第13話 聞き込み
警部補から聞き込みを命じられた一ノ瀬は、ひとまず受け取った書類に目を通した。
家に不法侵入をしてきた女性は黒のシャツと短パン、そして黒い手袋をつけていたという。金髪で口元にはホクロ。百円ショップで買ったような安物の仮面をつけている為に顔の作りはわからないが、明らかに変装をしていることを考えると、容姿の情報に信憑性はないだろう。
念の為に同様の被害届が提出されているかの確認もしたが、ぴよぴよ仮面と名乗る女性の住居侵入が報告されたのはこの一件だけだった。
塚本の腹いせによる妄言の可能性もあったが、子供に暴力をふるうを男とは言え彼も市民の一人。根拠なく訴えを退けるわけにはいかない為、一ノ瀬はまず、先日保護された相模正太郎という男児に話を聞くことに決めた。
彼らと会うのは塚本の逮捕以後初めてのことだった。チャイムを鳴らすとすぐに母親が出てくれる。挨拶がてら近況を確認すると、母子はどうやら近日中に県外へ引っ越すとの事だった。
「あの男とは籍を入れておりませんでしたし、このまま彼が戻らないうちに引っ越してしまおうと思って……場合によってはシェルターの利用も考えています」
相模正太郎の母親が疲れ切った表情で言う。だが、その瞳に宿る光は強かった。おそらく目が覚めたのだろう。彼女の目には今度こそ子供を守ろうとする強い決意が見て取れた。
母親がため息をついてちらりと部屋の中に視線を送る。
「私達もここを離れたくはありませんでしたが、仕方ありません。この子が浅雛先生を気に入っていたんですけどね……ああ、あの時現場にもいてくれた女の先生のことです」
「存じております。彼女はなかなか生徒思いの教師のようですね」
「ええ、うちの子とは学年が違うのですが、子供ときちんと向き合ってくれる優しい先生ですよ。……すみません、こんな話をしても意味がありませんね」
「いえ、そんなことありませんよ。今回の件に関しては浅雛さんからも証言を頂いております。宜しければ相模さんから見た浅雛さんのことをお聞かせ頂けますか? 彼女の人となりを確認することも大事ですので」
「そんな、彼女が嘘をついたりするはずがありませんよ。彼女は一年生を担当しているのですが、全力で指導にあたってくれています。以前学校側と一悶着あった時も保護者の味方になってくれましたし」
学校側と一悶着、という言葉が耳に残る。あの学校でトラブルがあったことは初耳だ。
「学校側との騒動とは?」
「この辺りはあまり裕福な家庭が集まっていないでしょう? 学童も埋まっておりますし、いわゆる鍵っ子が多い地域なので大人の目が行き届いていないんです。以前、生徒の安全の為にも保護者が夜遅くまで不在にしている家庭には教師が見回りに行くべきだと主張してくれた先生がいたのですが……学校が特定の家庭ばかり支援するのは贔屓だと主張する親御さんがおりましてね。その話は立ち消えになりました」
そう言って相模正太郎の母親はため息をついた。母の敵になるのはいつだって同じ立場である母親だと悲しい声で呟く。
「先導してくれた先生は学校と揉めて辞表を叩きつけたと聞いています。浅雛先生や真木先生という女の先生も学校側に意見してくださったのですが、駄目だったみたいですね。各家庭の子供は各家庭の責任、そうなっています。最近子供に声をかける不審者の話も聞きますし、親としては残念でなりませんが」
「そうですか……」
彼女の気持ちに共感するかのように一ノ瀬も声を落とす。治安が悪い事の弊害はこういった所にも現れているのだ。地域の安全を守る警察官として、今の情報を頭の片隅に入れておく。今後はもう少し学校周辺の見回りを徹底した方が良いかもしれない。
だんだんと打ち解けてきた様子であるのを感じ取り、一ノ瀬は思い切って本題に入ることにした。
「貴重なお話をありがとうございます。ところで、最近ぴよぴよ仮面という言葉を聞いたことがありますか?」
