第10話 虐待児童を救え!

 交番から正太郎くんの家まではすぐだ。なので、私もパトカーの座席に座りながらサッと要点だけを伝える。勿論、家の中を覗き見たなんて正直に言えないので、ジョギングをしていて通りかかった際に、何かを殴る音と子供の泣き声が聞こえたから通報したということにしておいた。

 一ノ瀬さんは時折相槌を打ちながら険しい顔をして運転していた。メモを取る暇もないので、私の話を頭へ叩き込んでいるのだろう。

 現場にたどり着くと、一ノ瀬さんはポケットから警察手帳の有無を確認してパトカーのドアを開けた。


「浅雛さんはここで待っていてください。長くかかるかもしれないので、一旦はご帰宅頂いても構いませんよ」

「いえ、ここで待っています……」


 とはいうものの、学校の先生がパトカーに乗っているのはまずい。万が一保護者に見られて誤解を招けば大変なことになるからだ。私は車を降りて、近くの公園で待たせてもらうことにした。

 公園のベンチに座りながら、一ノ瀬さんが公営住宅へ入っていく背中を見送る。すっかり暗くなった住宅地に、チカチカと光る赤いサイレンが目に毒だった。


 もともと子供が好きだった私は、当たり前のように小学校の先生になった。小さな子供は一年も経てば驚くほどに成長する。自分が指導した生徒達が大きくなり、身近で育っていく様子を見るのはとても楽しい。

 だからこそ、私は今回のことが許せなかった。大人に構ってもらえず、寂しい思いをする子供達に寄り添いたくて怪盗になったのだから、子供を攻撃する大人の存在は見過ごせない。

 先程部屋の中で見た塚本の行為を思い出し、怒りで腸が煮えくりそうになる。あんなやつ、さっさと痛い目を見ればいいのに――


 だが、返ってきた結果は残酷なものだった。

 長い話し合いの末に一ノ瀬さんが戻ってくる。しかし、彼の表情は晴れず、悔しそうに唇を噛んでいた。


「すみません、本日は厳重注意という形になりました」

「そんな、どうして……」

「自分が現場に到着した際にはもう暴力行為は止んでいました。通報があったことと虐待の可能性を伝えましたが、本人は否定しています。それに、お母さんとお子さん自身も証言を否定していますので、これでは逮捕ができないんです。おそらく、恐怖ゆえの支配でしょうが」

「そんな、酷い……」

「当事者全員から証言を得られないのであれば逮捕はできません。せめて現場を抑えられれば良かったのですが……」

 

 一ノ瀬さんも悔しそうに警帽を目深にかぶり直す。だが、私は今の言葉がストンと胸に響くのを感じた。顔をあげて、まっすぐに一ノ瀬さんの目を見つめる。


「現行犯であれば逮捕ができるということですか? あの男が子供に暴力を振るっている場面を、警察が見ていればいいということですね」

「え? ええ、そうですね。そのケースであれば犯罪として立証ができます」

「わかりました。それだけ聞けば十分です」

「浅雛さん……?」


 一ノ瀬さんが怪訝そうな声で私を呼ぶが、私はもう彼の言葉を聞いていなかった。しゃんと顔をあげ、目の前の公営住宅を見つめる。


 怪盗ぴよぴよ仮面の名にかけて、あいつは絶対に懲らしめてやる!

 私は心の中で叫ぶと、ぐっと拳を握った。


 



※※※


 次の日、私は真木先生にもう一度正太郎くんの様子を確認してもらうようにお願いした。彼が暴力を受けているのは明らかなのに、それを認めようとしないのにはきっと理由があるはずだ。

 放課後、正太郎くんとクラスで「お話」した真木先生は、暗い顔で職員室に戻ってきた。


「真木先生、正太郎くんはどうでしたか?」

「ダメね。やっぱり自分は叩かれていないって言うの。自分が悪いことをするから叱られているだけで暴力は受けていないって。自分でぶつけただけだって」

「何か本当のことを言えない理由があるみたいですね。正太郎くんの気持ちがわかれば良いのですが……」

「本人からのSOSがないと、私達も何もできないわね。ひとまず先日の件で児童相談所には通報しておいたけど」


 真木先生が暗い顔でため息をつく。だが、周りの大人が彼を保護しようとしても、正太郎くん自身が訴えない限りはどうにもできない。

 正太郎くんの本心を聞く為に、私は今夜怪盗になる決意をした。



※※※


「子供達の時間を盗みます! 怪盗ぴよぴよ仮面参上〜!」


 決め台詞と共に、正太郎くんの家のベランダにシュタッと着地する。お母さんはお仕事、お母さんの彼氏である塚本が先程パチンコを打ちに行くと言って出掛けたのを見届けた私は、変装をした状態で正太郎くんの目の前に堂々と姿を現した。

 正太郎くんははじめ、口をあんぐり開けながらぽかんと私を見ていたけど、やがてそろそろとベランダの窓を開けてくれた。

 私は正太郎くんの小さな姿を見下ろしながらニコリと微笑む。


「驚かせてごめんね。中、入れてくれるの?」

「あ、うん……ぴよぴよ仮面って名前、聞いたことがあるから」


 なんか友達が言ってた、と呟きながら正太郎くんが恥ずかしそうにうつむく。あらら、思ったより怪盗の名前は広まってるみたいね。今度子供達に口止めをしておかなくちゃ。それでも今回ばかりは名前が知られているのは好都合だった。

