異界交易の波紋 ~標的、日本

 中東で、日本をターゲットにした会合が行われてから一週間後、場所は都内へと舞台は移る。


高度な対傍聴システムが施された会議室に、二十名ほどの人間が集まっていた。窓のないこの部屋では今、外務省の報告が終わった。


「その情報の信頼性は、どれほどのものなのかね」


 苦虫を噛み潰したような表情で、内閣官房長が外務事務次官を問い質した。


「信頼性は高い、と思われます」

「長官。こちらの情報源ラインからも、同様の連絡が来ております」


 官房長が、発言者である防衛省統合幕僚長に鋭い視線を送った。定例記者会見で見せるような温和な表情とは別の顔だ。防衛省のラインということは、他国の軍事組織、軍情報部からの情報ということだ。果たして、それを信じて良いのか? 官房長の視線はそう問いかけていた。だが、幕僚長も叩き上げでここまできた人間だ。視線ぐらいでは怯まない。


「米軍にも、それとなく確認しております。あちらも対応策を考案中とか。日本こちらのプラン次第では、協力するにやぶさかではないとのことです」


 ふぅ、と大きなため息をつきながら、官房長が椅子に背を預ける。


「まったく、なんてことだ」


 日本にもたらされた情報とは、“日本を標的としたテロが起きる”というものだった。しかも、カルトや過激派のような国内組織ではなく、複数の諜報機関がバックにいるテロ組織による計画なのだという。


「異世界会議が標的か……」


官房長の呟きに、大半の人間が首肯した。十日後には東京で“ザ・ホール”に関連する国々のトップ会談が予定されているのだ。各国要人のみならず、“ザ・ホール”の専門家、物理学者や社会学者も集まることになっている。

会議の“次元裂孔現象に関わる諸問題をテーマとした会議”が正式名称だが、通称は「異世界会議」と呼ばれている。くちさがない人間は、「穴会議」などと呼ぶ。


 だが、外務省異界局局長、江田茂は別の意見だった。


「お言葉ですが、には会議を妨害する動機がありません。今、東京で用心や専門家を亡き者にしても、利はありません。情報通りであれば、テロの標的は“ザ・ホール”そのものではないでしょうか。むしろ、会議を目くらましに使っている可能性もあります」

「江田君。“ザ・ホール”は破壊不能だろう? それに、周囲三キロを管理区域にしている場所で、テロは起こせんだろ」

「いや、しかし……」

「テロの目的は恐怖を与えることだからね、狙うなら重要人物の方だろう」


 官房長に否定されてしまったら、江田はそれ以上抗弁することはできなかった。そして、異世界会議を狙ったテロが計画されているという前提で、警察庁が主軸となった警備計画が作られることになった。具体案は、後日行われる実務者会議で決定される。


□□□


 会議後外務省異界局に戻った江田は、DIMOのジョン・バーナード長官とテレビ会議で話し合った。驚いたことに、DIMOにもテロの情報が伝わっていた。そのことが、江田の疑惑を深めることになった。情報が、広がりすぎなのだ。やはり、会議を狙うと見せかけて、本当の目的は別なのではないか。

 しかし、証拠がない。警察も自衛隊も、東京での警備に人員を割かれるため、異界局が使える手駒は多くはない。そこで、江田はDIMOに協力してもらうことにした。


『注視しているが、“ザ・ホール”が一因とはいえ、我々にもテロ捜査に口を挟む権限はないのだよ、シゲル』

「それは分かっている、ジョン。エージェントを派遣してもらえただけでも十分だよ」

『”ザ・ホール”の先に派遣する、という名目であれば、エージェント派遣に何の問題もないな』

「あぁ。異界あちらに行く前に、少し仕事をしてもらうことになるがな」

『彼らなら、大丈夫だ』


 こうして、クリスたちが日本へとやってきたのだった。


□□□


 ――国際会議当日。


 会議が開催される東京都内は、厳戒態勢の下、ヒリヒリするような緊迫感に包まれていた。政府は、都民に対し不要不急の外出を控えるよう呼びかけた。交通規制の引かれた東京駅周辺は、自衛隊の装輪装甲車まで登場し、さながら戒厳令下の様相を帯びていた。


 そんな状況にあっても、経済活動を止めるわけにはいかないとばかりに、サラリーマンたちは会社に出勤する。ラッシュアワーには、普段より少し空いているかな? 程度の混み具合なのだから、日本人は勤勉というべきか、脳天気というべきか。


 警視庁の大講堂に設置された指令センターには、会場周辺の状況や会議参加者の動向、警護の進捗などが集約され、共有されていた。


「来ますかねぇ」

「いやぁ、いくらなんでも。ビビってできないんじゃないの?」


 指令センターに詰めている捜査官であっても、あまり緊張感はないようだ。それを目にしたベテランの捜査官が彼らに話しかけた。


「なにを不抜けたことをいっているんだ。お前たち若い者に実感がないかも知れないが、あのカルト集団が起こしたテロを忘れたのか? 直前に松本で騒ぎが起きていたのに、誰一人として東京でテロが起きるなんて考えてもいなかったんだ。だがどうだ、実際にテロは起きて大きな被害を出した。

