異界交易の波紋 ~福島ビットの攻防

「ほんとに来たよ」


 ゲラン・トーチは、モニターを覗きながら呟いた。

彼の持っているモニターには、百メートル上空からの映像が送られている。警戒用滞空ドローン――ドローンという言葉のイメージとは異なり、ヘリウムガスによって上空から周囲を監視している偵察機だ。五メートル四方の円形に近いガス袋と移動するためのファンモーター、カメラ通信装置などからなる。機体上面は薄膜ソーラーパネル、下面は簡易スクリーンになっていて、カメラで撮影した上空の景色を投影できる。地上からは発見しにくい構造となっている。ちなみに福島ピットの周囲は飛行禁止エリアで、侵入者は即時撃墜も許可されている。


「予想が当たりましたね、ミスター」

「外れて欲しかったがね、個人的には」


 クレアが話しかけた男は、ロバート・ウッドマンという。彼は情報分析官としてキャリアを積み、アメリカ軍では軍事顧問も務めた男だ。現在は、ゲランたち同様、DIMO職員として“ザ・ホール”絡みの紛争解決のために働いている。ただし、立場はアドバイザーであり、こうして現場に足を運ぶことはめったにない。


 異界局から支援を求められたDIMOは、ウッドマンを日本に派遣。彼は、テロが起きた場合にテロリストが侵入する経路を想定し、三ヵ所の監視ポイントを指定した。そのひとつに奴らが現れたのだ。


 クレアとゲラン、ルースラン、ウッドマン、そして異界局の宮崎、合計五名の警備隊がいるのは、テロリストが車を止めた場所からさほど遠くない場所だった。車と車に乗った複数の人間の存在を、狼男ライカンスロープであるゲランがられるくらいには近い。


「自衛隊と警察には?」

「通報済み。でも、どちらも今は回せる人手がないって。時間がかかるみたいよ」

「おいおい、俺たちだけで対処しろって?」


 ゲランが、宮崎を睨み付ける。異界局の一局員に過ぎない彼だが、ここでは日本政府の代表のような立場に立たされている。まったく権限はないのだが。


「すいません、すいません。で、でも、援軍も来ることになっていますので……」

「到着まで、奴らが動かなければいいがな」


 ルースランの悪い予感は、ほどなくして当ることになる。モニター内のテロリストたちが動揺を見せたあと、移動を始めようとしたのだ。


「私が先に行く。ゲラン、遅れるなよ」

「了解」


 ルースランは、飛び立った。


□□□


「そうはいかない。全員、動くなfreeze


 突然聞こえた声に、テロリストたちは緊張した。ある者は武器を構え直し、ある者は落ちつきなく周囲に視線を走らせる。兵士としての練度に差があるのは、彼らが寄せ集めであることの証だ。


「上だ!」


 テロリストたちが、一斉に上を見上げる。が、そこにはすでにルースランの姿はない。


「動くな、と言ったはずだ」


 耳元で声がした。驚いた男は、振り向きざまに持っていた拳銃の引き金を引いた。


「ぐあっ!」


 叫び声を上げたのは、男の後ろにいた仲間だった。


「撃つな! 仲間に当たる! ナイフを使え!」


 矢継ぎ早に、リーダーが指示を飛ばす。


「大人しく、武器を捨ててくれると、仕事が楽なのだがねぇ」


 声が、四方八方から聞こえる。


「くそっ! どこだ!」

「気をつけろ、固まれ。互いの背後を護れ!」


 テロリストが、二、三人ずつ集まって周囲を警戒する。一人の男の前にある藪が、音を立てた。男は躊躇わずに手にしたナイフを投げた。やったか?


「武器を手放したらだめだろ?」


 ナイフを投げた男の腕は、別の腕に掴み取られていた。鋼のように強く、堅い。男が引き剥がそうとしても微動だにしない。人外の力に敵うわけがないのだ。ゴキリ、と鈍い音が響いた。


「がぁぁぁぁっ!」


 尺骨と橈骨が砕ける痛みに、男が雄叫びをあげる。近くにいた男の仲間は、それに構わず男の腕を折った相手に向かって行った。一人は軍用ナイフ、もう一人はわずかに反りの入った細身の剣――シャムシールで。

油断した訳ではない。なにしろ、武器は見えないけれど、仲間の腕を素手で砕いたのだ。ただ者ではない。だからこそ、必殺の力を込めて攻撃を仕掛けた。二筋の銀光が敵を襲う。


「いい太刀筋だな」


 二人のテロリストは、驚きに目を見開いた。ナイフが、剣が、空中で止まっている。いや、敵の指が刃を指で掴み取っている。


「だが、まだ浅い」


 ナイフと剣、ふたつの刃を指先で挟み取った敵――ゲランはにやりと笑いながら、手首を軽く捻る。


「な!」

「うぉっ!」


パキンと軽い音を立てて折れた刃が地面に落ちるより速く、ゲランはテロリスト二人の背後に回り込み、頸動脈を(彼の常識からすれば)軽く摘まむ。二人の男は、声もなく意識を失いその場に倒れた。ついでに、腕を押さえながら叫び声を上げていた男の意識も刈り取る。