 ベランダで靴を脱いで上がらせてもらうと、私は指紋をつけない為の黒い手袋をはめてパチンと鳴らす。


「よし、正太郎くん、一緒に遊ぼっか!」

「え? あ……そぶ……の?」

「うん、そうだよ! 私は怪盗。一人の時間は全部私が盗んじゃうからね」

「……それなら僕、ご本読んでほしい」


 正太郎くんがおずおずと言葉を紡ぐ。私はニッコリと笑ってそれを了承した。

 子供部屋から小学校低学年向けの本を持ってきてもらい、膝の上に正太郎くんを乗せて読む。二年生にしては言動が少々幼いが、これも大人に抑圧されている影響だろうか。時折演技を交えながら読み聞かせをしていると、正太郎くんがケタケタと笑った。少しだけ距離が縮まったのを感じて、私はそっと本を小脇に置いた。


「正太郎くんは本読んでもらうのが好き?」

「うん、好き」

「お母さんにもたまに読んでもらったりするの?」

「ううん。うち、お母さんが忙しいから……」

「そっか。寂しいね。じゃあ自分で読んだりもするの?」

「うん。でも、声に出して読むとお母さんの彼氏がうるさいから、読めない」


 正太郎くんの表情が陰る。今が彼の心を開く機会だと思った私は、正太郎くんの額に手を当てて前髪をそっとかきあげる。ふわっと持ち上げられた前髪の下からは青紫色に染まった皮膚が現れた。


「これはその人にされたこと?」

「…………」

「大丈夫だよ、ぴよぴよ仮面は先生に告げ口したりしないから。だから本当のことを教えてほしいな」

「…………」


 正太郎くんは無言だった。だが、その瞳が微かに揺れているのがわかった。


「正太郎くんはその人のことが好き?」

「ううん、嫌い」

「どうして嫌いなの?」

「すぐに僕のことを殴ったり蹴ったりするから」

「それは悪い人だから、警察に捕まえてもらわないといけないね」

「でも、そうなるとお母さんが可哀想だから……」


 核心をついた、と直感的に思った。正太郎くんが本音を言えないのはここだ。彼は母親を庇う為に嘘をついている。


「私が学校の先生に言ってあげようか?」


 優しく言うと、正太郎くんが首をふる。


「僕が告げ口するとお母さんがアイツに叩かれるかもしれない」

「じゃあ言わなくて良いよ。お姉さんから学校の先生に言っておいてあげるから」


 私が言うと、正太郎くんはどういう意味なのかわからなかったのか首を傾げた。私は黙って微笑んだまま彼の頭を撫でてあげる。

 と同時にバンバンと外の階段を荒々しく登ってくる足音が聞こえ、部屋の扉がガチャガチャと激しい音をたてた。正太郎くんの肩がビクリと震えるが、私は彼を落ち着かせるようにそっとその小さな肩に両手を置いた。


「じゃあ、また来るからね」

「帰っちゃうの?」


 正太郎くんが助けを求めるかのように私の顔を見上げる。だけど、今ここで塚本と鉢合わせするわけにはいかない。私は心の中で彼に謝りながらヒラリとベランダに出た。

 だけど今日はそのまま家には帰らずにそっとベランダの影に身をひそめる。同時にガチャっと扉が開き、塚本が部屋の中に入ってきた。


「おい、なんだこれは」


 塚本が不機嫌そうな声で床を指差す。そこには、先程まで読んでいた本が二冊積み重なっていた。


「穀潰しの分際で部屋を汚してんじゃねぇよ。片付けろ」

「…………」


 正太郎くんが無言で本を手に取り、本棚へ戻しに行く。正直に言って床に本が置いてあっただけで部屋を汚すとは言いがかりも甚だしいが、正太郎くんは文句も言わずに素直に従っていた。

 だが、その態度も彼の神経を逆撫でしたようだ。塚本のこめかみに血管が浮き上がる。


「おいテメェ、その態度は何なんだ。返事をしろ」

「…………」

「返事は」

「……片付けました」

「あ? なんだその反抗的な態度は! いい加減にしろくそ餓鬼!」

 

 塚本がガンっと椅子を蹴倒し、正太郎くんの胸ぐらを掴む。その瞬間、私はベランダの影から飛び出し、音を立てて一息に窓を開けた。


「子供の味方、ぴよぴよ仮面参上! 児童虐待の現場、たしかにこの目で確認しました!」

「あぁ!? なんだテメェは!!」


 正太郎くんの胸ぐらを掴んだまま塚本が怒鳴る。だが、私は意にも介さずフフンと鼻を鳴らした。


「暴力的な威嚇行為も十分虐待です。たまたま通りすがりに見てしまった光景ですが、これは黙ってはおけない話ですね。学校関係者や警察に連絡をさせていただきましょう」

「あ? ざけたこと言ってんじゃねぇぞこのクソアマ!」

 

 塚本が正太郎くんを放し、私に襲いかかろうとベランダに駆け寄る。だが、私は彼を一瞥するとヒラリとベランダから階段の踊り場へ飛び移った。

 そのまま私は振り返ることなく夜の闇の中へと駆けて行った。

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