幕間 交番にて

「なんだぁ〜? 一ノ瀬、最近顔がにやけてないか?」


 野太い声に呼ばれて、一ノ瀬雅臣はつと顔をあげた。そこには先輩でもあり、頼もしい上司である中年の警部補がにやけ顔でこちらを見ている。


「最近女の子と頻繁に連絡取ってるらしいじゃねぇか。ったく、これだから若ぇモンは。で、うまくいきそうなのか?」

「いえ、そういう関係では……。隣の部屋なので、たまにおかずを頂くくらいですよ」

「えっ! 先輩、女子にご飯作ってもらってるんですか? 良いなぁ〜その子、可愛いですか?」


 この春に入ったばかりの新入りが背後からぴょこんと顔を出し、目をキラキラさせながら遠慮なく一ノ瀬のスマートフォンを覗き込む。そこには、彼女から送られてきたウサギのスタンプがぽんと押されていた。

 なんとなくそのウサギと彼女の顔がかぶり、一ノ瀬の口許が自然とほころぶ。肩までのくるんと内巻きの茶色い髪と、くりくりした大きい目。最近知り合ったばかりだが、明るくて溌剌とした彼女は、確かにウサギやリスなどの小動物を連想させる。


「そうだね、可愛らしい人だよ」

「先輩、その子のことが好きなんですか?」

「好きというとまた少し違うな。なんというか、小動物っぽいというか、見ていて楽しいというか」

「え〜! でも絶対にその子、先輩のことが好きですよ。だってそうじゃなかったらご飯なんて作ってくれないですって。はぁ良いなぁ〜俺も彼女欲しい〜」


 後輩が大げさにため息をつく中、一ノ瀬はもう一度画面に視線を落とした。知り合ったばかりでまだ彼女のことはよく知らないが、ああいう子が家にいてくれたら楽しいかもしれないとぼんやり思う。職業柄あまりプライベートに時間は割けないし、彼女に積極的になるつもりもないのだが、このやり取りが激務の中で癒しの時間となっているのは否定できなかった。

 思わず顔に出ていたのだろう。後輩が口を尖らせながら羨ましい羨ましいと連呼している。だが、その隣にいる中年の警部補は腕組みをしながら難しい顔をして眉を潜めていた。


「一ノ瀬、ソイツとは最近知り合ったばかりなんだよな」

「ええ。たまたま隣に住んでいただけの仲ですが」

「知り合ったばかりなのにそんなにすぐ惚れるかぁ? なんか後ろめたいことでもあんじゃねぇのか、その女」

「何を言っているんですか警部補! 一目惚れっていう可能性だってありますよ。ねぇ先輩? 先輩、見た目カッコいいし」

 

 訝しむ様子を見せる上司に対して、なぜか後輩がブンブンと首を振る。だが、彼は太い腕を振ってその言葉を一蹴した。


「勘と言われればそれまでなんだが、俺はどうもきなくせぇと思う。一ノ瀬、その女、何か明確な意図を持ってお前に近づいている可能性があるな。間違っても惚れんじゃねぇぞ」

「はあ、そういう女性には見えませんが」

「人は見た目にはよらねぇってのはこの仕事をしてれば嫌っちゅうほどわかるだろうよ。むしろその女が何かやらかさねぇか見張っておくくらいの気概でいろ。わかったな」

「見張る……ですか。どうやって」

「知らん。むしろ逆にお前が相手を惚れさせれば良いんじゃねぇのか? 好きになった相手が警察官なら、滅多なことしようとは思わねぇだろ。これも犯罪防止の一つだ。うまくやれよ」


 そう言うと、「書類片付けとけ」と新人に指示を出してベテランの警部補は部屋を出ていった。

 新人が口を尖らせながらぶうぶうと文句を言っているが、一ノ瀬の耳にもうそれは届いていない。


(惚れさせるって……そんな、人の心をもて遊ぶようなこと)


 画面で動くうさぎのスタンプを見つめながら独り言ちる。あの明るくて気遣いのできる女の子が何か後ろめたい気持ちを隠しているとは到底思えなかった。

 だが、確かに初対面から積極的すぎるきらいはあるようにも思えた。もともと社交的な性格なのかもしれないが、それでも距離を縮めるのが早すぎる。彼女と話すのは楽しいが、何か拭えない違和感のようなものがあるのも事実だ。そして何より、年配の「刑事の勘」というものは結構あたる。


 一ノ瀬は暫く考え込む様子を見せていたが、ひとつ大きなため息をつくと、画面を消してスマートフォンを鞄に仕舞った。 

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