「これで、三人っと。さて、お次は――」

「そこまでだ!」


 声を挙げたのは、テロリストのリーダーだった。、前方に延ばした右手の中には、ピンを抜いた手榴弾が握られていた。


「そんなことをしても、君たちが死ぬだけで、私たちには傷ひとつ付けられないよ」


 霧化を解いて実態を表したルースランが、必死の形相を浮かべるリーダーに向かって言い放つ。しかし、リーダーも負けてはいない。


「お前たちを殺せなくても、ここら一帯を汚染することはできるぞ!」


 そう言って、ダッフルバッグを持った左手を差し出す。


「いいか、この中には放射性物質と爆薬がたっぷり入っているんだ。これが吹き飛べば、どうなるか、お前たちにもわかるだろう!」


 放射性物質を爆破しても、核爆発はしない。だが、爆発によって放射性物質がまき散らされれば、周囲は放射能で汚染されてしまう。いわゆる、汚い爆弾ダーティーボムの変形版だ。


『テロリストが、放射性物質を持ち込んだという情報はありません』


 ルースランとゲランが耳に付けている通信機から、宮崎の声が聞こえる。こちらの状況をモニターしていたのだろう。


「動くなっ! そのままじっとしていろ! おい、お前たちは倒れた奴を車に乗せろ。一旦、引くぞ」


 放射性物質はブラフ、そう考えてテロリストを無力化することは容易だ。だが、万が一にも本当だったら? だからといって、ここでテロリストを見逃してしまえば、放射性物質を持ったテロリストを野に放つことになる。


「さて、困ったな」


 ルースランは、冷静に周囲の様子を観察した。ゲランの場所は――少し遠い。いくら狼男ライカンスロープが素早くても、テロリストが手榴弾を爆発させる方が速い。影に入って奴の動きを止めるか? 太陽の位置が悪い。もう少し、位置が変われば――。


『そのまま待機してください! 今、援軍が』


 異世界人であるルースランとゲランは、宮崎が喋るよりも先に気が付いていた。上空から、何かが落ちてくることに。


「そうだ、そのまま動くなよ――」


 テロリストのリーダーが、両手を前方に突きだしたまま、ゆっくりと動き出そうとした次の瞬間。彼の目の前に赤い何かが落ち、そして腕が急に軽くなった。


「何っ――!」


 空中で、手榴弾が爆発した。リーダーの右腕とともに。

 空中に広がる赤い炎と黒い煙。その光景に驚く暇もなく、テロリストはスタンバトンの一撃を受けて気絶した。

 十秒後、その場にいたテロリスト全員が行動不能となっていた。立っていたのは吸血鬼ヴァンパイア狼男ライカンスロープ、そして赤と黒、二体の鎧。


「<ハーキュリーズ>?」

「<ハーキュリーズ・ネオ>よ」


 外骨格エクソフレーム装甲のフェイスプレートを上に引き上げ笑顔を見せた日本人女性がルースランの言葉を訂正した。


異界あちらでのデータを元に、改修された最新モデルよ。あ、私はミナ。日野美奈。よろしくね。あちらは、パートナーのマイクよ」


 元陸上自衛隊二等陸尉、現DIMO実働部隊隊員、日野美奈は、そういって手を差し伸べた。ルースランは、その手を握り返す。


「助かったよ。上空からのダイブは、スリリングだったろう?」

「アメコミのヒーローになった気分よ」


 しばらくして、福島ピットに常駐していた自衛隊と地元警察が到着し、テロリストを連行していった。厳しい取り調べを受けることになるだろうが、背後関係については明らかにはならないだろうし、彼らを雇った国々も決して認めることはない。結局、彼らは捨て駒として扱われるのだ。


□□□


 ――地球上のどこか。


「失敗したか」

「成功の確率は、それほど高くはなかったからな」

「まぁ、日本への牽制にはなっただろう」

「しかし、DIMOが力を付けすぎではないか」

「うむ。やはり早急に我が領土内に“ザ・ホール”を見つけなければ」

「そうだな、そちらも急がねばならんが、奴らの持つ“ザ・ホール”もなんとかしなければ。資本主義者どもばかりに美味いウォッカを飲ませるわけにはいかんだろう?」

「アフリカの方が、なんとかなりそうだ」

「それは、朗報」


 暗い室内に、グラスが触れあう音がする。

 人知れず、陰謀が動き出していた。


――――――――――――――

 テロリストが計画したように福島ビットで爆発が起きなかった理由については、本編で。

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