第5話 必殺お色気大作戦
ピンポーン。
放課後。私はいつもよりドキドキした気持ちで一ノ瀬さんの部屋のチャイムを押した。ちなみに残念ながら、このドキドキは恋愛のドキドキではない。チャイムの音が鳴り、暫くするとガチャリと扉が開いて一ノ瀬さんが顔を出した。
「ああ、浅雛さんいつもすみません……」
そう言って扉の影から顔を覗かせた一ノ瀬さんの切れ長の目が丸くなる。
「その格好……」
「あ、あのちょっとイメチェンしてみました……」
モジモジしながら小分けにしたお鍋を差し出す。そう、私は今とてつなく可愛い服を着せられているのだった。白いシフォンのブラウスに水色の花柄フレアスカート。耳にはスカートに合わせた青いイヤリングをつけている。あまりおしゃれにとんちゃくない私は、いつも着ているのは黒のニットだったり白のシンプルなタイトスカートだったりするから、きっとこの格好は一ノ瀬さんもビックリしただろう。案の定、目の前の一ノ瀬さんは目を丸くしたまま固まっている。
「えっと……じょ、女子会に行ってきたんです……」
「あ、ああ、すみません。こう言う時に気の利いたことを言えれば良いのですが、何分女性に不慣れなもので」
「い、いえ! それより、今日はカレー作ってきました! よかったら食べてください!」
そう言って半ば強引に彼の手に小鍋を押し付ける。その後はお礼の言葉も聞かずに、彼の部屋を飛び出した。
(あーーもう! 真木先生のバカ〜〜〜!!)
帰るなり服を脱いで下着姿のままボフンとベッドにダイブする。
放課後の職員室で真木先生に渡された紙袋に入っていたのが、このフリフリの可愛らしい洋服だった。頭の中で、先程のやり取りが思い浮かぶ。
「とりあえず、今晩おかずを持っていく時はこれを着なさい。あんた、こういう服持ってないでしょう? 貸してあげるからこれで相手の反応を見てくるの、いい?」
「えっ、私がこれを着るんですか? というか真木先生はなんでこんなものを学校に置いてるんですか」
「そんなの! 急な合コンの予定が入った時にすぐに着替えて参戦する為に決まってるでしょ! そんなことはどうでも良いからこれ持って行きなさい! 明日結果教えてね」
「は、はぁ……」
真木先生に言われるがままに紙袋を押し付けられた私は、家に帰ってから渋々それを着た。まぁ確かに可愛い服は気持ちが明るくなるけど……。
でもこの作戦が上手く行ったのかはイマイチよくわからない。一ノ瀬さん、固まってたし。
次の日にその結果を正直に伝えると、うんうんと頷きながら真木先生がもう一つ紙袋を私に手渡してくる。
「はい、じゃあ次はこれね」
「え、毎日変えるんですか?」
「当たり前じゃない。相手の反応を見て好みを探る作戦でしょ。色々テイスト変えてみないと。てなわけで今日はこれ。この前と反応が違ったかちゃんと教えてね」
真木先生がムフフと笑いながら渡してくる紙袋を仕方なく受け取る。ええい! もうしょうがない。怪盗業を続ける為にも、私も腹をくくらないと!
その日から、私のお色気大作戦が始まったのだ。
ある時は、体の線がはっきり出る黒のタイトワンピースを着て。
「えっと……ご、合コンに行ってきたので……」
またある時は可愛い白のTシャツに赤色のホットパンツで。
「さ、さっきスポーツジムに行ってきたので……」
またまたある時は真ん中に大きな猫の絵が描いてあるショッキングピンクのダボダボパーカーに黄色のスキニーパンツで。
「原宿に行ってきたので……」
そして今夜。私はお煮しめを入れたタッパーを持って、真っ赤になりながらチャイムを押した。このまま不在でありますようにと祈るような気持ちで待っていたが、残念なことに「はい」と応答の声があってドアがガチャリと開いた。
「こんばんは、いつもすみま……」
いつも通りにこやかに扉を開けた一ノ瀬さんが、私の姿を見て絶句する。想定内の反応に、私は彼の顔を見られなくてうつむいてしまった。
今着ている……いや、着させられているのはフリフリのメイド服だった。と言っても、クラシカルなメイド服ではなく、いわゆるコスプレというタイプのふわっと広がるミニスカートのやつだ。おまけに胸元もちょっと開いた作りになっていて、谷間がくっきり見えている。なぜ真木先生がこんな服を持っているのかは絶対に聞かないでおこう。
毎回困惑の表情を浮かべながらもにこやかにタッパーを受け取ってくれていた一ノ瀬さんが、ぽかんと口を開けて固まっている。
「えっと……その、ば、罰ゲームで……」
「あ、そ、そうですよね。すみません、いえ、こういう時になんと答えれば良いのかわからなくて。失礼。えー……浅雛さんは、その、色々な服をお持ちなんですね」
「いえ、これは……友達に借りたものなんです。最近の服は、ほとんど全部借り物ですね」
「な、なるほど。しかしその服を着て外に出るのは……その、防犯上少し危ないような気がするのですが」
「ですよね。私もそう思います……」
ほぼ涙目になりながら絞り出すように答える。ああもう早く帰りたい。
一ノ瀬さんは私から礼儀正しく目をそらしつつも、口元に手をあてて何かを考えている様子だった。おそらくこれは「なぜコスプレをしたまま自分の部屋に来たのか」と考えているのだろう。私にはわかる。だって自分も同じことをされたら全く同じことを思うだろうから。
ここは多分下手に取り繕うより本当のことを言った方が良いだろうと思った私は、そっと上目遣いで一ノ瀬さんを見上げた。
「すみません、実はあなたの反応を見る為でした……」
「自分のですか? それはまたどうして……」
「えっと……その、隣に素敵な人が引っ越してきたと友達に言ったら、相手の好みを探ろうってふざけ半分でこういうことになりまして……」
しどろもどろになりながら、メイド服のフリルをぎゅっと掴む。気分は処刑宣告前の囚人の気持ちだ。もうどうにでもなれ!
