第12話 デート

 そうこうしているうちにあっという間に月日が流れ、とうとうデートの日になった。

 待ち合わせ場所には五分ほど早くついたが、一ノ瀬さんはもう来ていた。駅前の広場の時計台の下。一ノ瀬さんは私の姿を見つけるとにこやかに笑って腕を上げた。


「お待たせしてすみません」

「いえいえ。多分自分も楽しみにしていたんでしょうね。思ったよりも早く着いてしまいました」


 そう言って一ノ瀬さんが微笑む。わぁ、リップサービスも完璧だ。今日の一ノ瀬さんはグレーの薄手のニットの上に紺色のジャケットを羽織っていた。シンプルな組み合わせだけど、背が高くて体格の良い一ノ瀬さんにはバッチリ似合っている。下心が無かったらきっとドキドキしてしまったのかもしれないけれど、ひとまず頭の中を今日のミッションである「一ノ瀬さんのスケジュールを把握する」ことでいっぱいにする。よし、折角のチャンス、絶対にムダにはしないぞ!

 私も笑顔で挨拶をすると、張り切って店の方へと向かった。



 駅前に出来たばかりのパンケーキ屋さんは、カントリー調でとても可愛いお店だったが、思ったよりもレトロで落ち着いた雰囲気だった。良かった、これなら一ノ瀬さんも入るのに抵抗なさそう。

 案内された席につき、パンケーキとドリンクを注文する。焼き上がるまでに少し時間がかかるという話なので、先にドリンクを持ってきてもらった。私はカフェフラッペで一ノ瀬さんはブラックコーヒー。私の目の前に置かれたフラッペを見て一ノ瀬さんが目を丸くする。


「あれ? フラッペ珍しいですか?」

「あ、いえ……これからパンケーキを食べるのに甘い飲み物を注文されるんだなと思いまして。甘いもの、お好きなんですね」

「えへへ、実はそうなんです。コーヒーのフラッペだからこれでも甘さ控えめにしたつもりなんですけどね」

「いいえ、浅雛さんらしいと思いますよ」


 そう言って一ノ瀬さんがブラックコーヒーに口をつける。そういえばさっき頼んでいたパンケーキも、粉砂糖とシロップがかかっているだけのシンプルなものだった。もしかすると、一ノ瀬さんはあまり甘いものを好まないのかもしれない。


「もしかして、一ノ瀬さんってあんまり甘いものは食べないですか? ごめんなさい、私、一ノ瀬さんの好みも聞かずに誘ってしまって」

「いや、そんなことはないですよ。女性とのデートなのでちょっとカッコつけてるだけです」


 そう言って一ノ瀬さんがいたずらっぽく口角をあげる。本心かどうかはわからないが、多分気を使ってくれているんだろう。わぁ、なんだか申し訳ないな。今度は彼の好きそうなお店に連れて行ってあげよう……と、考えたところで私はピンと閃いた。


(そっか、次の予定をここで立てちゃえば良いんだ! うまくいけば一ノ瀬さんの手帳を見られるかも!)


 別に彼女になって部屋にあがらなくても、会っている時に堂々と予定を立ててしまえば良いのだ。私は頭の中で高速でシナリオを組み立て、一ノ瀬さんの顔を見上げる。


「じゃあ今度は一ノ瀬さんのおすすめのお店に行きませんか? 私、食べることが好きなので、どこに連れて行ってもらっても嬉しいです」

「自分のオススメですか? そうですね、あまり女性が好みそうなお店は知らないのですが」

「いえ、一ノ瀬さんが好きなお店が良いんです。むしろ普段食べていないお店に行ける方が嬉しいかもしれません、なんて。あの、もしご迷惑じゃなければ、ですけど……」

「はは、女性のお誘いを断れる男はおりませんよ。自分で良ければ、喜んで」

「じゃ、じゃあ今ここで予定を合わせませんか? 忙しければドタキャンしてもらっても構わないので」


 言いながら鞄から手帳を取り出すと、今度はリップサービスでは無かったのか一ノ瀬さんも鞄から黒い革の手帳を取り出す。夢にまで見た一ノ瀬さんのプライベートが詰まった手帳を前にして、私はゴクリとつばを飲んだ。


「えっと、私、ここの土曜と日曜日はあいてるんですけど……」


 ドキドキしながら手帳をテーブルの上に広げて一ノ瀬さんに見せる。彼も私につられたのか、黒い手帳を広げて私の手帳と突き合わせてくれた。


(わっわー! 念願の一ノ瀬さんのスケジュールだ!)


 思いがけず切望していた情報を前にして私の胸が一気に鼓動を速くする。下心を悟られぬように、ここはどうですか? ここも大丈夫です、などと言いながら、私は一ノ瀬さんの勤務日程を頭に叩き込んだ。警察は基本的に、当直→非番→公休の交代当番制だ。逆に、イレギュラーになっている勤務日さえ把握してしまえば覚えるのはそう難しくない。

 次のランチ会の予定を決めて手帳をパタンと閉じた時、私は物凄い高揚感に見舞われていた。作戦が思い通りにいったことで、まるで全速力で走った時のように心臓がドキドキと高鳴っている。この方法だと当月分の予定しか確認できないのが難点だけど、こうやって月イチくらいで会合を設定してしまえばいいだけの話だ。

