第18話

                  27


 すさんだ街の一角で古いホテルが月明かりに照らされている。形だけのエントランスは殺風景であり、客を呼び込む意欲は感じられない。エレベーターは無く、コンクリート製の暗い階段があるだけである。木製の手すりは傷んでいて、所々が壊れていた。上の階の廊下は暗い。その狭い廊下には幾つかのドアが並んでいたが、どれもドアノブが外れていたり、ドア板に亀裂が入っていたりしている。


 安普請のホテルは当然のように客室も狭かった。六畳ほどの広さの部屋の中は安物のベッドが置かれているだけである。ベッドの横には小さなナイトテーブルがあり、その上にシェードの破れをガムテープで塞いだ電気スタンドが載せられていた。窓辺には形ばかりの読書テーブルが置かれ、破れたカーテンの隙間から射し込む月光がその上を照らしている。テーブルの上ではキーボードだけのラップトップ型パソコンが平面ホログラフィーのモニター画面を宙に投影していて、その隣には何本もの接続ケーブルが無造作に放り置かれていた。その横に、薄い弁当箱のような物が二つ並べられている。


 ベッドの上に腰掛けて、派手な柄のシャツを着た短髪の男が左目を赤く光らせている。彼はシャツの胸ポケットに入れた最新の携帯型通信端末「イヴフォン」で、日本の本社にいる先輩記者と通話していた。イヴフォンから発せられた信号が彼の脳内にある通話相手の記憶情報を鮮明な映像にして視覚野に送り、声の抑揚に合わせて動きを与える。


 永山哲也は脳内に再現された先輩記者の像を視覚で捉えながら、話した。


「――と言うのが、事の真相です」


『……』


「もしもし。キャップ、聞いてますか」


 新日ネット新聞社の社会部フロアで永山と通話している長身の中年男の声が返ってきた。


『ああ、聞いてる』


 永山の脳の聴覚野に直接、その先輩記者の声が届く。永山の視界では、破れたカーテンの前に長身の先輩記者が眉間に皺を寄せた顔で立っていた。それはイヴフォンが永山の脳内に作る虚像である。永山哲也はその虚像に向かって頷いてから、言った。


「だから、もう殺されています。残念ですが……。信憑性の判断は、届いた録音データを聞いて、そちらで検討して下さい。僕としては、本当なんだろうと思っていますけど」


『本当だろうな。そんな嘘をつく必要があるとは思えん。それに、おまえも目撃した訳だろ。実際に渡航者たちが消される場面を。遺留品についても処分しているとすれば、証拠も無い。こっちとしては裏取りのしようが無いな』


「そうなんです。僕が目撃した渡航者たちの衣類か何かだけでも持ち帰ることができれば良かったのですが、ゲリラ兵たちのチェックが厳しくて……」


『仕方ないさ。生きて帰ることが最優先だ。それよりおまえ、そんな物騒な物を預かったままこっちに帰ってこれそうなのか。空港で検疫に引っ掛かるんじゃないか』


 永山哲也は田爪健三博士へのインタビューを終え、ジャングルの奥地の地下施設から近隣の町まで戻ってきていた。田爪と別れた後、地下施設を出た彼は、連れてこられた時と同じようにゲリラ兵たちに目隠しをされたままトラックに乗せられ、雑荷のように運ばれた挙句、町の外れで捨てられるように解放された。結局、高価なカメラ類は兵士たちに奪われたままで、返却された僅かな荷物と田爪から預かった物を抱えて、彼は徒歩で町の中心部まで移動しなければならなかった。周囲に注意しながら長い時間をかけて夜道を歩き、ようやく、部屋を借りているホテルに着いた。部屋のドアを開けた時、彼は疲労を忘れ素直に安堵した。そして、日本にある自分の勤務先の先輩記者に急いで連絡を入れた。彼には、乾いた喉を潤している時間も、田爪から聞かされた経緯や目の当たりにした事実を分析している時間も無かった。