「ぴよぴよ仮面ですか? いえ、存じ上げませんが」
「
「いえ、本当に存じ上げません。誰かが入ってきた形跡も無いですし……彼の妄想では無いでしょうか」
塚本の名前を聞いて母親が不快そうに眉をひそめ、バッサリと切り捨てる。嘘の訴えであるならば、やはりこの被害届は受理できなそうだ。だが証言者となる人物はもう一人いる。
「そうですか。では、恐れ入りますが正太郎くんにもお話を伺っても良いでしょうか。少しお話を聞くだけですので」
「はい、構いませんよ」
そう言うと、母親が部屋の奥に向かって声をかける。名前を呼ばれた相模正太郎が、部屋の奥から玄関に向かってやってきた。
「こんにちは、少しお話を聞いてもいいかな」
優しく声をかけると、正太郎は怪訝そうな顔をしながらも頷いた。保護した時に比べて顔色も肉付きも良くなっている。良い兆候だ。
一ノ瀬はなるべく怖がらせないように、屈んで彼と視線を合わせる。
「もし知っていたら教えてほしいんだけど、正太郎くんはぴよぴよ仮面を知っているかな?」
「ぴよぴよ仮面? どうして?」
正太郎が一瞬顔をしかめる。これは警戒している表情だ、と咄嗟に一ノ瀬は思った。「誰?」ではなく「どうして?」と聞いた所を見るに、彼は何かを知っている可能性が高い。
「金髪の女性が勝手に自宅に入ってきたと塚本がそう証言していたんだ。正太郎くんはその時自宅にいたね? 正太郎くんも同じ人を見たかな?」
「なんで警察の人がそれを知りたいの?」
「塚本が言っていたことが本当かどうか確かめたいんだよ」
「逮捕するの?」
「それを決めるために聞いているんだ」
「でも、ぴよぴよ仮面は僕の代わりにあの人のことを先生に言ってくれたよ! だから逮捕しないで!」
「大丈夫。何かあってもすぐに逮捕することはないよ。だから安心して話してくれるかな」
一ノ瀬が優しく頭を撫でてやると、やっと彼は肩の力を抜いたようだ。
「確かに金髪のお姉さんが来てくれたよ。家に入って僕に本を読んでくれたの」
「勝手に入ってきたのかな? それとも正太郎くんが中に入れたの?」
「僕が入れたよ。学校でちょっと聞いたことがあるから……」
「学校ではどんな噂があるのかな?」
「僕もよく知らない。でも悪いことはしないって聞いてたから中に入れてもいいかなって思ったの。噂ではぴよぴよ仮面は赤い髪をしているって話だったんだけど、僕が見た時は金髪だった。ピンクっぽい髪で化粧が濃いって言ってる子もいる。こんなんでいい?」
「そうなのか、話してくれてありがとう」
帽子を脱いで頭を下げると、相模正太郎もつられてお辞儀をする。その後、二言三言挨拶を交わすと、一ノ瀬は相模家を去っていった。
そのままパトカーに戻り、車内で今までの証言を整理する。
まず、ぴよぴよ仮面と名乗る女性の存在は、少なくとも二人の証言によって立証された。よって存在自体は確かなものなのだろう。だが、いわゆる不法侵入である住居侵入罪に当たるかどうかは限りなくグレーに近かった。
今回のケースの場合、相模正太郎自身が家の中へ招き入れていることから、一見罪を犯しているようには見えない。だが、子供をうまく丸め込んで侵入した可能性も否定しきれないし、家主の許可なく宅内へ入っているのは事実だ。宅内で何もしていなくても、その裏に犯罪の下調べという目的があるならばそれは間違いなく罪に問える。
今回の被害届を受理するかどうかの判断をするには、圧倒的に情報が足りなかった。もう少し子供達からも話を聞きたい所だったが、正太郎が言っていた「学校で噂になっている」という言葉が引っかかる。
(今度あかりさんに話を聞いてみるか……)
今まで聞いた話を手帳に書き留めながら、一ノ瀬はそう思った。
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