 当初の目的が果たせてウキウキしている私の前に、コトリ、とちょうどよくパンケーキの皿が置かれた。


「わーー! 見てください、とっても美味しそうですよ!」


 目の前に運ばれてきたふわふわのパンケーキを見て、私は黄色い声をあげた。

 フワッと熱で膨らむ厚めのパンケーキからは香ばしいバターの香りが漂っていて、上にかけられているクリームが熱でトロッと溶けている。宝石の様に散りばめられたイチゴやブルーベリーなどの果実の他に、色とりどりの花が添えられていて、まるで花畑のようだった。この花はエディブルフラワーと言って、まるごと食べられるお花らしい。

 夢のような見た目のパンケーキに思わず私はスマホで写真を撮る。これは後で真木先生に見せてあげよう。あ、先にお店に行っちゃったから怒るかなぁ、などと考えていると、フッと微かに笑う声がした。見ると目の前の一ノ瀬さんが優しい眼差しでじっとこちらを見ている。


「あ、私ばっかりはしゃいじゃって……すみません」

「いえ、自分の方こそ失礼しました。こうして見ると浅雛さんも年相応の女の子だなと思いまして」

「わー恥ずかしいなぁ。よく子供っぽいって言われるんです。自覚はあるんですけど」

「あ、すみませんそういうことではなく……その、先日塚本に啖呵を切った姿が勇敢だったもので。いや、これも女性に言う言葉ではありませんね。失礼しました」

 

 一ノ瀬さんが頬かきながら苦笑する。私はパンケーキを頬張りながらぶんぶんと首を振った。


「いえ、私、昔からお転婆だったんです。父が体操の選手だったので、昔からよく怪我しては怒られていました」

「へぇ、お父上は体操の選手だったんですか。すごいですね」

「有名ではないですし、すごくは無いですよ。そのくせ、娘の私にはおしとやかにしなさいとか、怪我をするなとか、両親揃ってうるさくって。私結構やんちゃだったんです、ふふ」

「でも俺はそういう溌剌とした女の子の方が好きですよ。元気な子は周りを明るくさせますしね」

「わっ! 一ノ瀬さんも俺なんて言うんですね。なんだか新鮮です」


 会話が弾んだことが楽しくてクスクス笑うと、一ノ瀬さんが照れたように頬をかく。


「ああ、本当ですね。すみません、完全に素が出ていたようです。今度から気をつけますね」

「いいえ、なんだか仲良くなれたみたいで嬉しいですよ。よかったら私のこともあかりって呼んでください。折角お隣さんになったので、もっと仲良くなりたいですもん」

「そうですか、ではお言葉に甘えて、あかりさん、でよろしいでしょうか」

「はい! もちろんです」


 にこっと笑って返事をすると、一ノ瀬さんも微笑み返してくれる。スケジュールも把握したし、仲良くもなれたし、結果的に大収穫だったぞという満足感でにこにこパンケーキを頬張ると、一ノ瀬さんが微かに目を細めた。その眼差しがなんだか色っぽく見えて、私もぱちりと目をしばたかせる。


(あれ? なんかまずかったかな)


 なんとなく一ノ瀬さんの雰囲気が変わったような気がして、私は小首を傾げる。なんだろうこのふわふわした空気……と落ち着かない気持ちになっていると、ふいに一ノ瀬さんが右手を伸ばしてきた。

 一ノ瀬さんの指が頬に触れ、そっと優しくなぞられる。私の頬から手を離した一ノ瀬さんがその指を口元に持っていった瞬間、私の顔がカッと熱くなった。


「い、一ノ瀬さん、今……!」


 口をパクパクさせながら彼の手を指差すと、一ノ瀬さんもハッとして自分の手に視線を落とした。


「あ、す、すみません。頬の所にクリームがついていたもので、つい」

「えっ! わっ! やだ、恥ずかしい。私こそすみません」

「い、いえ、こちらこそ失礼しました。女性の顔に触れるなんて、俺は一体何をやっているんだろうか」


 一ノ瀬さんが手の甲で顔を隠しながら目をそらす。いつもの爽やかな印象とは違って、その顔は真っ赤に染まっていた。動揺する彼の姿を見て、私の心臓の鼓動も急激に速くなる。


(えっ……待って、この雰囲気どうしたら良いの?)


 気にしないでくださいと笑うべきなのか、セクハラですよと茶化すべきなのか。落ち着かない空気を変えるにはどうしたら良いのか必死で考えるも、ドキドキと音をたてる心臓の音が邪魔でうまく頭が働いてくれない。なんとなく彼を見ていられなくなって、私はギュッと握った膝の拳に視線を落とした。

 と同時に、気まずい空気を切り裂くようにピリリと鋭い電子音が鳴る。ハッとして顔をあげると、一ノ瀬さんが素早くスマホを耳に当てた。その表情がみるみるうちに険しくなる。


「すみません、どうやら招集がかかったようです。名残惜しいですが今日のところはここで。この埋め合わせは後日しますので」

「い、いえ、私も十分楽しかったです。その、お気をつけて」


 まだドキドキとする心臓を抑えながらなんとか言葉を紡ぐと、一ノ瀬さんが軽く会釈をして席を立つ。彼が私の分までお会計を済ませておいてくれたことを知るのはもう少し後だけど、その時の私は大きな背中が外へ消えていくのをぼんやり見つめているだけだった。


 先程一ノ瀬さんの指が当たった部分に手を触れる。

 なんとなくその部分だけ熱い、ような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る