テロなんてやると決めた奴は、どんな状況だってやる。俺たちは、それを命がけで止めなきゃならん。でなけりゃ、あの悲劇をまた繰り返すことになる」

「……はい」

「すいません。自分、たるんでいました」

「今日一日だ。頑張っていこう」

「「はい!」」


 その時だった、センター内に警告音が響き渡ったのは。


『至急、至急。山手線渋谷付近を走行中の車内にて、異臭騒ぎ発生。現在、数名の乗客が病院へ搬送中。なお、異臭の発生源はペットボトルに入った化学物質と思われる。成分は不明。繰り返す……』

『横浜市のショッピングモールから緊急通報。館内にいた買い物客数十名が、一斉に昏倒。何らかの薬品が……』

『日本橋首都高橋桁に、爆発物らしき物体を発見の報あり。付近の住民を……』

『錦糸町交番より入電、不審な車両が煙幕のような煙を撒きながら逃走中との……』


 大量の連絡によって、それまで静かだった指令センターが、一気に騒然となる。


「同時多発テロ……」

「まさか、こんなことが」

『落ち着けーーっ!』


 巨大モニター前に陣取っていた指揮官の一人が、拡声器を使って怒鳴った。


「惑わされるな! 第一に正確な状況確認! 付近の警官を向かわせろ。救急と連携して人命優先で事に当たれ」


 はい! と一斉に声があがる。捜査官たちは、一気に冷静さを取り戻した。


「いいか! この騒ぎは陽動の可能性もある! 改めて警護対象から目を離さないよう、現場に通達しろ!」


 この予想は半分正解で、半分は間違っていた。


□□□


 数時間前、東京近郊から出発した四台のワゴン車は、それぞれ別々のルートを通りながら、北へと向かっていた。途中何カ所かで停まり、何かの物資や人を積みこみながら、目立たないように走っていたが、乗っている人間が中東系の顔立ちをしていたため、いやでも人目に付いた。本人たちは気が付いていないが。


 やがて、四台の車はとある山中で集合した。そこは、“ザ・ホール”のある福島ピットからそれほど離れていない場所だった。周囲三キロは管理地域に指定されているものの、立ち入り禁止というわけでもなく、地元の人間が使うような山道にこうして侵入することも容易たやすかった。ただし、福島ピットの周囲一キロには、フェンスが設置されており、許可された人間しか入ることはできない。


 車から降りた者たちは、車から荷物を降ろした後、緑と茶をベースにしたデジタル迷彩服に着替えた。そして、ケースからアサルトライフルや拳銃を取りだし、装備し始めた。手榴弾まである。

 彼らが準備を終えた頃、山の上から三人の男が滑り降りてきた。やはり迷彩服を身に纏っている。


「準備は?」

「問題ない」


 日本語ではない言葉で短い会話をした二人のうち、山から下りてきた男が、もう一人の男にタブレット端末を渡した。どうやら、渡された方の男がリーダーのようだ。

 リーダーが電源を入れると、画面が明るくなって風景が映し出された。福島ピットが見える。


「よし」


 リーダーが、腕時計を見る。


「そろそろだな」


 その場にいた全員が頷く。あと少しで、福島ピットの爆発が起こる手はずになっている。どうやって爆破するのか、彼らは知らない。それは別部隊の仕事だからだ。彼らの仕事は、爆発を確認した後、混乱に乗じて福島ピットに突入、その場にいる全員を殺し、さらに別の爆薬で施設を破壊すること――“ザ・ホール”自体は破壊できなくとも、その周囲の施設を破壊することで“ザ・ホール”に蓋をするのだ。放射性物質を散布する計画もあったが、そちらは日本への搬入経路が確保できなかったため見送られた。その代わり、地雷や遅延式の爆薬を設置する予定になっている。迂闊に近付けば地雷が炸裂し、時間差でも爆発が起きて二次被害、三次被害を引き起こす計画だ。

こうすれば、少なくとも数ヶ月、上手くすれば一年以上、“ザ・ホール”を使用できなくできる。彼らが知っているのは、そこまでたがそれで十分だった。


「本当に爆発するのか?」

「日本人は時間に正確だからな」


 そして、数刻が経った。


「おい、おかしくないか?」

「なぜだ? なぜ爆発が起こらない?」

「見ろ、タンクローリーが出てきたぞ」


 計画では、異界の石油を満載したタンクが、中で爆発することになっていた。だが、爆発するはずのタンクは、トレーラーに載せられ福島ピットから出て行こうとしている。


「くそっ! 失敗か!」

「どうする?」


 リーダーが迷ったのは、一瞬だけだった。


「こうなれば、我々が突入して施設を破壊するしかない。みな、車に乗れ。“アッラーは偉大なりアッラーフ・アクバル”」

「“アッラーは偉大なりアッラーフ・アクバル”」


 テロリストたちが動き出す。自らの命を差し出しても、与えられた任務を成功させる。幸い、警備の人手は少ない。今なら、まだ――。


「そうはいかない。全員、動くなfreeze


 声は、空から降ってきた。


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