始めた。高校一年生の女の子が夜遅くまで出歩いているのは、どう考えても健全ではない。父子家庭であるひよりちゃんのお父さんは泊まり込みで勤務をすることもあり、娘の現状を把握していない可能性があった。


「ひよりちゃん、今日お父さんは何時に帰ってくるの?」

「えーと、九時くらい」

「じゃあきっともうすぐ帰ってくるね。そしたらぴよぴよ仮面はそろそろ退散するね」

「えーもっといてほしい」

「ごめんね、ぴよぴよ仮面もまだやることがいっぱいあるんだ。また来るからね」


 そう言ってひよりちゃんに挨拶をすると、私は素早く外に出た。だけどそのまま帰宅はせず、私は仮面を外して静かに建物の影に隠れる。ひよりちゃんがお父さんの帰宅時間を把握しているということは、多分お姉さんもそれまでには帰ってくるはずだ。街灯の当たらない、死角になる場所に身を潜めながら私はじっと息を殺して待っていた。


 暫くすると、遠くからブロロロロ……と車の音がして、一台の車がこちらへ向かって進んでくるのが見えた。この辺りでは見られないような高級車だ。車はそのまま市営住宅の敷地内に入ると、私が隠れているマンションの前で止まった。

 そのまま見守っていると車の扉が開き、中から女の子が現れる。女の子は紺色のブレザーを着ていた。


「じゃあ待たね」


 女の子が扉を閉めながら手を振ると、車の中から「まいかちゃん」と男の声が聞こえた。女の子が顔をあげると、開いた窓からにゅっと手が出てきて彼女に何かを握らせる。よく見るとそれは一万円札だった。


「ありがとう」


 女の子がお礼を言うと、車の窓は静かに閉まった。そしてそのまま車は走り出し、住宅街の中へ消えていった。


(今のは何? もしかしてパパ活…?)


 建物の影に隠れながら、私は今しがた目にした光景を信じられない気持ちで見ていた。

 今目の前にいる女の子は、おそらくひよりちゃんのお姉さんだろう。もし間違いなければ、教師として大人としてこのまま見過ごすわけには行かない。彼女の名前と通っている学校名は、ひよりちゃんの児童票で確認すればわかるはずだ。明日にでも高校に連絡をして事情を説明しなければと私は公共住宅の中へ消えていく背中を見つめながらぐっと拳を握った。



※※※


 次の日、私はひよりちゃんの児童票を確認して、ひよりちゃんのお姉さん――舞歌ちゃんの学校名を確認した。電話をかけ、彼女の担任に代わってもらうと、私は迷わず昨夜の出来事を伝えた。高校生が午後九時近くまで外出していること、素性のわからない男に車で送ってもらい、あまつさえ金銭の授受まで行っていることなどを伝えるも、電話口の回答は私が想定していたものとは違った。


「放課後の活動は生徒個人に任せていますから」


 受話器を介した無機質な声が、まるで機械が喋っているように聞こえた。通り一遍等の回答。私は食い気味に受話器を握りしめた。

 

「高校生に自分の行動の責任を負わせていいんですか? そこを担うのが教師の役目でしょう?」

「高校生にもなれば善悪の分別はつくはずですよ。車に乗っていた人物が危ない人であるとなぜわかるんですか? 知り合いや親戚かもしれませんし」

「例えそうだとしても、あの時間まで連れ回す大人がまともだとは思えません。犯罪に巻き込まれたらどうするんですか?」

「はぁ、では該当の生徒に話を聞いてみましょう。事情によってはきちんと指導します。それでは」


 そう言うと電話はガチャンと切れた。あんまりな回答に、私は目眩を感じながら受話器を置く。確かにこの地域では夜の十時近くまでゲームセンターではしゃいでいたり、コンビニの前で座り込んでいる高校生をよく見る。ゲームセンターの出入りは中学生で午後六時、高校生で午後十時までと決まっている為、九時近くまで高校生が出歩いているのは珍しくない光景なのかもしれない。生徒の人数が多すぎて学校側がいちいち構っていられないのもわかる気はする。

 けれど。

 そこで納得はしてはいけないと私は思う。大人が全員諦めてしまったら、子供を守ることなんて誰にもできなくなってしまうから。特に女子高生は犯罪に巻き込まれることも少なくないし、このまま放っておけば大きな事件に繋がる可能性は十分にある。

 例えようのない不安を感じながら、私はそっと児童票のファイルを閉じた。



 その日の夕方。私は昨日と同じく、ひよりちゃんの家の近くに身を潜めながら舞歌ちゃんの帰りを待っていた。学校でひよりちゃんに確認した所、今日もお父さんは夜遅くまで帰ってこないそうだ。よって、夜遊びが常習化している舞歌ちゃんが今日も例の男と会っている可能性は十分に考えられる。

 時刻は午後九時を少し過ぎた頃。高校生が出歩くには遅い時間だ。しばらく待っていると、コツコツと靴音が聞こえ、暗闇からブレザーの女の子が現れた。


「ちょっと待って」


 私が声をかけると、女の子――ひよりちゃんのお姉さんの舞歌ちゃんが怪訝そうな顔で振り向いた。


「誰?」

「岡野第一小学校の教師で相田ひよりちゃんの担任です。あなたはひよりちゃんのお姉さんね。私とちょっとお話をしましょう」

「え、なんで? 私、特に話すことなんてないよ?」

「申し訳ないけど、昨日あなたが男の人に車で送ってもらう所を見ていたの。……お金をもらうところも。悪いことは言わないから、もうそんなことはやめなさい」


 怖がらせないようになるべく優しく話しかける。舞歌ちゃんはパパ活をしている事実を指摘されても特に気にしていない様子だった。もしかすると知らない大人からお金を貰うのが危ないことだと思っていないのかもしれない。


「お金をもらうお付き合いは援助交際よ。さすがにそれはわかっているわよね?」

「うーん、でもパパ活は援助交際とは違うよ。デートするだけだし」

「相手がちゃんとした大人だという保証はないわ。もしかしたら犯罪に巻き込まれる可能性もあるの。そこはわかるかしら?」

「うーん」

「よく考えてみて。舞歌ちゃんに何かあったら、舞歌ちゃんのお父さんが悲しむと思わない?」


 お父さん、という言葉に、先程まで平気そうな顔をしていた舞歌ちゃんの顔がサッと青ざめた。あからさまに目をそらし、私の視線を避ける。そのおどおどした様子に私は違和感を覚えた。


「とりあえず、私に事情を話してくれないかな。私にはお話を聞いてあげるくらいしかできないけれど、パパ活をやめられるように協力するから」

「…………」

「言いにくいことがあるなら私からお父さんや先生に言ってあげるわ。だから」

「やめて! やめて!! 私がパパ活をしていたってあなたには関係ないじゃない!」


 そう言って舞歌ちゃんが私の体を突き飛ばす。「あっ」とよろめいた隙に、彼女は走って公営住宅の階段を登っていってしまった。


 一人取り残された私は、ただ呆然と誰もいない階段を眺めるだけだった。

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