第3話 一ノ瀬さん

「あーーもう、どうしようーー!」


 部屋に戻った私は布団にもぐりこんで両足をバタバタさせる。これからも怪盗業を続けていきたいのに、隣人が警察官だなんてあんまりな偶然だ。私は枕を両手で抱きながら、ゴロンとひっくり返って無機質な天井を仰いだ。

 白い天井に映るように、先程の警察官――確か一ノ瀬さんという名前だった――の顔をぼんやりと思い出す。

 警帽をかぶる為だろうか。黒い髪を短めに切っており、典型的な体育会系の男の人、という感じだ。身長はかなり高く、180センチは余裕で超えていそう。体つきもガッチリしていて、黒い半袖シャツから見える腕は太くて逞しかった。彼からしてみれば、160センチしかない私なんてクマとウサギみたいなものだろう。もし捕まったら、例え片腕一本で抑えられても逃げるのは不可能だろうな、と勝手に想像して震え上がる。私が普通の女の子であればとても頼もしい隣人だっただろう。だが、怪盗として考えるならばこの上なく不利な相手だった。

 不安な気持ちを吐き出すかのように、はぁとため息をつく。だが、同時に先日相手をした舞ちゃんの笑顔が脳裏に浮かんだ。

 そうだ。怪盗業を始める時、生半可な覚悟でやらないと決めたはずだ。子供達の寂しい時間を盗む。その為に私は怪盗になったのだから。


(ううん、怖気づいちゃだめ。単に外で会わなければいい話だもの)


 真っ白な天井を眺めながら、自分を守るかのように枕をぎゅっと抱きしめる。とりあえずあの青い制服を見たら絶対に避けようと私は固く心に誓った。



 その日以降、私はかなり慎重に怪盗業をこなすようになった。家を出る前は必ず壁に耳をあてて物音をチェック。変装をした状態で玄関口でばったり、なんてことになったら最悪なので、怪盗業をする時は隣の様子を窺いつつベランダから外出するようになった。自室は低層マンションの二階だから怪我のリスクは低いし、何よりちょっと怪盗っぽくて気分が上がる。そんなこんなで、私は一ノ瀬さんの目を掻い潜りながらなんとか怪盗業をこなしていた。


(疲れた……お腹すいたよぉ……)


 その日も、私はぴよぴよ仮面として雑事を終え、帰り道をよろよろと歩いていた。今日は双子がいる家だったので、いつもよりちょっぴりハードだった。作るご飯の量も二倍だし、宿題を見るのも二倍。しかも途中で兄弟喧嘩を始めたので仲裁に時間がかかってしまった。世の中のお母さん方、いつもお疲れ様です。

 時刻は午後十時。早く家に帰って布団に入りたかったが、私の空腹アラートがそれを許してくれなかった。とりあえず何か食べたい、と思ってフラフラとコンビニに入る。売れ残りの弁当を一つ手に取り、レジを済ませて店を出た時だった。


「浅雛さん…?」


 後ろから呼びかけられる声にハッとして振り向く。そこにいたのは先日から(別の意味で)ガンガンに意識しまくっていた彼の姿があった。


「い、一ノ瀬さん!」

「やっぱりそうでしたか。すみません、先日と少し雰囲気が違いましたので」


 そう言って一ノ瀬さんが爽やかに笑う。しまった、あまりにも疲れすぎていて、化粧をいつものナチュラルメイクに戻すことをスッカリ忘れていた。学校の生徒にバレないように、ぴよぴよ仮面の時は化粧の仕方をガッツリ変えている。


「あ、えーとその、友達に紹介されて、一勝負してきたので……」


 もじもじ言いながら、濃いメイクを見られたくなくてそっと俯く。どうか恥じらいのある乙女にでも見えていますように。だが、一ノ瀬さんは何かを察したかのように頷き、その後このことについての追求はされなかった。多分合コンか何かにでも行ってきたのだと勘違いしてくれたのだろう。こういう所はちょっと好感度が高い。


「一ノ瀬さんは仕事帰りですか?」

「いや、今日は非番なんですよ。ああ、言っていませんでしたね、実は自分、警察署勤務の者でして」

「ああそれは知って……じゃない。わぁ! 警察の方だったんですね!」


 それは知ってますよと流しかけ、慌てて大げさに驚いたふりをする。いけないいけない。彼の職業を私は知らないはずなんだから。

 ヘラヘラと笑って誤魔化している私を見て、一ノ瀬さんは特に訝しむ様子もなく微笑んだ。


「夜道は危ないですから、一緒に帰りますか?」

「ええっそんな、大丈夫ですよ」

「自分も帰り道がこちらなので。家、隣ですしね」


 そう言って一ノ瀬さんが笑う。屈託のないその爽やかな笑顔につられて私もニヘラと笑顔を作った。いけない、こちらには後ろめたさがあるせいか上手く会話ができない。彼に対しては好感度しかないが、これ以上ボロを出さない為にも一緒に帰るのは断ろうとした所で、私ははたと思い直した。


(待って、これってもしかして相手のことを知るチャンスかも?)