 永山哲也は深刻な顔で言った。


「でしょうね。間違いなく技術検疫に引っ掛かります。世界各国が狙う最先端の科学技術の情報と、実際のブツですからね。こっちの政府に没収されるはずです」


 永山の脳内に映る長身の中年男は、上を見ながら指を折った。


『そうなると、空も海も駄目だな。陸路で北米大陸に移動するしかないか……』


 永山哲也は厳しい顔で首を横に振る。


「戦争中ですからね。あまり現実的ではないかもしれません。大陸北岸は陸戦がかなり激しいようですから」


『そっちで知り合った記者仲間の伝で米軍の飛行機か船に乗せてもらうってことはできないのか。この前みたいに』


「この前は南米大陸内の移動でしたから。アメリカ国内や他国の領内に入るとなれば、荷物チェックやら何やら、いろいろと厄介でしょうね。どっちにしても、僕が預かった物についてはバレるはずです」


 永山哲也は窓辺の机の上に視線を向ける。中年男の像が常に視界の中心に浮かんで見えているので、見たい物が見えない。永山哲也は諦めて、視線を戻した。


 間を開けた永山に中年の先輩記者は尋ねた。


『中身だけ抜き出せないか』


 永山哲也は困惑した顔で答える。


「それが、かなり旧式で、僕が持ってきた接続ケーブルとは適合しません。このパソコンと接続できれば、中のデータをパソコンに引き出して、画像データにでも偽装して検疫をスルーするっていう方法もあるんですが……。まあ、この辺りでは必要な機材は手に入りませんね。ニューサンティアゴに戻ればPCショップもありますから、そこで適合する接続ケーブルを探してみます」


『分かった。加工用のアプリは有るんだな』


「ええ。いつも使っているのがあります。それから、さっきも言った、方法。最悪の場合、あれでいくことも視野に入れておいて下さい」


 脳内の先輩記者の像が剣幕を変えた。


『バカヤロウ。そんなモノは選択肢に入れるな。罠に決まっているだろう』


「ですかね……。だけど、言われた場所には行ってみる必要はあります。博士の言っていたことが本当かどうか確かめる必要がありますから」


『近いのか』


「ええ。ここからは少し距離がありますが、行けない距離じゃありません。非戦闘区域内ですから、危険な場所でもないですし、明日、行ってみます」


 長身の中年男の像は顔をしかめた。


『気をつけろよ。監視されているかもしれんぞ』


 永山哲也は1人、部屋の中で苦笑いした。


「お互い様でしょ。まあ、何とかやってみます。ああ、それから僕、インタビューの後半で『ドクターT』のことを言ってしまいました。ついカッとなってしまって。記事にするなら、そこは伏せた方がいいと思います。今は、いろいろと不味いでしょうから」


 記憶イメージの先輩記者は、眉間に皺を寄せたまま頷いた。


『分かってる。それはこっちで考えるよ。津田の悪事を暴くより、タイムマシンの発射を止めることの方が先決だ。それにしても、南米ゲリラの科学武装化と、それに伴う戦争の長期化。こっちが想定していた事態よりも悪いじゃねえか。しかも、いったい何人が犠牲になっているって言うんだ……』


「田爪博士の話が本当なら、彼は既に129人、いや、130人を消しています。ゲリラ兵たちも承知の上だとすると、自分たちではやめないでしょうね。まだ続けますよ」


『――マジか……信じられん……』


 永山の視界に浮かぶ先輩記者の像は、目を丸くして口を開けている。おそらく、実際の彼もそうしているはずだった。


 永山哲也は顔を上げ、少し早い口調で言う。


「とにかく、ICレコーダーに録音したインタビュー記録のデータをそっちに送ります。大至急対処してもらえますか。まだ午後のタイムマシンの発射までには時間が残っていますよね」


 脳内イメージの中年男は再び眉間に皺を寄せる。


『単身機の発射は午後4時だから……くそ、あと3時間と少しか』


 永山哲也はベッドから立ち上がり、その先輩記者の像に言った。


「すぐに送りますから、パソコンの準備をお願いします」


『わかった。その後でいいから、その、田爪から預かったっていうデータ・ドライブとエネルギー・パックとやらの写真も送れ。データ・ドライブに適合するインターフェースを探してみる。それから、そのエネルギー・パックにはあまり近づくな。安全な物かどうかまだ分からんからな』


