第4話 胃袋鷲掴み大作戦(2022/7/28改稿)

 次の日、私はスーパーでしこたま食材を買って帰路についた。残念ながら今日はぴよぴよ仮面のお仕事はお休み。いや、これだって今後の活動を考えると重要なミッションだ。家について鞄をおろすなり、私はウキウキしながらエプロンをしめた。

 キッチンに立って、玉ねぎと人参、じゃがいもをくし切りにする。ちょっと高かったけど、牛肉の切り落としをサッと炒めて野菜もフライパンにイン。炒めた野菜とお肉を鍋に移し替え、水と調味料を入れてコトコトと煮る。暫く経つと、煮汁の香ばしい匂いが部屋全体に広がった。

 

 ――必殺、男の胃袋を掴め大作戦!


 煮汁が染みて良い色合いになったじゃがいもを見ながらフフフと不敵に笑う。いつも子供達の家でご飯を作っているのもあって、料理は結構得意だ。手料理に餓えている男に、こういう家庭料理が効かないはずがない。白滝も投入し、少し冷まして味をしっかり具材に染み込ませた所で、私はそれをタッパーに詰めた。

 まだ熱々のうちに外に出て、隣の部屋のチャイムを押す。昨日が非番だから、今日彼が公休だということは昨夜の会話で確認済みだ。案の定、「ハイ」と返答する声があり、ガチャリとドアが開けられた。黒いシャツを着た一ノ瀬さんが驚いた顔でこちらを見る。

 

「あ、浅雛さん……?」

「急に訪ねてしまってすみません、ちょっとおかずを作りすぎてしまって。あの、良かったら食べてもらえませんか?」


 タッパーを差し出しながら白々しく頬を赤らめる。一ノ瀬さんは困惑した表情をしながらも、タッパーを片手で受け取った。


「あ、ありがとうございます。……でも、本当に自分が頂いても宜しいんでしょうか」

「ええ、一人じゃ食べ切れない量なので。食べてくれると嬉しいです。良かったら今度味の感想も聞かせてくださいね」

「勿論ですよ。では、ありがたく頂きます」


 そう言って一ノ瀬さんが礼儀正しく頭を下げる。よし、今がチャンスだ。私は心の中でニヤリと笑うと、もじもじと片手を頬に添えた。


「あの、もし良かったら一緒に食べませんか? 私、一人暮らしで寂しいんです。誰かと一緒にご飯を食べられたら嬉しいなって」


 言いながらちらりと上目遣いで一ノ瀬さんの顔を見る。ふふん、これぞ必殺、「一ノ瀬さんの家に堂々と上がり込んでその隙に手帳を盗み見てしまえ作戦」だ! さすがに一ノ瀬さんの家に忍び込むのは無理だけど、正式に中に入らせてもらえばこちらのもんだ。トイレにでも行った隙に、パパっと見てしまおう。

 だけど、一ノ瀬さんの反応は意外なものだった。


「とても嬉しいお言葉ですが、一緒に食べるのはちょっと……」

「えっ、す、すみません。ご迷惑でしたか?」

「いや、自分もそうしたいのは山々ですよ。とても魅力的なお話です。ですが、自分もこういう仕事をしていますので、知り合ったばかりの女性を家にあげるのは少し抵抗がありますね」


 そう言いながら一ノ瀬さんが困ったように頬をかく。


「浅雛さんは女性ですから、知り合って間もない男の家に上がるのは危ないですよ。自分が言うのもなんですが、優しい顔をした悪い男は世の中に沢山いますから」

「そ、そうですよね……すみません」


 正論で返されて私はぐうの音も出なかった。確かにどう考えても彼の言うことが正しい。一ノ瀬さんはきっとそんなことをしないけれど、こうやって無用心に男の家に上がり込んで大変な目に遭っても、文句は言えないのだから。

 作戦がうまくいかずに肩を落としている私を見て、落ち込んだと思ったのだろう。一ノ瀬さんが「あ」と声をあげて靴箱の上に置いてある筆記用具を手に取る。そのままメモ用紙にサラサラと文字を書くと、ビッと破いた。