 

 警察官は基本的に不定期勤務だ。彼の目をくぐって怪盗業を続ける為には、一ノ瀬さんの勤務形態を把握する必要がある。自分が主導権を握っておく為にも彼のパーソナルデータを知っておきたいと思った私は、「ありがとうございます」と頷いて彼の横に並んだ。



 真っ暗な中にポツポツと街灯の光が等間隔で灯る中を並んで歩いていく。近くで見ると一ノ瀬さんは思っていたよりも大きくて、優しくて、そして礼儀正しかった。


「この辺りの警察署っていうと、どの辺ですか?」

「向町の署です。郵便局の前……でわかりますか?」

「あ、はい! そこ、私が勤めている小学校に近いですね」

「浅雛さんは学校の先生でしたか。子供達の相手はなかなか大変でしょう」

「はい、でも可愛い生徒達なので」


 笑顔で返すと、一ノ瀬さんが微かに目を細めた。勤務中は凛々しい顔つきをしていたが、プライベートで見る彼は優しいお兄さんという感じだ。涼し気な目元と精悍な顔立ちを見るに、結構モテるんじゃないかなぁとぼんやり思う。

 

「失礼ですが、一ノ瀬さんって、その……彼女はいるんですか?」

「いえ、今はおりません。不定期な勤務形態なもので、付き合ってもすぐに終わってしまうことが多いですね。この辺りは犯罪の発生頻度が高いので非番の日に駆り出されることも少なくないですし」


 思わず聞いてしまった問に、一ノ瀬さんがハハ、と笑いながら頬をかく。良かった、てことは一ノ瀬さん一人を警戒していれば良いわけだ。偶然彼女がやってきて不在の間に滞在するということも無さそう。だが、やはり不定期な勤務形態という言葉が引っかかった。

 一ノ瀬さんにバレないように怪盗業を続ける為には、やはり彼の動きを把握しておかなければならない。急な出勤などで多少のズレはあっても、大体の勤務日くらいは知っておくべきだ。だが、ここで根掘り葉掘り毎月のスケジュールを確認するのはどう考えても不自然だった。ということは、彼の手帳なりカレンダーをコッソリ確認するしかない。


(うーん……手帳……カレンダー……まさか手帳を見せてくださいなんて言えないし……)


 当たり障りのない会話を続けながらも、頭の中ではどうやって彼の手帳を盗み見れば良いのかということばかりが渦巻いていた。あまりにも真剣に考えすぎていた為か、うつむいた拍子にお腹がきゅうと小さな音を立てる。


「あ……やだ、恥ずかしい。すみません」


 コンビニの袋を片腕にかけながら慌てて両手でお腹を抑えると、一ノ瀬さんがにこやかに首を振る。


「いえ、お腹が空くくらい頑張ったという証拠でしょう。恥ずかしいことではありませんよ」

「あ、ありがとうございます……料理するのは嫌いではないんですけど、ついコンビニのご飯が多くなってしまいますね」

「ハハ、自分もいつも店屋物ばかりですよ。手料理が恋しいですね」


 そう言って一ノ瀬さんが笑う。うーん、イケメンに加えて気遣いもできるとはなかなか高得点な男だ。今度真木先生に紹介してあげようかな。

 だが、同時にその言葉を聞いて私はハッとした。

 

(そっか……手料理!)


 手料理に飢えている一人暮らしの男。これを利用しない手はない。私は今思いついたことを元に、頭の中で高速計算をして作戦を組み立てた。うん、もしかしてこれなら一ノ瀬さんの手帳を見ることができるかも。 

 そうこうしているうちに、目の前に私達が住んでいるマンションが見えてきた。


「じゃあここで……。送ってくれてありがとうございました」

「隣ですのでお気になさらず。浅雛さんもしっかりお休みください」


 お互いに頭を下げながらお休みの挨拶を交わす。彼の後ろ姿が扉の向こうに消えていくのを見ながら、私は心の中でニヤリと笑った。

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