第2話 最悪な邂逅
私の本職は小学校の先生だ。浅雛あかり、それが私の本名。まだまだ新米の先生だけど、子供達に囲まれて過ごす毎日はとても楽しい。手のかかる子もいるけれど、それすらも可愛く思えてしまうくらいには皆私の宝物だ。生徒の指導は気合いと愛をこめてやっているつもり。
それでも、やはり先生を続けていくにつれて気になったのは、子ども達の家庭環境だった。
この一帯は共働き世帯が多く、子供に手をかけられない親がたくさんいる。親が夜遅くまで仕事をしていることにより、子供達だけでお留守番をしている家庭が多いのだ。それに加えてあまり治安が良くない地域とも言われており、教師としては子供だけで留守番をさせるのは不安が残る。
そうでなくてもまだまだ親が恋しい年齢。中には夜の仕事をしている親もいるらしく、夜も一人で寝ているという話を聞いて私はいても立ってもいられなくなってしまったのだ。
悩みに悩んで思いついたのが、女怪盗になって子供達の時間を盗みに行くことだった。はじめは正式に教師として家庭訪問をする方法を考えたのだが、以前別の先生が一人の生徒に構いすぎて「それは贔屓ではないのか」とクレームになった為に、特定の生徒に特別の対応をすることがないようにと校長からきつく言われている。残念なことに、ここの校長も保身を優先するタイプだったらしく、その先生が庇われることはなかった。
だから私は、子供達の寂しさを盗む怪盗になろうと決めたのだ。幸い、私には元体操の選手だった父親譲りの身体能力と、劇場の女優だった母親譲りの化粧スキルがある。二人共あんまり売れなかったらしいけど。
その二つのスキルを活かして、私は今日も放課後限定の女怪盗になるのだ――。
生徒を下校させ、授業の準備やプリント作りを終えて私は午後五時に学校を出る。本当のことを言うとやることはたくさん残っているんだけれど、それは帰ってから深夜にかけてまとめて家でこなしていた。まだまだうら若き乙女の二十四歳。ちょっぴり肌の健康が危ぶまれるけれど、子供達の笑顔には代えられない。
今日も私は帰宅途中で牛丼をかきこむと、家で念入りに支度をする。
耳下で切りそろえられた茶色い髪を束ねてピンで止め、上から金髪のカツラをかぶる。敢えて髪を短くしているのは、かつらをつける為。普段はナチュラルメイクを心がけている顔の上につけまつげをつけて目の下には泣きぼくろをペタリ。役柄によってメイクを自由自在に変えていた母直伝の技だ。別の家に行く度に少しずつメイクを変えて、子供達の噂話にもわざと差異が出るようにしているのだ。うちに来たのは目の下にホクロがある人だとか、金髪碧眼だったとか、それぞれ別のことを言われれば特定されるのはうんと難しくなるだろう。
支度を終えた私は、黒いタートルネックのシャツを着て短めのスカートとタイツを履いた。最後に指紋を残さない為の黒手袋をつければ女怪盗の完成だ。
スケジュール帳をパラパラとめくって今日訪問をしに行く家庭環境を確認すると、私はパチンと部屋の明かりを消して静かに家を出ていった。
※※※
「うえーーーーん! ぴよぴよ仮面行っちゃやだーーー!!」
「ごめんね葵ちゃん、また来るからね」
今日行った葵ちゃんの家では帰る時に大泣きされてしまった。葵ちゃんには小学五年生のお姉さんがいる。高学年の子がいるからとお母さんはかなり遅くまで働いているらしく、午後八時を過ぎても帰ってこなかった。
行かないで行かないでと言われると、私も心が痛む。子供だって親だって誰も悪くないはずなのに、なんでこんなに子供ばっかり寂しい気持ちにならないといけないんだろう。
「ごめんね葵ちゃん、ほら、お母さんがもうすぐ帰ってくるから。また近いうちに来るね」
「ほんと? いつ来る?」
「約束はできないけど、できる限り早めに来るよ」
「うん……わかった」
最終的には納得してくれた葵ちゃんがコクリと頷く。葵ちゃんの頭を撫でながら時計をチラリと見ると、もう九時近くになっていた。
(さすがにそろそろ帰らないとまずいかも……)
親と鉢合わせでもすれば怪盗業は一貫の終わりだ。だから私は挨拶もそこそこに最後の決め台詞を言い、三階のベランダに出て踊り場へ飛び移った。
だけど、いつもより帰るのが遅れてしまったことで焦りが出てしまったのだろう。エイヤッと飛び移った瞬間に、室外機の上に置いてあった掃除道具一式を思い切り倒してしまった。
「誰だ!」
掃除用具が固いコンクリートの床に打ち付けられる大きな音と共に薄暗い闇夜に鋭い声が響いた。同時に懐中電灯の光が私を捉える。ハッとして振り向くと、遠くから黒い人影がこちらに走ってくるのが見えた。お巡りさんだ。しまった、この近くにお巡りさんがいたなんてついてない。こちらに向かって走ってくる黒いシルエットを捉えた瞬間、私の心臓が急に早鐘のように鳴り始めた。
子供は喜んでくれているとは言え、この行為が犯罪であることは十分承知している。捕まって取り調べを受けたら、間違いなく大変なことになるだろう。私は慌てて階段を降りて、建物から飛び出した。
だが、このまま逃げては間違いなく捕まってしまうだろう。身体能力に自信があるとはいえ相手は警察官。私は咄嗟に隣接する別の建物へ飛び込んだ。無論、古い市営住宅ゆえエレベーターなどない。タンタンと全速力で階段を登ると私は屋上へ出てそっと下を見た。