「今はまだ難しいかもしれませんが、まずはお友達から始めませんか? これ、連絡先です」

「え……良いんですか?」

「一人暮らしで寂しい気持ちは自分もわかりますよ。だから、まずは親しくなることから始めましょう」

「わっ! あ、ありがとうございます」

 

 パッと顔を輝かせてお礼を言うと、一ノ瀬さんが優しく微笑む。家にあがりこむ作戦は失敗したけど、これは大きな収穫だ。

 お互いにお礼と挨拶を交わして部屋に戻る。私は彼のアドレスが書かれたメモを見ながらポフンとベッドに横になった。


(今はまだ難しいってことは、仲良くなればお家に行ってもいいってことだよね。多分、一ノ瀬さんの性格的に、彼女にならないと家に上がらせてくれないだろうなぁ……)


 知り合って間もない女性の外聞や貞操を心配してくれる人だ。付き合ってもない男の家にしょっちゅう上がり込んでると私が後ろ指を刺されないようにしてくれているのだろう。それに、私だって一ノ瀬さんに迷惑をかけたくないし。

 となると、彼の家に上がり込むためには彼女になるしかない。男女のあれそれに関しては、正直手くらいしか繋いだことがないのだけれど、どうせお互いに忙しくて会える時間も少ないのだし、嫁入り前の外泊はダメだと言ったら優しい彼は無理強いしてこないだろう。

 勝利を確信し、私はグッと拳を握る。


 ――よーし! こうなったら、一ノ瀬さんに惚れさせて、絶対にスケジュールをゲットしてやるぞ! そして堂々と怪盗業続行だ!


 心の中で自分を鼓舞しながらメモ用紙をクシャリと鷲掴みにする。

 そして私は今後のアレコレを考える為に、思考の海に沈み始めた。



※※※


 その日から、私は一ノ瀬さんとSNSで頻繁にやり取りをするようになった。寂しいから、という理由で部屋に上がり込もうとしたわけなのだから、こちらから連絡をしないのもおかしい。何より会話の流れで彼の生活を垣間見ることができるのも良かった。


 ――昨日は遅くまでプリントを作っていたので、ちょっぴり寝不足気味で辛いです。でも、子供達が走り回っている姿を見ると元気をもらえますね。


 ――浅雛さんは本当に子供達がお好きなんですね。きっと良い先生なのでしょう。自分も今日は日勤なので明日の朝までは署の方におります。お互いに頑張りましょう。


 ――はい! そうしたら明日は非番ですか? またおかず作って持っていきますね。明日はカレーにする予定です!


 ――そうですね、明日は非番で家におります。いつもお気遣い頂いて恐縮ですが、ご無理はされないでくださいね。ですがカレーと聞いて少し楽しみにしてしまっている自分もおります。図々しいですね。


 一ノ瀬さんの返信を見て私はフフッと笑う。警察官ってもっと怖いイメージがあったけど、一ノ瀬さんはとても爽やかで優しい人だ。やっぱり真面目に真木先生に紹介してみようかな……。 

 そんなことを思いながらスマホを鞄にしまい、机の上を整える。そろそろ教室に行く時間だ。私も日中は教師として頑張らないと! と気合いを入れながら立ち上がった瞬間、後ろからドンと誰かにぶつかられた。弾みで手に持っていたプリントがこぼれ落ちて、バサバサと職員室の床に散らばる。


「あ、すみません」


 反射で謝ると、ひょろっと痩せた眼鏡の男がふり向いた。同僚の薄井先生だ。 前髪がユーレイの様に長くて、眼鏡の奥から見える細い目が私を鋭く睨みつけている。その視線になんとなく不穏なもの感じて、私は慌てて床に散らばるプリントに手を伸ばした。

 頭上から降ってくる視線が痛い。

 薄井先生は暫くじっと無表情で私を見ていたが、そのままくるりと背を向けて職員室から出ていってしまった。


(なんだったんだろう、私薄井先生に何かしたかな)


