第9話
11
青い空には雲ひとつ浮かんでいなかった。しかし、それは幼い頃に見た青よりも薄い。朧朧とした淡青で覆われた視界を、突如、小さく見える一機のヘリコプターが横切った。その自衛隊のヘリコプターは、回転翼で風を切る音とエンジン音を引き連れて、遠くに見える山脈の向こうへと飛んでいった。白い自転車に跨ったまま暫くその方角を眺めていた制服姿の若い巡査は、額の汗を拭い、その手に握っていた制帽を頭の上に載せた。両手でしっかりと制帽の角度を整えた彼は、足をペダルの上に載せ、その自転車を漕ぎ始めた。坂のアスファルトが熱気を揺らしている。巡査は立ち漕ぎして坂を上った。子午線の通過を目指して昇る太陽が彼の背中を強く照らしていた。
坂を上り終えた巡査は、自転車を停めて辺りを見回した。周囲の住宅街には誰も歩いていない。晴天が続いたゴールデン・ウィークの後半初日ということもあり、近くの幹線道路はひどい渋滞であったが、そこから一歩入ったその住宅街は別世界のように静かで閑散としていた。若い巡査は民家の塀に挟まれた狭い道路へとハンドルを切り、定められた巡回路どおりに自転車を漕ぎ進めていく。
彼がゆっくりと自転車を漕いでいると、その先に路上駐車している一台のミニバンが見えた。巡査は自転車を止め、地に右足をついた。手で制帽の角度を整えながら周囲の風景に目を遣ると、やはり住宅街の中は静かだった。前に伸びる道路には他の車は走っておらず、並ぶ民家の植木の枝葉が塀の中から外を覗いているだけだった。ある民家の庭ではTシャツ姿の中年男が脚立に跨り、剪定バサミで庭木の手入れをしていた。男は首に掛けたタオルでしきりに汗を拭きながら、慣れない手付きで迷いながら枝を落としている。その向かいの民家の前に、そのミニバンは停まっていた。巡査が自転車を漕ぎ始めると、その車の運転席と助手席のドアが開き、夫婦らしき男女が降りてきた。続いて後部座席のスライド・ドアが開き、中から小学生くらいの兄弟が飛び降りてきて、横の家の門へと駆けていった。門の所には初老の夫婦が出てきていて、門扉を開けて笑顔で孫たちを中に招き入れた。
巡査がそのミニバンの近くまで来た時、後部座席のスライド・ドアを閉めて、無線式のキーホルダーで車に施錠していた若い父親と目が合った。その男は路上駐車を制服警官に見つかって、ばつの悪そうな顔をしていた。若い巡査は右手を制帽のツバに添えると、笑顔で彼に敬礼して挨拶し、そのまま車の横を通り過ぎた。一礼した男はホッとした顔で巡査を見送った。
巡査はその後も住宅街のパトロールを続けた。彼が家の前の路上を掃いている老女に挨拶して横を通り過ぎた時、急に辺りが暗くなった。重苦しい湿気が周囲を突如として包んだかと思うと、虎が喉を鳴らすような音が上から聞こえた。彼の制帽のツバを小さな何かが一度だけ叩く。巡査が上を向くと、目に一粒の水滴が落ちてきた。彼は自転車を止め、目を拭ってから再度見上げた。どこから沸いたか知れない、どす黒い雨雲が真上に固まっている。自転車のハンドルを握る彼の手の上に一滴が落ちた。続いて、不規則に間隔を空けて無数の雨粒が落下を始めた。巡査が慌ててペダルを踏もうと前を向くと、近くの家のエアコンの室外機が何かで叩かれるような音を鳴らして停止した。彼が反射的にそちらに顔を向けると、今度は後方で同じ音がした。振り返ろうとした巡査の視界の隅で、強い光が一瞬だけ走る。巡査がそちらに顔を向けると、送電線の上を青い小さな稲妻が波打つように走っていて、先の方の電柱の上で他の電線から走ってきた同じ稲妻とぶつかって火花を上げていた。巡査は路上で電線を見上げている老女に、家の中に入るよう指示し、慌てて肩の無線機に手を掛けた。その時、住宅街の奥の家の屋根が向こう側から強い光で一瞬だけ照らされ、続いて大きな爆発音と衝突音が続けざまに鳴り響いた。巡査はその方角を呆然と眺めた。後ろから老女に問い掛けられて我に返った巡査は、自転車のハンドルをしっかりと握ると、サドルから腰を上げた。彼はペダルを踏み込みながら、肩から外した無線機を口元に運び、応答を呼びかけた。その無線機は応答も雑音も返さなかった。無線機が使用できないと判断した巡査は、それを肩に戻し、サドルから腰を浮かせたまま、光と音が発せられた方角へと急いで自転車を走らせた。