だが、ふと返事が返ってこないことに気付いて私は顔をあげる。目の前の一ノ瀬さんは、少しだけ顔を赤くしながら呆然とこちらを見ていた。その照れたような恥ずかしがっているような複雑な表情を見た瞬間、私は自分が今言ったことを思い出した。
(え? あれ? これって今私が告白したみたいになったの!? えええええどうしよう! いやでも彼女になる作戦だから良いんだっけ!? あれ、よくわからなくなってきた……)
混乱した拍子にとんでもないことを口走っていたようだ。誤解を解こうと「ち、違うんです! えーとこれは友達が」などと言いながら両手を振るが、正直誤解を解けば良いのか誤解させたままの方が良いのかよくわからなくなっていた。だってしょうがないもん、恋愛なんて随分と縁が無かったんだし。
半分涙目になりながら私はしょんぼりとうつむいた。とてもじゃないが、恥ずかしすぎてもう一ノ瀬さんの顔を見ることができない。
だが、いたたまれない空気を破ったのは、「……ふっ」という彼の笑い声だった。見ると、彼が口元に手をあてて肩を震わせている。
「い、一ノ瀬さん?」
「くっ……す、すみません、笑ってはいけないんでしょうけど……あ、あまりにも浅雛さんが必死すぎて……くくっ」
「そっそんな……こちらこそとんだお目汚しを……」
「いえ、大変失礼しました。えーと、自分の好みを言えば良いんですよね? そうですね、全部似合っていましたが、初日の可愛らしい格好が浅雛さんらしくて良いと思いますよ。そう、お友達にもお伝え下さい」
「え? あ、ありがとうございます……!」
カーっと頬が熱いのは照れなのか羞恥なのか。だが、一応当初の目的は果たせたのだろう。一ノ瀬さんは可愛い系が好み、と脳内に記録した私は、お煮しめの入ったタッパーをズイと差し出した。
「お騒がせしてすみませんでした。これ、よかったら食べてください」
「ああ、いつもすみません。ありがとうございます」
「いえ、私が勝手にやっていることなので。じゃあ、失礼します!」
「あ、ちょっとまってください。お渡ししたいものがありますので」
一刻も早くこの場を去ろうと踵を返した私を、一ノ瀬さんの声が呼び止める。反射的に振り向いた私に、一ノ瀬さんが手に持った何かを差し出してきた。
見ると、彼の手のひらには小型の機械が置かれていた。キーホルダーくらいの大きさで、真ん中には押しボタンのような物がついている。きょとんとしながらも、私は差し出されたそれを手に取った。
「一ノ瀬さん、これって……」
「それは小型のGPSつきの発信器です。そこのボタンを押せば、GPSで持ち主の居場所がわかる仕組みになっています。あ、ボタンを押さない限りは発信場所はわからないのでご安心くださいね」
「あ、ありがとうございます……でも、どうしてこんなものを」
「いつもおかずをお裾分けして頂いているお礼です。もし何か危険を感じた時は迷わずそれを使ってください。自分が助けに行きますので」
「え、い、良いんですか? ご迷惑じゃないですか?」
「女性の一人暮らしは危ないですから。まぁ使わないに越したことはないですけどね。お守り代わりに持っていてください」
そう言って一ノ瀬さんが微笑む。いつでもどこでも警察官に居場所を知らせるGPSだなんてありがたすぎるお礼だ。怪盗業をしている際にうっかり押さない様に気をつけないとと思いながら私はペコリと頭を下げる。
「私が勝手にしたことなのにわざわざすみません。大事に使います。ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそいつも助かっていますよ。浅雛さんのご飯はとても美味しいですしね」
「いえそんな……ただの残り物ですけども」
言いながら貰ったGPSを両手でぎゅっと掴む。恋愛関係にはまだほど遠いけど、少しだけ素の一ノ瀬さんを見られたのは大きな収穫だ。私はもう一度きちんとお礼を言ってその場を後にした。
貰ったGPSが、私のお給料を半分つぎ込んでも買えないくらい高価なものであると知って私が悲鳴をあげたのはその数分後のことだった。
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