 彼の態度に違和感を覚えつつも、急いで職員室の床に散らばるプリントを手でかき集める。もうすぐ始業の時間だから早く教室へ行かないとと焦っていると、横から太い腕がヌッと現れた。


「手伝いましょうか?」

「あ、酒井先生、ありがとうございます」


 そこにいたのは酒井先生だった。少し長めの黒髪と浅黒い肌。筋トレが趣味らしく、両袖から見える腕は血管が浮いてムキムキしている。酒井先生はスッキリした一重の目でこちらを見ながらキラリと白い歯を輝かせた。


「いえいえ、お気になさらず。むしろ美人の浅雛先生と喋る口実になるのでありがたいくらいですね。ハッハッハ」

「も、もう、酒井先生ってば」

「はい、これで全部ですね。今日も頑張りましょう」


 言いながらササッとプリントを拾い集めて私に渡してくれる。最後に脇に抱えていた出席簿で私の頭をぽふんと叩くと、片手をあげて職員室を出ていってしまった。


「ちょっと〜。酒井先生と何喋ってたの! 抜け駆けは許さないわよぉ」


 後ろから声がして振り向くと、真木先生がソワソワした様子でこちらにすり寄ってきた。真木先生が酒井先生に好意を持っているのはどうやら本当らしい。まぁ、ちょっと暑苦しいけど良い先生だもんな……。


「別に抜け駆けしようなんて思っていませんよ。私、酒井先生のことは別に何とも思っていないし」

「酒井先生は、てことは、他に気になる人が別にいるってことね」


 クルクルの茶髪を手で払いのける真木先生の目がキラリと光る。あ、まずい。これは墓穴掘っちゃったかも。


「いや、別に気になるってほどの話ではないんですけど、ただちょっと仲良くなりたいなぁって思ってる人がいて」

「えーー! 何それ。コラ、なんでそんな面白そうなこと黙ってたのよ」


 うーん、仲良くなりたい理由が恋愛感情じゃないからかなー。とは言えず、私はヘラっと笑ってお茶を濁す。しかし真木先生がこの返事で許してくれるわけがない。隣に住んでいる彼が警察官だとか詳しいことは伏せた状態で、私はポツポツと語り始めた。真木先生はわざとらしく両腕を組んでうんうんと頷いている。


「真木先生は彼氏が途切れないって話ですけど、男の人に好きになってもらう方法ってあるんですか? 男を落とすテクニックみたいなのがあるなら教えてほしいです」

「きゃあ! なになに、めちゃくちゃ本気じゃないの! そりゃあもう、女の武器を使うしかないわね」

「女の武器?」

「ここに決まってんでしょ」


 キョトンとする私に、真木先生が私の胸元を指差す。一拍おいてその意味を理解した私の顔がみるみるうちに赤くなった。


「え、え〜〜〜! 色仕掛するってことですか!? まだ知り合ったばかりですよ!」

「乳の魅力に期間は関係ないでしょ。折角良いもん持ってんだから使いなさい。ほら、こうやってよろけるフリしてグイグイ押し付けるの」

「そ、そんなふしだらなことできないです!」


 自分は知り合って間もない男の家に上がり込もうとしたことは棚に置いてブンブンと全力で頭を横に振る。あんな真面目そうな人に、おっぱ……攻撃なんて考えただけでも恥ずかしくて顔から火が出そうだ。


「大体、セクシー系が好みとは限らないじゃないですか。もうちょっと真面目に教えて下さい!」

「何言ってるの。私は大真面目よ。おっぱい攻撃は冗談にしても、相手の女性の好みを知るのは大事だと思わない?」

「まぁ、そうですよね……でも、どうやって相手の好みを知るんですか?」

「ふふふ、それについては私にいい考えがあるわ。まぁ見てなさい、放課後に教えてあげるから」


 そう言って怪しげに目を光らせる真木先生を前に、私は何も言えなくなってしまった。

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