まだ午前中であるにもかかわらず、辺りはかなり薄暗くなっていた。突如始まった大雨の中、巡査はずぶ濡れになりながら、懸命に自転車を走らせた。やがて、車一台分の道幅の細い通りから少し広い道路に出た。巡査は肘を張ってブレーキを握り、自転車を急停止させる。水飛沫が立った。濡れた顔を拭いながら右を見ると、民家の塀に挟まれた二車線道路の先に、大きな幹線道路が見えた。左右に行き交うどの車もライトを点けて走っている。巡査は視界の左隅に赤い色を捉えた。視線を向けると、正面の家の低い塀の向こうから赤い傘を差した中年の男が、下着姿の上半身を乗り出して外の様子を覗き見ていた。
巡査はその男が見ていた方角と同じ、左の方向に顔を向けた。
「ああ!」
巡査はその光景に声を上げた。
雨に打たれる路面を真っ直ぐに奥まで伸ばした二車線道路の先の、T字路の突き当たりの所で、積み重なった金属の塊が、あちらこちらから白と黒の細く長い煙を上げていた。
巡査は塀から覗き込んでいた下着姿の男に叫んだ。
「すぐに警察に通報して下さい!」
そして彼は、急いでその方向に自転車を漕いで行った。下着姿の中年男は、制服姿の警官に言われた言葉にキョトンとしていた。
その歪な塊は塔のように立っていた。一番下には平らに潰れたスクラップが敷かれている。横に黒い円形の物が転がっていた。タイヤだった。金属塊の下で潰れている物は自動車だと分かった。巡査は自転車から飛び降り、それをその場に放り捨てて走った。おそらく乗用車だったと思われる潰れた金属の上には、更にもう一台の車だったであろう物が載っている。その残骸は大きい。おそらくトレーラーの牽引用トラックだろうと思われた。運転席の部分は、そのトラックが牽いていたはずのトレーラーのフレームが突き刺さり、激しく破壊されていて、原型を留めていない。その車両は突き当たりの民家の庭に正面を向けていると思われた。トラックに突き刺さっている鋼鉄の太いフレームは、どれも四方八方に反り曲がっていて、その途中でタイヤが空回りしている。その上には、銀色の大きなコンテナが斜めになって圧し掛かっていた。外壁を細かく波打たせて変形させたコンテナは、後ろの扉部分だったあたりを四列させ、天に向けて広げている。それはまるで、これから花弁を広げようと膨らんだ百合の蕾のようだった。
巡査は制帽を外して濡れた髪をかき上げると、顔を手で拭ってから制帽を被り直し、一度深く息を吐いた。そして、降りしきる雨の中、急いでトラックの運転席らしき位置の方へと回った。
トラックの下の乗用車は、その上のトラックとトレーラー、コンテナの重みで完全に押し潰されていた。隙間の至る所から地表の黒いアスファルトの上に、濃い赤色の粘液を幾筋も垂らしている。その下に溜まった黒に近い赤色の液体は路面の雨水と混じって薄まり、朱色になって四方に滲み広がった。
巡査が下の方を観察すると、歪な金属の重なりの隙間から人間の腕が一本だけ出ていて、指先を下に垂らしていた。それは巡査からすぐに届く距離であったが、彼はその手に触ることはしなかった。
巡査は腰のベルトからライトを外してスイッチを入れた。その薄い光でトラックの破損した運転席の隙間を照らす。中は車体の壁を突き抜けたトレーラーのフレームで埋められていた。光を動かすと、それらの間に人間の肩が見えた。真っ黒に焦げた肩の先の腕は、曲がったハンドルを掴んでいる。
「大丈夫ですか」
巡査は返事を期待することなく、声を掛けた。ゆっくりとライトを動かし、肩の奥を照らす。彼が予想したとおり、頭部は無かった。
巡査は助手席側に人が居ないか確かめようと、運転席部分を貫通している鋼鉄の太いフレームに手を掛けて、中を覗いた。
「うわっ」
巡査は驚いて手を引いた。その鉄柱は凍ったように冷たかった。巡査は一歩だけ後ろに下がり、手に持っていたライトで、事故車両の上で斜めになって先端を空に広げているコンテナの、外れかけた壁と壁の隙間の奥を照らした。背伸びをして中を覗くと、大きく壊れた機械が見えた。赤や黄色の千切れたコードも見える。日の丸が印刷された翼のような物もあった。ガラスが割れ、ひっくり返っているのは、戦闘機の操縦席のようだ。その上に卵形の物体が載っていて、その横で筒状の物が「く」の字に曲がっている。その筒状の物の先端には見覚えがあった。戦闘機のジェットノズルの部分だ。どれも分解されて格納されていたのだろう。巡査はライトの角度を変えた。傘を幾つも重ねて串刺しにしたような物が見える。コンテナの内側の壁は均等に細かな皺を寄せていた。眉間に皺を寄せた巡査は、中をもっとよく観察しようと、顔を前に出しコンテナの外壁に左手を触れた。