現場に駆けつけたお巡りさんは、懐中電灯で私がいた辺りの壁やベランダを注意深く照らして見ていた。建物の下も念入りに調べ、何か痕跡がないか探しているらしい。私は見つからないように顔だけを出した状態で眼下の彼をじっと見つめた。
薄暗いのでハッキリとはわからないが、まだ若い男性のようだった。警帽から見える髪は短く、目つきはやや鋭い。身長は高く、スポーツでもやっていたのか体も大きかった。うわーあんな人に追いかけられたら絶対に逃げられないや。内心で冷や汗をかきながら、私は彼がその場を去っていくまで屋上からずっと眺めていた。
※※※
「うう、今日も疲れた……」
あれから数日後。
いつも通り怪盗の仕事を終えた私は、帰宅するなり被っているかつらを脱ぎ捨てた。煩わしいつけまつげもピリピリと取ってゴミ箱へ捨てる。ふぅ、だいぶ目元が軽くなった。
一人がけのソファに体を投げ出すように座り、ふと視線を机にやると、こんもりと積み上がった書類の束が目に入った。放課後はぴよぴよ仮面として活動している為、やりきれていない本業の仕事がたんまりと残っている。そういえばこれ、明日までにやるはずだったよな……。
頭の中で業務量を整理し、今夜は徹夜でやらなきゃいけないことを覚悟する。そう思った途端目眩がして、私はフラフラとキッチンへ行き、冷蔵庫の扉を開けた。
(とりあえずビール飲んでから考えよう……)
プシッと音を立ててビールを開ける。なんとなく視界に仕事を入れたくなくて、私はビールを煽りながらガラガラとベランダの扉を開けた。
扉を開けた瞬間に、フワッと春の夜風が頬を撫でた。もう夜も大分暖かくなってくる頃合いだ。あー焼き鳥買ってくれば良かったな、なんて思いながらビールを片手にベランダにもたれかかる。
ビールを飲みながらぼんやりと思い浮かべるのは、舞ちゃんの泣き顔だった。
精一杯やっているつもりだが、ぴよぴよ仮面が子供達にできることは案外少ない。むしろ、自分が中途半端に構ってやることで寂しさを増長させてしまっている所もあるかもしれなかった。
同時に、先日見た警察官の顔が重なった。熱心に建物の周りを確認していた彼を思い出してふうと息を吐く。
(あの人、真面目な性格なんだな……)
ビールを飲みながらぼんやりと記憶を呼び起こす。見られてしまったのは失敗だったけど、うまく逃げ切れたのだから今後は一生会わなければ良いだけだ。顔はバッチリ覚えたから、今度からあの人を見つけたらさりげなく避けるなどして十分に警戒をしていれば問題ない。
なんてことに頭を費やしていた私は、いつの間にか隣に人がいることに全く気がつかなかった。
「こんばんは」
「あ、こんばんは」
声をかけられ、反射的にこちらも挨拶を交わす。声のする方に視線を向けた瞬間、私は目を丸くした。
(ってえええーーー!? この前の警察官!!)
隣の部屋のベランダに体を預けながらこちらを見ていたのは、数日前に出会った警察官だった。制服を脱いでシャツ一枚のラフな格好をしているけど、見間違えるわけがない。だってついさっきまでこの顔を思い出していたんだから。
バカみたいに口を開けて固まっている私を見ながら、お兄さんは礼儀正しく頭を下げた。
「先日ここに越してきた一ノ瀬です。すみません、ご挨拶が遅れてしまいましたね」
「あ、どうも……浅雛です」
以前まで隣は空き家だったはずなんだけどと思い、いや、先日引越し業者が来ていたような気がするなと記憶を修正する。そう言えばご丁寧にも引っ越し挨拶のお菓子がドアノブにかかっていたが、こちらもお礼を言うのをすっかり忘れていたなと思い出して私もペコリと頭を下げた。
「えーと、先日はお菓子をありがとうございました……すみません、こちらもお礼を言うのが遅くなってしまって」
「いや、こちらこそ対面でのご挨拶ができなくて申し訳ありませんでした。何回か訪問したのですがご不在だったようなので。遅くまでお仕事されているようですね」
「え、ええ、まぁ……」
それは多分怪盗業をしていたからですねとは言えず、私は適当に笑ってお茶を濁す。顔でバレないか内心ヒヤヒヤしていたが、一ノ瀬さんは先日見つけた不審者が私だと気付いていないようだった。一刻も早くこの場を去りたい私は、ジリジリ後退りしながら乾いた笑顔を貼り付ける。
「あ、あの、私まだ仕事の続きをしなきゃいけないので……それではえーと、失礼します」
「あ、ああ。こちらこそ引き止めてしまってすみません。これからどうぞ宜しくお願いしますね」
「あ、どうも。じゃない、いえ、こちらこそ……」
無理やり会釈をしながらベランダを開けて部屋に戻る。ふう、なんとかバレないで済んで良かった。
しかし、ホッと安堵のため息をついた一秒後に、私はとんでもないことに気づくのだった。
(あれ? 待って。もしかして私、これからお隣さんの視線を交わしながら怪盗を続けないといけないの――?)
後ろ手に閉めたカーテンに包まりながら、心の中で悲鳴をあげる。手に持っていたビールの空き缶が床に落ちて乾いた音を立てた。
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