「分かりました。とにかく夕方の単身機は何としても止めてください。田爪博士がエネルギー・パックを僕に渡して、もう彼の量子銃が使えないとしても、ゲリラ兵たちはそれとは別に量産型の量子銃を持っています。機体から降りてきた渡航者は絶対にゲリラ兵たちに殺されるはずです。口封じのために。これ以上犠牲者を出す訳にはいきません。絶対に止めてください」


『わかった。絶対に何とかする。とにかく、そのインタビューの音声を早く送れ』


「分かりました。じゃあ、また後ほど」


 永山哲也は胸のポケットからイヴフォンを取り出すと、側面の小さなボタンを押した。永山の視界から長身の中年男の記憶画像が消え、ほぼ同時に「通話終了」という文字が一瞬だけ浮かんで消える。永山の左目の赤い光も消えた。


 息を深く吐いた永山哲也は、窓辺のテーブルの前に向かった。


 テーブルの上には、ラップトップ型のパソコンと使えないケーブルの横に、田爪健三から預かった「エネルギー・パック」と「データ・ドライブ」が置かれていた。どちらも黒い金属製の薄い箱で、よく似ていたが、前者には中央にガラス球のような物がはめ込まれていて、後者には表面に大きな傷があった。永山哲也はガラス玉の中から不気味な光を放っている「エネルギー・パック」を手に取り、机の隅にそっと置いた。彼は暫らくガラス球の中で蠢く七色の光を眺めていたが、ハッと我に帰り、急いで椅子を引いて、そこに腰を降ろした。もう一つの黒い箱を横にずらした彼は、ジーンズのポケットから薄い板状のICレコーダーを取り出すと、パソコンの本体であるキーボードを前に引き寄せて、その上のキーを叩いた。キーボード部分しかないパソコンから投影された可接触式の「平面ホログラフィー・モニター」にメール送信用のブラウザが表示される。


 裏面のシールを剥がさないように気を付けながら、ICレコーダーをそのパソコンの側面のスロットに差し込んだ永山哲也は、ブラウザの前に重ねて浮かべられた録音データ整理画面を見ながら、データ送信の作業に取り掛かった。


 月明かりが彼の顔を照らす。


 真剣な顔でホログラフィー画像に触れる永山の左腕では、腕時計の秒針が止まらない「時」を刻んでいた。




                  28


 機械に囲まれた狭い空間で1人掛けのシートに初老の男が窮屈そうに座っていた。男はヘルメットを被り肩幅の広いパープルのスーツを着ている。男の座席の周囲では機械の小さなランプが点滅を繰り返していた。様々な機械音が鳴り響き、それらは次第に大きくなっていく。


 男は額に無数の汗を浮かべ、両肩の前のクッション材が巻かれた棒を強く握っていた。その手は細かく震えている。彼は目を泳がせながら、自分に言い聞かせた。


「大丈夫、大丈夫だ。皆、成功しているんだ。ここの職員も、その証拠があると言っていた。必ず着く。落ち着け。あと五分だ。五分で発射だ。そしたら、1988年に行ける。88年。バブルがはじける前に上手くやれば、俺は勝者だ。全部分かっている。必ず成功する。今よりも50年早く『ビュー・キャッチ』を発売してやるぞ。そうすれば、今の十倍、いや、百倍は金持ちになれるし、ストンスロプ社に特許を侵害されることも……」


 突然、周囲の機械から光が消え、暗くなった。それまで響いていた機械音がゆっくりと小さくなっていく。男はタイムマシンの機内を見回しながら震え声を飛ばした。


「なんだ、どうなっているんだ。こ、故障か。おい、誰か。おい!」


 狼狽する男の横で高い排気音が鳴った。男は驚いて肩を上げる。開いた搭乗口から光が射し込み、続いて白衣姿の男が顔を覗かせた。


「社長、秋永社長。降りてください。タイムマシンの発射は中止です」


「な……なんだと? 中止? どういうことだ、もうすぐ発射だろうが!」


 暗く狭いタイムマシンの機内に響いているのは、男の怒号だけだった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る