「
巡査は反射的に手を引いた。先ほど感じた冷感を念頭に置いていた巡査の脳は、予想外の真逆の感覚に過度に反応し、彼に痛みすら伝えていた。巡査は思わず右手に握っていたライトを落として、そのまま左手を庇った。彼は再び、そこから一歩後ろに下がる。左手を火傷しなかったかと気にしながら、重なっている事故車両を改めて観察した。これほどの大事故であるにもかかわらず、発火はしていない。不自然だった。
巡査は怪訝な表情で首を傾げると、落としたライトを拾おうと身を屈めた。朱色の水たまりに手を入れる。不快な感触だった。しかめ面で手を動かしていると、彼の手に何かが触れた。動きを止めた巡査は、屈んだまま周囲を見回した。彼の足下の朱色の水溜りの中には、曲がったナンバープレート、割れた車用芳香剤の瓶、コードが千切れた無線のマイク、女性用の靴の片方などが散乱していた。立ち上がり、生温く粘り気のある水溜りの中から拾った物を確認していると、彼の背中を強い光が照らした。彼の前に降り注いでいた雨粒が金色に光る。少しだけ振り向いた巡査は、ずぶ濡れのズボンのポケットに右手を入れたまま、体を光の方に向けた。
まぶしい光源の奥に赤い点滅が確認できた。
12
永山哲也は薄暗い足下に何かが無数に落ちているのに気付いた。彼はその場にしゃがんで、そのうちの一つを拾い、そのままそれを天井の薄い光にかざしてみる。彼の経験では、それは干からびた白い花弁であった。永山哲也は少しだけその匂いを嗅ぐと、すぐに鼻から遠ざけ、左手の指先で丸めたその塵を、しゃがんだまま部屋の中心に向けて投げ捨てた。そして、立ち上がりながら言った。
「2025年9月28日。忘れもしません。あの黒く大きなキノコ雲は、隣の県にいた僕の部屋からも見えました。今でもはっきりと覚えています。しかし、政府の発表では、あの爆発はここの武装ゲリラによる核テロ攻撃であるとのことでしたが。その証拠としてゲリラからの挑発文が刻まれた耐核性の『メッセージボード』が爆心地から発見されたはずですし。あの核テロ事件と、高橋博士と博士の論争と、何か関係があるのですか?」
永山の怪訝を募らせた表情を見ながら、田爪健三は首を深く縦に振る。
「ある。あり過ぎるよ。君は何を言っているのだ。いいかね、よく考えてみたまえ。おかしな点がいくつかあるから。まず第一点はこうだ。あの核テロ攻撃は我々の実験拠点を標的にしたものだった。偶然にも、私も高橋君も放送局からの急な呼び出しを受けていて、私は出勤していなかったし、高橋君は妻と子供たちを連れて県を離れていたから、爆発には巻き込まれなかった。それに、あの場所はプロトタイプのタイムマシンを発射するための初期実験場だったから、爆発以前から半径数キロメートルの範囲は危険区域に指定されていて、民間人の居住と立ち入りが禁止されていた。さらに、当日は日曜日だったうえ、偶然にも、出勤している者は誰もいなかった。というのは、当時はまだ民間の大企業が主体となっての実験だったから、警備や保守は専門業者への一括外注でやっていたのだが、あの日はその業者で大規模な労働ストが決行されていてね、誰1人も施設に足を運んでいなかったというのだ。お蔭で死傷者はゼロ。随分と出来過ぎた話だとは思わないかね。ああ、そうだ。まあ、居住制限などの法律的支援を国から受けてはいたが、民間としての研究事業であった以上、土地の取得など諸々の手続的な活動にも限界があった。それで、あんな山奥に在ったのだ。法律上の制限があったとはいえ、我々が働く施設は周囲に建物一つ無い山奥に在ったのだよ。通勤に片道3時間だ。3時間だぞ、3時間」
田爪健三は、永山の方に太い三本の指を激しく立てて見せた。その手を下ろした彼は、興奮を抑えるように深呼吸をすると、静かな口調に戻して続けた。
「ともかく、これらの事情が重なり、最大公約数的に幸運を呼んだ訳だが、結果として、大地は大きくえぐられてしまった。当然、実験施設も消滅だ。――そうだ。あそこは今、どうなっているのかね」
「爆心地ですか。爆発当初のままです。巨大なクレーターの中心に、融けかけて曲がった電波塔が立っているだけ。数年前に取材で行ったことがありますが、周囲の森も荒れていて、ひどいものでした。きっと、今はもう通れないでしょうね。爆発以来ずっと政府が立ち入り禁止区域に指定したまま放置されていますから」
田爪健三は肩を落として息を漏らす。
「そうか……相変わらず杜撰だな。あの時の調査も随分と杜撰だった。政府は当初、我々の実験の失敗や施設管理上のミスを疑ったが、例の金属板、『メッセージボード』とやらが見つかってからは、一転して南米の反政府テロ組織による核テロ攻撃だと認定した。爆発の原因を綿密に調査することよりも、国際社会への対応に意識を傾けるようになったのだ。ところで、君、ああ、永山君、その頃君は何をしていたのかね?」
「えっ。あ、僕ですか?」
永山哲也は、自分の顔の中心を指差した。
戸惑い顔の彼を見て、田爪健三は少し笑いながら言った。
「そうだよ。君以外に、この部屋に誰が居るんだね」
「はあ。――まだ娘が小さくて、一緒にキノコ雲を見て驚いて……。ああ、そうそう、思い出しました。たしか、その日は異動後に初出勤する日の前日で非番だったのですが、急遽呼び出されまして。着任の挨拶もできないまま、社会部で最初に係わった仕事が、あの核テロ事件でした。といっても、先輩方のお手伝い、下働きってやつですがね」
「幾つだった」
田爪健三は、椅子から少し身を乗り出して尋ねた。
永山哲也は即答する。
「25です。もう少しで26って時でした」
田爪健三は鼻で笑うと、永山に再び左手の人差し指を振りながら言った。
「そのぐらいの年齢は、そういった仕事を経験するべき時期だ。それでいいんだよ」
永山哲也は苦笑いしながら、首を横に振る。
「いやあ。それはどうでしょう。だって、博士が25歳の頃は、ええっと……」
永山哲也は、ジーンズの後ろのポケットから手帳を出したが、すぐに戻して、言った。
「そうか。AT理論が赤崎教授と殿所教授によって発表された年が、博士が25歳の時でしたよね。最先端科学の研究所の花形研究員と、ネット新聞の地方局で社会部雑用係。これって、差が有り過ぎるんじゃないですか」
永山哲也は、目の前の男の華々しい経歴と自己とのギャップに辟易し、少し項垂れた。そのまま身を屈めた彼は、さっきの塵の一つを拾い、部屋の中央へ力を込めて投げる。
「まだ、第一の話は終わっていない」
永山の様子を眺めていた田爪健三は、はっきりとした口調でそう言った。
永山哲也が田爪に顔と意識を向けると、彼は険しい顔で話を続けた。
「誰かが、あの日を狙って核爆発を起こした。死傷者を出さずに施設を破壊するために。そうでなければ、あんなに偶然が重なること自体が不自然だろう。確率論的にも、あれだけの事実が偶然に重なることはゼロに近い。意図的に人が居ない時を狙ったもの、いや、そういう状況を作ったのかもしれんが、とにかく、あの実験施設への攻撃のみが犯人の目的だったと考えるのが自然だと思うがね。そして、そうだとすると、時空間移動関係の研究に対し、その研究内容そのものに対して、強い憎しみと阻止の目的を持っていた人物あるいは集団が犯人だということになる。ところが、ここのゲリラ共には、それらが無い」
田爪健三は右に抱えた銃の先端で永山の後ろのドアを指し示しながら、首を左右に振った。そして、顔の前に左手の二本の短い指を立てる。
「第二に、政府はここのゲリラの仕業だと決め付けたが、何か明確な証拠でも在るのかね。君も私も例の金属板の存在は知っている、というか信じている。政府がその存在自体は公表したからね。しかし、君はその金属板そのものを見たことがあるかね?」
永山哲也は首を横に振った。
「いいえ。確かに。政府は爆発後の緊急会見で一度だけ、金属板の存在と内容を口頭で発表しただけで、その後は、放射能汚染の可能性を理由に、現物が公表されたことは無いですね。今まで一度も。あ、この点はその当時、徹底的に調べました。なんせ、下働きでしたから。――あれ以降、公文書からも、その存在が消されていますね。不思議なことに」
永山哲也は眉間に皺を寄せ、鋭い視線でそう語った。
田爪健三は彼の表情を満足そうに観察しながら、何度も頷く。
「よろしい。よろしい。それでいい。だが、よく覚えておきたまえ。不思議なことをするのが『権力』というものなのだよ。この点は、次の第三の点に係わってくるがね」
田爪健三は、今度も力強く三本の指を立てた。
永山哲也は眉をひそめる。
田爪健三は手を下ろすと、両手で銃を握り、膝の上に前屈みになって話を続けた。
「つまり、なぜ、地球の反対側まで来て、日本の軍隊は戦争をしているのか。これが第三のポイントだ。そして、この疑問は、日本と同じように協働部隊に派兵している全ての国に対しても成立する、実に平均化された疑問点なのだよ。それでは、その謎について検討してみよう。まず、敵とされている彼らは、ゲリラ軍の兵隊たちは、元はただの一般市民だった人間たちだ。大都市から逃げてきた難民や、人里離れた小さな村の住人だった人々が大半だ。確かに、あの爆発が起きた2025年前後のゲリラたちは、熱帯雨林帯に潜む賊どもがその中心メンバーだった。政治的主張は口先だけの、ただの山賊だ。だが、その規模は多めに見積もっても、せいぜい今のゲリラ部隊の百分の一程度だったろう」
田爪健三は永山の方に目線を送り、語り続けた。
「戦争により街が破壊され、村は孤立し、多くの人間が職を奪われた。財産も身分も、生きていくべき場所も失った。その彼らの多くは生きるため、家族を養うためにゲリラ軍に『就職』した。そして『仕事』として戦っている。そうだ。この戦争がゲリラ部隊を大きくしていったのだ。だから、戦争前から彼らが協働部隊と互角に戦えるほどの勢力だった訳ではない。それ以前のゲリラ軍は今の彼らとは全く違ったのだ。単なる山中の小集団に過ぎず、実力も財力も実に貧弱な組織だった。当然、技術力も無かったはずだ。実際、10年前の2028年時点でさえ、ここの連中は戦闘用ロボの開発どころか、操作すらもできなかったのだぞ。もう戦争は始まっていたのに。話にならん。こんな奴らが核兵器を作れるか? 入手できるか? 使えるか? 現実的に、冷静に、客観的に考えてみなさい」
田爪健三は体を起こし、椅子の背もたれに深く背中を押し当てて永山を見据えた。
「結論を言えば、つまり、こういうことだ。この戦争は、核テロ攻撃を行ったゲリラ軍を掃討することを大儀名分として引き起こされたものだが、その真実は、全くの言いがかりだったということなのだよ。あんな核テロ攻撃を当時のゲリラ連中ができたはずがない」
田爪健三は強くそう主張した。
永山哲也は驚いた顔をしない。彼は冷ややかに言った。
「だから、彼らに手を貸すのですか」
古びたパイプ椅子の上の高級スーツの男は静かに目を閉じると、暫く黙っていた。
やがて目を開けた彼は、険しい顔をして、逆に永山に対して質問してきた。
「君は私を論駁しに来たのかね。取材に来たのかね。それとも……」
永山哲也は質問をやめなかった。
「博士は、この戦争の理由が何だとお考えなのですか」
田爪健三は、また目を瞑ると、少し考えて、小さく溜め息を吐いた。
「まあ、いいだろう。もう少し話をしてあげよう。あの核テロ事件以降の、私と高橋諒一という男の人生について……」
田爪健三がそう言っている途中から、錆びた鉄柵の向こうに置かれた長テーブルの上の機械たちが急に小刻みな音を発し始めた。ある機械は急速に上下を繰り返す折れ線グラフを画面に表示し、また、ある機械は針を猛烈な速度で左右に往復させながら、その下から細かな縞模様で真っ黒になった帯状の記録紙を吐き出している。永山の方から見て右端の機械から、強烈なアラーム音が発せられた。それと同時に、置かれている砂時計の横の機械の側面にいくつかのデジタル数字が赤く電光表示され、毎秒ごとに数を減らしていく。
機械の振動でテーブルから砂時計が落ちそうになった。田爪健三はその砂時計を左手で掴むと、それを背広の左のポケットに押し込みながら、冷静に、それらの計測機器を見て回った。
手際よく確認を終えた彼は、不恰好で奇妙な銃を両手で抱えたまま永山の方に駆けてくる。彼は永山を少し後ろに押して言った。
「ヤツが来るぞ。下がっていなさい」
その後、田爪健三は銃を抱えたまま、広い円筒形の空間の奥の暗闇へと走っていった。
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